歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(8)

2010-03-04 21:52:43 | アタテュルク像問題
→(7)からの続き

2010年の1月4日にアンカラで開かれた“トルコにおける日本年”の“オープニング式典”で、岡田外相は“開幕宣言”以外にいかなる発言を行ったのか?とりあえず、ネット上の日本語情報の中にそれが分かるようなものはありませんでした。

一方、トルコ語の方はどうかというと、各新聞ともこの式典の模様を派手に報道しています。ただし、その焦点は岡田外相よりも、専ら、同じく式典に出席していたトルコ側の代表者、エルトゥールル=ギュナイ文化・観光相に当てられていますね。

今回の“トルコにおける日本年”の運営は、日本側は外務省が中心になっているのですが、対するトルコ側は“文化・観光省”です。このギュナイ文化・観光相は、同省のトップなのですよ。

日本の外務省のサイトでは、こう↓あります。

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http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_okada/turkey_10/gh.html 3

.「日本年」オープニング式典  岡田外務大臣、ギュナイ文化観光大臣(トルコ側における「日本年」主管大臣)が出席し行われた。
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で、そのギュナイ文化・観光相について報道しているあちらの新聞記事の中に、非常に興味深いものを見つけました。

大手の新聞の一つ“サバフ”紙の2010年1月6日付けの記事なのですが、この記者は、どうやら1月4日のオープニング式典に参加していた駐トルコ日本大使とギュナイ文化・観光相の両者を取材し、話を聞きだしたようなのです。

記事の内容は以下↓の通り。

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 「カイセリに日本領事館開設の予定」
原題:Kayseri'ye Japon Konsolosluğu açılacak
http://www.sabah.com.tr/Dunya/2010/01/06/kayseriye_japon_konsoloslugu_acilacak
サバフ紙 2010年1月6日 ヒュリヤ=カラバール記者

※カイセリ:トルコ語でKayseri。トルコ中部の都市。

本紙に対し、2010年の“トルコにおける日本年”を評価すると語るノブアキ=タナカ日本大使は、カイセリに日本の領事館が開設される予定だと発言した。大使はまた、カイセリが選ばれた背景には、アブドゥッラー=ギュル大統領の影響があったことを明らかにしている。

※アブドゥッラー=ギュル現大統領はカイセリの出身。この記事の中に出てくる“影響”云々はそのことを指している。

120年前のエルトゥールル号の沈没以来、日本とトルコの間には友好の橋が築かれてきた。二国間の関係は新たに領事館が開設されることで、今やより一層強化されつつある。

ノブアキ=タナカ日本大使は、カイセリに日本領事館が開設される予定だと述べた。2008年のアブドゥッラー=ギュル大統領による訪日が、大きな喜びをもって迎えられたと説明する大使は、“領事館がカイセリに開設されるのは、ギュル大統領の影響によるものか?”との質問に“その通りである”と回答。領事館の開設は、今年の夏ごろになる予定だと言う。

本紙に対し、2010年の“トルコにおける日本年”を評価すると語るタナカ大使によれば、“両国の人々は、常々互いのことを好意的に見ている。”とのこと。“でも、どちらも相手のことを良く知らない”が故に、文化的な交流が進むのを望んでいるのだと話した。

“アリたち、それにヤセミンたち”

タナカ氏によれば、エルトゥールル号が沈んだ地では、日本人の子供らに“アリ”や“ヤセミン”などのトルコ語名がつけられているとのこと


※ 串本町には“田中有(アリ)”や“田中耶畝民(ヤセミン)”みたいな名前の子供がごろごろいるらしい...って、本当なのか?w

前回のエントリーで紹介したヒュリエット紙のデミルタシュ記者もブログで書いていたが、串本町ではトルコ名を持つのが流行っているらしい。他にも、串本町のトルコ民族舞踊サークルが、姉妹都市であるメルスィン市を訪れて踊りを披露したことを報じた6年前のヒュリエット紙の記事には、以下のような記述がある。


「ビデオで学んだ日本式のスィリフケ踊り(←トルコ中南部、スィリフケ地方の民族舞踊)、人々に感銘を与える」  2004年2月7日   
原文:Kasetten öğrendiler Japon stili Silifke döktürdüler

http://webarsiv.hurriyet.com.tr/2004/02/07/409870.asp

アイーダ=カヤル記者

(前略)

“カツマサ”は“ムスタファ・ケマル”、“ナオコ”は“ヤセミン”

にこのような友好は、民族舞踊に留まらない。その民族舞踊グループに参加している日本人たちは、それぞれトルコ名を持っているのだ。串本市長のカツマサ=タジマ氏はムスタファ・ケマル・カツマサ=タシマという署名を用いている。市長の執務室に入った人々は、あたかもトルコの市役所にいるかのような気分になるという。何故なら、メルスィン広域市から寄贈されたトルコ国旗が壁に貼ってあり、アタテュルクの写真もすぐ後ろに架かっているからだ。なお、市長の夫人、ナオコ氏のトルコ名はヤセミンである。


この辺りの情報を、記者の側が誤解したか、もしくは誇張しているのかもしれないが、このタナカ大使は以前にも現地のTVカメラの前で“アタテュルクを知らないで日本人は務まりません”みたいな発言をしていたりする(このエントリーを参照)ので、本当にそんなことを言った可能性もあり。

日本のTVスターのアユミと、ハディセが務める文化大使をとても重視しているというタナカ大使は、“日本で最も愛されている芸術家はファズル=サイです。私はサイとギュルスュン=オナイが大好きですね。ハディセもとても良い“と語った

※ 1アユミ:高野あゆ美(1973~)のこと。トルコ在住で、あちらで活動している日本人女優。2010年の“トルコにおける日本年”において、日本側の親善大使を務める。

↓日本語の公式サイトあり。
http://ayumitakano.com/


※ 2ハディセ
:ハディセ=アチュクギョズ(1985~)のこと。ベルギーのトルコ移民の家庭に生まれ、現地で歌手としてデビュー。現在はトルコでも活動しており、昨年は欧州圏で毎年行われている歌謡コンテスト“ユーロヴィジョン”にトルコ代表として出場した。2010年の“トルコにおける日本年”において、トルコ側の親善大使を務めている。



なお、トルコでは彼女はチェルケス(自称は“アディゲ)”。現在はロシアに属するカフカス山脈北西部の原住民族で、19世紀に帝政ロシアの南下を避けて大挙してオスマン帝国へと移住。トルコには今なおその子孫が数百万単位で暮らすとされる。)系だと言われているが、実際には父親がクムック人(カフカス山脈の北東、現ロシア領のダゲスタン共和国に住むテュルク系民族)、母親がレズギ人(同じくダゲスタン共和国からアゼルバイジャン北部にかけて住んでいるカフカス系の民族)であり、北カフカスにルーツを持つ点は同じだとは言っても、系統は多少異なる。


※3ファズル=サイ
(1970~);世界的なピアニスト。日本では一般に“ファジル=サイ”の名で知られ、ファンも多い。

↓公式サイト

http://www.fazilsay.net/index.php





※4ギュルスィン=オナイ
(1954):トルコの著名な女性ピアニスト。


天皇の訪土を招請

一方、エルトゥールル=ギュナイ文化・観光大臣は、日本で(地震の)被害を受けたアタテュルク像に関するその後の展開について、日本の大使と協議したと述べた。大臣の言によれば、“6月に建立される方向で結論が出ている”とのこと。

大臣は、トルコにやってくる日本人の観光客数が期待されているよりも少ない点を挙げて、飛行機のチャーターもしくは直行便を増やせば、観光客の数も増加するであろうと強調。また、政府が日本のアキヒト天皇(=明仁、今上天皇)のトルコ訪問を再度招請していることも明らかにした。
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トルコ名か...でも、ここで例に挙がっている“アリ”はアラビア語で“大なる、至高の”を意味する“アリー”に由来する男性名で、同じ起源を持つ“アリ”や“アリー”(地域によっては“ガリ”とか“オリー”もあり)といった名は、イスラーム圏ならどこにでもある名前ですかね。

“ヤセミン”の方は“ジャスミン”を意味するペルシア語に由来する女性名ですが、こちらもまた似たような音の名が広くイランや中央、南アジア方面にまで分布するという...。つまり、いずれもイスラーム圏の、アラビア・ペルシアなど複数の言語にまたがる名であり、“トルコ名”と呼ぶにはどうも違和感があります。といっても、現在のトルコ人の名で圧倒的に多いのはこういう名前なのですが...。

まあ、一応、日本語で言えば大和言葉に相当する、テュルク系の固有語からなる名前もあるので、串本の方々には、是非ともこちらを名乗っていただきたいですね。

“田中斗琉牙(トルガ=「兜」の意。男性名)”

とか、

“田中愛崇(アイスウ=「月と水」の意。女性名)”

とか....。

....いや、そういう話はともかくとして、ここで重要なのは、ギュナイ文化・観光相のこの↓発言です。

>エルトゥールル=ギュナイ文化・観光大臣は、日本で(地震の)被害を受け
>たアタテュルク像に関するその後の展開について、日本大使と協議したと
>述べた。大臣の言によれば、“6月に建立される方向で合意している”とのこ
>と。


原文では、はっきりと“Japon büyükelçi(日本大使)”という言葉が使われています。“Dışişleri bakanı(外相)”ではなく。しかも、日本側から一方的に謝罪なり経過報告を伝えられたといった感じはなく、自らも決定に参加したかのような口ぶりです。

それもそのはずで、実はこのギュナイ文化・観光相も、今年の“日本年”の打ち合わせのために、昨年の10月末から11月初めにかけて、来日していたのです。

それを報じる記事が、ニュースサイト“http://www.dha.com.tr”に載っていました。

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 「トルコへ日本の観光客が押し寄せる」  2009年10月31日
原文:JAPONYA'DAN TÜRKİYE'YE TURİST YAĞACAK
http://www.dha.com.tr/n.php?n=japonyadan-turkiyeye-turist-yagacak-2009-10-30

 エルトゥールル=ギュナイ文化・観光相が、2010年がトルコにおける“日本年”だということで、東京や京都などの都市で会談を行っている。

(中略)

ギュナイ文化・観光相は明日の午前中はトルコ博物館とエルトゥールル号乗組員の殉難碑を訪れる予定になっており、串本市の民族舞踊グループによるトルコの民族舞踊の公演を鑑賞した後、エルトゥールル号研究センターに移動して、沈没地点から発見された品々を見学することになる。

(後略)

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この大臣は、トルコ大使館の職員らと串本を訪れた際、現地の土産物屋との間で珍妙な騒ぎを起こしているのですが....そちらについては後ほど項を改めて扱うことになるだろうから置いておくとして、

駐日トルコ大使館が新聞に語った情報によれば、柏崎市のアタテュルク像を所有していた企業は、昨年の10月には大使館への返還を了承していたといいます。

つまり、大臣が来日した同年10月末の時点で問題は既に解決しており、銅像はトルコ側に戻ってくることになっていたということになる。

ギュナイ文化・観光相は、“トルコにおける日本年”のトルコ側主管大臣にして、銅像の元々の送り主である文化・観光省のトップでもあります。それを思えば、この大臣当人が、エルトゥールル号事件120 周年=“トルコにおける日本年”を記念した友好事業の一つである銅像の串本移転・建立計画の決定に関わっていたと考えて、ほぼ間違いないのではないでしょうか。

だとしたら、件の“オープニング式典”みたいなハレの場で、岡田外相がこの大臣らに公的に“謝罪”だの“経過報告”だのをする状況と言うのは、やっぱり考えにくいですね。

というか、明らかに不自然です。

“串本にアタテュルク像が建つらしいぞ!”とか“日土友好万歳”と盛り上がっている席で、いきなり,

“知らないかもしれないけど、あれって何だかよく分からない人の象ってことで、実は粗末に扱われてたんですよね。ごめんなさい。でも、あんた達が神格化してるアタテュルクの知名度って、こっちじゃその程度なんだよね。まあ、安心してくださいよ。今では少しは有名になったから”

みたいなことをボソボソと語りだして、空気を止めてしまう大臣って一体何なんですか?

トルコ側もさぞ困るのではないか?w

→(9)に続く


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-03-05 15:36:15
セルカンさん東大から学位取り消されちゃいましたね。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_220305_j.html