歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

「グルジア」は「支那」と同じ運命を辿るのか?

2009-03-27 09:25:20 | グルジア関係

最近、グルジア絡みでこんな↓珍妙な騒ぎがもちあがっているようです。

■「グルジアやめてジョージアに」…ロシア語読みはイヤ!と
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090321-OYT1T00531.htm?from=navr
グルジア政府が、日本語による同国の国名表記を英語表記(Georgia)に基づく「ジョージア」に変更するよう求めていることがわかった。 グルジアの国名はグルジア語でサカルトベロ。今月10日に行われた日・グルジア外相会談の際、ワシャ ゼ外相が中曽根外相に、「“グルジア”はロシア語表記に基づくので変え て欲しい 」と訴えたという。グルジアは、ロシアとの間に紛争を抱えるなど、反露感情 が根強いことが今回の要求の背景にあるようだ。

グルジアはロシア語で「Грузия=Gruziya=グルーズィヤ)」といいます。日本語の「グルジア」はそれが日本語化したもので、戦前なんかは「グルジと原音に近い形で表記されていました。それが、昭和20年代辺りから「イタリとか「スロバキみたいな外国地名の表記法が徐々に「イタリ」、「スロバキと変わっていく中、その巻き添えを受けたのか、いつの間にか「グルジとなっていたわけです。

しかし、ロシア語読みも何も、我々は普段日本語を書き表すのにキリル文字もラテン文字も使ってないわけで、カタカナの「グルジア」は、別にロシア人が読んでもグルジア人が読んでも「グルジア=Gurujia」としか読めないでしょう。ロシア語の「グルーズィヤ=Gruziya」とは音にしても字面にしても、まったく別な言葉ですよ。

要するに、この外相とやらは、日本語の「グルジア」と言う言葉がロシア語に由来するという“事実そのもの”が気に食わないらしい。「表記」というよりは「語源」ですね。上記の読売新聞の記事は、「“グルジア“の語源はロシア語だから変えて欲しいと訴えている」とでも書けば、まだ意味が通りやすくなると思うんですが。

何故気に食わないかと言うと、グルジアは帝政ロシア、ソ連と約200年間に渡ってロシア国家の一部分でした。ゆえにその呼び名は“植民地主義的”だと言いたいらしい。あと、つい最近戦争して負けた、とか。少なくとも、日本人からはそのように取られているようです。で、それよりは英語に似た「ジョージア」の方が良いと。

とはいえ、この「グルーズィヤ」という他称は、別にロシア人が編み出したものではありません。その元になった言葉は近世ペルシア語の「グルジスターン」であり、13~16世紀にロシアを支配していたキプチャク・ハン国(ジュチ・オルダ)やその後継王朝の時代に、その支配層が用いていたテュルク系の言語を介してロシア語に入ったものだと言われています。

その辺りの事情はこの↓ブログに詳しく書いてあるので、こちらを参照していただきたいのですが、
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10127124798.html#cbox

さらに時代を遡れば、この「グルーズィヤ」も英語の「ジョージア」も出所は同じく中世ペルシア語の「グルギスターン」ということになるらしい。それが他の言語に伝播していく過程で大きく二つのグループに分かれたのであって、両者の違いはその属するグループの違いなんだとか。

一つは、ギリシア語を経由して西欧のラテン系やゲルマン系の言語、それに中東のアラビア語などに伝わったグループで、 中世ペルシア語「グルギスターン」に由来するギリシア語「ゲオールギアー」、「ジェオルジ(仏)」/「ジョージア(英)」/「ゲオルギエン(独)」/アラビア語の「ジョルジヤー」….などと変化していきました。件の記事を見てはじめて知ったのですが、今のウルドゥー語やヒンディー語もこちらの系統らしい。

もう一方は、近世ペルシア語がそのままトルコ系やモンゴル系の遊牧王朝とともに現在のトルコやイラン、旧ソ連や東欧などの地域に伝わったというグループ。言語でいえば主にイラン系やテュルク系、スラヴ系となりますが、こちらは「グルギスターン」に連なる近世ペルシア語の「グルジスターン」が「ギュルジスタン(トルコ)」/「ゴルジェスターン(今のペルシア語)」/「グルーズィヤ(露)」….みたいに分かれていきました。

つまり、大雑把に言えばイランから西に伝わったものは「G(J)eorgi~」みたいな言葉になり、東に伝わったものは「Gurj~」みたいな言葉になったという話です。

その流れでいけば、ロシア語を介して伝わった日本語の「グルジア」は、後者の「Gurj~」グループに属することになりますね。朝鮮語は日本語経由でこの言葉を取り入れため、ほぼ同じ。漢語の場合もロシア語から直接入ったらしく、やはり「グルジヤ」みたいな音なんだとか。

そういう風により大きなスパンで見れば、このグルジア外相の言い分がいかにトンチキで、かつ日本語の体系と歴史的背景とについて理解を欠くものか、分かるでしょう。グルジアのことを「グルジ~」と呼ぶ言語なんて、ロシア語の他にもいくらでもあるんですよ。結局、「ジョージア」も「グルジア」もグルジアの他称と言う点では同じ。 だとしたら、少なくとも我々にとっては「ジョージア」に変える必要などまったく無い、ということになります。

大体、かく言う当人らの言語であるグルジア語の方だって、日本を意味する「ヤポニヤ」は実はロシア語の「イポーニャЯпоня」に由来してるんですよ。ロシア語へは元々ドイツ語か何かから入ってきたはずですが、一旦ロシア語を介しているのは間違いない。で、そんなにロシア語経由の他称で呼ばれるのが嫌ならば、相手に対しても同じ原則を貫くべきでしょう。あれこれ要求するより前に、グルジア語の「ヤポニヤ」を「ニッポン」にでも変えるべきですよ。「先ず塊より始めよ」って話で。

まあ、それは冗談だとしても、「客観的な背景云々よりも、問題はグルジア人自身がどう感じるかだ。彼らが嫌がるものは辞めるべきだ!」みたいな意見もあるかもしれません。 もちろん、それが、“他称はやめてグルジア語での自称「サカルトヴェロ」に近い呼び方をしてくれ”、というのであれば、まだ分かります。我々もそれに応じるべきでしょう。かつて「ローデシア」を「ジンバブエ」に「エスキモー」を「イヌイット」に変えたように。

しかし、彼らの言い分は「とにかくロシア語に由来しないものを!」とか「英語を使え!」とか、どうも妙な感じなんですよ。そこに感じられるのは、日本人の大好きな小国の「民族的自尊心の回復」みたいな素朴な感情よりも、むしろ怪しい“政治的打算”ですね。

まず第一に、なぜ今“このタイミング”でこんなことを言い出したか?という話です。“昨年8月の「5日間戦争」のお陰で、国民の間に反露感情が高まっていると言うのは、確かに事実でしょう。でも、グルジアが、ロシアが絡んだ分離派地域をめぐる戦争で負けるのは、実は今回で2度目です。

前回(1992~1993年)のアブハジアでの戦争は、戦いが一年以上も続いたというのもありますが、犠牲者の数にしても難民数にしても今回とは比較にならないほど凄惨なものでした。この20年あまりの間、グルジア人の対露感情はずっと悪かったといってよいでしょう。
   

外務省HPより、グルジア地図。真ん中の斜線部分が南オセチアで、左上のそれがアブハジア。

それにも拘わらず、グルジア政府がトルコやイランや他の「gurj-」系の呼称を使う国に「不快だから変えてほしい!」なんて要求したことは、これまで一度もなかったのです。大多数の国民にとっては、国外での呼び名なんて、多分どうでもいいことなんだろうと思われます。

 一般に、「大国ロシアが小国グルジアを苛めた」と解されがちな昨年8月のグルジアでの戦争ですが、その実態はグルジア大統領サアカシュヴィリの「大博打」でした。そして賭けには大負けしたのです。 これまでの一連の流れとしては、

サアカシュヴィリ、米国の後ろ盾を頼みに事実上ロシアの管理下にある分離派地域=南オセチアの回復を企図。世界の目が北京五輪に向いているのに乗じて停戦協定を破り、首都ツヒンヴァリに奇襲攻撃をかける。その際に駐留していたCIS平和維持軍=ロシア軍の基地も破壊。
      ↓
 サアカシュヴィリの予想に反し、米国を恐れて積極的な行動に出ないと見られていたロシアが全力で反撃。グルジア軍は各地で敗退。これを追撃するロシア軍はグルジアの首都トビリシに迫る。
      ↓  
情況をヤバいと見たサアカシュヴィリは、突然「ロシアが我が国に侵略してきた!」と被害者のフリをし始める。カスピ海産の石油・ガスパイプラインの通り道にあり、資源的な安全保障の面で重要なこの国がロシアの手に渡っては一大事ということで、欧米諸国は官民を上げてこのサアカシュヴィリの嘘に乗っかり、特にメディアは「侵略者ロシア」のイメージを煽りたてる。
      ↓
そうした努力により、国際世論を親グルジア的な方向に持っていくことに一応成功したものの、これでより頑なになったロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認してしまう。これにより、両地域の回復は事実上、不可能となった。
     ↓
 世界金融危機やエネルギー問題などを背景に、EU+米とロシアの和解が進む。それに伴って欧米メディアではグルジア軍の残虐行為や先制攻撃の事実が暴露されるようになり、“昨年8月の戦争は、グルジアのサアカシュヴィリ政権の側が始めた”という事実はほぼ確定事項となる。後に、サアカシュヴィリ自身も議会の公聴会でこれを認める。              
     ↓     
南オセチアとの境界付近で、サカカシュヴィリとグルジア訪問中のポーランド大統領カチンスキの乗った車が狙撃される事件が発生。グルジア当局は「ロシア軍による暗殺未遂だ」と発表するも、その後、事件を調査したポーランド側の情報機関からグルジア側の「自作自演」であったことをバラされてしまう。
     ↓
 かつて、欧米諸国において「旧ソ連圏における民主化の旗手」と称えられていたサアカシュヴィリの評判は「ダメな独裁者」へと一挙に下落。国内でも、敗戦の責任を取って辞任すべきとの声が高まりつつあり、野党連合は4月の9日に大規模なデモを計画中←イマココ

こんな感じです。つまり、今のサアカシュヴィリ政権と言うのは国内では敗戦責任をめぐって反対派や一般国民から大いに突き上げられる一方で、国外ではこれまで彼らのスポンサーであった米国やEUからは見捨てられつつあるという、非常にまずい状況にあるわけです。

というか、国内の反対派は寄り合い所帯で内輪もめが絶えないので、実は大した脅威じゃないかもしれない。これに対して、「復興資金」を出してくれる欧米諸国とそれに準じる金持ち国の支持を失うのは、完全に死活問題です。そして、あまり派手には報道されていませんが、日本は2億ドルもの資金を出してくれている、そうした大口「支援国」の一つだったりします。

ここいらで、今回のグルジア外相の奇妙な要請の意図が見えてきませんか?そうです。サアカシュヴィリら首脳部の目的は、恐らく、こうした騒ぎを起こすことで日本人に「ロシアに抑圧され続けてきた可哀想なグルジア」の歴史を印象付け、彼らの間に昨年の8月にメディアによって流布された「侵略者=ロシアvs被害者=グルジア」のイメージを今一度呼び起こすことにあると思われます。それによって、サアカシュヴィリらの開戦責任や分離派地域でのグルジア軍の残虐行為などスポンサーの目についたらまずい部分は“チャラ”にはならないまでも、とりあえず目立たなくなる、という計算でしょう。

第二に、何故英語の「ジョージア」なら可なのか?という話ですが、これは多分、「グルジア」とか本来の自称「サカルトヴェロ」よりも、欧州っぽい響きがするからでしょう。EUやNATOに加入して欧州の一員になろうという、現政権の国是が影響しているように思えます。 こういう風に書くと何か冗談のようですが、現に、グルジア政府は一向に進まない加盟交渉を尻目に、外部に対し、さもそれらの機関の一員であるかにように印象付けるための努力を、延々と続けているのです。例えば、国境や政府関係の建物の前には必ずグルジア国旗とEU旗の双方が翻っています。


首都トビリシのグルジア国会前。グルジア国旗(右)とともに、青いEU旗(左)が翻る。



グルジアの首都トビリシの街頭に掲げられた政府広報”我らの外交政策における最優先課題はNATOへの統合である”何故か英語。

サアカシュヴィリのTV演説の際にも、背後にEU旗。軍隊の戦闘服も米国式になり、武器の種類も可能な限りNATO諸国やイスラエル製に置き換えられています。(ただし、昨年の戦争でその大半がロシア軍に鹵獲された)。

2007年5月、独立記念日に首都トビリシでパレード中のグルジア兵。当時はまだ持ってる武器はソ連製。

実際、日本人で「ジョージア」と聞いて、カフカス地方の不安定で貧しい国を想像する人はそんなにいないに違いない。

そうした理由からも、グルジア人自身が何を言おうが、やはり「グルジア」から「ジョージア」への変更には反対です。彼らの自分勝手な情報戦略にわざわざ乗ってやる必要なんでないでしょう。くどいようですが、これは“日本語の”問題なのです。

しかし、心配なのは日本の外務省の判断です。案外安易に変更を認めてしまうのではないでしょうか?何しろ彼らには、第二次大戦後、戦勝国の一つとなった中華民国の“要望“の下、元来蔑称でも何でもなかった「支那」を”理屈を抜きにして”とにかくメディアで使うな!という通達を出し、結果としてこの言葉を差別語のカテゴリーに追いやったとんでもない前科がありますから…。

その経緯についてはこちら↓を参照していただきたいのですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3

確かに、唯々諾々とこれに従ったばかりか、それを拡大解釈した当時のメディア人や一般国民も問題なんですけどね。まあ、ここはそういう国なんだろうから仕方が無い。 でも、「支那」を使わないなら使わないで、現存する国家名である「中国」と区別して使えるような、漢人の住む土地やその伝統的な文化圏に対して使えるような地域名を代わりに何か造語するべきだったと思います。この際、古典から「唐土」みたいな言葉を復活させてもよかったのではないでしょうか?

中国に関するものが何でも「中国」一語で済まされるようになった結果、まあ鳥取県人と山東省の人間が同じく「中国人」となってしまったのは御愛嬌としても、今の中華人民共和国と過去の中華文明と漢民族などを切り離して論じることができないのは、とてつもなく不便に感じます。例えば、今の共産党体制の批判が、それが漢民族全体やその伝統文化の否定にまで繋がりうるといったことです。かつてのソ連においてロシア語が「ソ連語」とよばれることはついになく、また、米国に移住したロシア人が「ソ連系米国人」なんて呼ばれることがなかったことを思えば、その異様さは明白でしょう。

もし「ジョージア」がグルジアの意味で使われるようになった場合、まず米国のジョージア州と混同されてややこしいというのがありますけど、自分が思うに、日本人にとってよくないのはやはりグルジアがあたかも欧米のどこかにあるような「誤った」イメージを植えつけられかねないということでしょうかね。

ともかくも、言語は今後も何世代に渡って受け継がれていくものであり、下手なことをやって困るのは後世の日本人ですから、外務省は是非とも慎重に判断してもらいたいものです。もし「サカルトヴェロ」となった場合は進んでその語を使うつもり(とはいえ、原語がと“グルジア語”=カルトゥリ”、“グルジア人”=“カルトヴェリ”となります。こういうのはどうするんでしょう?)ですが、「ジョージア」となった場合は、断固として死ぬまで「グルジア」に固執し続けるつもりです。もしくは「グルジスターン」でもいいけど。