歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(4)

2010-02-19 00:31:10 | アタテュルク像問題

→(3)からの続き

セルカン氏(+“チーム・セルカン”?)による“エルトゥールルの恩返し”物語の有効利用はまだまだ続きます。

“串本大使”になった後、2007年11月1日の日本語版ブログには、あの有名なイラン・イラク戦争時のトルコ航空機による、在イラン日本人の国外脱出の話が出てくるのですが、

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「影のヒーロー 」 2007年11月1日
http://blog.anilir.net/?month=200711
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1985年3月19日、今は故人となった元イラク大統領サダム・フセインが 突然、イラン上空通過航空機の無差別爆撃を表明しました。イラン・イラク戦争の勃発です。イラン在住の外国人は、至急に国外脱出をしないと危険です。その猶予は24時間。まさに映画の様な出来事です。

しかし、日本は自国のエアラインがテヘランに乗り入れていないため、帰る手段がありません。多くの外国人が帰国する中、日本人は取り残されることになってしまいました。大使館もあらゆる交渉を行いましたが、時間だけが刻々と過ぎていきます。

すると、トルコ航空が手を挙げました。危険を顧みず、トルコ航空の飛行機はテヘランに飛来し、多くの日本人をトルコまで送り届け、そこから日本人は自国機に乗り換え帰路につき、戦争を免れました。

「日本の串本では、トルコ人の祖先の船が遭難したとき、町の人々が全力でトルコ人を助けてくれた。今は、その恩を、感謝を返すときだ。」

それが、この救出劇の真実でした。


歴史には、影のヒーローがいるものです。そして、僕はそのヒーロー、その時のトルコ航空の機長に、先日お目にかかりました。 彼は、僕が串本大使になり、町作りに貢献していく活動を行っていることも、既に知っていました。

「セルカン、君はトルコと日本の架け橋になるんだ。君の手には、もう既にそのバトンが手渡されている。」

トルコ人のこの熱い気持ち、僕は同じ民族として、とても誇りに感じました。 トルコと日本は、歴史の中で様々な出会いをしてきました。それを結んできたトルコと日本の人々は、決して有名人ばかりではありません。国と国をつなぐのは、人と人が結ぶ手、この熱い思いなのです。

いつかオルハンさんを連れて、串本へ行こう、そう思っています。
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ふーん、バトンが手渡されてるんだ。良い話ではありませんか(棒読み)。その“バトン”が誰から渡されたかは明示されてませんが、文脈から言ってこの機長氏からセルカン氏にってことになるんでしょう。

つまり、セルカン氏が串本で行おうとしている(ことになっている)“町興し”の活動は、 1985年のトルコ航空機による在イラン日本人の脱出行と同レベルにして、同時に“エルトゥールルの恩返しサーガw”の一端に連なる善行である。しかも、その際のトルコ航空の機長のお墨付きなのだ、とでも訴えたいようです。

しかし、元機長氏は本当にそんなことを言ったのか?

その翌日の、同じ内容について書かれたトルコ語版の記事は以下↓の通り。

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「旗を担うこと….」     2007年11月2日
原題:Bayrağı taşımak...
http://anilir.blogcu.com/bayragi-tasimak/2532853

1985年、当時のイラクの指導者サダム(=フセイン)は突如としてイランへの侵攻を決定。イラン領内に居る外国人は24時間以内に国外に退去するよう最後通牒を出しました。イラン在住の外国人たちはこのニュースを知ると、自国の航空会社の飛行機でテヘランから脱出し始めたのです。ただ一つの国を除いて。それが日本でした。

というのも、イランは遠く、飛行機を出しても時間内には到達できないこと、また、リスクが高いことなどを理由に、日本航空がフライトを拒否したのです。220名もの日本人たちが、空港に閉じ込められることになりました。彼らを乗せてくれそうな飛行機はまったくありません。そうやって、戦争が始まってしまいました。

その時、テヘラン空港に、予定には無かった一機の飛行機が着陸しました。DC-10型機の胴体には“トルコ航空”の文字が。その時は熱狂的な歓迎を受けたわけではありません。でも、トルコ航空は、その場にいた日本人たちに対し“これはあなた方を迎えに来たのだ”と言うではありませんか。

※実際にやってきたのは2機で、一機がダイヤにあった定期便、もう一機が特別機だった。

件のトルコ航空機は、爆弾が炸裂し、戦闘機が飛び回っていた空域から巧みな操縦技術によって離脱、日本人の乗客全員をトルコへと移送したのでした。彼らはそこから日本へと戻ったのです。

※その時は“無差別撃墜”の時間帯に入る前であり、実際にはテヘラン空港周辺での戦闘は行われていなかったはず。

10月29日に東京のトルコ大使館で開かれた建国記念日のパーティーは、その前の週に起きたテロ事件によって我が軍に戦死者が生じた悲しみから少々しめっぽく、でも賑やかなものでしたが、その席で、あの日本人をイランから脱出させた飛行機の機長であった、オルハン=スヨルジュ氏と知り合う光栄に浴しました。
|※2007年10月21日、イラク国境に近いトルコ南東部のハッカリ地区で、トルコ軍部隊がクルド人の独立派組織“PKK(クルド労働党)”のゲリラによる攻撃を受け、10人以上の戦死者が出たといわれるが、この事件のことを指していると思われる。

氏のお話で印象的だったのは、“私たちは、別に英雄的なことなんてしてないよ。ロンドンに飛ぶような感じで向こうに行って客を乗せ、トルコまで戻ってきただけだ。でもまあ、爆弾の音を聞いたり戦闘機を見たりした時点で、戦争が始まっているのは分かったんだけどね。”と言われたことです。

注意していただきたいのは、氏が主語を単数ではなく複数形にして話されていた点ですね。つまり、氏は俺がやったのだ、俺が飛んだのだ、みたいなことは言わず、あくまでクルー全員の功績であることを伝えようとしていたのですよ。こちらが人生において最も尊敬すべき人間の特性であると考える、このような無私の人柄を前にして、私は思わず頭を下げ、敬意を示したのでした。

しかしながら、恐らく新聞記事で目にされた方もおられるでしょうが、日本の小泉首相がイスタンブルを訪れた際には、その際に副操縦士だった方を機長だと勘違いして、そちらに顕彰プレートを手渡してしまいました。それでも、氏はいっこうに動じなかったのです。

あと、我々が行っている研究について大使館でいくらかの知識を得ておられたのでしょうが、こちらに向かって、

“君や、君のような人たちはここで一本の旗を担っているんだよ。この旗は、日土間の友好と言う風を受けて翻っている。この旗を担い、この風を世界各地にもたらすのが、君らの責務なのだろうな”

と言われたのでした。大なる敬意を以て、再度頭を下げた次第です….。

私たちは、歴史における大切な事件をそんなに沢山は知りません。でも、こうした事件こそが、大いなる友好関係の端緒となっているのです。日土の友好関係は永久に続いていくことでしょう。

さあ、日土友好に重大な貢献をなしたオルハン=スヨルジュ元操縦士とクルーの皆さんのことをネット上に広めて、もっと多くの人々に知ってもらおうではありませんか。そうなれば、この友好関係をさらに磐石なものにするに違いない、沢山の新たな英雄を産むきっかけを作ることになるのです。

追伸:あと何ヶ月か後に伯父さんになります。アヌルル一家に初孫が生まれるのです….。
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日本語版の方にはこんな↓くだりがありますが、

>「日本の串本では、トルコ人の祖先の船が遭難したとき、町の人々が全力で
>トル コ人を助けてくれた。今は、その恩を、感謝を返すときだ。」それが、
>この救出劇 の真実でした。


トルコ語版では串本やエルトゥールル号の話なんて微塵も出てきません。

その理由は…もういいでしょう。

それとですね、トルコ語版の方のこの↓くだりを読んでいて、

>注意していただきたいのは、氏が主語を単数ではなく複数形にして話されて
>いた点 ですね。つまり、氏は俺がやったのだ、俺が飛んだのだ、みたいなこ
>とは言わず、 あくまでクルー全員の功績であることを伝えようとしていたの
>ですよ。こちらが人生 において最も尊敬すべき人間の特性であると考える、
>このような無私の人柄を前にして、


日本の某科学館が宇宙エレベーターを題材に教育用アニメを製作した際、実際には3人いた監修者の1人に過ぎなかったにも拘わらず、あたかも原作から監督から全て自分1人でやったかのように騙っていた、どこかの自称宇宙飛行士候補にもぜひ聞かせてやりたい話だと思いましたねw。

また、同じくトルコ語版のこの↓箇所を読んでいる時も、

>さあ、日土友好に重大な貢献をなしたオルハン=スヨルジュ元操縦士とクル
>ーの皆さんのことをネット上に広めて、もっと多くの人々に知ってもらおう
>ではありませんか。そうなれば、この友好関係をさらに磐石なものにするに
>違いない、沢山の新 たな英雄を産むきっかけを作ることになるのです。


そのスヨルジュ元操縦士と自らを不自然に結びつけて売名を図っている怪しいトルコ人と不愉快な仲間たちは明らかに日土の友好に害をなしつつあり、両国の友好関係を危機にさらさないためにも、彼らのことはネット上に広めて、もっと多くの人々に知ってもらうべきだと決意を新たにした次第ですw。

そして何よりも、スヨルジュ元操縦士がセルカン氏に言ったというこの↓言葉は、

>“君や、君のような人たちはここで一本の旗を担っているんだよ。この旗は、
>日土間の友好と言う風を受けて翻っている。この旗を担い、この風を世界各
>地にもたらすのが、君らの責務なのだろうな”


要するに“両国のためになることをしてるそうで。頑張ってね”くらいのことを、文学的表現を用いて言ってるだけだと思うのですが、

それがどうして、 こういう↓劇的なw日本語になってしまうのか。

>「セルカン、君はトルコと日本の架け橋になるんだ。君の手には、もう既
>にそのバトンが手渡されている。


意訳のレベルを超えているように思えます。

というか、アーサー・C・クラーク氏をはじめ、有名人との人間関係などを捏造するのが得意なセルカン氏のことですから、そもそもどちらもスヨルジュ氏の発言ではなく、セルカン氏の脳内から生じたものかもしれないんですけどね。

ちなみに、トルコ語版の方にあった、

>しかしながら、恐らく新聞記事で目にされた方もおられるでしょうが、日本
>の小泉首相がイスタンブルを訪れた際には、その際に副操縦士だった方を機
>長だと勘違いして、そちらに顕彰プレートを手渡してしまいました。それで
>も、氏はいっこうに動じなかったのです。

とのスヨルジュ元機長についての説明は、事実に反します。実際には、このことを知ったスヨルジュ氏は激怒。駐土日本大使館に抗議文を送り、長年の友人だった副操縦士とは絶好状態になってしまいました。

後に、両者はトルコの新聞“ミリエット”紙の記者の仲介で和解することになりますが、これについて報じた記事の和訳が、東京外国語大学のサイトに掲載されています。

↓東京外国語大学のサイトより
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http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News200623_1824.html


小泉首相訪問が日本人救出したパイロットの友情裂くことに!本紙が仲裁し誤解解消へ(Milliyet紙)

2006年02月02日付 Milliyet紙

日本のドキュメンタリー番組で、 1985年のイラン・イラク戦争時に215人の日本人を1人で救出したかのように描かれたトルコ航空元第二パイロットのアリ・オズデミルを日本の小泉首相が訪問すると、第一パイロットであったオルハン・スヨルジュとの55年間に渡る友情に亀裂が入った。しかし本紙記者が仲裁に。  

すべては2年前に始まった。1985年に当時のイラク指導者サダム・フセインがテヘランにミサイル攻撃を行うと警告する中、テヘラン空港に残された215人の日本人を救出したトルコ航空の元パイロットを撮影するため、日本のドキュメンタリー制作チームがトルコにやって来た。

しかし制作チームはそのトルコ航空機の第一パイロットであったスヨルジュではなく、第二パイロットであったオズデミルを撮影した。

そして今回、日本の小泉首相のトルコ訪問が問題を大きくした。小泉首相はドキュメンタリー番組に影響されオズデミルだけに感謝を述べ、オズデミルとスヨルジュの55年に渡る友情の溝を深めた。

小泉首相の訪問後疎遠になっていた2人を、本紙が仲裁した。 

事件の続きをスヨルジュが説明した。

「2年前ドキュメンタリー撮影の準備をしながら制作チームは私を探していたが、私はその時ボドルムにいた。10月に戻ると話した。戻った後、ある日オズデミルが私に電話をかけてきた。ドキュメンタリーを撮影する日本の制作チームが彼の家に来ていると言って、私も招待された。私が到着したとき、アリは制作チームに救出フライトを行ったメンバーのリストを見せていた。しかし彼らはあまり関心を持っていなかった。制作チームはオズデミルが唯一のヒーローであるかのように接していた。私はこの救出フライトがチームプレイだったことを話したが、注目されないと分かると家に帰ったよ。」

■「どうして話さなかったのか」

日本で放送されたドキュメンタリー番組に影響された小泉首相も、犠牲祭の時期にトルコを訪問した際、唯一のヒーローとして描かれていたオズデミルと会い、感謝を述べた。この訪問の後第一パイロットだったスヨルジュは受話器を握り締め、親友のオズデミルに電話をかけた。

「アリ、テヘランには神風特攻隊のようにたった1人で向かったのかい? あれはチームプレイだったと何故言わなかった? 今後も成功することを祈っているよ」

と話し、電話を切った。これが2人の最後の連絡となった。その後事件の真相を説明する手紙を書き、日本領事館に送った。

■「親友だった」  

本紙記者は事件の詳細を聞く為、まずスヨルジュのところに向かった。スヨルジュはドキュメンタリー制作チームの中途半端な仕事のせいで問題がここまでこじれたと話した。更に「私はアリより4歳年上だ。55年にも渡る友情がある。昔から散歩をしていたよ。これまでも散歩をしながら、心から話したよ。でもこの事件が私たちの関係を変えてしまった。」と話した。

■「私に罪はない」
我々がオズデミルを訪ねていくと、「私はドキュメンタリーを撮影する制作チームに救出フライトチームのリストを見せたが、彼らはそれを番組に取り入れなった。これに関して私に罪はない」と話した。唯一のヒーローであるかの様に描かれたオズデミルは、インタビューの後となりのアパートに住んでいるスヨルジュの家に一緒に行きましょうという誘いを受けてくれた。 

約1ヶ月ぶりに再会した親友同士は、懐かしそうだった。オズデミルは「君を考えない日はなかったよ、兄弟」と言って、スヨルジュを抱きしめた。 

本紙記者がこの2人と別れる際、2人は「誤解を解いてくれてありがとう」と言っていた。
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わざわざこんな話を掘り返して、スヨルジュ氏を貶すなと言う人もいるかもしれません。

でも、何しろかつての危険なフライトを理由に、当時のクルーが客室乗務員に至るまで称揚されたというのに、自分1人が除け者扱いされたのです。スヨルジュ氏の怒りは人として当然のことだし、日本大使館に抗議するのも正当な行為だと思いますね。

むしろ、ただ“俺はこんな偉い人と知り合いなんだ”と言いたいが為に、事実を曲げて無理やり安っぽい人格者に仕立て上げる方が、よほど相手に失礼ではないでしょうか。

ところで、今後のセルカン氏は東大助教の職も危ういと言われるわけですが、2010年2月18日現在、“串本大使”の肩書きは未だ保持しているのでしょうか?

英語版Wikiのセルカン氏についての項目を見てみたところ、こんな↓具合でした。

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http://en.wikipedia.org/wiki/Serkan_Anilir

Serkan Anilir “Crocodile” (Turkish: Serkan Anılır) (b. March 22, 1973) is a honorary ambassador of Kushimoto city in Wakayama prefecture, Japan.

セルカン=アヌルル“クロコダイル”(土:Serkan Anılır)(1973年3月22日生まれ)は、日本国、和歌山県串本市の名誉大使である。
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どうやら、かつて存在した山のような肩書きの中で、唯一残っているのがこの“串本大使”の称号らしいのです。これだけは叩いても埃の出ない“本物の”肩書きだということでしょう。しかし、“クロコダイル”って何なんですかね?コードネームか?w

そういう制度があるのかどうか知りませんが、串本町は一日でも早く、セルカン氏を“串本大使”から“解任”した方が良いように思えます。これ以上国外で悪用されないためにも、また他の“串本大使”の方々の名誉のためにも…..。

→(5)に続く



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8 コメント

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実際は (真実の目)
2010-02-19 09:58:20
イラン・イラク戦争は1980年9月22日に始まったんですけど。
1985年3月17日、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃するとサダム・フセイン大統領が宣言して、1985年3月19日は猶予期限が切れる日だった。

トルコ航空は手を挙げてないんだけど。
実際はI商事のM氏が当時の大統領の尾猿氏に頼んで出してもらった。
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Unknown (裸族のひと)
2010-02-20 23:25:36
×誤り
「セルカン、君はトルコと日本の架け橋になるんだ。君の手には、もう既にそのバトンが手渡されている。」

○正解
「セルカン。おみゃ~はトルコと日本の両方に嘘ばっかこいとって、あかんがや!おみゃ~の肩書にゃあ、もう既に大詐欺師の烙印が押されとるて。」

名古屋弁で言えば、こんな感じでしょうかね。またセルカン=アヌルル“クロコダイル”とは、スラングで“ワニのように大口を叩く奴”という意味だったりしてww なんか如何にも有り得そうじゃないですかぁ。

しかしトルコのマスコミも酷いが、日本のマスコミ(ドキュメンタリー制作チーム)もひでぇ。それに日本領事館と外務省は仕事をしとんのかいな・・・。さすが害務省と言われるだけの事は有るw


>売名を図っている怪しいトルコ人と不愉快な仲間たち~彼らのことはネット上に広めて、もっと多くの人々に知ってもらうべきだ

激しく同意致しますwww
返信する
映画館にて (国際派)
2010-02-23 07:46:08

今日は映画館に出張してきましたぞ(笑)
後ろの席とはいえ、まさかあんな大胆に猥褻行為してくるとは。。。



せっかくだから3Dメガネかけてチチ揺れ見たけど、
やっぱりチチは飛び出さなかったです(爆)
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Unknown (Unknown)
2010-02-25 22:19:25
セルカン話はもう飽きた
正直、さっさと終わらせて欲しい。

ロシア及びトルコや東欧などの「海外の反応」的な話題を読みたいからここ見てたんだけどなぁ……
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Unknown (NNS)
2010-02-27 01:19:28
セルカン氏の詐欺を取り上げているトルコの人たちによるblog↓
http://infoanilir.blogspot.com/
でも、けっこうコメントが寄せられているようですね。
ところで、最近トルコで軍のクーデター未遂事件が発覚したようですが、セルカン氏となんらの接点があるかも??↓



【捏造・詐称】アニリール・セルカン13【疑惑噴出】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1265111048/392

【392】Nanashi_et_al. 2010/02/26 13:32:32
「僕を宇宙飛行士候補に推薦してくれた空軍長」の後ろ姿
http://blog.goo.ne.jp/11jigen/c/d9cca7adcdf5ae996fab1878be349cd2

クーデター計画の容疑で逮捕されたIbrahim Firtina元空軍長(0:16秒に後ろ姿)
http://www.youtube.com/watch?v=XqDGBMr6yKA&feature=player_embedded#

さて、セルカンと「空軍長」の関係は真実なのか嘘なのか?w
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Unknown ( )
2010-02-27 15:53:45
ここ読んでるとなんで、トルコ人がヨーロッパで嫌われてE∪に入れてもらえないか分かった気がする・・・・
今まで人種差別かと思ってたわ
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Unknown (Unknown)
2010-02-27 17:55:47
http://www5.diary.ne.jp/user/545461
のレポートによれば、セルカン氏の私塾セミナーであるセルカンカレッジでは、
「トルコと日本では宇宙飛行士候補の定義が違うので」宇宙飛行士候補セルカンは詐称ではない、と強く主張されているようです。
まぁ、文化的相違といってしまえばそれまでですねえw

「多文化共生社会は失敗に終わったインテリの幻想」とはかのメルケル首相の言葉だったと思いますが、確かにそういう文化とは共存は難しそうですねー(棒読)
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Unknown (Unknown)
2010-02-27 23:18:22
http://podcast.interfm.co.jp/offthemic/2006/12/_gro.html
http://podcast.interfm.co.jp/offthemic/files/GHP27.m4a
でセルカン肉声による生トークが聞けます。
・・・しかし、「せぇるかぁ~~んでぇ~~す! どぅも~~」って程度で騙される人って一体・・・
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