歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

民族浄化なう?(3)

2010-07-07 21:48:47 | クルグズスタン関係
→(2)からの続き

ところで、暫定政府は今回の騒乱について、当初から“国外に逃亡中のバキエフ元大統領とその一族の陰謀によって生じたものである”と、一貫して主張し続けています。

バキエフ元大統領は、今年4月の革命で失脚するまでの約5年間の間、自らの親類縁者や同郷者を国の要職につけ、社会的利権をほぼその一党で独占してきました。

まあ、権威主義的な大ボスが“利権のパイ”を政治的に独占し、その血縁や地縁を頼りに有象無象がそのパイに群がるという構図は、中央アジア諸国ではどこも大体似たようなものです。違いがあるとしたら、資源国であれば“パイ”の中身が“石油やガス”となり、クルグズスタンのような資源の無い国だと“欧米日やロシアからの援助とか基地の使用料”になることくらいでしょうか。

しかし、考えてみれば、このバキエフもまた前回(2005年)の“革命”によって実権を握ったのであり、その際には“前体制の悪しき遺産である汚職と縁故主義を一掃する!”みたいなことを盛んに訴えていたのでした。今の暫定政府も、2、3年後には案外似たようなものになっているのかもしれない。

そのバキエフ体制がたかだか数千人程度のデモであっけなく崩壊したのは、小さな“利権のパイ”をバキエフ一族が狭い範囲で独占し過ぎた結果だと言われています。子分の中でも分け前の少ない連中は、ケチな大ボスを意外とあっさり見放した、ということか。

あと、前にも書きましたが、クルグズスタンという国は、一応形としては“中央アジアで最も民主主義的な国家”ということになっており、報道に対する規制は周辺諸国よりも緩いし、治安機関もさほど強力なものではありません。

もし、これが隣のウズベキスタンだったら、いつぞやのようにメディアは直ちに統制。デモの参加者は片っ端から撃ち殺され、死体は行方不明になっていたに違いない。NHKの新・旧“シルクロード”効果によるものか、日本ではウズベキスタンに過剰に幻想的なイメージ(ラクダとか砂漠とかキタロウとか)を抱いている人が多いですが、あの国も、“本気を出す”と実は中国並みにヤバい国だったりします。

で、革命後はバキエフ元大統領はベラルーシに事実上の亡命。そのロシア人の第一夫人(こちらの民法では重婚は禁止されているが、元大統領には正妻以外に、クルグズ人妻が二、三人いたらしい。)との間に生まれ、その汚職と派手な夜遊びによりビシュケク市民の間でも悪評の高かった次男、マクシム=バキエフは現在英国で亡命申請中。他の一族や側近たちも、国外に逃亡するか、地下に潜伏してしまいました。

暫定政府は、彼らは多額の公金を横領、持ち逃げしたとして、1人につき最高10万ドル(今のレートで900万円くらい?)の懸賞金をかけています。日本の警察もよくやっている、“逮捕に繋がるような情報の提供者には...云々”というアレです。

地元の新聞各紙にも、“賞金首リスト”が載ってましたね。“国家級のお尋ね者の賞金首が900万って、何てショボいんだ!”と思う人もいるかもしれませんが、米1kgが100円、玉葱が1kg30円程度のこの国では、それでも十分な大金なのですよ。

話を元に戻すと、その賞金首の集団=バキエフ一味が、南部に騒乱を惹き起こすために、持ち逃げした多額の公金をばら撒いて大勢の“タジク人スナイパー”を雇い、彼らにオシュ近辺のクルグズ系住民とウズベク系住民の双方を襲撃させて両者の衝突を扇動した、というのが暫定政府の言い分です。

だとしたら、その動機は何なのか?

暫定政府によれば、その狙いは、この間の6月27日にクルグズスタン全国で行われた国民投票(レファレンダム)の阻止にあったと言います。

その国民投票(レファレンダム)とは、暫定政府によって提示された新憲法の是非を問うものでした。過去2代の政権において縁故主義と腐敗が横行した原因は、大統領に過度に権力が集中した結果であるということで、新憲法では大統領の権限は大幅に削られ、その分、議会の力が強くなっている。また、しばしば大統領に都合の良い法解釈を行い、その独裁に寄与してきたと悪評の高い“憲法裁判所”については、これを廃止。最高裁に統合するとしています。

要は、クルグズスタンの政体を、実質的に大統領制から議会中心の“議院内閣制”に変えてしまおうという訳です。

そして、憲法改正が承認された場合、暫定政府の指導者であるオトゥンバエワ暫定大統領が、来年(2011年)末の大統領選まで留任することになっていました。つまり、この国民投票(レファレンダム)は、国民に対し、現在の暫定政府の“正統性”を問うものでもあったわけです。

暫定政府の中の人たちにとっては、この“正統性”の問題は大変重要でした。というのも、民主的な手続きを経ずして4月の暴力革命によって実権を握った暫定政府の法的立場は、これまで極めて不安定なものでした。バキエフ一族が国外に逃亡した後も、暫定政府の承認を躊躇する国が多かったり、一連の騒乱にロシアが介入を渋ったりした所以です。

そんなわけで、彼らがクルグズスタン国民の総意に基づく政府として、その正統性を国際社会で認知させるためにも、この国民投票(レファレンダム)は是が非でも成功させる必要があった訳ですよ。

↓ビシュケク市内に出現した、国民投票(レファレンダム)の日時を告知する看板。上はクルグズ語、下はロシア語。



 ↓同じく、国民投票(レファレンダム)の日時を告知する看板。

“クルグズスタン国民は、主権者にして国家の統治権力の源泉である”
“6月27日はレファレンダム(国民総投票)の日”


↓ビシュケク市内の各所に貼られていた、国民投票(レファレンダム)への参加を呼びかけるビラの一つ。

“6月27日は、国を挙げての国民投票(レファレンダム)の日!”
“国民投票(レファレンダム)は国家の命運、即ち君の命運を決するもの!”
“投票せよ!”
“国土は一つ、国民も一つ、将来も一つ”


↓同じく、国民投票(レファレンダム)への参加を呼びかけるビラの一つ。

“レファレンダム(国民総投票)”
“投票すること-これは貴方の権利にして義務である!”



↓投票日の直前、路上でタダで配られていたパンフレット“クルグズ共和国の憲法改正計画についての説明”(クルグズ語)。論点が分りやすく整理されている。



↓国民投票(レファレンダム)の当日、ビシュケク市内に設けられた投票所の一つ。投票所は、主に各地区の学校や大学などの教育機関に設けられていた。


逆に、バキエフ一派からしてみれば、そうやって暫定政府の正統性が確立してしまうと、彼らが政権を奪回できる可能性は一気に低下してしまう。国民投票(レファレンダム)なんか失敗した方が良いってことになります。

では、失敗させるためにはどうしたら良いか?

一番簡単な方法は、なるだけ多くの有権者を投票に参加させないことでしょう。半数以上だと投票は完全に無効になるし、3-4割でもそれがもたらす正統性は、かなり怪しくなる。

具体的には、例えば、南部で広範囲な民族紛争でも起これば、物理的に多くの人間が投票に参加できなくなるし、さらには暫定政府の統治能力の無さを全世界に知らしめることができる。

まさに、一挙両得ではありませんか!

まあ、結果としては暫定政府が6月27日に投票を強行したことで、そういう目論見があったとしたら失敗したことになりますが、実に説得力のある説です。

あるんだけど、ちょっと気になるのは、扇動者が“タジク人のスナイパー”であるとか、クルグズ人でもウズベク人でもない“第三者”であることが過剰に強調されている点ですね。

最近ではそれがエスカレートして、いつの間にかタリバーンやアル・カーイダ等のイスラーム原理主義勢力までもが絡んでいた、という話になっています。

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「キルギス:テロ組織と前大統領側近が関与 民族衝突の原因」
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20100625k0000m030078000c.html  

【ビシケク大木俊治】

今月初めにキルギス南部で起きたウズベク系とキルギス系の民族衝突の原因を捜査してきたキルギス国家保安庁のドイシェバエフ 長官は24日、記者会見し、アフガニスタンを拠点とするイスラム過激派の国際テロ組織と、4月の政変でキルギスを追放されたバキエフ前大統領側近が手を組 み、混乱を引き起こしたと発表した。

長官によると、衝突に関与したのはアフガンの旧政権タリバンや国際テロ組織アルカイダと関係があり、中央アジアにイスラム国家の樹立を目指す「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」と「イスラム聖戦同盟」。

両組織の幹部とバキエフ氏の親族2人が5月初め、アフガン北部で会談し、キルギス南部で 騒乱を起こす見返りにバキエフ氏側が3000万ドルの報酬を支払うことで合意。パキスタンやアフガンからウズベク系戦闘員がタジキスタン経由でキルギス南部に入り、武力騒乱の準備を進めたという。

また6月の衝突後、パキスタンでIMUが幹部会を開き、キルギス南部での今後の活動を協議したとの情報もあると いう。

これらの情報は、バキエフ氏の次男で現在英国に逃亡中のマキシム氏と、バキエフ氏の弟で前国家警護庁長官のジャヌイシ氏との電話での会話を盗聴し た記録や、周辺国からの関連情報などで裏付けられたとしている。キルギス当局は外国籍を含む戦闘員20人を拘束したと発表している。

このほか武力衝突には地元の犯罪組織や、ウズベク系の自治州設置などを求めていた民族派組織も関与していたといい、ウズベク系組織幹部の親族4人を拘束したと発表。4人の自宅から押収したという自動小銃や手投げ弾、ガスマスクなどを会見で公開した。

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“ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)”は、10年くらい前まではアフガニスタンの本拠地から、タジキスタンやクルグズスタンの南部を経由してウズベキスタンへの侵入を繰り返すなど、確かにその行動は活発でした。1999年に、バトケン州(クルグズスタン南西部)で日本人の鉱山技師4人を誘拐したのも彼らです。

ちなみに、その際に日本政府が秘密裏に払った身代金は当時のクルグズスタン政府を介してIMU側に渡された、ことになっていましたが、後(2005年の革命後)にその際の当事者の1人が、“実はIMUに支払われたのはその内の一部だけで、大部分は政府関係者の間で山分けにされていた”と証言。一時期、こちらのメディアでも話題になりました。

だけど、そういうのは大分前の話なんですよね。米軍のアフガニスタン侵攻によって主だった指導者が殺され、組織は壊滅したという説が有力です。現に、この10年というもの、南部でIMU絡みの事件なんてほとんど聞いたことがない。

それにしても、“中央アジアにイスラム国家の樹立を目指す”組織が、何でまたムスリム同士の民族抗争を煽ったりするのかね?どう考えても、ウンマ(イスラーム共同体)建設の障害になりそうな気がするんだけど...。

実に不自然ですね。

中国に至っては、“ウイグル人の独立派”が絡んでいるとか、訳の分らないことを言い出してるし。

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中国、ウイグル族独立派十数人を拘束 テロ計画容疑
 2010 年6月24日19時8分
http://www.asahi.com/international/update/0624/TKY201006240362.html

【北京=峯村健司】

中国公安省は24日、爆弾を用意して大規模テロを計画した疑いで、ウイグル族の独立を主張する東トルキスタン・イスラム運動 (ETIM)の幹部ら十数人を拘束した、と発表した。同省は、2008年8月の北京五輪前後に新疆ウイグル自治区で相次いだ警察当局などを襲撃した事件に ETIMが関与したとしている。

隣接する中央アジア・キルギス南部で起きた民族衝突についても、中国当局は「ウイグル独立勢力が関与している」(新華社通信)とみて波及を警戒しており、国境での厳戒態勢を強めている。

7月5日で、約200人が死亡したウルムチ騒乱から1年を迎えることから、強硬姿勢を示すことで再発を防ぐ構えだ。

発表によると、拘束されたのはアブドラシティ・アブライティ容疑者(42)ら。全員、昨年12月にカンボジアに密入国して中国に強制送還されたウイグル 族のグループとみられる。

公安省は、アブライティ容疑者らが2009年7月から10月にかけて、数十発の手製爆弾や火炎瓶などを準備し、新疆ウイグル自治区内で連続テロの計画を 立てていた、と説明している。
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クルグズ人とウズベク人の民族衝突が、ウイグル独立派に一体いかなる利益をもたらすのか?

中国4千年の叡智は、自分のような凡俗の徒には到底理解できないようです。

誰か説明してください。

しかしまあ、横領した莫大な国家予算を元手にクルグズスタンの政権を奪回、アル・カーイダやタリバーンや麻薬の密売組織と組んで中央アジアにイスラーム国家の樹立を目指し、さらには東トルキスタンの解放までも目論んでいる、とか....露メディアの報道によると、あのベレゾフスキーとも繋がりがあるらしい。

きっと、一年前にウルムチ事件が起きたのも、旧ソ連圏の郵便ポストが青いのも、ビシュケクのオヴィール(=内務省ヴィザ・移民局のこと。ヴィザの延長や外国人登録を担当)のババアの性格がとてつもなく悪いのも、全て“バキエフ団”の仕業なのでしょう。

凄い、凄いよ“バキエフ団”。

凄すぎて、もはや何の団体だか、よく分らなかったりします。

いや、もちろん、今回の南部の騒乱で扇動者らしき集団がいたらしきことは、海外メディアやら人権団体やら国連やら色んなところが言っていることです。多分事実なのでしょう。

また、バキエフの支持者が5月中に南部のオシュやジャララバードで州庁舎を占拠したり、一部のウズベク人勢力と衝突するなど諸々の騒ぎを起こしていたことを思えば、バキエフ一派が件の騒乱と無関係だとは考えにくい。

でも、バキエフ一派の関与を疑うのであれば、外国人のスナイパーとか、“悪の総合商社w”たるバキエフ団みたいな“第三者”よりも先に、もっと問題とされるべき当事者がいるはずです。

そうです。

元々、南部はバキエフ派の支持母体でした。そして、彼の地には今でもバキエフを支持する“普通の”クルグズ人が大勢いたのです。南部の行政機構や治安機関も同じ。今のオシュ州知事メリスべク某(ちなみに、“メリスべク”とはME=マルクスとエンゲルス、LI=レーニン、S=スターリン+BEK=クルグズ語の尊称。ソ連時代の一時期流行った名前らしい)などは、革命前はバキエフ元大統領の忠実な子分でした。特に治安機関の関係者は、より武器を横流しさせやすい立場にあったのではないか。

それにもかかわらず、暫定政府は彼らの関与については一切触れません。また、国際機関など第三者による騒乱原因の調査も頑に拒んでいるような感じです。

一体、何を恐れているのか?

とりあえず、“秘密結社バキエフ団”や、ウズベク人でもクルグズ人でもない“謎のタジク人スナイパー”といったものは、自分にはその“何か”から人々の目を逸らすためのネタだとしか思えません

でもって、その“何か”こそが、今回の騒乱をここまで悪化させた原因だと考えています。

これについて語るには、いったん何百年か時代を遡らないといけませんね。

話がまた長くなりそうなので、ちょっと項を改めましょう。

民族浄化なう?(2)

2010-07-03 00:00:53 | クルグズスタン関係
→(1)からの続き

この地域におけるクルグズ人とウズベク人の間の民族紛争は、実は今回が初めてではありません。ソ連時代の1990年にも、大規模な衝突がありました

当時、ソ連の民族共和国の一つだったキルギス・ソヴィエト社会主義共和国(現在のクルグズスタンの前身)が、オシュの北東にある小さな町オズギョン(ウズベク語“オズゲン”)で、水利上有利な農地をウズベク人のコルホーズ(集団農場)から取上げ、そこにクルグズ人農民を移住させようとしたのが発端でした。


source:wiki





ちょうどペレストロイカの時期で、ソ連各地で民族感情が高まっていたのもあったでしょう。両者の衝突はソ連中央が軍事介入するまで続き、300人以上が犠牲になったといわれます。

とはいえ、この時の紛争の範囲があくまでオズギョン(オズゲン)近辺のみだったのに対し、今回のは南部のオシュ州からジャララバード州に至るウズベク人居住地域のほぼ全域です。オシュを始めとする主要都市(ジャララバード、オズギョン、バザルコルゴン等)はほとんど巻き込まれているし、その規模は比較にならないほど大きい。

また、死者の数が推定2000人以上(現時点で保健省が確認しているのは300人ほど)、難民の数が合わせて40万と、被害者の数も桁違いですね。

その背景には、前回の紛争で用いられた武器がせいぜい石や棍棒、自作の銃程度のものだったのに比べ、今回の場合はカラシニコフや猟銃などの大量の火器が、色んなルートで出回っていたという事情があります。

しかし、最大の違いは、何よりも両者の対立を実力で抑えるべき“治安機関”にあったのではないかと思われます。

1990年の紛争時にソ連中央から派遣された軍隊は、少なくともクルグズ人にもウズベク人にも属さない、中立的な存在でした。これに対して、今回の紛争を鎮圧したのはソ連ではなく“クルグズスタン”国家の軍と警察です。その大部分はクルグズ人からなり、南部の出身者も多い。

その中立性は、明らかに怪しい訳ですよ。

というのも、前回の紛争における犠牲者は、結果として双方とも同じくらいで、ほぼ“痛み分け”に近い状態だったとか。

それに比べると、今回、略奪や放火にあった住宅や店舗の大半はウズベク人の所有であり、焼け出されて生じた難民40万も、ウズベク人ばかりだと言われています。死傷者数の内訳はまだ出ていないとはいえ、被害がウズベク人側に偏っているのは明白でしょう。

軍や警察が、クルグズ人側に“肩入れ”したのではないか?と疑われるのは仕方がありません。

というか、“肩入れ”も何も、軍や警察関係者の中には、ウズベク人居住地への襲撃に“積極的に”参加した人間がいたことが、既に人権団体や海外メディア(露も含む)によって指摘されています。

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キルギスの民族衝突、避難民らが軍の関与示す証言
http://www.cnn.co.jp/world/AIC201006200008.html

ウズベキスタン・ヨルキシュロク(CNN) 中央アジアのキルギス南部で今月10日に起きた民族衝突で、ウズベキスタン国境付近へ逃れた避難民らから、住民の殺害にキルギス軍が関与したことを示す証言やビデオが続出している。

息子を亡くしたという女性(48)はCNNとのインタビューで、

「息子は路上で、戦車に乗った兵士に撃たれた。キルギス人が戦車を取り囲んでいた」

と述べた。

「息子はまだ23歳だった。妻は妊娠していたのに、もう子どもの顔を見ることもない」

と嘆く。戦車を所有しているのは軍しかないと、この女性は強調する。

別の避難民は、住民らを守っていたはずの兵士らが突然、平和的に行動していた非武装のウズベク系民間人を銃撃したと語る。激しい衝突が起きた南部の主要都市オシで、キルギス軍部隊が群衆に銃を乱射した、と話す男性もいた。

避難民らは、民家や店が放火され、路上に遺体が散乱し、家族らが殺害された状況を口々に語りつつ、携帯電話で撮影した映像を取材陣に示した。

ある映像は、ウズベク系住民とにらみ合うキルギス系グループの間から「やった、彼らが来る」とキルギス語で声が上がり、装甲車が到着する場面をとらえていた。「空砲ではない、実弾を使っているぞ」と叫ぶ声も聞こえた。

オトゥンバエワ暫定大統領の側近はCNNの取材に対し、軍がウズベク系住民への銃撃に関与したとの報告があることを認めた。

ただ一方で、これは政府としての見解ではないと強調し、報告はうわさやかく乱工作にすぎないとの見方を示した。そのうえで、当局が調査を実施し、正式なコメントを発表すると述べた。

避難民らに向け、国連や米国、ドイツ、ロシアが支援に乗り出している。世界食糧計画(WFP)は20日以降、ドバイの貯蔵庫から高エネルギービスケット110トンを空輸し、20万人余りに配布する計画だ。また国連は、被害を受けた住民50万人のために、7100万ドルの緊急支援を呼び掛けた。

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アウトだろう、これは。

臨時政府の側は、最近だと、

“軍の兵器や車輌が襲撃に用いられたのは事実だが、それらは全てクルグズ人暴徒が軍の基地を襲撃して盗んだもの。彼らが着ていた軍服も、同じく盗まれたものだろう。つまり、軍は関与していない。

みたいなことを言っているのですが、

民間人の集団に制圧される軍事基地って何?

それと、兵器や車輌はともかく、わざわざ軍服まで強奪して集団でそれに着替える暴徒って、何それ??

マニア???

こうした話を聞いて、大抵の人の頭に浮かぶのは、かつてのルワンダやボスニアの例でしょう。“国家権力=治安機関と民族主義者が手を結んで、少数民族を組織的、計画的に抹殺する”といった感じのイメージです。事実、欧米メディアの中には、今回の事件を“民族浄化”に近い形で報道しているところもありますね。

しかしながら、最近その南部からビシュケクに戻ってきたばかりの知人、ジャーナリストのN氏によれば、そういうのはちょっと偏った見方なのだそうです。

N氏は、紛争真っ只中のオシュに単身乗り込み、その郊外のF地区におけるクルグズ人とウズベク人の両武装勢力の戦闘を取材中、棍棒で武装したクルグズ人数人の襲撃を受けて負傷。病院送りになったという猛者ですが、その氏が間近で目撃したF地区での戦闘では、ウズベク人の側は銃を持った人間が何人かいたのに対し、クルグズ人側は何と“石と棍棒”のみで戦っていたのだとか。

建物の中に立て篭って銃を撃つウズベク人たちに向かって、棒を持ったクルグズ人の集団が突撃を繰り返していたそうです。

一体どこの二百三高地ですか。。。。

N氏は米国の大学でジャーナリズムを学んだ後、主にあちらの媒体で仕事をしているのだそうで、これまでイラクやグルジア等、世界の色んな地域を取材に訪れたことがあるとの由ですが、石と棍棒で銃に立ち向かい、かつ自らをその棒で滅多打ちにしたクルグズ人たちを評して、

“死を恐れないですね。あんなに強いアジア人は初めて見ましたよ......。”

と、何だか不思議な感心の仕方をしていました。

それはともかく、氏が数日の間入院していたKの町(町のすぐ横がウズベキスタン国境。ここのバザールは、紛争前は中国人が多かった。)の病院に続々と運ばれてくる負傷者はクルグズ人ばかりで、いずれも銃創を負っていたとのこと。

つまり、地域によってはウズベク人の側にも銃は出回っており、完全に丸腰ではなかったということでしょう。

また、軍や警察についての臨時政府の言い分は、“半分は本当”なのだとか。

騒乱の規模の大きさに対し、南部にあった治安機関側の装備や人員は、まったく不十分だったと言うのです。

独立以来、クルグズスタンは周辺のウズベキスタンなどとは一線を画して民主化・自由化を標榜し、それによって欧米日などの金持ち国からより多くの支援を受けてきました。治安機関はさほど強化せず、軍事的にも、領域内に米露双方の基地の設置を認め、軽武装路線をとってきたのです。

この5年間で、2度も簡単に政権が転覆し、その度に首都ビシュケクで大規模な暴動・略奪が起きたのは、その警察と軍の脆弱さが災いしたとも言われているほどで。

だからといって、その警察が周辺諸国のそれに比べて格別“民主的”ってわけでもないんですけどね。連中の腐敗と遵法意識の無さは相変わらず酷いもので、2回の革命と今回のゴタゴタを通して、自分の中では、

“クルグズスタンの警官=平時には一般人をカツ上げして酒代を稼ぐなど職権を濫用、非常時には真っ先に制服を脱いで行方をくらますダメ人間たち”

というイメージが完全に定着してしまいました。

で、N氏は別件の取材もあって、5月の半ばごろから南部にいたらしいのですが、そこで目にした軍の装備もやはり貧弱で、士気は極めて低そうに見えた、と言います。

それが、数百、数千の、しかも同じクルグズ人の群集と対峙したとして、とても発砲できたとは思えない。そのまま装備を奪われた基地や部隊があったとしても、何ら不思議ではないとのこと。

人権団体“HRW(ヒューマンライツ・ウォッチ)”のレポート“Kyrgyzstan: New Evidence Emerges on Brutality of Attacks International Inquiry Needed(クルグズスタン:襲撃の残虐性に関する新たな証拠が出現。国際的な調査が必要。)”にも、同じ南部のジャララバード州高官の、以下のような発言が記録されていますね。

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“....(クルグズ人暴徒によって)ジャララバードの軍事基地から、少なくとも59丁の銃とグレネード・ランチャー、それに2輌の装甲車輌が持ち出されました。流血を避けるため、諸部隊は基地を放棄したのです。”
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ただ、問題なのは、

彼らが本当に“奪われた”のか?

それとも“形式的には奪われたことにして、単にクルグズ人暴徒に武器を横流しした"だけ?

という点でしょう。

この国の南部、特にジャララバードの辺りは、4月の“革命”によってその座を追われ、現在は海外に逃亡しているバキエフ元大統領とその一族の地盤であり、旧体制の支持者は大勢います。また、南部の行政機関や、警察、軍の高官には、バキエフ時代に任命されて、そのまま留任している人間も多い

そして、彼らバキエフ支持者たちは、臨時政府を支持する一部のウズベク人勢力と激しく対立しており、5月中には銃撃戦を含む小競り合いを何度か起こしていました。

南部の軍や警察内に、武器をクルグズ人側に引き渡したり、また自らその武器を持って紛争に参加するようなシンパがいた可能性は大いにありうる訳です。

いずれにしても、治安機関が組織的に民族浄化を行ったという形跡は“今のところ”見られないものの、本来であれば治安を維持すべき彼らが事態を傍観したこと、そればかりか、クルグズ人暴徒に武器を大量に流出させたことがウズベク人の側により大きな被害をもたらしたのは、ほぼ間違いないと思われます。

→(3)に続く

民族浄化なう?(1)

2010-06-28 22:46:01 | クルグズスタン関係
ワールドカップが、何だか大変なことになってますね。今大会には、我らがクルグズスタンはもちろんのこと、旧ソ連圏から出ている国は一つも無いのですが、その割には、こちらの国営TVは予選の模様を連日生で放送しています。

お陰で、この間の日本vsデンマーク戦もリアルタイムで見ることができたのですが、例の評判の“ブブセラ”の音以上に、どうも気になって仕方がなかったのが、その“実況”でした。

というのも、ロシア語とクルグズ語の2言語でやっていたからです。もちろん、この国ではどちらも公用語ですから、それ自体は何ら不思議ではありません。ただし、2人の解説者が、主音声と副音声に別れて喋るとか、そういうのではないのですよ。

何と言うか….1人ないし2人の解説者が、同一音声でロシア語とクルグズ語を“交互に”喋り分けるのです。

5分くらいロシア語が聞こえていたと思ったら、次の瞬間はクルグズ語になり、それがまた5分くらいしたらロシア語に戻り…といった感じで。

まあ、ここいらのTVでやっている輸入物の映画やドラマなんかだと、元の音声が残っているのに、その上に無理やり(そして、往々にして感情表現の乏しい)ロシア語(あるいは現地語)の台詞が被さるような吹き替えって、結構普通なんですけどね。

例えば、米国製のアクション物なんかだと、

やめろ….撃つな!ロシア語:ゴニョゴニョゴニョゴニョゴニョ)”

借りを返させてもらうぜ!ロシア語:ゴニョゴニョゴニョゴニョゴニョ)”

ノォォォォォォォォウ!無機質な声で:<ニエット。>)”

….みたいなのが非常に多い。

そんな感じなので、ここいらに長く住んでいると、“2つの言語が微妙に重なって聞こえる状況”には慣れてくる….というか、慣れざるを得なくなります。こんな環境で生まれ育っている地元人なら、なおさら気にならないに違いない。

でも、いかにその彼らにしても、この実況みたいに、2つの言語が重なるのではなく“一定間隔ごとにころころ切り替わる”というパターンにはあまり慣れてないかもしれません。しかもサッカーの試合です。人によって程度の差こそあれ、視聴者の多くは自分と同じくイライラしていたのではないですかね。

何しろ、両言語を同じレベルで解するバイリンガルの数は、一般に言われているほど多くは無いので。

まず、この国の基幹民族にして人口の約7割を占めるクルグズ人は、ほとんどがクルグズ語を母語としていますが、その彼らのロシア語は、田舎に行けば行くほど怪しくなる。これに対して、人口の約3割をなすロシア人やウズベク人などの他民族ないし、ビシュケクなどの都市部で生まれ育ち、ロシア語が母語となっているクルグズ人の一部は、基本的にクルグズ語を解しません

ちなみに、前の方で、この国ではロシア語とクルグズ語の双方が公用語(正確には、ロシア語=公用語、クルグズ語=国家語)だと書きましたが、現実には、ソ連から独立して20年が経った今でもなお、両者の関係は対等ではありません。文化、教育、ビジネス、行政機構等全ての面において、優位にあるのはロシア語の方なのです。身近な例で言えば、ちょうど旧英領のマレーシアやフィリピンにおける英語のようなものかも。

ロシア語の知識それ自体が、その人間の教育程度のバロメーターであり、社会的なエリートはクルグズ人であれ他の民族であれ、ロシア語を母語とする人ばかり。一般人の場合は、ロシア語を知らなければ、よほどのコネとカネが無い限り社会的に上昇するのはまず無理だし、食い詰めたからといって、ロシアに出稼ぎに行くこともできません。

また、クルグズ人と他の民族の間の“族際語”として機能しているのも、クルグズ語ではなく、ロシア語の方だったりします。

この国の公教育機関にはロシア語で授業をやるところとクルグズ語で授業をやるところの2つがありますが、クルグズ人のエリートや富裕層が、自らの子弟を前者の方に入れたがるのは、ある意味当然のことですね。

そんな訳で、この国に住むクルグズ人の方は(最低でも義務教育とか)何らかの形でロシア語を学んでいるのに対し、非クルグズ人で、積極的にクルグズ語を学ぼうとする人はほとんどいません。特にロシア人なんて、母語がロシア語な訳ですから。

そういえば、以前こちらに住むロシア系の知人に“クルグズ語を勉強したことはないのか?”と尋ねた時も、“何のために???”と真顔で聞き返されたような覚えが….。

こんなことを書くと、せっかくソ連から独立したのに、何故クルグズ人たちはそうした状況に異議を唱えないんだ?と不思議に思われるかもしれません。いや、民族主義者はもちろんのこと、普通のクルグズ人でも“この国の人間ならクルグズ語を話せ!”という人は多いし、政府もクルグズ語の地位を向上させようといろんな努力をしています。国営TVには、しばしば“クルグズ語を流暢に話す感心なロシア人”が登場するし、件の“悪い意味でのハイブリッド実況”も、多分その現れでしょう。

ただ、あんまりやり過ぎると、ロシア語話者とロシア語母語のクルグズ人たちは、皆ロシアとかカザフスタンに逃げてしまいます。現にエリート層はロシア語教育によって再生産されていることを思えば、こうした事態はホワイトカラー層を消滅させかねない。そうなると、一時期のカンボジアほどではないにせよ、社会は崩壊してしまうでしょう….大体、政府の中の人たち自身が、普段からロシア語を使っているわけで。あまり強気にはやれないわけですよ。元植民地の国ではよくある話かもしれませんが….。

クルグズスタンが、政治的・経済的に、また文化的にロシアに依存せざるを得ない環境にある以上、こうした状況は今後も続いていくのではないかと思われます。将来変化があるとしたら、“漢語がロシア語に取って代わるかもしれない”とか、それくらいか。その時は、もちろん新疆の同族(クルグズ人は、あちらにも15万人くらい住んでいる)と同じ運命を辿ることになるんだろうけど….。

いずれにしても、クルグズ語の未来はあまり明るくなさそうな気配ですね。

ただまあ、少なくとも例の実況に関して言えば、いくら田舎のクルグズ人でも、ロシア語のパートがまったく分からない、といったことはないでしょう。だとしたら、あの中継を見ていてよりストレスを溜めていたのは、やはり他民族の側、特にロシア人かもしれないw。

とりあえず、個人的には例のデンマーク戦で、解説者がクルグズ語、ロシア語の双方で“見事です!青きサムライ!!!”と連呼するのが聞けて、ちょっと気分が良かったですかねw。

ところで、奇しくもそのワールドカップ開催と時を同じくして、我らがクルグズスタンの南の方でも、ソ連時代以来、20年ぶりとなる大イベントが始まってしまいました。

個人的には、実はワールドカップよりもこちらの方がはるかに気になっています。

よく、サッカーの国際試合は“ボールを用いた国民国家間の戦争の代替行為”だと言う人がいますが、

こちらのイベントの参加単位は

“国家”ではなく“民族”

ユニフォームの規定は特になく、サポーターと参加者の区別は曖昧。

フィールド上では鉄拳、ナイフ、棍棒、鉄パイプ、鉈や斧、鋤や鍬、火炎瓶、その辺の石、手榴弾、猟銃、狙撃銃、カラシニコフ、トカレフ、RPG、装甲車など何を使っても自由だし、

放火、殺人、略奪、拷問、レイプ、長渕キック等、いかなる非人道的行為もペナルティを科されることはありません。

サッカーに比べれば、ルールは限りなく緩い。というか、無きに等しい。

そもそも審判もいないし…..。

そんなスポーツがこの世にあるのか?

ある訳ないじゃないですか。

ボールも用いないし、代替行為でもない。

本物の“戦争”です。

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キルギス衝突「死者2千人と推測」 臨時政府大統領
2010年6月18日

http://www.asahi.com/international/update/0618/TKY201006180476.html
 

【モスクワ=星井麻紀】中央アジア・キルギス南部の民族衝突で、同国保健省は18日、死者が192人になったと発表した。インタファクス通信などが伝え た。一方、臨時政府のオトゥンバエワ大統領は、18日付のロシア紙コメルサントとのインタビューで「死者は公式集計の10倍と推測する」と述べ、2千人近 くに上るとの見方を示した。  

オトゥンバエワ氏によると、衝突があった現場付近では死者を日没までに埋葬する習慣があるため、公式統計に反映されない犠牲者が多いという。オトゥンバエワ氏は18日、騒乱が始まってから初めて現場のオシ州を訪れ、再興を約束した。  

一方、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は18日、騒乱で家を離れた住民が約30万人、隣国のウズベキスタンに逃れた住民が10万人おり、避難民は計40万人に達したと発表した。
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 ウズベク人は、現在のクルグズスタンではクルグズ人に次いで二番目に多い民族であり、総人口550万の内の約80万(100万との説もあり)、全体の14.5~15%を占めます。その大半が南部のウズベキスタンとの国境地帯に集住しているため、南部だけならクルグズ系とウズベク系の人口は、ほぼ同じくらいだといってよいでしょう。

その両民族が、互いに殺しあう事態となったわけです。

こちらのメディアの報道によると、発端となったのは、6月10日から11日にかけての深夜、南部の中心にして、クルグズスタン第二の都市であるオシュ(人口約25万。なお“オシ”はロシア語読みで、クルグズ語、ウズベク語とも“オシュ”の方がより原音に近い。)のカジノで起きた、若者どうしの小競り合いだったと言います。

何でも、そこにあったスロットで大負けしたウズベク人の客が、その機械にイカサマが仕込まれてあったか否かをめぐって店側と喧嘩になり、客の側は携帯で仲間を大量に招集。店側も警察を呼んだものの、数百人から千人以上にまで膨れ上がったウズベク人群集を相手に警官らも成す術はなく、興奮した群集はカジノを焼き討ちし、パトカーを燃やし、隣にあった大学寮の窓を割り...と3、4時間に渡って暴れまわったのだそうです。

その際に、どこからともなく

ウズベク人暴徒らが大学寮に侵入して女子学生をレイプし、寮に火をつけた実際には、外から窓を割っただけらしい)”

との噂がクルグズ人街区の方に流れ、激昂した若者らがヤクザとともに、カジノの近くにあったウズベク人街区を急襲。衝突は各地に広がって、町は無政府状態となり、そのどさくさに乗じて周辺の村や町からやってきたクルグズ人らがウズベク人の住宅や店を略奪し、燃やし...といったことが、周辺の地域でもどんどん繰り返されていったらしい。

この他にも、

“ウズベク人のタクシー運転手にぼられたクルグズ人の客が怒って仲間を呼び....云々”

とか、

“覆面をつけた国籍不明の武装勢力が市内の数ヶ所で同時にウズベク人を襲撃して...云々”

等、いろんな説があるのですが、

とりあえず、クルグズ人側、ウズベク人側とも“向こうが先に仕掛けてきた”という点では言い分は同じです。

もはや切っ掛けはそう重要ではないでしょう。確かなことは、約5日間に渡る戦闘でオシュの町は滅茶苦茶になり、沢山の人間が死んだり家を失ったと言うことです。住宅地の7割が燃えたとの情報もあり。




これらの映像の中に出てくる場所は、大体町のどの辺か分かりますね。

レイプ事件が起きた、とされた大学の寮も、実はよく知っています。

というのも、かつてオシュに滞在する際は、その近所のホテル“アライ”を常宿にしていたのですが、そこの一番安い部屋は一泊300円くらいと安い代わりにシャワーが無い。その寮には付設のサウナがあり、しばしば管理者に何がしかの金を払っては、シャワーを使わせてもらっていたのです。

その隣の、紛争の発端となったカジノにしても、名前からイメージされるような豪勢なものじゃないですね。ゲーセンに毛が生えた程度のちゃちなシロモノですよ。簡単に焼け落ちたに違いない。

で、そのカジノの斜め向かいには、よく使っていたネット兼電話屋がありました。店主はウズベク人だったので、多分燃やされたでしょうね。とりあえず、生き残っていることを祈りますが......

あと、通りを南に下った所に、あんまり美味くないハンバーガーモドキを出す飯屋があったけど、あそこの主人もウズベクだったかな.......

書いていて、何だか気が滅入ってきました。

↓在りし日のオシュのバザール。売る側も買う側も色んな民族が混在していた。手前の若い女性は多分クルグズ人で、黒い帽子を被った後姿の男性は多分ウズベク人。


↓バザール内のチャイハナ(茶店)。表で肉入りパンを売っているのがクルグズ人。後ろの方の厨房で調理しているのはウズベク人。


↓バザールで売られていたクルト(乾燥チーズ、カート)とサルマイ(黄色バター)。その起源は遊牧文明にあるとされるが、今ではウズベク人も普通に食べている。逆に、定住文明の産物であるナン(パンの一種)やパラウ(ピラフのような米料理)もまた、現在のクルグズ人の食卓には欠かせない。こと日常的な食文化においては、両者の違いはそんなに無い。


→(2)に続く