歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(2)

2010-02-17 22:44:25 | アタテュルク像問題
→(1)からの続き

“串本大使”については、前回引用したものとは別の地元紙、“紀伊民報”の記事↓により詳しい説明がありました。

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 「大使第1号にアニリールさん 串本町が委嘱」     2007年09月03日

http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=131002


              (前略)  

串本大使の取り組みは、町のPR以外に情報や助言をもらうことで町の活性化に役立てるのが狙い。町出身者や縁があったり、応援してくれたりする人に依頼する。大使の中から1人を講師に招いた講演会を、年4回ほど開く。  近く大使に委嘱する8人は次の皆さん。

前田弘信(和歌山信愛女子短期大学事務部長、串本町出身で和歌山市在住)▽城谷剛志(京都青果合同ロジスティックス部長、串本町出身で京都府在住)▽中谷和夫(サントリー品質保証本部長、串本町出身で京都府在住)▽渋沢幸子(作家でトルコ文化研究家、東京都)▽森永堯さん(日本・トルコ協会理事、東京都)▽平早勉(写真家、東京都)▽赤木正和(水中写真家、大阪府)▽中山英明(東京海洋大学名誉教授、千葉県)

              
(後略)
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要するに、ある程度社会的な影響力があって、串本のことを世間で宣伝してくれそうな人たちに贈られる名誉称号のようなものなのでしょう。

基本的には、他の地域にもよくある町興し、村興しのための“~観光大使”や“~名誉市民”と同じものかと思われます。

“串本大使”の数はその後も増加しているらしく、たまたまネット上で見つけたこの↓ブログをやっている手話通訳士の方も、そうした“大使”の一人らしい。 -

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2008年5月06日   私は串本大使です!!

http://kusimotorukaruka.seesaa.net/article/95831382.html


南 瑠霞です。両親の実家が、和歌山県串本町です。串本町の高校を卒業しました。同級生が、町会議員です。いろんなご縁で、串本大使をおおせつかりました。

和歌山県串本って、日本地図のどこにあるか、わかりますか?「探してみてくらんせ」(地元の言葉で「探して見てください」っていう意味です。)

全国の皆さん、串本について、どうぞ知ってくださいね。

目指せ東国原英夫!!串本を宮崎みたいに有名にするぞ!!(笑)

地元に由来する角界で活動中の様々な人が『串本』を応援する。・・・というのが、串本大使の使命です。

( 以下略)
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>地元に由来する角界で活動中の様々な人が『串本』を応援する。
>・・・というのが、串本大使の使命です。

このくだりを読んで、一瞬“ああ、串本って力士の産地なんだな”と納得してしまった自分は、疲れているのかもしれませんw。といった些細なことはさておき、このブログ自体はトルコ絡みのもの以外にも串本に関する情報が豊富で、とても参考になりますね。お勧めです。

それにしても、当の“第一号大使”セルカン氏は自身の“使命”について一体どう思っているのでしょうか?

“大使”に任命された直後の日本語ブログには、以下のような記述があります。

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 「串本大使に任命される。」      2007年9月7日
http://blog.anilir.net/?cid=11532&page=1

夏休みを利用して、弟夫婦が遊びに来ています。ドイツに住む彼らのバカンスは、うらやましいことに1ヶ月近くあるため、東京にも約2週間滞在する予定です。

先日、その弟夫婦を連れて、和歌山県串本町を訪れました。ブログにも書きましたが、僕は二度目の訪串になります。

でも、今回は、特別な意味がありました。それは、僕が第一回串本大使に任命されたからです。笑

市長から委嘱状というものを渡され、大使としてどう串本町に関わり、貢献していけるか、打ち合わせも行いました。 過疎化が進む地方の町作り、無人島という自然財産を大切に保護しながら、それを町のためにどう生かしていくか、エネルギー問題、子供問題、意義のあるテーマばかりです。

僕の研究が串本町の人々の暮らしに役立ててもらえるよう、研究者としても串本大使としても、引き続き頑張っていこうと思っています。

みなさんも、是非、一度、串本を訪れてみてください。
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“大使”に任命された事実は淡々と記し、その期待に応えるべく地域への貢献を語るなど、極めて謙虚で好感のもてる文章ですね。

でも、同じ日に書かれたトルコ語版のブログはどうかというと......

こんな↓具合なのです。

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 「大使となる名誉」  2007年9月7日    
原文:Büyükelçi olma şerefi
http://anilir.blogcu.com/buyukelci-olma-serefi/2295741

以前のエントリーで串本市のことを書きました。今から約130年前、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が日本を訪問した帰りにこの町の沖合いで嵐に遭遇し、沈没。その生存者たちに串本の人々が救いの手を差し伸べたことで、日土友好の大切な輪が生まれたという話です。

今週の週末、その串本市に招かれました。彼の地の市及び県議会の決議により“串本大使”に任命されるという栄誉に恵まれたのです。

今後の私は、串本を世界に紹介することにおいても、また、この町を新世紀に相応しい姿にできるような未来に向けたプロジェクトの開発においても、指導的な役割を求められることになるでしょう。

信じられないほど美しい自然に恵まれ、年に百万もの国内旅行者が訪れるというこの小さな町での最初のプロジェクトは、11ヘクタールの大きさの無人島“ツヤジマ(通夜島)”に私たちが建設するプロトタイプのインフラ・フリー・ユニットの研究となります。

自分にとって大いに誇りにすべきこの任務をお受けするにあたって、市長も参加された任命式典が催されました。この任にあって、私を信用してくれる人たちを失望させないことが一番の望みですね。

式典の最中、市長が報道陣への質問に答えている際に、頭をちょっと左の方に向けると、ちょうど私たちの後ろの方にある棚に、3枚の写真が並んでいるのが目に入りました。

何と偉大なる領袖、アタテュルクの写真ではありませんか.....

私はその横で、カメラに向かって誇らしげにポーズを決めたのでした....

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大まかな内容は同じですが、トーンはかなり違う。日本語版よりもはるかに自己愛に満ちていると言うべきか、“自分”が全面に押し出されていると言うべきか、ベタに“自慢話”っぽい仕上がりになっています。

こういうのはあちらでは全然普通ですが、日本社会では一般に“俺が!俺が!”といった感じの暑苦しいキャラは敬遠されがちですから、このまんまのことを日本語版のブログに書けば、ドン引きされること間違いなしですね。

その辺りはちゃんと考えて、日本向けのキャラを作っているわけですよ。こうした点一つをとっても、やはりセルカン氏あるいは日本語版ブログを運営している“チーム・セルカン”の中の人wは、“日本人転がし”に長けていると思わざるをえません。

いや、長けてるってほどでもないか。要するに、こんなのですぐ“善き人”だと思ってしまう日本人の側が単純に過ぎるのでしょう。あと、珍しい外国人に甘いと言うか。自分も含めてね。

そんなことよりも、トルコ語版の方はセルカン氏が自分を大きく見せるためか、“例の如く”色んなことを誇張しているのが気になりますね。

何しろここでの“串本大使”は、和歌山県議会の承認が必要だったり、その受任に際して大掛かりな任命式典が開かれたり、さらにはその式典に報道陣がつめかけたりする程の“要職”とされているのです。

これを読んだトルコ人読者たちは、まさかその“大使”の肩書きがどちらかと言えば“一日警察署長”とか“ミスくの一”に近いレベルの名誉称号であって、セルカン氏も大勢いる“大使たち”の一人に過ぎないなんて、夢にも思わないのではないか。

それと、文中に頻繁に出てくる“串本市”という呼称なのですが、これは原文で使われているトルコ語で“市”を意味する言葉“kent”“Belediye”をそのまま訳したものです。

でも、日本の地方自治体としての“町”は、トルコ語でも“市”の一ランク下、“町”を意味する“kasaba”と訳されるのが普通だし、あちらの行政区分であっても、人口2万未満の町は同じく“kasaba”と呼ばれます。

それを思えば、“串本町”の正しい土訳は“Kushimoto kenti”“Kushimoto belediyesi”ではなく、“Kushimoto kasabasıとなるはずなのです。

駐日トルコ大使館のトルコ語版サイトでも、“串本町”は“Kushimoto kasabası”とやはり“kasaba”が用いられていますね。

↓駐日トルコ大使館のサイトより
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http://www.turkey.jp/tr/ertugrulfrigatet.htm

Kushimoto kasabası Mersin ve Yakakent ile kardeş şehirdir. Kushimato’da bir de müze bulunmaktadır. 1974 yılında inşa edilen "Türk Müzesi"nde Ertuğrul Fırkateyni’nin maketi, gemideki asker ve komutanların fotoğrafları ve heykelleri bulunmaktadır.

 (串本はメルスィンとヤカケントの姉妹都市である。串本には博物館が一ヶ所あり、その1974年に建てられた“トルコ博物館”ではエルトゥールル号の模型と、その船長や水兵らの写真、彫像などが展示されている。)
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でもまあ、なにぶん遠い外国のことでもあり、あちらでもその辺の認識は結構あいまいだったりします。例えばグーグルなんかでも“串本市”と“串本町”のヒット数はちょうど半々くらいであり、

↓グーグルの検索結果
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KUSHIMOTO Kasabası(串本) Результаты 1 - 10 из примерно 19 200 для KUSHIMOTO Kasabası. (0,14 секунд)

KUSHIMOTO belediyesi(串本) Результаты 1 - 10 из примерно 19 100 для KUSHIMOTO belediyesi. (0,26 секунд)

KUSHIMOTO kenti(串本市) Результаты 1 - 10 из примерно 4 740 для KUSHIMOTO kenti. (0,40 секунд)
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特に新聞記事なんかは“串本市”と書いているものが多い。

だから、必ずしもセルカン氏だけがどうこうといった話ではないのですが、日本語版ブログの方では、はっきり“串本”と“”の方を使っているのですよ。

まあ、実際に書いたのはいわゆる“チーム・セルカン”の中の人wであって、セルカン氏ではないのかもしれない。それでも、当人も現地には何度か行っているようだし、串本が“市”ではないことを知らないなんて、やっぱりおかしい訳です。

そう考えると、やっぱりセルカン氏は、トルコ語版の方では確信犯的に“串本市”という呼称を使っているように思えます。 その辺は、多分、実際は東大の“助教”であるにも関わらず、日本国外では一ランク底上げした“助教授”を名乗っていた心理と同じではないでしょうか。

“町”よりも“市”から与えられた称号はより権威があるということで....。

→(3)に続く


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2010-02-17 23:39:55
もはや親日とかいった誘導がまったく信じられなくなった・・・
管理人よ・・謝罪と賠償をry)
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Unknown (Unknown)
2010-02-18 00:03:17
親日じゃなくていいだろ、もう。
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Unknown (裸族のひと)
2010-02-19 06:24:53
名誉○○とか、やたら権威に執着して自分を大きく見せるところなんか、ア塗るる氏が某教団の池○犬作みたいに思えてきた・・・。じきに宗教デビューしたとしても驚かんぞww
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Unknown (セルカンは、Associate Professor(准教授)を詐称)
2010-03-05 02:55:08
××× 「実際は東大の“助教”であるにも関わらず、日本国外では一ランク底上げした“助教授”を名乗っていた」


セルカンは、何度も Associate Professor(准教授)を詐称してたんだよ
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本当は (真実の目)
2010-03-05 06:55:04
Ass professionalじゃないかね。
ゲイ疑惑も出てるし。
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