→(9)からの続き
論評ハルク9号
日本人ですら偉大な我らがアタの価値を知っているというのに、我らが同胞にまだ知らないのがいるというのは、何とも悲しいことじゃないか?
論評ハルク10号
メルスィンには「串本」通りがある。
論評ハルク11号
地方に住む日本人ですらアタテュルクの価値が分かっているというのに、こっちじゃ分からない奴がいるんだな。
論評ハルク12号
偉大なる領袖ムスタファ=ケマル=アタテュルクは今なお全世界で評価され、尊敬もされているし、銅像も建てられている。
でも、我が国だと、特に近年は極端な敵意の中に置かれているな。銅像は破壊を被ったり、変な色のペンキで塗られたりしているわけで※。
※ トルコでは全国各地のある程度以上の大きさの町には必ずアタテュルクの像が建っているが、その密度と数の多さ、それに神格化の度合いは旧ソ連諸国でのレーニン像(国にもよるが、例えばロシアなんかだと、今でも田舎の方には結構残っている)や、中国国内での毛沢東像に匹敵するかもしれない。
近年では、世俗主義とイスラーム抑圧の象徴として、急進的なイスラーム主義者から危害を加えられることが多くなっている模様。これについては、大分前のこのエントリーを参照。
論評ハルク13号
ムスタファ=ケマルの価値は地方の日本人でも認めていると言うのに、その故国でなされる侮辱は数知れず、またその功績が罰されるような土地。それがトルコという国だ。
論評ハルク14号
日本人が銅像を建てる一方で、こっちじゃその(=アタテュルクの)遺産に目を光らせてる奴がいるってわけだ※。
※“アタテュルクの遺産=現在の世俗主義体制”を、イスラーム主義勢力が転覆させようと企んでいるのだ、と言いたいらしい。
論評ハルク15号
日本はトルコを愛する唯一の先進国なんだ。俺たちもできる限り彼らを助け、敬意を示さないといけない※。
※愛しているかどうかは分からないが、とりあえず、日本人は欧米キリスト教世界に遍く存在する“歴史的な”トルコ人に対する偏見からは無縁である。その点は両者にとって、良いことだと思う。
論評ハルク16号
俺たちは、日本人みたいにはなれなかったんだよ。彼らに悪いな。こちらでは何年もの間、我がケマルへの不敬行為がなされてきたし、その業績も省みられなかった。残された共和国を護る努力もされなかった。日本人のこの堂々たる振る舞いには心から感謝するよ。我が親愛なるトルコ民族もこうでありますように。アタが我々に残した価値を護り継いでいくことを望む。
------------------------------------------------------
ここに書き込んでいる人のほとんどは世俗主義者にして、熱心なアタテュルクの信奉者ではないかと思われます。そもそも、アタテュルクが嫌いな人(もしくは、無関心な人たち)は、単純に“外国のどこどこでアタテュルク像が建てられた”なんてニュースに興味は持たないだろうし。
それだけに、ニュースに対する反応は2007年時にアタテュルク像問題が報道された時のそれと、ほとんど同じですね。
2007年時:
“日本人たちは自らが地震で苦しんでいるにも拘わらず、被害を受けたアタテュルク像の心配をしてるんだぞ!そういうわけで、お前ら(=一般トルコ人。特に宗教っぽい人たち)もイスラームなんかに現を抜かしてないで、もっとアタテュルクを敬うんだ!”
そして今回:
“アタテュルクは世界中の人々から崇敬されており、日本の田舎にまで大きな騎馬像が建つほどだ。だから、お前ら(=一般トルコ人。特に宗教っぽい人たち)も変な気は起こさずに、もっとアタテュルクを敬え!”
みたいな感じで。
まあ、注目すべきは、銅像の移設が決まるまでの経緯に、誰一人として関心を払っていないことですかね。
つまり、2007年に報道された柏崎市における銅像問題なんて、普通のトルコ人は既に忘れているか、あるいは最初から知らないか、のいずれかではないかという話で。
というか、以前のエントリーでも触れた通り、当時、事件はどちらかといえば“美談”として報道されていたようなので、覚えていた人たちにとっては、むしろ“美談”に“美談”が重なったことになるかも....。
一方、同じくデミルタシュ記者によって書かれた長い版の記事(「彼らは巨大なアタテュルク像を建て、観光客を待っている」)はその何となく不思議なタイトルのためか、真面目な世俗主義者以外の読者も書き込んでいるようです。
ニュースサイト“http://www.haber7.com”のコメント欄は以下の通り。
----------------------------------------------------
<ハルクのコメント>
論評ハルク1号
俺たちにそういう義理は無いけども、アタテュルクの銅像を見に向こうへ行こうじゃないか....ハハハ....
論評ハルク2号
全然笑うところじゃないだろ。俺らのことが分かっているという点では、この日本人たちは賢い人々だと俺は思う。彼らを馬鹿にしてもロクなことは無いぞ。でも、トルコ人がそれに金を使うとは思えないけど。
論評ハルク3号
日本人たちも、今度ばかりはダメな金の使い方をしているな。わざわざ金を払ってまであんな所まで行かないよ。ケマリスト※でも行かないって。無駄遣いだよ。
※ アタテュルクの名“ケマル”をもじった造語で、トルコではアタテュルクの敷いた世俗主義体制の支持者を指す。蹴鞠の選手ではない。
論評ハルク4号
ていうか、この銅像、アタテュルクに似てねえじゃねえか。どうすんだよ。その抜け目の無い皆さんは。
------------------------------------------------------
何かタイトルだけに反応しているだけのような感じですがw、あんまりイデオロギーがかってない、普通のトルコ人の反応は大体こんなものではないですかね。
もちろん、彼らもそれなりに“建国の父”を尊敬してはいるんでしょうが、それが個人のレベルで銅像やら肖像の崇拝に結びつくかどうかというのは、また別の話で。
まあ、ともかくも、 三井田市議はこのような↓ことで悩む必要はまったく無いと思われます。
>本来であれば、柏崎市で引き取り、柏崎市から和歌山県串本町に移設す
>るのが筋であるが、今回のように一旦、トルコ共和国に返す(駐日トルコ
>大使館)かたちになったのは、恥の極み。今年、是非、トルコに行
>き、関係者の皆様にお詫び申し上げたいと思う。
いったん引き取った銅像を再び手放すなど、柏崎市の側に不手際があったのは確かですが、これまでの経緯を俯瞰的に見れば、
結局は、トルコ大使館(大元はトルコの文化・観光省)が柏崎市の商業施設に寄贈した銅像を、同市の別の民間企業がまた大使館に返還した、というだけの話ではありませんか。
しかも、トルコ大使館と串本町の双方が望んでいた銅像の串本移設も、スピード実現するのです。もし、例の“市に返すの返さないの”という泥仕合が続いていたとしたら、今後どれほど時間がかかっていたか分かりません。
そんなことは恥じなくてもよいでしょう。
恥じるべきことは、他にいくらでもあるんじゃないでしょうか?
既に賞味期限の切れた政争のネタにしぶとく執着する往生際の悪さ
とか、
ネットで少し調べるだけでもボロが出るようなダメな情報工作
とか....。
論評ハルク9号
日本人ですら偉大な我らがアタの価値を知っているというのに、我らが同胞にまだ知らないのがいるというのは、何とも悲しいことじゃないか?
論評ハルク10号
メルスィンには「串本」通りがある。
論評ハルク11号
地方に住む日本人ですらアタテュルクの価値が分かっているというのに、こっちじゃ分からない奴がいるんだな。
論評ハルク12号
偉大なる領袖ムスタファ=ケマル=アタテュルクは今なお全世界で評価され、尊敬もされているし、銅像も建てられている。
でも、我が国だと、特に近年は極端な敵意の中に置かれているな。銅像は破壊を被ったり、変な色のペンキで塗られたりしているわけで※。
※ トルコでは全国各地のある程度以上の大きさの町には必ずアタテュルクの像が建っているが、その密度と数の多さ、それに神格化の度合いは旧ソ連諸国でのレーニン像(国にもよるが、例えばロシアなんかだと、今でも田舎の方には結構残っている)や、中国国内での毛沢東像に匹敵するかもしれない。
近年では、世俗主義とイスラーム抑圧の象徴として、急進的なイスラーム主義者から危害を加えられることが多くなっている模様。これについては、大分前のこのエントリーを参照。
論評ハルク13号
ムスタファ=ケマルの価値は地方の日本人でも認めていると言うのに、その故国でなされる侮辱は数知れず、またその功績が罰されるような土地。それがトルコという国だ。
論評ハルク14号
日本人が銅像を建てる一方で、こっちじゃその(=アタテュルクの)遺産に目を光らせてる奴がいるってわけだ※。
※“アタテュルクの遺産=現在の世俗主義体制”を、イスラーム主義勢力が転覆させようと企んでいるのだ、と言いたいらしい。
論評ハルク15号
日本はトルコを愛する唯一の先進国なんだ。俺たちもできる限り彼らを助け、敬意を示さないといけない※。
※愛しているかどうかは分からないが、とりあえず、日本人は欧米キリスト教世界に遍く存在する“歴史的な”トルコ人に対する偏見からは無縁である。その点は両者にとって、良いことだと思う。
論評ハルク16号
俺たちは、日本人みたいにはなれなかったんだよ。彼らに悪いな。こちらでは何年もの間、我がケマルへの不敬行為がなされてきたし、その業績も省みられなかった。残された共和国を護る努力もされなかった。日本人のこの堂々たる振る舞いには心から感謝するよ。我が親愛なるトルコ民族もこうでありますように。アタが我々に残した価値を護り継いでいくことを望む。
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ここに書き込んでいる人のほとんどは世俗主義者にして、熱心なアタテュルクの信奉者ではないかと思われます。そもそも、アタテュルクが嫌いな人(もしくは、無関心な人たち)は、単純に“外国のどこどこでアタテュルク像が建てられた”なんてニュースに興味は持たないだろうし。
それだけに、ニュースに対する反応は2007年時にアタテュルク像問題が報道された時のそれと、ほとんど同じですね。
2007年時:
“日本人たちは自らが地震で苦しんでいるにも拘わらず、被害を受けたアタテュルク像の心配をしてるんだぞ!そういうわけで、お前ら(=一般トルコ人。特に宗教っぽい人たち)もイスラームなんかに現を抜かしてないで、もっとアタテュルクを敬うんだ!”
そして今回:
“アタテュルクは世界中の人々から崇敬されており、日本の田舎にまで大きな騎馬像が建つほどだ。だから、お前ら(=一般トルコ人。特に宗教っぽい人たち)も変な気は起こさずに、もっとアタテュルクを敬え!”
みたいな感じで。
まあ、注目すべきは、銅像の移設が決まるまでの経緯に、誰一人として関心を払っていないことですかね。
つまり、2007年に報道された柏崎市における銅像問題なんて、普通のトルコ人は既に忘れているか、あるいは最初から知らないか、のいずれかではないかという話で。
というか、以前のエントリーでも触れた通り、当時、事件はどちらかといえば“美談”として報道されていたようなので、覚えていた人たちにとっては、むしろ“美談”に“美談”が重なったことになるかも....。
一方、同じくデミルタシュ記者によって書かれた長い版の記事(「彼らは巨大なアタテュルク像を建て、観光客を待っている」)はその何となく不思議なタイトルのためか、真面目な世俗主義者以外の読者も書き込んでいるようです。
ニュースサイト“http://www.haber7.com”のコメント欄は以下の通り。
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<ハルクのコメント>
論評ハルク1号
俺たちにそういう義理は無いけども、アタテュルクの銅像を見に向こうへ行こうじゃないか....ハハハ....
論評ハルク2号
全然笑うところじゃないだろ。俺らのことが分かっているという点では、この日本人たちは賢い人々だと俺は思う。彼らを馬鹿にしてもロクなことは無いぞ。でも、トルコ人がそれに金を使うとは思えないけど。
論評ハルク3号
日本人たちも、今度ばかりはダメな金の使い方をしているな。わざわざ金を払ってまであんな所まで行かないよ。ケマリスト※でも行かないって。無駄遣いだよ。
※ アタテュルクの名“ケマル”をもじった造語で、トルコではアタテュルクの敷いた世俗主義体制の支持者を指す。蹴鞠の選手ではない。
論評ハルク4号
ていうか、この銅像、アタテュルクに似てねえじゃねえか。どうすんだよ。その抜け目の無い皆さんは。
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何かタイトルだけに反応しているだけのような感じですがw、あんまりイデオロギーがかってない、普通のトルコ人の反応は大体こんなものではないですかね。
もちろん、彼らもそれなりに“建国の父”を尊敬してはいるんでしょうが、それが個人のレベルで銅像やら肖像の崇拝に結びつくかどうかというのは、また別の話で。
まあ、ともかくも、 三井田市議はこのような↓ことで悩む必要はまったく無いと思われます。
>本来であれば、柏崎市で引き取り、柏崎市から和歌山県串本町に移設す
>るのが筋であるが、今回のように一旦、トルコ共和国に返す(駐日トルコ
>大使館)かたちになったのは、恥の極み。今年、是非、トルコに行
>き、関係者の皆様にお詫び申し上げたいと思う。
いったん引き取った銅像を再び手放すなど、柏崎市の側に不手際があったのは確かですが、これまでの経緯を俯瞰的に見れば、
結局は、トルコ大使館(大元はトルコの文化・観光省)が柏崎市の商業施設に寄贈した銅像を、同市の別の民間企業がまた大使館に返還した、というだけの話ではありませんか。
しかも、トルコ大使館と串本町の双方が望んでいた銅像の串本移設も、スピード実現するのです。もし、例の“市に返すの返さないの”という泥仕合が続いていたとしたら、今後どれほど時間がかかっていたか分かりません。
そんなことは恥じなくてもよいでしょう。
恥じるべきことは、他にいくらでもあるんじゃないでしょうか?
既に賞味期限の切れた政争のネタにしぶとく執着する往生際の悪さ
とか、
ネットで少し調べるだけでもボロが出るようなダメな情報工作
とか....。
その生ぬるいお花畑根性をセルカン大先生がたたきなおしてくれましたwww
トルコ人の正体を教えてくれて有難うセルカン先生www
無下に扱うのはやっぱり良くはないと思う俺は、どうやら向こうのネトウヨ的な連中と相性がよさそうだな。
ただ、普通のトルコ人の感覚も分っておかないと相互理解は難しそうだな。
この度、ネット復帰いたしました。
連絡滞り、申し訳ございませんでした!
初めてHPを拝見しましたが、
トルコ人助教授のニュースで見た時、ああきっと話題にしているんだろうなぁ、と思ったらやっぱり話題どころか首ったけで思わず笑ってしまいました。
ディヤバクルあたりで地震があったそうですね。
父が映像を見て、「お前はあんな田舎に行ってたのか!」とやけに田舎田舎と連呼するのにカッチーンときてしまいました。
後ろの家は山一つはさんで、隣の家は見えません状態の田舎に住んでる者が言っていいセリフじゃないよ!!と(笑)。
またアタトゥルクのシルエットだって大騒ぎしてますが、自分には豚の横顔にしか見えません。