歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(9)

2010-03-05 23:33:57 | アタテュルク像問題
→(8)からの続き

さて、詐欺師やデマゴーグの話はこれぐらいにして、“アタテュルク像の串本移設”(というか、実質的には“アタテュルク像の串本建立”ですが、)を報じたあちらの新聞記事への一般トルコ人の反応を見てみましょう。

ヒュリエット紙のサイトに載っていた短い版の記事(「アタテュルク像、串本へ」)には、結構たくさんコメントがつけられていました。

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<ハルクのコメント>


論評ハルク1号
残念なことだ!我が国の救い主たる偉大な領袖のことを、日本人ほどに気遣えないとは。日本人たちがアタの銅像を建てようとしている時に、こっちじゃそれを倒そうと頑張ってる奴らがいるわけで。

※“アタテュルク”の愛称。


論評ハルク2号
驚くことじゃない。世界のどの国に行っても、思いがけない場所でアタテュルクの記念碑やその名にちなんだ大通りにでくわすだろうさ。つまり、世界はその偉大さに注目してるってことだ。

でも驚くべきなのは、何事においてもアタテュルクに恩義があるはずのこのトルコ共和国で、彼を中傷する人間がいるってことだな。

※ アタテュルクにちなんで名づけられた通りや記念碑は、確かに色んな国にあるのだが、“世界中どこでも”というのはちょっと言い過ぎかもしれない。ちなみに銅像に関して言えば、トルコ国内では軍服姿と背広姿の双方が目に付くものの、国外だと専ら背広姿のような気がする。


↑中央アジアのクルグズスタン(キルギス共和国)の首都、ビシュケク市内の公園に建つアタテュルク像。普通に背広姿である。ちなみに、この台座の上にはかつて小さなレーニン像が建っていた。 撮影:管理人


↑上の銅像の台座。“近代トルコの創設者”と、トルコ語(上)とクルグズ語(下)の二言語で書いてある。 撮影:管理人


ネット上で見つけた、メキシコの首都にあるというアタテュルク像。これも背広。

ネット上では、日本で問題となっている件の騎馬像が“平和憲法を持ち軍事的なるものに強いアレルギーを持つ”日本社会に配慮して“敢えて”軍服姿にしなかった云々という説が散見されるが、

例↓
http://www19.atwiki.jp/torco/pages/23.html#id_f21c9d53

ムスタファ・ケマル・アタテュルクとはトルコ共和国の初代大統領であり、トルコ本国では救国の英雄として尊敬されております贈られる際には、日本は軍国主義を嫌うとの理由で、軍服を着ていない銅像が贈られたのです。このことからも、両国の友好を尚一層発展させたいとの思いが受け取れます。

他国の例を見る限り、そういうのはどうも怪しい。

そもそも、外国に自国の偉人やら英雄の像を贈るに際して、わざわざ軍服姿のものを選ぶ国なんて、今どき(少なくとも先進国では)殆ど無いのではないか。

件の騎馬像の希少価値は、やはりタキシード+マント+騎馬と言う組み合わせの奇妙さにあるように思える。


論評ハルク3号

この素晴らしいニュースを伝えてくれたヒュリエット紙で働く人たちに、心から感謝。あと、日本の人々が我がアタテュルクに示してくれた心遣いにも感謝したい…。我らがアタのことが理解できない奴らは、このニュースから教訓を得ればいいんだ。


論評ハルク4号
驚くべきことじゃないか?我らが信心深い市長殿は(アタテュルクの)銅像を撤去しようと頑張ってるのに、日本人たちは建てようとしていると…..。アンカラのウルス地区にある銅像って何でまだ撤去されないのかね?気になるな。

※トルコの首都であるアンカラの中心部、ウルス地区にある騎馬のアタテュルク+トルコ兵の像。救国戦争の勝利を記念したもので、国内に無数にあるアタテュルク像の中では恐らく最も有名なものだが、反世俗派はこれすらも撤去しかねないのだ、と言いたいらしい。

ところで、この銅像は最近、別な意味で色々と大変なことになっている模様。以下、東京外語大のサイトにあったミリエット紙の記事から引用。
 


ウルス広場のアタチュルク像、悲惨―金ぴかの次は焦げ茶色

2009年10月17日付 Milliyet紙

金色に塗装されたウルス広場のアタテュルク像の清掃作業が行われた。しかし元の色には戻らなかった!

アンカラ広域市はウルス広場の歴史的なアタテュルクのブロンズ像の上に付いた鳥の糞の清掃を望んでいたが、清掃会社は市に「気に入られよう」としてこの像を金色に塗装していた。清掃作業が完了し大部分の金色の塗装は取り除かれたが、元の色を失った像は今度は汚らしい茶色になった。アンカラ広域市当局による、10月13日のアンカラの首都制定記念日を前にしたウルスのアタテュルク像清掃依頼は悲惨な結果に終わった。

■50人のグループによる清掃
広域自治体の定期清掃と修繕作業を行っているセルキム清掃社は、像のところどころ黄ばんだ部分を基に、82年の歴史を持つ記念碑を、元の色であると考えた金色に塗装した。この失態が明らかになったあと、広域市の都市美観課の監督のもと50人の作業グループが作られ、像の修復作業を始めた。このグループのなかにはセルキム清掃社の社員も含まれていた。

■足が石灰のように…
この作業チームには4人の彫刻家も技術的支援を行った。作業の結果、像の金箔の色は大部分が清掃されたが、今回も像の汚らしい茶色になってしまった。金箔の色は今でも一部に残り、アタテュルクが乗る馬の左後ろ足は所々石灰のような色になった。責任者たちは、清掃作業がアブディ・イペキチ公園の「手」の像や人権記念碑も手掛けたメティン・ユルダヌル氏の監督のもと行われたと話した。


清掃作業を監督したメティン=ユルダヌル氏というのは、どうやら上記の日本にあるアタテュルク像に関する記事の中で、その製作者として触れられていた彫刻家、ユルダヌル氏と同一人物らしい。タキシード+マント+騎馬の組み合わせには何やら尋常でないものを感じたが、全てこの人のセンスだということか。

まあ、金ぴかのアタテュルク+トルコ兵に比べればまだマシかもしれないけど。

黄金のアタテュルク像….これだけ見るとトルクメニスタンかどこかのようだ…。

 

論評ハルク5号
日本よ有難う。貴国は国際社会における、我らが真の友好国の一つだ。


論評ハルク6号
俺たちの政府は恥じるべきだな。日本の皆でもアタテュルクの価値を俺たちよりもよく知ってるし、尊敬もしてるんだぜ。


論評ハルク7号
メルスィンの串本大通りのことも取り上げればいいのに。誰も関心を払ってないぞ。

※メルスィン:串本の姉妹都市である、地中海沿岸の港湾都市。市内にはエルトゥールル号殉難者のための慰霊碑と“串本大通り”と名づけられた通りがある。串本町のサイトに写真あり。


論評ハルク8号
我らがアタテュルクは、間違いなく20世紀における最も行動的にして最もカリスマ的な指導者の一人であり、死後70年が経った今もなお、世界での威信は増すばかりだ。

にも拘わらず、その故国において彼を忘却させようとする工作が行われているのは、何とも残念なことだな。これというのも、帝国主義勢力と神政(イスラーム)国家の前に立ちはだかる唯一の障害こそ、アタテュルク主義だからだ

※現在トルコでアタテュルク像が蔑ろにされがちなのは、欧米列強の手先かイスラーム原理主義者の陰謀によるものであり、トルコ人がアタテュルクへの信奉を捨てれば、トルコは直ちに神政一致のイスラーム原理主義国家か欧米列強の属国になってしまうのだ、みたいなことを言いたいらしい。

トルコのアタテュルク信奉者の言うことはまさにそこに尽きるのだが、この人の言い分はその中でも特に教条主義的な印象が強い。

というのも、確かに1920年代の、救国戦争からトルコ共和国建国にかけての時期であれば、“アタテュルクを中心とする世俗主義勢力vs政教一致のオスマン帝国政府+それを支援する列強(特に英国)”みたいな図式も有り得ただろうが、昨今の中東情勢を思えば、欧米諸国(特に米国)でトルコがイスラーム回帰するのを望む国なんて一つも無いのではないか。むしろ、世俗主義国家であり続けて欲しいと願っている所が大半だろう。

それと、アタテュルクの示した世俗主義路線を堅持するのと、アタテュルクに対する個人崇拝を強化することは、そもそも別の話であるはず。

生前のアタテュルクは徹底的な合理主義者であり、自身の像そのものがあたかも土俗信仰における“土偶”の如く、崇拝の対象にされることなど望んでいなかったのではないだろうか。

こういった↓あちらの新聞記事を読んでいると、つくづくそう思えてくる。以下、同じく東京外語大のサイトより引用。


 巨大アタテュルク像開幕式にCHP市長「自分なら作らせなかった」

2009年09月12日付 Radikal紙


出展:www.arkitera.com

イズミルのブジャで、高さ42mというトルコで最も大きく、世界でも10番目に大きい彫像プロジェクトが、3年で完成した。

アタテュルク像は先週、CHP(共和人民党)党首デニズ・バイカルのイズミル訪問中に公開されると言われていたが、ブジャ市長エルジャン・タトゥに反対する市議会議員たちの圧力によって、除幕が延期されていた。

アタチュルク像は、昨日、CHP(共和人民党)イズミル選出議員アフメト・エルシンとイズミル広域市長のアズィズ・コジャオールが参加した除幕式で公開された。420万トルコ・リラという費用のため、少なからず議論を巻き起こし、前市長ジェミル・シェボイとそのプロジェクト・チームが告訴される原因ともなった胸像が公開された。

10周年行進曲の伴奏のもと行われた除幕式で、CHP所属の新市長は、「自分だったら作らせなかった。400万トルコ・リラを学校や寮の建設にあてた」と述べた。

※2010年3月現在のレートで、約2億4千万円に相当。

除幕式前と最中には、レーザー光線ショーが夜空を彩り、8分の間、花火が打ち上げられた。像は、42mという高さで、トルコでもっとも大きく、世界でも10番目の大きな彫像プロジェクトとして知られている。アタテュルク像は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにある高さ38mのイエス像よりも高い。

アタテュルク像は、ブジャ市チャルドゥラン地区のバイパス道に面した岩場で3年前に建設作業が始められた。初めに、地盤調査と鋼板による静的載荷調査が行われた。建設に際して450トンを上回る鋼板が用いられ、3層のショットクリート(吹き付けコンクリート)が施され完成した。

彫刻家ハルン・アタライマンによる像の建設にあたっては、9月9日大学をはじめとして、25の大学が協力した。


この話にはさらなるオチがあったようだ。そのことを報じた記事を見つけたので、こちらで訳してみた。元々の出展は“イェニ・アスル”紙

「400万トルコ・リラの胸像、最初の雨でぼろぼろに」

原文:4 milyon TL'lik mask ilk yağmurda döküldü

出展:イェニ・アスル紙

2009年11月19日 

文責:カーディル=ケマルオール

ブジャ市の元市長、ジェミル=シェボイの主導で建設されたアタテュルクの胸像のあちこちにできた白いしみが、見る者を驚かせている。

ブジャ市の前市長ジェミル=シェボイ氏の主導により、イズミルでも高名な芸術モニュメントを建てるべしとの主張の下、イェシルデレのバイパス道の上の方に400万トルコ・リラもの予算を費やして巨大なアタテュルクの胸像が建設されたわけだが、その胸像の有様が、見る者の心を痛ませている。

この季節で最初の雨の後、42メートルの頭部像のあちこちに大きな白いしみができてしまったのだ。本紙編集部に電話してきた人々は、こうした状況に憤りを示していた。

この件に関して、ブジャのエルジャン=タトゥ市長は、“このプロジェクトは皆で一緒にどうにかするものです。プロジェクトを担当している技術者、建築家、請負会社の全員でこの見苦しい外観の原因を究明し、その解決に必要な措置を行うと約束しましょう”と釈明。

件の胸像の建設を請け負った事業家のシェレフ=ユステンダー氏は、以前にブジャ市を対象に行われた“蔦作戦” (←詳細は不明。とりあえず、何らかの落ち度があったらしい。)においても、論議の的を生み出した張本人の一人となっているわけだが、先の9月9日に除幕式が執り行われたこのアタテュルクの胸像については、通常よりも2トン分も濃密にコンクリートが使われているので、所々白くなるのは当然のことだと説明しつつ、“胸像は時間が経てば本来の色となり、背後の崖と同じ色を持つことになるだろう”と述べた。

最近の9月9日の除幕式にCHP(共和人民党)のデニズ=バイカル党首が直前で出席を取りやめたことで、世論において再び議論の的となっているこの胸像について問われたブジェの前市長、ジェミル=シェボイ氏は“背後の崖と胸像は同じ色であるべきだとは思っているが、着色の作業は私の任期に行われたものではないので、こちらが口を出すべき話題ではない。それは皆が知っていることだ”と返答。

建築技師会議のイズミル支部代表、オメル・ザフェル=アルク教授は、胸像の最近の状態はまだ見ていないとしながらも、“費やした予算に見合った丈夫さが必要である”とコメントした。


何というか、昔、政府が地域の振興のために各地方自治体にばら蒔いた“ふるさと創生資金”(だったかな?)で、どこかの市か町が話題づくりのために“黄金のこけし”を作ったとか、作らなかったとかいう話を思い出した。

ちなみに、世界で最も巨大なレーニンの頭部像(胸像ではなく、本当に頭だけ)は、ロシア連邦の構成共和国の一つである“ブリャート共和国”の首都、ウラン・ウデの中心部にある。 

→(10)に続く


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7 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-03-06 01:58:12
翻訳お疲れ様です、セルカン氏以外の記事はいつも楽しく読ませていただいております。

今回の件で、日本側の対応に失礼な点が多々あったのは事実で、日本人として非常に恥ずかしい事この上ないのですが、当のトルコ人が事実を日土どちらにとっても都合良くとらえてくれたおかげで、日本に対するバッシングがあまりないというのは心底ありがたいことですなぁ。
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Unknown (Unknown)
2010-03-06 13:13:44

ハイハイ工作員乙www
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Unknown (Unknown)
2010-03-06 20:24:32
↑何工作員だよww
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Unknown (わすれた)
2010-03-06 20:30:10
問題の市議のブロ具を見たら今中東バーレーンを訪問中のようです、ビックリ!
「Asian Mayors Forum」の日本代表として、しかも日本代表としてこれが二回目とのこと
10万に満たない地方都市の当選二回の市議会議員がいつのまにMayorの日本代表になったのか?

参考までに過去の選挙結果を新潟日報のサイトで確認すると
2003年は定数30に32人が立候補して27位で当選
http://www.niigata-nippo.co.jp/senkyo_data/shigi/2003.html
2007年は定数30に32人が立候補して29位で当選
http://www.niigata-nippo.co.jp/senkyo_data/shigi/2007.html









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某所より転載(トルコ大使館もグル) (Unknown)
2010-03-06 21:07:47
Re:氷山の一角(大学院の幼稚園化)+トルコ政府の責任 (スコア:1)
matsu03 (34226) : 2010年03月05日 23時56分 (#1728416) あと、付け加えますと、このトルコ人の経歴詐称ですが、
トルコ大使館は当然気づいていたはずです。
日本で唯一のトルコ人有名人になっていたわけですし、大使館のパーティにも
よく出ていたようです。元オリンピック・スキー選手でトルコ人初の宇宙飛行士なるものが
いるかいないかくらい、トルコ政府なら知っていたはずです。
トルコ大使館は彼が日本で人気者になっているのをいいことに、経歴詐称の事実をあまり積極的には
警告しなかった疑いがあります。(政府筋の書類が偽造とはさいごに認めたようですが)
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Unknown (Unknown)
2010-03-06 21:40:24
市議のブログを読むと先月も東京のイラン大使館のパーティーに招待されてる。

イランのニュースサイトに今回の訪問が取上げられてる。
http://en.tehran.ir/Default.aspx?tabid=18162&ctl=Details&mid=38475&ItemID=143530

推測としては
イラン側にとっては「平和利用」核開発のPRとして、本人は経歴箔付けのため
両者の思惑が一致しての中東招待訪問かな。
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Unknown (裸族のひと)
2010-03-09 21:55:21
クルグズスタン(キルギス共和国)の首都、ビシュケク市内の公園に建つアタテュルク像。普通に背広姿である。ちなみに、この台座の上にはかつて小さなレーニン像が建っていた。
撮影:管理人
    ↑
むむっ さりげなく管理人さんの撮った写真が載っているではないですか。本当に、こんなところまで行っていたのですね。なんか、とーっても寒そうな感じがするのは気のせいでしょうか・・・。
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