歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(追記)

2009-06-30 00:46:53 | トルコ関係

→(後編・その2)からの続き

Wikiの英語版がいじられていたのがちょっと気になったので、念のためトルコ語版 Wikiのロボットの項(http://tr.wikipedia.org/wiki/Robot)も調べてみました。

すると.....

Evlerde robot kullanımı giderek artmaktadır. Evlere giren ilk robotlar Furby, AIBO gibi oyuncaklardır. Başta ABD'de olmak üzere ev işlerine yardımcı olan robotların kullanımı da giderek yaygınlaşmaktadır. Yerleri kendi kendine süpüren robot elektrik süpürgeleri büyük talep görmektedir. Dünyanın ilk robotu 1889'da Türkler tarafından yapılıp Japonya'ya hediye edilen ancak Ertuğrul Fırkateyni ile birlikte Pasifik Okyanusu'nun derin sularına gömülen Alamet'dir.

. ...家庭でのロボット使用が増えている。最初に家庭に入ってきたのはアイボやファービーといった玩具だったが、米国をはじめとして、家事補助用のロボットの使用も次第に広まっているのだ。地面を自動で掃除する電気掃除ロボットの需要は大いに高まっている。

世界初のロボットは、1889年にトルコ人たちによって製造され、日本に贈呈されたものの、フリゲート艦・エルトゥールル号とともに太平洋の深海の底に消えた“アラーメット”である。


ここではアラーメットの写真は使われていない。


いやあ、案の定でしたねw。

というか、何かエルトゥールル号と一緒に沈んだことになってるんだけど、いいのかw?

その説でいけば、オスマン帝国は明治天皇の要請に応じて最新鋭のからくり時計...もといロボットを製造してエルトゥールル号とともに日本へ送ったと。で、東京まで到達した使節団はロボットを散々日本人に見せびらかした挙句、それをトルコに持って帰ろうとしたら台風に遭って沈んでしまった、とかそういう話になってしまうんだけど....w。

これを書いた人(多分ケレシュ氏自身かその周辺の人間だと思われるw)は、恐らくエルトゥールル号が復路で沈んだことを知らないんでしょうが、だったらなおのこと意味が分かりません。日本につく前に太平洋に沈んでいるのに、一体どうやって日本に技術が伝わるのか?

一から歴史を捏造せんとする意気や善しw。団体を動員するとかでなく、個人で地道に情報工作を行っているのも関心なことです。ただ、ちょっと爪が甘いのが残念www。


我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(後編・その2)

2009-06-29 22:00:39 | トルコ関係

→(後編・その1)からの続き

どうやら、ガチで信じている人が多いようですw。でも“haber⑦”の読者はたまたまこういうのが多いだけだろう、と言う人がいるかもしれないので、大手紙“Milliyet(ミリエット)”の掲示板も訳してみましょう。記事の内容はほとんど同じで、30以上のコメントがついていました。さすがに全部は訳せませんので悪しからず.。

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<ハルクのコメント>
http://www.milliyet.com.tr/Yasam/SonDakika.aspx?aType=SonDakika&KategoriID=15&ArticleID=1108743&Date=20.06.2009&b=Osmanl

論評ハルク1号
一体今度は何がでてくるんだろうな。トルコ民族は全民族に冠たるレベルにあったというのに、どうして今みたいな状態になってしまったのか。悲しすぎる…。


論評ハルク2号
日本にすらロボットを送ってたというのは驚くべきことだ。でも、800年続いた国にそういう技術を期待するのは間違っていない

※よく分からない理屈ですw


論評ハルク3号
もしこの情報が正しいとしたら、当時の技術はとても良い状態にあったということだよね。半メートル歩くとか。で、一番大事なのはアザーンが朗誦できたということ。どう朗誦されたんだろう?どうやって作ったんだろう?あと、何でできてたんだろう?


論評ハルク4号
オスマン帝国についてどうこう言ってる奴はこの記事を読め。オスマン人たちは、衰退期においてすら科学的な探求をやめなかったってことだ!


論評ハルク5号
オスマンの祖先たちを誇りに思うよ。皆にアッラーのお恵みあれ。


論評ハルク6号
このロボットはどこにあるんだ?120年ってそんなに昔じゃないぞ。日本の友人たちに聞いてみようぜ。“ロボットはどうしたんだ?”ってな

※そんなものはありませんw。


論評ハルク7号
日本側のソースの中にさらなる情報と記録が絶対にあるはずだ!
その確信がさらに強まるようなニュースだな。

※ないw

論評ハルク8号
オスマン帝国が崩壊しなければ、トルコは今の日本よりも発展してたってことだな


※多分してないw


論評ハルク9号
文明を俺たちから学んだ奴らが、今では俺たちに文明を教えようと努めている。残念なことだ。


論評ハルク10号
この種の発見や革新、先進的な試みは、どれもアブデュルハミト2世の時代に起きてるんだよな。
俺たちはこの人のことを(学校では)暴君だったと教わっているけどさ。歴史がいかに事実からかけ離れた書き方をされてるか、よく分かるよ。


論評ハルク11号
120年前はこうだったのに、120年後の今ときたら….。


論評ハルク12号
日本人たちがロボットを作ったのは、多分俺たちからインスパイアされたからなんだ

※されてないw


論評ハルク13号
オスマン帝国がいかに進んだ国だったかを示す明らかな証拠だ。帝国を後進的なものだとか言ってる奴って…。このニュースみたいな、俺たちが知らない事ってどれくらいあるんだろうな。調べてみないと….。


論評ハルク14号
俺たちは御先祖様よりもダメダメなんだな。残念なことだけど….。


論評ハルク15号
ロボットは日本人の手本になったんだ。さもないと、日本は今みたいな技術大国には多分なれなかっただろう….


論評ハルク16号
どうして俺たちはこのことを知らなかったんだろう?何か間違ってる。全てのことが人民から隠されてるように感じるんだ。で、このロボットは、日本がロボット先進国になったまさにその原因だな。彼らはフリゲート艦(エルトゥールル号)でこのロボットを見つけ、引っ張り出したんだろうwww。

<ハルクのベスト・コメント>

誰だか、俺らが日本人をインスパイアした、みたいなことを言ってる奴がいるようだけど、一体何を考えているんだ?お前らがロボットだと言ってるのは、目覚まし時計みたいなシロモノだぞ?オスマン帝国は完璧な国家だった。でも、衰退期にはその進歩の精神を失ってしまったんだ。

スルタンたちは、鳥籠(ある時期以降、スルタンの皇子達は鳥籠のような小部屋で育てられた)で養育された後に玉座に上り、恐怖と、不安定さと、無能さに翻弄された。オスマン帝国は、初期の段階では完璧だったが、奸智により滅んでしまったんだ…..。

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結局、似たような感じですねw。まとも、というか記事に対して懐疑的なコメントは、ほとんど上の<ベスト・コメント>のみでした。

しかし、1890年代にロボットとか潜水艦とかTVとか自前で作れるほどの技術力と工業力があれば、英露仏相手の第一次大戦はともかく、伊土戦争とかバルカン戦争は楽勝だったんじゃないですかねw。

まあ、いくらそんなことを言っても、“それはアブデュルハミト2世が退位した後の話だ!アブデュルハミト2世がスルタンの地位にあったなら、あんなことは無かったはず!”とでも返されるんだろうなあ。

ちなみに、実際に当時のオスマン帝国を訪れた日本人の感想については、坂本勉/池井優・編「近代日本とトルコ世界」(頸草書房)が詳しいです。この本の中で、1891年にエルトゥールル号の生存者を乗せてイスタンブルを訪れた日本海軍の軍艦“比叡”と“金剛”の乗組員の手記がそれぞれ紹介されているのですが、いずれも視察したオスマン海軍に関して“艦隊が港に放置され、各艦は錆びついて使い物にならなそうだった”、云々と厳しい評価をしています。

彼らの見立ては正しかったようで、1897年のギリシャとの戦争の際には、オスマン海軍の艦艇は整備不良で機関が動かなかったり、あと乗組員の殆どが船酔いで使いものにならなかったりして、結局、一艦たりともギリシャまで辿り着けませんでした。

また、同じく1896年にイスタンブルを訪れた鎌田榮吉(後に慶応義塾の塾長をつとめた人物)も、その旅行記の中で、“帝国の国家機構は大変に腐敗し、収賄が蔓延していた”、“華美な宮廷生活と貧しい一般人の暮らしぶりの差が印象的だった”みたいな感じで、色々と厳しいことを書いています。

まさに、当時の列強がオスマン帝国のことを揶揄して使った瀕死の病人”という言葉そのものですね。どう考えても当時の日本人が技術支援を求めるなんてあり得ないし、ましてや明治天皇がアブデュルハミト2世からイスラームについて教えを請うことなんてことも無かったでしょうw。

まあ、いくつかのコメントにもあったように、あちらの学校で現在教えられている“正史”は確かに不自然です。テュルク系の王や族長を頂いていた歴史上の国家は全て“トルコ族の国”といった扱いであり、オスマン帝国も何だか“トルコ人”の民族国家のようなのです。

この辺りは、現在の中華人民共和国が清や唐のような古典的な大帝国の版図を根拠にして、“中国の歴史的領土”を云々することに対して感じる違和感と少し似ているかもしれません。その一方で、セルジューク朝の西漸以前から重要な役割を果たしてきたイスラームの役割についてはあまり触れられない。

何とも、現在の世俗主義体制にとって都合の良い歴史なのですよ。確かに“国史”なんてものは元来、国民国家を正統化するためのものですから、世界のどこでも程度の差こそあれその時々の体制に都合の良いように書かれるものではあります。が、トルコの場合はどうもそれが極端なのです。

故に、それを見直す動きがでてくるのは自然なことだし、また大いに結構なことだとは思うのですが….だからといって、一部のイスラーム主義者のように逆に“共和国を全否定、オスマン時代を全肯定”するのはいかがなものでしょうかw。

そういう人たちの歴史観は、大体イスラーム世界が欧州に対し政治的にも文化的にも優位にあった中世辺りが基準になっています。訳したコメントの中に “この世界における重要な発見は全てムスリムやトルコ人によってなされた”みたいなのがいくつかありましたが、こういうのがまさにそうです。

どういうことかというと、まず、中世においてギリシア・ローマ文明を含む広義のオリエント文明を直接引き継いだのは西欧ではなく、中東から中央アジアにかけて広がったイスラーム世界でした。西欧人はアラビア語を介してそれらの知的遺産を吸収していき、それがきっかけになってルネサンスが始まり、近代文明が生まれたと。つまり、近代文明の起源はイスラーム世界にあるというわけです。

実際、その時代にムスリムによって独自に発見されたり発明されたりしたものは多い。多いんだけど、その基盤となった知識をたどっていけば、またどこか他の文明に行き着くはずです。“○○の起源は××にある”とか、“△△は××のパクリだ!”みたいな主張は馬鹿な話で、そういうことを言い始めたら、最終的には“人類共通の祖・アウストラロピテクスを崇めよう!”とか、“最初に火を発見した類人猿に感謝しよう!”といった話にしかならないでしょう。

でも、彼らの眼中にあるのは欧州と自分らの関係のみであり、東アジアや南アジアの文明は眼中にありません。また、彼らにとって歴史とは7世紀に預言者ムハンマドが出現してからの話なので、それ以前のことは多分どうでもいいんでしょうね。こうした発想の裏には、現時点のリアルな世界を牛耳っている西欧発の近代文明に対する強烈なコンプレックスが感じられます。

ただ、これだと近代に入って西欧との力関係が逆転し、後には一方的に支配される関係になったことへの説明がつきません。特に列強から“瀕死の病人”と揶揄された19世紀後半~20世紀初めのオスマン帝国の状況なんていくら理想化しようとしても、そのための明るい材料はほとんどない。となると、結局、列強やユダヤ人組織の陰謀のせいにしたり、この記事のようにほとんど100%捏造に頼らざるをえなくなるのかもしれません。

だからですね、とりあえずこの時代に関して言えば、世俗主義者というか、トルコの“正史”の記述がまだ事実に近そうな感じです。

しかし、これの元ネタを書いたと言う作家(兼研究者)のオクタン=ケレシュとは一体いかなる人物なのか?その名を手がかりに調べてみたところ、彼が常々寄稿しているというあるニュースサイトに辿り着きました。

“アラーメット”の件も、初出はこのサイトだったらしい。最新のニュース欄に、“アラーメット”報道の後日談にあたる話題もあり。

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「日本の新聞が我々の情報を報道」
原題:Haberimiz Japonya Gazetelerinde  2009年6月25日
http://www.netpano.com/haber/3503/Haberimiz/Japonya/Gazetelerinde


オクタン=ケレシュ氏が秘録シリーズで取り上げたテーマが、トルコのみでなく世界のメディアでも取り上げられ続けている。ケレシュ氏は最初のシリーズで、英国のサッカーチーム“ポーツマスFC”が、アブデュルハミト2世によって設立されたことに関する資料を公開した

※英国のポーツマスFCの月+八稜星のエンブレムを旧オスマン国旗(月+八稜星)と強引に絡ませて、“ポーツマスFCはアブデュルハミト2世によって設立された”と結論付ける妄想巨編。これも訳そうと思ったけど、あまりにも長いのでやめた。

http://www.netpano.com/haber/3152/Portsmouth/Futbol/Kulub%C3%BCn%C3%BC/IIAbd%C3%BClhamid/mi/Kurdu 

↓ケレシュ氏の写真。ちなみに、この人が被っている帽子はクルグズ人の民族帽“カルパック”


その続編において、ケレシュ氏は日本の今日のロボット技術がアブデュルハミト2世によって送られたアラーメットという名のロボットによってもたらされたのではないか、と論じた。文書に基づいたこの情報はトルコ国内のメディアで広く取り上げられ、TVではトップニュースとして扱われたのだ。

このアブデュルハミト2世とロボット技術についての情報は、海外のサイトでも紹介され始めている。以下は、海外のサイト やロボット関係のサイトが、この件を報じた例である。:


といって、いくつかリンク先がいくつかあげてあるのですが、

まず、これ↓はリンク先が存在せず。
Ottoman Robot Surprised the World !

次に、これ↓は何だろう?
英語フォーラム英語フォーラムで英語を学びます。 英語に関する質問や回答に、メッセージボードが最適です。 貢献度が大きいほど、より多くのメンバーに英語を練習する機会を与えることができます!
http://jp.englishbaby.com/forum/LifeTalk/thread/302569

意味が分かりません。恐らく、日本語が読めないトルコ人に対して、さも日本のメディアが取り上げられているかのように見せかけるためのダミーではないでしょうか。日本語なんて読めない普通のトルコ人は、わざわざリンク先なんて確認しないだろうし。

その次のこの↓記事は、このサイトの記事の英訳版を誰かが投稿したものですね。というか、投稿主はこのサイトじゃないかw
http://robotworld.com/robots/newsbot/robot/kaynaknetpanocom-ozel-netpanocom



最後のこれ↓は、英語版wikiのロボットの項です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robot


??? 一見、アラーメットについての記述は無さそうなのですが、

よく見ると…….



田中久重のからくり人形の真下にアラーメットの写真が…w。


その部分の拡大↓



しかも、作者が自分で投稿してるじゃないかwww。これはひどいw。


我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(後編・その1)

2009-06-27 18:04:13 | トルコ関係

→中編からの続き 

<ハルクのコメント>



論評ハルク1号

我がスルタンは何と偉大であったことか!それから何年も経っているのに、我々は料理用ロボット(?)くらいしか作れないし、未だに外国に依存している…アッラーよ、彼のスルタンの如き指導者を再びこの国に遣わしたまえ。

※作れるのか?w

※追記(6/28):最近のトルコではミキサー等の家電製品が〝料理用ロボット”と呼ばれることもあるようです。御指摘有難うございました(>真実の目殿)




論評ハルク2号
でも、フリーメーソンの奴らがそれを許さないだろうな。奴らはイスラームを後進的なものに見せかけるために、オスマン帝国を遅れた国だということにした。ムスリム知識人は常に時代の先端にあるんだ!

※ “ユダヤ人が牛耳る欧米列強がオスマン帝国を滅ぼした。さらに、イスラエルを建国させてイスラーム世界の抑圧を続けている”みたいな陰謀論は、トルコのみでなく他の地域のイスラーム主義者の議論でも普通に出てきます。イスラエルとかパレスチナに関しては一部納得できるような部分もあるのですが、イスラーム世界衰亡の全て“ユダヤの陰謀”のせいにしてしまうのはいかがなものか。


論評ハルク3号
これで、“アタ(アタチュルクの愛称)、アタ”ばかり言ってオスマン帝国のことを馬鹿にする輩(=世俗主義者のこと)にも、当時の技術がトルコ共和国におけるそれのように遅れていなかったことが分かるだろう。


論評ハルク4号
この記事を書いた記者は、なぜ日本まで行って追跡調査をしないんだ?


論評ハルク5号
我らがスルタン(皇帝)、万歳!
俺はアブデュルハミト2世陛下が大好きだ!あの方ほど先見の明のある皇帝はいなかったろう。現在においてすら、陛下の計画は実現している。考えてもみろよ!チャナッカレ(ダーダネルス海峡に面した都市)に要塞や砲台が築かれたのって、アブデュルハミト2世の時代だぜ。第一次大戦が起こることや、その際に敵国の軍隊がチャナッカレに殺到するのも予測しておられたというわけだ

※ 第一次大戦時のゲリボル(ガリポリ)半島攻防戦のことを言っているらしい。この半島を占領し、ダーダネルス海峡を制することにより、首都イスタンブルを一挙に攻略せんとした英仏豪などの連合軍は、オスマン帝国軍の激しい抵抗により上陸に失敗。この戦いで活躍したムスタファ=ケマル大佐(後のアタテュルク)は“首都の守り主”として有名になった。確かに要塞が築かれたのはその時期だけど、アタテュルクらの勇戦がなければ、当然撃退できていないはず。この人はアタテュルクの功績をどうしても無かったことにしたいらしい。


論評ハルク6号
日本に、こんなものの記録って残ってるもんかね?


論評ハルク7号
前世紀の最も偉大な指導者はアブデュルハミト2世とアタテュルクの二人だ。この2人を範にとったのが3番目に偉大なオザル元大統領。現在のトルコの経済発展の礎を築いた。親日・知日家としても有名)。そして、エルドアン(非常にイスラーム主義的な政治家。公正発展党員)は今彼らの例に倣っているところなんだ。

※ テヘランでのトルコ航空機による日本人救出が実現したのは、当時首相であったこの人に強力なコネを持った日本人がいて、それがトップダウン的に機能したため。エルトゥールル号事件以来のトルコ人の間の親日感情(そんなものは無いw)は何ら作用していない。これについては別の記事で詳しく書く予定。


論評ハルク8号
…つまり、その頃は俺らが日本人よりも進んでたってことだな。誇るべきことだ。今いるその子孫たちに同じことができないとしたら、我らが皇帝の何がまずかったのか分からなくなるよな。

※アブデュルハミト2世は、1909年に統一と進歩委員会(青年トルコ党)の圧力で退位させられた。


論評ハルク9号
セマー(旋踊)を踊って風車みたいにぐるぐる回ってれば神の道が明らかになるというのか?wwwそういうのは、お前が自慢にしているオスマン時代の宗教的な信念なるものが、神秘主義的でアジア的な思い込みの上に成り立っているという証拠だよ。しかし、イスラームという宗教を、コマみたいにぐるぐる回転している人間のでっち上げた変な儀式で説明しようというのはちょっとなwwww

イスラームがどういうもかきちんと学べば、俺がなにを言いたいか分かるだろう。でも、イスラームをエゾテリズム(神秘主義の一種か何かと勘違いしている間は、そんなことばかり言ってるんだろうな

※イスラーム主義者の中でも原理主義的な人々は、戒律(イスラーム法)の徹底遵守ではなくセマー(旋踊)のような物理的な方法で神との合一を試みたり、またしばしばイスラーム化以前の土着の信仰の要素が混じったイスラーム神秘主義を、“異端”とみなすことが多い。この人も多分そういう人。


論評ハルク10号
俺はこれを事実だと信じるよ、兄弟。なぜなら、この世界で全てのものを発明したのはトルコ人やオスマン人なんだ。ただ、他の国々をそれで発展させてしまったという…。恐らく、日本人たちの技術が進歩したのも、このロボットのお陰だろう。


論評ハルク11号
要するに、日本人たちのロボットへの関心は、このロボットがきっかけで始まったってことだな。アブデュルハミド2世って本当に偉大なスルタンだったんだなあ…。

※始まってないw


論評ハルク12号
俺もこのニュースは本当だと思うな。他の人も書いてるように、この世界では何事においても、最初に発見したのはトルコ人とオスマン人なんだ。例えば、歴史上最初に迫撃砲を作らせたのはファーティヒ征服者=スルタン=メフメットメフメット2世なんだよ。ビザンツ帝国を征服した際(コンスタンティノープル攻略戦のことか?)、城内の非戦闘員に被害を与えないためにな

※メフメット2世はそんなに非戦闘員の人権に配慮するスルタンだったのかw

後に欧州人は、これをさらに改良・発展させた。もしこの時、可能性は限られていたにせよ実際にロボットが作られていれば、俺たちの国も世界の強国の中に入れたかもしれない….。


論評ハルク13号
これって、誰もが知ってる振り子付きの目覚まし時計だろ。違うところは振り子の代わりに腕がついてて、鐘の代わりにアザーンが鳴るというくらいで。今の子供用時計みたいだな。ちなみに、世界で最初に目覚まし時計を発見したのはアラブ人だ。御参考までに。


論評ハルク14号
世界における諸々の発明や発見は、全てムスリムによるものだ。いくつか例を挙げてみよう。最初に眼の外科手術を行ったのはイブン=シーナー(アヴィセンナ)。最初に時計を作ったのはアブー・サイードで、欧州人はそこからパクッた。初めて活版印刷を発見したのはイブラヒム=ミュテフェリカ……(この後延々と続くので、以下略)。

※18世紀、イスラームに改宗してオスマン帝国に帰化したハンガリー人。西欧で用いられていた活版印刷の技術を、初めてオスマン帝国に導入した。新たに印刷技術を発見したわけではない。


論評ハルク15号
俺たちは、600年もの間、イスラームの旗手という名誉ある役割を担ってきたオスマン帝国のトルコ人やクルド人の末裔なんだ。誇りに思うよ。俺たちの先祖が黄金時代を生きているとき、欧州は中世の闇にあり、文明の何たるかを知らなかったんだからな…..。


論評ハルク16号
アブデュルハミト2世の時代には、多くの発見がなされたんだ。潜水艦もスルタン御自身が建造された。知られていないものはまだまだ沢山あるだろう。

※どこのピョートル大帝だよwww当時のオスマン帝国には自国で潜水艦を建造する能力など無かった。第一次大戦直前の時点でオスマン海軍は数席の潜水艦を所有していたが、いずれも輸入したもの。


論評ハルク17号
日本人というのは抜け目のない連中だ。彼らはオスマン帝国に高度な技術や知識があった時代には、帝国からそれらを求めようとした。当時の日本は、欧州並の産業の水準には未だ到達していなかったんだ。故にアブデュルハミト2世は、日本人に恥をかかせないために、国内にいた最も高い技術を持った人間を、つまり最も先進的なレベルの時計が作れる偉大な職人を用いた…。

他のどの分野でも、最良のものを送っただろう。例えばTVが出来たらTVを送ってただろう。日本人に対して、そのような形でメッセージを託したのだ。 今日ではどうかと言えば、我々は時計を日本人から買っている……。


論評ハルク18号
そんな御伽噺は信じられないな。ロボット話でごまかそうとしてるけど、アブデュルハミト2世は抑圧的なスルタンとして歴史に残っている。彼が第一次憲政時代に議会を閉鎖したのは、オスマン帝国の衰退の始まりだ。民主主義に反した統治は帝国を崩壊に導いたんだ。

スルタンは権力欲が旺盛であり、(秘密警察を使って)宮殿から一歩も出ずにスルタンの地位を思う存分堪能した。その時期に生まれた良き発明は、明らかにその陪臣によるものだろう。アブデュルハミト2世自身が何かを生み出したというのは間違っている。当時の反体派が彼のことを“赤いスルタン=「返り血にまみれたスルタン」の意と呼んだのは正しいことだ。

※ここで描写されているアブデュルハミト2世の描写は教科書通り。世俗主義者のようです。後はこのコメに対する叩きが続きます。


論評ハルク19号
↑お前の他の投稿を辿ってみたら….PKK(旧クルド独立党、今でも急進的なクルド独立派)を支持するようなことも書いてるな。PKKの支持者がオスマン帝国のことを擁護するとは思えない。実はお前は………。

※2chで酷使様の意の沿わないことを書き込んだらすぐ“在日”とか“朝鮮人”認定されるように、トルコの掲示板でもオスマン帝国の悪口を書くとすぐPKKや共産主義者、フリーメーソンw認定されます。まあ、その辺は共和国とかアタテュルクの悪口を言っても同じなんだけど。ちなみに、PKKはマルクス主義系の団体だからあれですが、一般的なクルド人の民族主義者は民族国家であるトルコ共和国に対しては否定的ですが、“ムスリムの国家であった”オスマン帝国は意外と評価していたりします。


論評ハルク20号

アブデュルハミト2世がなぜ議会を閉鎖したかしってるか?知らなかったら教えてやろう。その当時、オスマン帝国はロシアと戦争(1877年の露土戦争のこと)をしていた。スルタンは議員たちの利敵的な悪意を悟った。だから閉鎖したんだ。

“赤いスルタン”と呼ばれているのは、欧州列強がオスマン帝国を血を流さずに解体しようとしたとき、これに楯突いたからだ。多難な時期に、常に民衆の側にいたスルタンだった。“3月31日事件”の時も、本当なら青年トルコ党のやつらを倒せる力は持っていたのに、ムスリムの血をながしてはいかん!といって、応じなかった。お前はもっとマシな本を読むべきだ。高校の教科書とかじゃなくてな。

※1909年に反革命派が、青年トルコ党の政府を転覆するために起こしたクーデター。アブデュルハミド2世が裏から糸を引いていたとされる。このクーデターの失敗で、アブデュルハミド2世は完全に廃位されてしまった。


論評ハルク21号
アブデュルハミト2世は当時、馬鹿な連中(=改革派のことらしい)と戦っていたんだ。そいつらの唯一の望みは、オスマン帝国を弱体化させて、自らを賢いと思い込むことだった。今でも状況は同じだ。馬鹿者ども(=世俗主義者のことらしい)がトルコを悪くし、トルコの精神的な価値観(イスラームのことらしい)を笑いものにしている。それで、自分らは賢いと考えてるんだ。


論評ハルク22号
我が民族に己の歴史を見失わせしめ、真実を隠し続けるような思想は、もちろんいつかはそのツケを払わねばならない。我々が立ち遅れている理由は明白だ。即ち、それは90年間の独裁体制(革命以来の世俗主義体制を指す)の結果なんだよ。


論評ハルク23号
“エルゲネコン思想“により、お前ら(俺自身は海外の学校で学んだ)は長年にわたってオスマン帝国がいかにダメで、技術の敵であったか!みたいなことを叩き込まれてきたわけだ。今はもう分かっているだろうけど、世界を方向付けているのは俺たちなんだよ。語られるべきこと(歴史的事実)はもっと沢山あるはずだ。

※エルゲネコン=中央アジアのアルタイ山脈辺りにあるとされるテュルク系諸民族の想像上の故地であり、世俗主義者の聖地。トルコの世俗主義においては、トルコ人はイスラーム化によって堕落したのであり、世俗化して“本来の民族意識”に目覚めるべきだとされている。つまり“エルゲネコン思想”=“世俗主義”。


論評ハルク24号
お前の共和主義者のお友達は、この小さな国(=トルコ共和国のこと)すら満足に治められないで、10年に一回はクーデターを起こしてるな。アブデュルハミト2世は広大な帝国を治めてたんだよ。小規模とはいえ、ヒトラーがやったような虐殺は起きたかもしれない。でも、彼が“赤いスルタン”と呼ばれているのはスルタンがユダヤ人たちに(当時はオスマン帝国領だった)パレスチナの土地を与えなかったからだ。お前もそいつら(=ユダヤ人勢力)の仲間なのか?

※ また陰謀論かw。なお、この説はアラブ人の間でも広まっているようです。

参考:週間アラブマガジン“オスマン帝国の歴史”
http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/osman/20080428.htm

また当時、世界のシオニストたちがパレスチナにユダヤ人国家を建国する計画を遅らせていた主な要因は、アブドルハミード2世の堅固な意志でした。そのため、ユダヤ人はアブドルハミード2世をその在位中に凋落させ、歴史的にその名を落とそうと暗躍しました


論評ハルク25号
自分らの祖先をこれまで卑しむべき、矮小で遅れた者と見てきた連中は、我々が今に至っても彼らの遺産を食い潰しているだけだというのが分かっただろう。オスマン人たちを批判したいのなら勝手にすればいい。でも、何をしようが真実はいずれ明らかとなるだろうさ。我が民族の子らは、先祖のことをちゃんと学ぶだろうからな。

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→後編(その2)に続く


我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(中編)

2009-06-27 00:37:26 | トルコ関係

→前編からの続き

あれですよ。これらの記事を信じるならば、日土関係悪化の種は既にエルトゥールル号の来航とともに蒔かれていたことになります。オスマン宮廷から送られたロボット(?)を蔑ろにし、またその優秀な技術をパクっておきながら、それをひた隠しにして技術大国を自認する日本に対し、トルコ人たちは心から怒りを感じているに違いありませんw。

近年のBBCの世論調査にも、日本人のそうした態度が影響しているのは間違いない!w原因は思わぬところにあったのですよ。日土関係の危機を本気で憂慮している人たちは、アタテュルク像なんかにうつつを抜かしている場合じゃありません。直ちに盗まれた“アラーメット”の捜索に取りかかりましょう!w

まあ、そういう与太話はいいとして、この記事に対するあちらのネット民の反応はどうでしょうか?“haber⑦”のこの記事の掲示板には、まだ何日も経っていないのに、既に大量のコメントがついていました。驚くべき関心の高さです。

こんな“トンデモ記事”wにどうして?と訝しく思う人もいるかもしれませんが、実はこの手の話題は、彼の地では世俗派とイスラーム派の間に横たわる“歴史認識”問題のど真ん中にヒットしがちなのです。

もちろん、“アラーメット”はロボット否か?といったことではありません。あれはただの“形代”なのでw。重要なのは、その“背景”の方です。

現在のトルコ共和国の公的な歴史観においては、アブデュルハミト2世(在位1876-1909年)は、基本的に悪者扱いです。オスマン帝国が列強の半植民地のような状態に陥っていたにも拘わらず、自己の権力を維持するために、議会を閉鎖するなどして改革を阻害。カリフ(イスラーム世界の指導者)としての宗教的な権威を最大限に活用しながら専制政治を行い、帝国の停滞と破滅を招いた張本人ということになっている。

また、自らに反対する者や改革派を権謀術数を用いて大量に粛清したことから、“赤い(血まみれの)スルタン”とも呼ばれます。日本の幕末史でいえば、ちょうど井伊直弼みたいなポジションかw。

ちなみに、例の”エルトゥールル号事件”は、そういう暴君が汎イスラーム主義的な宣伝と国威の発揚のために、”老朽船を無理やり駆り出して行った国費の無駄遣い”みたいな位置づけですね。船は一応日本まで達したとはいえ、具体的な外交関係の進展はちっともありませんでしたから。

ただですね、そうした評価というのは確かに真実の一面をついてはいるものの、そのアブデュルハミト2世をクーデターで退位に追い込んだ“統一と進歩委員会”(=青年トルコ党。若き日のアタテュルクもその一員だった。)や、同じ流れで最終的に帝政を倒したアタテュルク+世俗主義体制を“正統化”するために、敢えてネガティヴな点ばかりが誇張されてきたような所もあるわけです。

まあ、政治的な体制転換があった場合、新しい体制が“いかに自分らの支配がマシなのか”を強調するために、旧体制下の社会を暗黒時代として描いたり、また都合の悪いことは全てそっちの責任にしてしまうのは万国共通ですけどね。

我らが日本でも、明治以降は“江戸時代=武士が自由に町人を切り殺し、農民からも好き勝手に年貢を搾り取れた北斗の拳のような世界w”とされたり、第二次大戦後には“戦前=戦時中=軍部に支配されたリアル「はだしのゲン」の世界”ということになったりしたではありませんかw。

現実には、アブデュルハミト2世の時代は意外と社会が安定し“上からの近代化”が進んでいたという話もあります。その専制を倒した“統一と進歩委員会”の中心は若手の将校団でしたが、彼らにしても国家の側が設立した士官学校で世俗的な教育を受けることで、近代思想や政治的な知識を吸収できたわけで。

考えてみれば、オスマン帝国を第一次大戦に参戦させて滅亡に至らしめたのも、アブデュルハミト2世ではなく“統一と進歩委員会”の3トップ(エンヴェル、ジェマル、タラート)、つまり彼を倒した側の連中でしたしね。

エンヴェル・パシャ(1881‐1922)

出典:wiki

で、最近では民主化が進んで言論の締め付けが緩んだこともあってか、イスラーム主義的な人たちを中心にこのアブデュルハミト2世が盛んに持ち上げられ、その時代が再評価されるようになっています。いや、“理想化”といった方が正しいかもしれない。

というのは、彼らは今の世俗主義体制とそれをうち建てた張本人であるアタテュルクが大嫌いなんですよ。大嫌いだから、革命なんかおきずにイスラームを国教とするオスマン帝国が存続していた方が、トルコの社会は今よりもっとマシなものになっていた筈だ、と(少なくとも彼らは)思いたがっている。

それゆえに、世俗主義者が生み出した共和国の“正史”の下に埋もれているアブデュルハミト2世期のポジテイヴな側面の掘り起こしに熱心なのです。エルトゥールル号の日本遠征もここでは”壮挙”とされているみたいですね。最近、エルトゥールル号関係の本がまとめて出版されたり、またTVなどのメディアが扱う機会が増えた背景には、そのような雰囲気の変化があるのかも。

その中には見るべき発見もあったりするのですが、往々にして無茶しがちなのがちょっとあれですかね。

特に、“オスマン帝国が存続したままではトルコの近代化は不可能だった”という正史=世俗主義者の主張に対抗するためなのか、“それは現代人の技術者が数千人単位でタイムスリップでもしないと無理なんじゃないか?とか、一体どこの「紺碧の艦隊」ですか?”と思わずツッコミたくなるくらいにファンタジーな“オスマン社会の近代性”を平気で語ったりするのです。

その辺りは、韓国の民族主義者が“日帝支配下の近代化”を否定したいがあまりに、“そんなものは昔からあったんだ!”と、李朝や大韓帝国時代の社会が今の韓国のそれと変わらないものであったかのように語るのと似ているかもしれない。

そういうわけで、この記事を書いた人もその手の思想の持ち主だと考えてよいでしょう。アブデュルハミト2世の時代は、そういう優れた”ロボット”を自前で作り、文明開化中の日本人に気前よくあげられるくらい素晴らしい社会だったといいたいわけです。

記事をよく読むと、アブデュルハミト2世が直接関わっていたり、時計の“鐘の音”(キリスト教のシンボル)の代わりにイスラーム的な“アザーン”が使われていたり、ロボットの存在が忘れられていた原因が共和国時代の言語改革に帰せられていたり、とイスラーム志向の大衆の心をつかむための仕掛けが、至る所にしてあることが分かります。

中でも最大の仕掛けは、時計職人が神秘主義教団の一つであるメフレヴィー教団のデルヴィッシュ(修道僧)であり、時計そのものも教団のメンバーがセマー(旋舞=祈祷)する様を模して作ってあるということでしょう。

オスマン時代、各種の神秘主義教団(タリーカ)はスルタンの庇護を受け、民衆の間に絶大な影響力を持っていました。それだけにアタ手ュルクからは危険視され、まっ先に弾圧の対象となりますが、その後色々と姿・形を変えながら生き残り、今なお大衆には深く浸透しているのです。

アブデュルハミト2世+メフレヴィー教団というのは、かなり強力なコンボなのですよw。

前置きが長くなりました。以下は“haber⑦”の掲示板です。とにかく数が多かったので、同じような内容のものはなるだけ一つにまとめました。

後編(その1)に続く→


我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(前編)

2009-06-25 02:03:37 | トルコ関係

ネットでちょっとエルトゥールル号関係の情報を漁っていたら、トルコのニュース・サイト“haber⑦”で驚くべき情報に出くわしたので、思わず訳してしまいました。もしこれが本当だとしたら、日本の技術史は根底から覆されることになりましょうw。

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「日本で最初のロボットは、アブデュルハミト2世の贈り物だった」
原題:Japonlara ilk robot Abdülhamit'ten
http://www.haber7.com/haber/20090620/Japonlara-ilk-robot-Abdulhamitten.php

アブデュルハミト2世が、1889年に日本へロボットを贈っていたことが明らかとなった。“アラーメット(オスマン語で「奇跡」もしくは「勲章」の意)”と名づけられたその人型ロボットの特徴は、セマー(旋踊=イスラーム神秘教団の修道法の一つを踊りながら半メートルの歩行が可能。さらには、時間ごとにアザーン(イスラームにおける礼拝時の呼びかけを唱えることができるというものだった。

メフメット=ルファット=イェエン記者

参考;アブデュルハミト2世(在位1876-1909年)


出典:wiki

参考:アザーン


参考:セマー(旋踊) を踊るセマーゼン(セマーの踊り手)


オスマン帝国末期の歴史に汚点を残したとされるスルタン(皇帝)、アブデュル=ハミト2世が、今日、技術的な先進国である日本に対し、1889年の時点でロボットを贈っていたことが判明した。人型に作られ、“アラーメット”という名を持つこのロボットの性能は完璧だったという。

研究者にして作家であるオクタン=ケレシュの書庫にある“アラーメット”の生写真は、ユルドゥズ宮(宮殿の一つ)で起きた火災で損傷を受けてはいるが、その焼け残りですら、120年を経て初めて公になったこの事件を語るには十分だろう(この写真については後述)。


<鐘の代わりにアザーンの声>
この歴史的事件は、スルタン・アブデュルハミト2世の同時代人であった日本の明治天皇の甥、小松宮が、船にてイスタンブルに来訪。スルタンに様々な贈り物をもたらしたことから始まった。

小松宮が宮殿にてもてなされた後、1889年にもイスタンブルに特使を送った天皇は、アブデュルハミト2世に日本の最高位の勲章“大勲位菊花大綬章”を始めとする様々な贈り物とともに、一通の書簡を送った。

その書簡の内容は、アブデュルハミト2世に対し、イスラームという宗教や科学技術の発展のさせ方、各種のワクフ(宗教基金)、慈善機関などの諸事について、フランス語か日本語にてその情報の提供を求めるものだった

※小松宮がイスタンブルを訪問したのは事実。しかし、日本側からイスラームや技術についてオスマン朝からの情報提供を求めた事実は無い。

アブデュルハミト2世は、時計のメカニズムに詳しく、またイェニ・カプのメヴリハーネ(神秘主義教団の道場)で時計職人をやっていたムーサー=デデに、未だかつて存在したことのない作りの時計を製作するよう求めた。

デルヴィッシュ(神秘主義教団の修道僧)でもあったデデが、

“この時計はセマーゼン(「セマー」の踊り手)の形にしましょう!そして、一時間単位で手を広げてセマー(旋舞)を踊り、鐘が鳴るようにするのです。”

と案を出したのに対し、アブデュルハミト2世は、計画について詳細に研究した後、鐘の代わりにロボットに毎時アザーンを唱えさせるよう、求めたのだった。

オクタン=ケレシュによれば、ロボットが製作される少し前にグラマフォン(蓄音機)が発明されていたので、音声を記録するのは可能だったらしい。

<“アラーメット”は同音異義語である勲章(アラーメット)と混同されていた>
ケレシュによれば、エルトゥールル号によって日本へと送られた“アラーメット”が、これまで知られていなかったのは、史料の中にあった同音異義語と混同されていたからだという。

“歴史的な文書だと、「オスマン帝国の各種の勲章が、贈り物とともに日本の天皇に献上された、という具合になっています。オスマン語だと、”勲章“は“アラーメット”であり、まさにこのロボットの名前と同じですから、混同されてしまったのでしょう。“

※ 現代トルコ語だと勲章は“ニシャン”。

オスマン語はオスマン帝国時代に宮廷を中心に使われていた書き言葉で、アラビア文字でつづられていた。その語彙は9割以上がアラビア語やペルシア語からの借用語で、文法的にも両言語の要素が多分に混じっている。現代トルコ語は、トルコ共和国時代に行われた“言語改革”で、そうした語彙や表現をかなり強引にトルコ語固有のものに置き換えたものであり、ほとんど別の言葉だと考えるべき。

日本語に例えると、ちょうど漢語・漢文的表現を徹底的に排除し、その代わりに大和言葉や大和言葉を組み合わせて造語された新語(例:飛行機→とびもの、学校→よみどころetc…)それに英仏からの外来語を代わりに使っているような感じ。
お陰で、オスマン時代に書かれたものをアラビア文字からラテン文字に直したとしても、普通のトルコ人はそれを満足には理解できない


アブデュルハミド2世は、その時代の技術の精華であったこのロボットを、特別書簡や贈り物、それに勲章などとともに、エルトゥールル号に乗せて日本の天皇のもとへと贈った。その帰路で、船は台風によって450人の乗組員とともに、海に沈んだのだった。


<120年前の発見>
ケレシュは、作られたロボットの特徴を次のように挙げた。

“セマーゼンの形をしていて、普通の人間の背丈に近い大きさを持ち、時計も付いたロボットです。胴体は台座に据え付けられている。そして、時間ごとにセマー(旋踊)を踊るのですが、この際は腕が上がり、銀板で作られたスカートが広がります。同時に、ロボはアザーンも唱えるのです。”

”これらの動作を行うときは半メートル前に進み、回転するようになっていました。アザーンを唱え終わると元いた位置に戻り、スカートと腕が下がるというわけです。その全身は金と銀で装飾され、胴体の後ろの部分にはネジがついていて、それを7日に一ぺん回すようにできていました。”

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日本のロボット工学者に、二足歩行の人型モデルの開発に拘る人が多いのは、昭和期からTVで放映されてきた“ガンダム”シリーズなどのロボットアニメが影響しているからだ、という説がありますが、多分そんなのは嘘っぱちですねw。

日本の人型ロボットの起源は、実はオスマン帝国の技術の粋を結集して製作された“アラーメット”にあったわけですw。エルトゥールル号事件というのは、日土の友好がどうこうとか言う以前に、日本の技術史を根底から変える重要な節目だったことになる。

こうした重大な事件が今の日本人に知られていないのは、まさしく日本民族の団結力を奪うためにその歴史を改竄するという、GHQやコミンテルンの陰謀が功を奏したからに違いありませんw。是非とも歴史の教科書に載せるべきでしょうw。

ところで、このニュースは大手紙の“ミリエット(共和国)”紙を含む国内の色んな新聞に配信されているようで、例えば日刊紙の“ブギュン(今日)”では、ホンダの有名な人型ロボット“アシモ”の写真とともに、

“アシモの父はトルコ製だった”

という煽り文句までつけられています。

“ブギュン”紙の表紙。ロボットの件に関する見出しは右上に見える。

http://www.netpano.com/haber/3492/Haberimiz/Medya/Manşetlerinde

またこの新聞は、当時、帝国内で出回っていた雑誌にもロボットが見られるとしています。
http://www.bugun.com.tr/haber-detay/72272-dunyayi-sasirtan-osmanli-robotu-haberi.aspx

↓サイボーグ化されたオスマン人


↓後のアナライザーである(嘘)


とりあえず、“haber⑦”のサイトに掲載されていた、火災による焼失を辛うじて免れたという“アラーメット”の生写真を見てみましょう。

↓”アラーメット”(写真右側)



………………….。


いや、これは……………..。


アシモ(本物)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/05/HONDA_ASIMO.jpg




アシモの父じゃない........。

アシモの血族じゃないよ.........。


というか、写真じゃないだろう、これはw。どこの形代だよw。

このペラペラしたシュールな物体が時間ごとに上半身を回転させ、アザーンを朗誦するとしたら、ちょっと困りますね。怖すぎる。夢とかに出てきそうです。

横に立っているトルコ帽(フェズ)の男が大きなネジの様なものを持ってますが、きっとこれで動力源であるゼンマイを巻くのでしょう。蓄音機とどのように繋がっているかは謎。足が一本しかない様に見えるのも気になる。下に車輪でもついてるのか?だったら、無理せず“ガンタンク方式”でいいではありませんか。職人からも“偉い人には分からんのですよ!”とか言われてそうですw

あと、イスラームの礼拝は宗派にもよりますが、基本的に1日3~5回のはずで、1時間ごとにアザーンが鳴り響く環境って宗教的にいかがなものでしょうか。アブデュルハミド2世は一応カリフでもあるはずなんだけど…等々、次から次へと疑問が沸いてくるのですが、そういう細かいツッコミはとりあえず置いておきましょう。

そんなことよりも、もし仮にこれが実在したとして、そもそも“ロボット”と呼べるのかという話です。この記事を読む限り、作った人もアブデュルハミト2世当人も“時計”と言ってるではありませんか。だったら、“時計付きの人型ロボット”というよりは“人型時計”、いやより正確に言えば“からくり時計”でしょう。

で、ゼンマイ式のからくり時計に関していえば、東芝の創始者として有名な“からくり儀右衛門(田中久重)”の例を挙げるまでもなく、日本には江戸時代からの技術の蓄積がありました。

ましてや明治維新から20年が経過し、既に近代化が軌道に乗りつつあった当時の日本では、こういう怪しい時計の出る幕は無かったでしょう。でも、大部分のトルコ人はそんなの知らないんだろうなあ…..。

参考:江戸時代の伝統工芸―からくり人形総集編


それにしても、この“ロボット”の存在がオスマン側の史料で確認できないのはトルコの言語改革により生じた混乱wによるものだから仕方がないとしてもwww、明治天皇に献上されたのであれば、日本に現物が残ってないとおかしい訳です。

この記事ではその辺のことについては何も触れてないのですが、他のニュースサイトで“アラーメット”のその後の運命まで言及している記事がありました。全体的な内容はほとんど同じなので、とりあえず、その部分だけを訳してみます。

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「今日の日本のロボット技術は誰のお陰なのか?」
原題:Japonya bugünkü robot teknolojisini kime borçlu?
http://www.tumgazeteler.com/?a=5163746


.…しかしながら、それでもいくつか疑問が生じるかもしれない。例えば、日本人はどうしてこのロボット(“アラーメット”)を贈られたという事実を公にしなかったか?といったことだ。この問いには、次のような答えが考えられる。

当時、日本の皇室は混乱していた。皇居やいくつかの宝物殿も略奪に遭い、“アラーメット”もその混乱した時期に略奪者の手に渡ったとも考えられる。

もう一つの疑問は、当時の日本の時計会社が、“アラーメット”にインスパイアされたか否か、だ。例えば、”セイコー社”の時計工場は1892年に設立され、1899年に初のアラーム時計を市場に出している。そして、キンタロー=ハットリによってセイコー社が設立されたのは1881年。

知りたいのは以下のようなことだ:

・“アラーメット”はこれらの時計に影響を与えたのではないか?

・(セイコー社の時計に)“アラーメット”の上に刻まれていた7人の時計職人の頭文字がどこかしらに残ってないか?

・“アザーン”時計(目覚まし時計の要領でアザーン朗誦装置のついた時計はイスラーム圏ではよくみかける。中国製が多い)発祥の国が日本であることに関して、“アラーメット”の影響はどの程度あるのか?

それらの答えは分からないが、一つだけ確かなことは、アザーン朗誦機能を備え、かつロボットとみなされる時計を最初に世界に送り出したのは、アブデュルハミト2世だということだ!

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皇居って略奪に遭ったことがあったんですね。全然知りませんでしたよw。“当時”というのが一体いつのことを指すのかよく分かりませんが、近代日本でそういう機会があり得たのは、多分第2次大戦直後の混乱期だけでしょう。持ち去ったのはGHQに違いない!その目的は…(以下略)。

この記者によれば、“人型ロボット”のみならず“セイコー社の時計技術”もその起源はオスマン帝国にあるらしいw。“アザーン時計”もオスマン製の時計に触発された日本人が世界に広めたものなんだそうなw。そうだったのかwww。

参考:アザーン時計


中編に続く