歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(3)

2010-07-31 01:06:31 | ロシア関係
→(2)からの続き

それと、このスレのナロード5号のように、南千島は南樺太と同じく“日露戦争で奪われた”と信じているロシア人もかなり多いですね。彼らにしてみれば、日本人は“かつて戦争で奪った領土を同じく戦争によって取り返されたからといって、しつこくケチをつけている根性の悪い連中”ということになるようで、“千島樺太交換条約”の話とかしても中々分ってもらえなかったりします。

この手の人たちは、赤軍が全力を出せば1945年以内に北海道まで制圧できた、という“赤軍無双伝説”の信者でもありますね。

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<教えて!ナロード>

「何故ソ連は1945年に日本に軍隊を上陸させることなく、中国の解放にこだわったんだ?」
Почему СССР не высадил десант на Японию в 1945 а ломанулся освобождать Китай?
http://otvet.mail.ru/question/27415449/


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
お馬鹿だからさ.....


回答ナロード2号
同盟国を得るためだ。


回答ナロード3号
多分、ソ連と日本の間で10年間の不可侵条約が結ばれてたからじゃないか。当時、条約はまだ有効だったんだ。といっても、どっちにしろソ連はそれを破棄して侵攻したんだけど。


回答ナロード4号
米国の歴史家たちの主張だと、ソ連は北海道上陸を計画し、日本を占領区ごとに分割しようと提案してたっていうんだけど....俺自身は公開されたソ連時代の資料の中に、それを裏付ける証拠を見つけられなかったな。


回答ナロード5号
一体なんだって、アメ公は“チビ”と“太っちょ”を作るだけ、うちらは“友好国”たる中国を物理的に日本軍から解放しないといけなかったんだ?

※いずれも米軍が原爆に付けた愛称。前者は広島型で、後者は長崎型。


回答ナロード6号
(ソ連兵が)黒い雨を浴びないようにってことだろ.“日本民主主義人民共和国”の建国も、選択肢の一つとして検討されていた


<ナロード・ベストアンサー>

中国は近いけど、日本は海の向こうだったから。
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何、この結論?w

実際には、極東での海軍力が不足していたので、1945年の時点での日本上陸は無理だったであろう、という見方が一般的ですね。

ところで、ここでの“ナロード6号”が触れている“日本民主主義人民共和国” 云々ですが、ソ連の指導部で、実際に日本に社会主義国家を建設する予定があったかどうかは不明です。これだって単に北朝鮮の国名をもじったものだし。

でも、何故か他にもこの“日本民主主義人民共和国”が話題になっているスレがありました。

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<教えて!ナロード>

「スターリンが北海道を征服して“日本民主主義人民共和国”を建国していたら、どうなってた?」
原文:Что было бы если Сталин захватил Хоккайдо и создал там ЯНДР?
http://otvet.mail.ru/question/25856575/


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
ソ連の同盟国がもう一つ増えてた。


回答ナロード2号
スターリンが北海道を征服するって?

自力で?


......その場で撃ち殺されただろうな。


回答ナロード3号
共産主義者ロボが開発されていただろう。あと“ゴリゾーント(地平線)”とか“ラードゥガ(とかいったブランドのノートブックも出現していたな。

※いずれもソ連時代のテレビ受像機の名前。


回答ナロード4号
現実的じゃないよ。俺が知る限り、極東には有力な陸上戦力はあったけど、艦隊は無かったから。


回答ナロード5号
今うちらの身の周りにあるようなもの(電化製品等のことを言っていると思われる)は、何一つ存在しなかったはず。うちらもPCを使って仕事なんてせず、塹壕を掘ったり森の木を伐採したりしていたんだろうな....でもって、日本の同志たちがうちらと同じバラックに住んでいるという....。


回答ナロード6号
何もかも、うちらみたいな感じになってただろう。ただ、住民の目が細いって言うだけで.....。きっと、あちこちにラーゲリ(強制収容所)が設されたはずだ。で、日本にサハロフ-サン(原文ママ)が住むと...そして次なる段階へ(それから後は彼ら自身で).....収容所群島を描いた文学作品にはニンジャが登場してたんだろうなw。でもまあ、最初のPCは、それでもいつの日かうちらの側(東側)で発明されることになったんじゃないか....。

※ソ連時代の著名な物理学者にして“ソ連の水爆の父”。後に人権運動家となって、当局に迫害された。


<ナロード・ベストアンサー>

世界に分断国家がもう一つ増えることになったろう。ちなみに、スターリンは東京にソヴィエト占領区を作りたがっていた。しかし共産主義なんて、全然日本人向きじゃないよな。
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“共産主義者ロボ”って何なんだよ?

機械化されて粛清速度が3倍になった、文字通りの“赤いスターリン”とか?w

ただ、自分が思うに、もしソ連が米英の合意を得て北海道を制圧していたとしたら、ちょうど樺太や千島と同じように、日本人は全部追い出されていたのではないでしょうか。北海道は樺太や千島とは違う!和人の入植の歴史も江戸時代まで遡れる!という意見もあるかもしれませんが、ドイツ人は数百年前から住んでいた東プロイセンその他からも追い出されたわけで...。数も問題ではないでしょう。彼の地のドイツ難民は軽く一千万を超えていました。

で、米英の合意が得られなかった場合は、新疆の東トルキスタン共和国やイランの南アゼルバイジャン、独立クルディスタンみたいな感じで中止。はしごを外された地元の共産主義者はことごとく抹殺されるか、運がよければソ連に亡命できたって感じで。

いずれにしても、“北日本=日本民主主義人民共和国”が日の目を見ることは無かったのではないかと...。

→(3)に続く

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(2)

2010-07-30 23:55:42 | ロシア関係
→(1)からの続き

普通のロシア人の間で“日ソ戦争”がいまいちマイナーなのは、劇的な要素が少ないのも理由の一つかもしれません。

“大祖国戦争”にはナチス・ドイツの侵略から祖国を守るという分りやすい大義があり、それこそ国家の存亡をかけた大戦争だったのに対し、こちらは何だかんだと理由をつけても、結局は“火事場泥棒”ですからね。

その意味では、規模こそ全然違いますが、日本の近代戦争史における“第一次大戦への参戦+青島(チンタオ)要塞攻略戦”のポジションに近いのかも。日本軍が東アジアにおけるドイツ東洋艦隊の拠点を潰したことは、協商国側にとっては戦略的に大いに意味があったに違いないのですが、あれを以て“ドイツに勝った!”とかいう人は、昔も今も、多分そんなにいない訳で....。

その際、捕虜になったドイツ兵が“ベートーヴェンの第九を初演した”とか、“本場のハムの製法を伝授した”みたいな話は有名ですが、青島(チンタオ)での戦闘そのものについて語られることは非常に少ない。あれを題材にした映画とか文学作品ってあるんでしょうか?あるのかもしれませんが、自分は聞いたことがないですかね。

もし仮に、あの“坂の上の雲”のラストが“日本海海戦”ではなく“青島(チンタオ)要塞攻略戦と対華二十一ヶ条の要求”だったとしたら、色んな意味で読者は困りそうな気がします。え、“坂の上に見えていた雲”って、結局これだったの?みたいな....。

あるいは、いつの日か再びK川春樹氏に天啓が下って、“男たちのYAMATO”クラスの予算と“二百三高地”並みのエキストラを使った “QINDAO(チンタオ)-大正天皇と日独大戦争-” みたいな戦争大作が作られたとしても、客はあまり入らないのではないでしょうか(個人的には見たいかもw)。

それはともかく、東西冷戦下のソ連史学においては、米国に対抗し、かつ対日戦争とそれによって得られた権益を正当化する必要から、第二次大戦の終結にソ連が果たした役割が過剰に強調されるようになりました。

“日本を降伏させたのは米国による原爆投下ではない。赤軍だ!”

という訳です。

でもまあ、日本政府の首脳に与えた心理的な衝撃はともかく、その実際の戦闘の内容は、武装解除中の、しかも劣悪な装備の軍隊を一方的に攻撃して勝ったとか(占主島では逆襲されて壊滅寸前に....)、非武装の引揚げ船を魚雷で沈めてみたとか、金目の物は線路まで引き剥がして戦利品にしたとか.....原爆のインパクトと張り合うには、どうもぱっとしないのですよ。

そういうわけで、 “精強なる百万のクヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)を華々しく打ち破った” という、かなり粉飾したお話になったのでした。

この“百万のクヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)”という言葉は、恐らく戦前の日本や満洲国で盛んに呼号された“精鋭百万関東軍”が、“関東”を漢語読みしただけでそのまま流用されたのでしょうが、こちらで日ソ戦争について語られる際は、ほとんど枕詞みたいな感じで使われていますね。学校の、歴史の授業で覚えさせられたという人もいます。

そうした背景があるからか、例の“Mail.ru”の掲示板でも、“日露戦争”と“日ソ戦争”の区別もつかない歴史オンチではなく、多少詳しい人の書き込みには、しばしばこの“ソ連史学”の影響が感じられますね。

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<教えて!ナロード>

「うちらは第二次大戦で日本に勝ったのか?」
原文:Мы победили Японию во второй мировой войне?
http://otvet.mail.ru/question/33313753

下院のミハイール=ネナーシェフ議員が、9月2日を祝日にするよう提議してる。彼の希望によれば、ロシア人はこの日、第二次大戦におけるソ連の対日戦勝を顕彰すべきだってことなんだけど。


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
そうすべきだろう。顕彰しようぜ。


回答ナロード2号
正式な降伏文書の調印は、1945年9月2日の東京時間9時2分に、東京湾に停泊していた米国の戦艦“ミズーリ”の船上で行われた。日本側の署名者は外務大臣のシゲミツ=マモル(重光葵)と参謀総長のウメヅ=ヨシジロー(梅津美治郎)、連合軍の側はまず連合国軍の総司令官ダグラス=マッカーサー将軍、続いて他の代表、米国のニミッツ、英国のブルース=フレイザー、ソ連のK.N=ジェレヴャーンコ中将が署名した。

ソ連においては、9月3日は対日戦勝記念日だと宣言された。でも、この祝日は定着しなかったんだ。


回答ナロード3号
さあ、公僕たちの完全なる愚かさと批判精神を赦してあげようではありませんか!母なる自然は、それでもやはり彼らに対し寛大なのです。


回答ナロード4号
もうすぐうちらは、12月26日も祝うことになるんだろうな。うちら自身に対する戦勝記念日ということで....俺が言ってるのは、1991年にソ連が解体した日のことだぞ。


回答ナロード5号

もちろん、うちらだ。ヒロシマのあれは心理学的な要素に過ぎないよ。奴らは非戦闘員に爆弾(=原爆)を落としたのであって、艦隊や陸上戦力に落としたわけじゃない

※その代わり、通常爆弾とか魚雷で散々やられたわけだが....。


回答ナロード6号
俺もそう思う。


回答ナロード7号
他に誰がいるんだよ。対日戦争のほとんどを米国が戦ったというのは事実だけどな。それでもやはり、うちらは勝利者ってことでw


回答ナロード8号
そう、うちらのお陰だ。でもって、今の日本の経済があんな感じなのはアメ公のお陰ってわけだ。


回答ナロード9号
 1945年8月8日の時点で、極東におけるソヴィエト軍は1669500人、それに合流したモンゴル人民革命軍は16000人の兵力を擁していたんだ。 ソヴィエト軍は色んな点で敵軍を圧倒していた。即ち、戦車数は5-8倍、砲数は4-5倍、迫撃砲数は10倍、戦闘機数は3倍といった風に。ソヴィエト軍の意表をついた攻撃とその強力さ、クヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)の準備不足と絶望は、1945年の日ソ戦争の終結を早めることになった。

全般に、戦闘はその規模と熾烈さにおいて目立ったものじゃなかった。日本軍は全力を出せる状態ではなかったからな。でも、戦力において敵に対し圧倒的に優勢であったソヴィエト軍との戦いに際しても、日本軍部隊の狂信的な命令の遵守や軍事的任務の遂行、自己犠牲と献身、錬度や組織度の高さなどは際立っていた

当時の資料は、日本兵たちが、絶望的な状態で部隊が少数になった時ですらいかに苛烈な抵抗を行ったかに関して、無数の事実を物語っている フートウ(=虎頭。満洲国東部、ソ連との国境沿いにあった都市)にあった日本の要塞の悲劇的な運命なんて、その良い例だ。

日本人たちは、ソヴィエト軍司令部による最後通牒を断固として拒否し、捨て身の勇敢さをもって最期まで戦い抜いた。戦闘の後、要塞の防弾施設には日本軍将兵の500体もの遺体が、その横にはその家族、160体もの婦女子の死体が散乱していたんだ。女性の一部は刀剣や手榴弾、狙撃銃で武装していたとか。彼らは最期まで天皇と自らの軍事的任務に身を捧げるべく降伏して捕虜になることを拒絶し、自覚的に死を選んだってわけだ。


回答ナロード10号
何でまたこんなことが問題になってんだ?....ウォッカつげよ!!!


回答ナロード11号
そう、彼らは敗北した。でも今は、日本はロシアとは違って、米ドルを必要としていない。彼らは自分自身の通貨を持っているんだ。一方、うちらの政府は、ロシア中央銀行に約13%の、米国連邦銀行には約4~5%の債務を抱えている。


<ナロード・ベストアンサー>

俺が知る限りでは、うちらは日本に勝ってない。平和条約すら調印されて無いし、降伏も無かった。今は、一種の休戦状態ってことだな。
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いや、降伏してるんだけどねw。

こういう書き込みは他でもよく見るので、“日露間に平和条約が存在してない=日本はまだ降伏してない”と思い込んでいるロシア人は意外と多いのかもしれません。

あと、米軍は空から爆弾を落としただけで、地上戦は専らソ連軍が担当したと信じている“ナロード5号”みたいな人もたまにいるのですが、こういうのは米の役割を過小評価した、ソ連史学の悪しき影響によるものでしょう。

なお、このスレは“日本に勝ったか否か?”ですが、中には戦争の意義自体が問題となっているところもありました。

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<教えて!ナロード>

「1945年の対日戦争って.....」
原文:Война с Японией в 1945 году
http://otvet.mail.ru/question/24761526/

この戦争にソ連が関わる意味なんてあったのか?何せ、戦争の勝利で得られたおいしい所は基本的に米国にもっていかれてしまったわけで....。ソ連にとって何の意味があった?ましてや、ソ日間には中立条約も結ばれてたんだぞ。


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
そんなもん無いよ。単なるコーバ(活動家時代のスターリンが使っていた偽名)の復讐だろ。


回答ナロード2号
まあ、サハリン(樺太)の半分を取り返すことができたし、ついでに島々(=千島列島のこと)も手に入った。


 回答ナロード3号
当たり前だろ?お陰で中国がソヴィエト(=社会主義)化したじゃないか!! さもなければ、アメ公がアムール河(黒龍江)の辺りまでやってきてたんだぞ!!! お前は何を言ってるんだ?この作戦はとにかく必要だったんだ!!!


回答ナロード4号
いつものように、うちらはどこかと同盟を結んでるってわけだ....永久に誰かを救い続けるんだな。


回答ナロード5号
1905年に日本に奪われたサハリン(樺太)と南クリル(千島)
が還ってきた

※これは間違い。明治時代初めの“千島-樺太交換条約”により、日露戦争以前から千島列島は全て日本領だった。


回答ナロード6号
第一に、そういう義務があった。第二に、ソ連はサハリン(樺太)とクリル(千島列島)を獲得し、モンゴルと中国、北朝鮮がその影響圏に入った。


回答ナロード7号
米国の資料によれば、ソ連の参戦がなければアメ公らは1948年の半ばまで日本人と戦う羽目になっていたらしい。少なくとも、ソ連との国境沿いには日本人が支配する強大な経済区が存在したんだ。そして、そこにはあのクヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)が駐屯していた。

※そうか?あのままいけば、食糧不足により1946年くらいの時点で日本は終了していたような...。


回答ナロード8号
日本は膨大な資源を有する..あの中国を支配していた...で、その日本の一部分を放置しておくことは....我が国とって非常に不利だったわけだ...何故なら、日本はそれによってさらに強大になる可能性があったから.....。

でもって、勝利の成果を得たのは我々だ...一時期は中国もこちらの影響下に入ったんだからな...。

全てはスターリンが死んでからだ..。うちらの首脳部(フルシチョフやブレジネフのことだろう)がアレだったせいで...中国との関係は悪くなってしまった.....


回答ナロード9号
この(日ソ不可侵)条約は日本とソ連にとってのみ有利なものだった。ドイツ人と米国人はソ連と日本の戦争を望んでいたからな。そして、ドイツが敗れてから初めて、ロシア人は東方で現状を維持する必要がなくなったと言う訳だ。何よりも、日本の敗戦は時間の問題であり、アジアと太平洋地域における勢力圏の分割について考えねばならなかった。そこでは米国の勢力が優勢であり、勢力の均衡を図る必要があったってことだ。

加えて、サハリン(樺太)とクリル(千島)の全域が誰にとっても自然なソ連の戦利品だとしたら、以後はそれをめぐって取引する必要もないってことになる。

だから、ソ連にとって日本との戦争は理に適ったものだったんだ。


回答ナロード10号
何と言うか....クリル(千島)列島とサハリン(樺太)の半分を日本領に留めておくのは、もちろん可能だった。でも、そこが何も無しに放って置かれることなんてなかったわけで.....アメ公が占拠することも有り得ただろう。そっちの方が良かったというのか?


<ナロード・ベストアンサー>

共産主義にとっては意味があった。中国や朝鮮の一部には定着したからな。スターリンはさらに、東京に占領区を獲得したがっていたんだ。
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共産主義はともかく、今のロシア国民にとっての意味は???

いや、どのコメントも、見事に冷戦的というか、国家主義的な思考ですね。

お前ら政治局員かよw

いかに領土が広かろうがロケットを飛ばそうが、収容所だらけで技術投資は宇宙と軍事に集中、一般人向けにはロクな消費財が出回らないような国は、やっぱりロクでもない国ではなかったかと、自分なんかは思うんですけどね。

大体、中国はその後仲違いして米国以上に犬猿の仲となり、今では“中国特色社会主義”を標榜する弱肉強食のウルトラ資本主義国家に、北朝鮮の方は悪い意味で地元色が強まり、何だか得体の知れないものになってしまったことを思えば、共産主義にとってもあまり意味が無かったような...。

→(3)に続く

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(1)

2010-07-28 00:38:14 | ロシア関係
昨日、ロシアで正式に“対日戦勝記念日”が制定されました。

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ロシア:対日戦勝記念日、法成立 大統領が署名
http://mainichi.jp/select/world/news/20100726ddm007030074000c.html
(以下略)
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これは毎日新聞からの引用ですが、その経緯については7月14日付の記事の方がより詳しいですね。

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ロシア:「対日戦勝記念日」制定へ 国家統合へ歴史再確認
http://mainichi.jp/select/world/news/20100714ddm007030023000c.html

◇欧州とは和解進む 

【モスクワ大前仁】ロシアは9月が「第二次大戦の終結から65年」と位置付けられていることから事実上の対日戦勝記念日制定へ動くなど、大戦時の 歴史を再確認する動きを活発化させている。ロシアは欧州方面ではポーランドとの和解を果たすなど大戦がもたらした「負の遺産」の解消に取り組んでいるが、 日本との間に残る北方領土問題では譲歩しない姿勢を示している。極東では和解の遅れが目立っているのが実情だ。 

ロシアではソ連の崩壊以来、第二次大戦における勝利を国家を統合するアイデンティティーに使う動きが顕著になっている。ロシア政府は終戦65年を 「特別な年」と位置づけて、歴史問題に力を入れている。これは大戦に出征した多くの退役軍人が高齢を迎えていることから、終戦70年まで待てない事情があ る。 

ロシア下院は今月7日、9月2日を「第二次世界大戦終結の日」として、記念日に格上げする法案を可決した。9月2日は第二次大戦終了時、日本がソ 連を含む連合国との間で降伏文書に調印した日だ。法案は当初「対日戦勝記念日」という名称を検討しており、歴史問題で日本をけん制する狙いが鮮明になって いる。今後、上院の可決も確実視されており、大統領の署名を経て、記念日となる。 

(Chuuryaku)

◇「大戦の結果、改定する考え許さない」--「記念日」法案提出の議員 

ロシア下院で9月2日を事実上の対日戦勝記念日とする法案を共同提出したミハイル・ネナシェフ下院議員(50)は毎日新聞との電話取材に応じた。 日本が北方四島の領有権を主張している状況を踏まえ「近隣国に『第二次大戦の結果を改定するような考えに賛同しない』というメッセージを送るため」と狙い を語った。国内向けには「極東の勝利がどのように苦難に満ちていたのか国民に知らせたい」と言明した。 

同議員は、日本の占領下に置かれた中国や南北朝鮮に対して「我々による解放が多大な犠牲を伴ったことを喚起したい」と述べた。 

ロシアでは5月9日の対独戦勝記念日を大々的に祝う一方で、旧ソ連軍が1945年8月下旬から9月3日まで続けた千島列島への攻撃と占領を知らない国民が多い。 

ソ連は大戦直後の46年、一度は9月3日を「対日戦勝記念日」に指定したが56年に廃止した。当時のソ連指導部が同年10月の日ソ共同宣言を控 え、日本に配慮したためといわれる。その後、サハリン州が90年代半ばから記念日の「再制定」を訴えてきたが、今年に入り、実現へ近付いている。ネナシェ フ議員は「これまで地域的な性質だったが、全国的な問題となった」と意義を強調した。 

一方、同議員が昨年12月に提出した法案では「対日戦勝記念日、第二次世界大戦終結の日」という名称を求めていたが、最終的には「対日戦勝記念 日」の部分が削除された。同議員はその理由について「日本へ配慮したわけではなく(国内における)譲歩の結果」と述べるにとどめた。

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こうした動きは、

まあ、ほぼ一年前のこれ↓に対するプーチンの対抗措置だと見るべきなのでしょうが、

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北方四島は「固有の領土」 特措法案が衆院通過、成立へ 
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009061101000488.html
(以下略)
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北方4島の帰属云々はとりあえず置くとして、

“火事場泥棒”を一方的に正当化しようという態度は、どうも気に食わないですね。不可侵条約(あの期に及んで当てにしても意味がなかったのは事実ですが、条約は一応まだ有効でした。)違反の件もそうですが、8月15日以降の戦闘による死傷者なんて、本来なら双方にとって不必要な犠牲でした。

あと、こういう↓ことを言うのであれば、

>同議員は、日本の占領下に置かれた中国や南北朝鮮に対して「我々によ
>る解放が多大な犠牲を伴ったことを喚起したい」と述べた。


その“解放”の別の側面として、韓国人に対しては、ソ連軍所属の若い朝鮮人将校を抗日パルチザンの英雄、金日成将軍に仕立て上げて北朝鮮を建国。今日まで続く半島の南北分断と朝鮮戦争の直接的な原因を作り出した(ソ連崩壊後に公文書が公開されたお陰で、北側がスターリンの了承を得て先に攻撃をかけた事実が明らかとなった)ことを、

中国人に対しては、本来地元民に引き渡されるべき在満洲+関東州の現地資産や工業施設の大半が、何故かソ連軍によって持ち去られてしまったこと(まあ、鹵獲兵器なんかは八路軍に譲渡されたけど)、それに、スターリン時代以前に極東地方に住んでいた推定8万以上の漢人住民がいつの間にかソ連の人口統計から消えていたことなども、併せて喚起してあげるべきでしょうね。

ところで、この記事でも触れられていますが、

>国内向けには「極東の勝利がどのように苦難に満ちていたのか国民に知ら>せたい」と言明した。

>ロシアでは5月9日の対独戦勝記念日を大々的に祝う一方で、旧ソ連軍が>1945年8月下旬から9月3日まで続けた千島列島への攻撃と占領を知>らない国民が多い。


ソ連時代から、“南クリル(千島)問題”はあちらでもしばしばニュースのネタになってきたのと、あと学校の地理の授業でも必ず習うことから、日本との間に領土問題があるのを知らない旧ソ連圏人なんて、まずいないのではないでしょうか。それが第二次大戦の結果であることも分っているだろうし、中には4島の名前全てを丸暗記させられた人すらいる。

ただ、その彼らも戦争の詳しい経過に関しては、意外と知らなかったりします。

シムシュ(占守)島の戦いなど、8月15日以降に行われた戦闘はソ連軍が武装解除中の日本軍を一方的に攻撃したのが原因であり、結果としてソ連側にもそれなりの被害が出たとか、占領地での民間人に対する暴行略奪が激しかったとか、労働力になりそうな青年男性は戦闘員、非戦闘員の区別なく一様に“捕虜”としてソ連各地に連行されたとか......

それら引揚者やシベリア抑留者の過酷な経験が文学や映画作品を通して人々の人口に膾炙したり、冷戦体制下で保守派メディアのプロパガンダに散々使われたお陰で、一部の人たちを除いて“ソ連=寒くて怖くて危ない国”という極端にマイナスなイメージが定着してしまったのだ、みたいなことを、親戚(管理人の母方の一族には、満洲からの引揚者が大勢います)から伝え聞いたことも交えて色々と話してみたりもするのですが.......どうもピンとこないようですね。

それもこれも、旧ソ連圏人の頭の中では“第二次大戦=独ソ戦”という意識が強固に定着しているからでしょう。ソ連でも現在のロシアでも独ソ戦は国家の存亡を賭けた戦いであったとして、“大祖国戦争”(ちなみに、1812年のナポレオン軍との戦いは“祖国戦争”)の名で呼ばれているのですが、この“大祖国戦争”ものの映画やドラマは今に至るまで無数に製作され、TVでは年がら年中、どこかしらの局で必ず流れています。中国のTVでよく見る抗日ドラマ+映画は、はっきりいって、こうした“大祖国戦争もの”の劣化コピー(視れば分かる)ですね。

対独の戦勝記念日である5月9日も、“勝利の日”の名で盛大に祝われます。職場や学校は休みになり、モスクワの赤の広場では大規模な軍事パレードが行われ、地方の町では勲章を沢山付けた元兵士の爺さんや婆さんが町の中心の広場(大抵は“レーニン広場”という名前)に集まります。

それに比べると、“大祖国戦争”の勝利から3ヶ月も後、しかし米英メインでソ連からしてみたら脇役としてちょこっと参加しただけのような対日戦争は、どうしても地味で、“消化試合”感が否めないらしいのですよ。

これまで、対日戦争終結の日とされる9月3日は公休ではなかったし、極東の方はともかく、ロシア本土では何のイベントも開かれませんでした。

日ソ戦争を題材にした映画は.....探せばあるのかもしれませんが、自分は一本しか見たこと無いですね。そこに出てくる日本兵は、恐らくブリャート・モンゴル人とかクルグズ人みたいな、旧ソ連内のアジア系の民族が演じていたと思うのですが、軍用トラックに大勢で乗り込んでソ連領内に侵入しては、そこら中に点火したダイナマイトを放り投げてコルホーズ農民を殺傷しまくるというw、よく分からない悪の集団として描かれていました。

とりあえず、例のごとくロシアの人気ポータルサイト“Mail.ru”の質問コーナーにあった、日ソ戦争関係のスレをいくつか見てみましょう。

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<教えて!ナロード>

「大分前に亡くなったうちの曾爺さんの遺品に“対日戦勝”記念章というのがあったんだ。それで興味をもったんだけど、ロシア人が加わったジャパン人(原文ママ)との戦いってどういうのがあるの?(あと、それについてはどこで読んだらいい?)」
原文:У моего давно уже умершего прадеда имеется медаль "За Победу над Японией": Вот мне интересно стало,как назывались битвы(и где про них можно почитать),в которых участвовали русские против джапанов?
http://otvet.mail.ru/question/5029691/

ロシア語版wikiによれば、対日戦争に動員された将兵全員に与えられた勲章らしい。

↓“対日戦勝”記念章の写真。スターリンの横顔がデザインされている。

出展:http://www.rulinia.ru/politika/yuzhnye-kurily-i-kompensaciya-uscherba.html


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
ポルト・アルトゥール(旅順のロシア名)の攻囲戦だろ。


回答ナロード2号
ロシア軍事百科事典で調べれば?何でも書いてあると思うけどw。


回答ナロード3号
えーと、クヮントゥーンスカヤ軍団(関東軍のことらしい)の撃滅だな。確か軍団には百万のサムライがいたって話だと思うが....。


回答ナロード4号
うちの爺さんも持ってた....でも何を読んだらいいかは分らないな。恥かしい話だけど....。


<ナロード・ベストアンサー>

その記念章は、対日戦争に勝利した際に授与されたものだな。1945年6月~8月におけるソ連軍の主要な作戦は、満洲の東清鉄道沿線、ヒンガーン山脈(興安嶺のこと)、ゴビ砂漠といった地域で展開されたんだ。
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旅順攻防戦とか...日露戦争とごっちゃになってる奴がいますねw。“ベスト・アンサー”も、何だか2ヶ月も戦い続けたことになってるし....。

お次は、千島(クリル)列島絡みです。
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<教えて!ナロード>

「1945年の対日戦勝の後、クリル(千島)列島は日本人たちを祖国に引き揚げさせてからソ連に復帰したの?それとも、彼らはそこに留まった?」
原文:после победы над Японией в 1945 Курильские острова вернули СССР-как эвакуировали на родину японцев или они остались?
http://otvet.mail.ru/question/42538547/


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
多くの人間は去った。で、捕虜たちはとても丈夫な住宅を建てた。


回答ナロード2号
丸太に乗せて追い出した。


回答ナロード3号
どうしてタダの労働力を引き揚げさせるんだ? 彼らは極東全域で、建設労働者として働いたわけだ....。


回答ナロード4号
皆さん、こういう考え方もある:

“本当に、日本人は人間ではない.....日本人はとにかく罰せられねばならなかった。そして、連中は今なお十分に罰せられたわけではないのだ。日本人が1940~1945年に占領地である北支、満洲、南モンゴル、太平洋の島々で行ったことは、筆舌に尽くしがたい。奴らに比べれば、ドイツのファシストも天使のようなものだし、奴らの強制収容所に比べれば、アウシュヴィッツもアルテクのピオネール・キャンプみたいなものだ。日本人は本当に、人間ではない。異なる精神タイプの持ち主なのだ(例証は挙げないでおこう。なぜなら、吐き気を催させるだろうから。)日本人には、人間の生命の価値というものがまったく想像できないらしい。”

※アルテクは現ウクライナ領、クリミア半島南岸のリゾート地。ピオネールはかつての共産党の少年組織で、“ピオネール・キャンプ”はその休暇施設のこと。毎年学校が夏休みになると、そこで長期の合宿が行われるのが常だった。

“1945年にアメ公が広島と長崎に20キロトンの小さなおもちゃのような原爆を2つ落としただけで、日本本土に上陸しなかったのはよくなかった.....日本人が犯した罪を償うには、まだまだ全然足りない”と多くの人間は考えている“


回答ナロード5号
そこには誰も住んでなかったんだよ。


回答ナロード6号
船で。

 
<ナロード・ベストアンサー>

南クリル(千島)列島に日本人は住んでいなかった。彼らはそこを開発しただけだ


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4号の情報ソースは一体何なのでしょうか?もしかして、偽装したパルチザン三世か?w

それにしても、千島列島は元々無人島だと思っているロシア人もいるってことですね。 うーむ......。

->(2) ni tsuzuku

“民族団結は進歩なり”に関する絵解き画集(5)

2010-07-22 23:00:39 | 東トルキスタン関係

→(4)からの続き

読んでいてつくづく思うのですが、

このくだり↓に至っては、

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>分裂主義とそれに対する戦いは、民族問題でも、宗教問題でもありません。 >恐らくは、この百年来、列強の侵略者たちによる中国分割の陰謀を防ぐた
>め、中国人民がこれまで行ってきた戦いの続きなのです。

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何だか、昔日の大東亜共栄圏論者の言い分を聞いているかのような気分になりますね。ただ“アジア”が“中国”に入れ替わっただけで。

要するに、

“白人に支配されるよりは、同じ有色人種に支配された方がお前らにとってはまだマシなんだ。だから、黙って支配されてろ、お前ら!ごちゃごちゃ文句を言う奴はみんな白人の手先認定だ!”

みたいな理屈ではありませんか。

支配される側からしてみれば、白人の帝国主義者も“脳内白人化した有色人種の帝国主義者”も大して違いはないかもしれないし、後者が前者より良きものである保証なんてどこにも無いはずなんですけどね。そういうことはあまり気にしない訳です。

こういうことをやっているのが、今から6-70年前、まさにその“同文同種を唱える脳内白人”による植民地化や属国化を経験した漢民族だというのは、同時期の欧州でゲットーなり強制収容所なりに閉じ込められていた人々+その子孫が、ガザ地区を“巨大なゲットー”にしてしまっているのと同じくらい、皮肉なことですよ。

ましてや、そうした時代に彼ら自身が抑圧された経験(後年の創作も含む)をネタにして、ウイグル人たちに“愛国教育”を施し、“中華ナショナリズム”をかきたてようとする姿勢に至っては、もはや悪い冗談としか思えなかったりします。

この間ウルムチに行った時、宿のTVでは、ほとんど毎日のように、よくある抗日愛国映画のウイグル語吹き替えが放映されていたのですが、その中に、満洲国内の抗日パルチザンを題材にしたものがありました。

満洲国内の漢人学校では日本語の使用が強要され、生徒らは仕方なく日本語を勉強していると。で、そこにある日、関東軍?の高級将校が視察に訪れ、生徒らは日本語の唱歌を歌って歓迎することに。担任である病気持ちの老教師は、無理やり日本語の歌を歌わされる、いたたまれない生徒たちの姿を見て病状が一気に悪化。本番中に血を吐いて倒れてしまうのでしたw。

まあ、実際に血を吐く教師がいるか否かは別にしてw、似たような光景なら、ウイグル人たちは新疆のそこら中で“リアルに”見ているはずです。わざわざドラマ仕立てにするまでもなく....。

というのも、最近の新疆では“双語(バイリンガル)教育”運動が盛んです。ここでの“双語(バイリンガル)”は漢語とウイグル語など少数民族の言語を指しますが、五族協和体制下において漢語を学ぶ日本人があまりいなかったのと同じで、漢人が少数民族の言語を学ぶなんてことは、現実にはほとんどありません。専ら少数民族の側、特にウイグル人の漢語能力を向上させようという運動なのです。

あちらの教育機関には、漢語で授業をやる学校とウイグル語など民族語で授業をやる学校があるのですが、民族語学校の方の初等教育の過程では、長らく漢語の授業がありませんでした。新疆でも南部の農村部などでは初等教育のみで学業を切り上げてしまうウイグル人は多く、お陰で彼らの漢語能力は非常に低い。そうした状況は同化政策......もといw“民族団結”に害をもたらすので、民族学校でも初等教育の段階から漢語を必修化しようというのが、この運動の骨子です。

公務員にしろ民間にしろ、現在の新疆で社会的に上昇するためには、好むと好まざるにかかわらず漢語は必要です。また、別に上昇する気がなくとも、漢語が話せないと本土の方に出稼ぎにいくこともできない。

故に、中流以上の家庭では、これまでも子弟を漢語で授業を行う学校に通わせる傾向が強かったわけです。こうした教育を受けた人々は少数民族は“民考漢”と呼ばれていますが、彼らの中には民族語の読み書きができない人が結構多い。そればかりか、母語が漢語化し、民族語が喋れない人すらいたりします

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少数民族の幼稚園児に漢語と母語の“双語”教育    
【社会ニュース】 2009/05/16(土)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0516&f=national_0516_004.shtml

新疆ウイグル自治区巴州地方政府は漢語とウイグル語のバイリンガル教育を積極的に推し進めている。その一環として、バイリンガルの幼児教育専門の教師を育成中だ。教師の育成には厳しい訓練と試験が実施される。
  
バイリンガルの教師の育成資金は213万元(約3000万円)、訓練には例年、3000人以上の少数民族の教師が参加する。   

現在同州の小学校で2か国語で授業を行うバイリンガルクラスは540クラスあり、バイリンガルの教師は1116人、生徒数は1万2138人。   

同州の少数民族の幼稚園生は1万2900人余りで、そのうちの95%を占める1万2300人は2年間バイリンガルの訓練を受ける。(CNSPHOTO)

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重要なのは、別に政府の強制があろうが無かろうが、少数民族の間には社会・経済的な理由から、子供を漢語化したいという層は確実に存在する、ということでしょう。

こういうのは、どこの植民地でも同じだと思います。もし仮に満洲国があと何十年か続いていたとしたら、漢語よりも日本語が得意な漢人エリート層が出現していたに違いない。

それを思えば、民族学校での早期漢語教育の導入は、ある意味社会のニーズに応じたものだと言えます。

ただ、問題は民族語の方です。“社会的に漢語が重要なのは分っているけども、子供には民族語をしっかり覚えてもらいたい。漢語と民族語のバイリンガルになるのは良いけど、漢語のみ喋れるようにはなってほしくない”、というウイグル人は、こちらの知合いでも結構いるのですが、彼らにとっての“母語で教育を受ける権利”は一体どうなっているのでしょうか?

実は、十年ほど前から高中(=高校)、大学と高等教育に用いられる言語はほとんど漢語のみになってしまっています。既に民族語のみでは高等教育が受けられない状況が出来上がっているというわけです。この上、民族語学校でも早期の漢語教育が始まるとなれば、この先、民族語の話者が実質的に減っていくのは、ほぼ間違いないでしょう。

こうした事情は、ソ連時代の中央アジアの各民族共和国のそれとよく似ているのですが、いかにモスクワがロシア語の普及に一生懸命だったとはいえ、ソ連時代でも高等教育から民族語が一掃される(まあ、理数系は今も昔もロシア語がメインですけど)なんてことはありませんでした

その意味では、やはり中国当局は政策として“漢化”とか“同化”を行っているとか言われても、仕方が無い思われます。

ウイグル人たちは、あのドラマを一体どういう気分で視てたんでしょうね...。
→(6)に続く


“民族団結は進歩なり”に関する絵解き画集(4)

2010-07-17 23:15:38 | 東トルキスタン関係
→(3)からの続き

それにしても、この画集に限らず、中共のプロパガンダに出てくるウイグル人等の少数民族は、基本的に笛とか太鼓を持って踊っているか、拳を振り上げて“敵”を糾弾しているかのいずれかですね。

何だか、とてつもなく頭が悪そうなのですよ。

それこそ、口を開いたら、

“ウイグル人、嘘ツカナイ”

とか言いかねない感じでw。

それはともかく、この本では、新疆の“民族団結”を脅かす要素として、二つのテーマに多くのページが割かれています。その内の一つは極端な宗教運動=イスラーム急進主義で、もう一つがこれまで何度も名前の出てきた“民族分裂主義”です。

前にも書きましたが、ここでの“民族”は中国の領域内に住む全ての民族を含むとされる“中華民族”のことです。“民族分裂主義”とはこの“中華民族”の中のある集団を分離独立させようと目論む思想全般ですから、一般的な言い方だと“分離主義”ということになるのでしょう。


「社会安定の維持」



1. 社会の安定を守ることは、少数民族政策における重要な任務です。



2.団結させることや教育、または関係の円滑化などの手段を通じて、民族間および少数民族地域における人民間の対立を、正しく解決しなければなりません。



3.新疆の安定に悪影響を与える危険の主なものは、民族分裂主義と非合法的な宗教活動から生じています。



4.民族分裂主義に対する闘争は長く、複雑で困難なものとなっています。だからこそ、“安定は全てを圧倒するという思想をしっかりと周知させねばならないのです。

※社会の安定を維持するためには、少々の社会的矛盾には目をつぶれ!といった意味のスローガン。この10年くらい頻繁に使われている。

例↓





5.経済発展を加速、人民の生活を向上させ、そして社会の安定を守るための確固とした物質的基盤を築く必要があります。



6. 社会主義的精神文明の建設を強い力を以て進め、少数民族のエリート(=幹部党員)らと民衆の思想、道徳、文明の水準を絶え間なく向上させつつ、安定を守るにあたっての思想的防壁を築かなければなりません。



7.各族エリートと民衆に己が役割を十分に果たさせ、民族分裂主義に反対し、新疆の安定を守るにあたっての鉄の防壁を形作らねばならないのです。

※この絵にもある通り、“怪しい奴はチクれ!”ということなのだろう。



8. 社会の安定を全体化しながら体制を強化、また体制を中央集権化しながらも深く、広く開かれた形にし、社会の安定に害をもたらす様々な犯罪活動や犯罪者たちに確固とした打撃を加え、新疆に長きに渡る平和を保障しなければなりません。


“民族分裂主義”については、さらに一章が設けられて、その内容が詳しく語られています。



「民族分裂主義への反対」



1.祖国の統一を護持し、民族団結を強化するためには、旗幟を鮮明にして民族分裂主義に反対せねばなりません。



2.民族や宗教の問題を利用して中国を西側化し、分裂させようと試みるやり口は、西側敵対勢力の一貫した手管なのです。  

※一番後ろに米軍人っぽいのがいるw



3.民族分裂主義の要諦は、中国共産党の主導による社会主義に反対すること、祖国を分裂させること、各族人民の偉大なる団結に対し破壊工作を行うことからなります。



4.“汎イスラーム主義”と“汎テュルク主義”は、民族分裂主義の反動的なプログラムなのです。

※前者は“全世界のムスリムは団結すべし”、後者は“全世界のテュルク計民族は団結すべし”という政治思想。ちなみに、スターリン時代の中央アジアでは、地元民族の指導者が単に地域の自治と自発的な近代化を訴えただけでも、中央(=モスクワ)から“汎イスラーム主義者”や“汎イスラーム主義者”(+ドイツor日本のスパイ)といったレッテルを貼られ、ことごとく粛清されていた。現在の中国でも事情は大して変わらない。これについての詳細は後述。



5.民族分裂主義者は団結と安定にとって極めて有害であり、各族人民の共通の敵です。



6.我らが民族分裂主義との戦いは、長きに渡る政治的責務なのです。



7.分裂主義とそれに対する戦いは、民族問題でも、宗教問題でもありません。恐らくは、この百年来、列強の侵略者たちによる中国分割の陰謀を防ぐため、中国人民がこれまで行ってきた戦いの続きなのです。

※左側に小さく描かれている連中がそうらしいw



8.我々は、民族分裂主義に対し旗幟を鮮明にして反対し、各民族のエリート(=幹部党員)層と大衆を最大限に団結させる必要があります。そして、その協力を得て極めて少数の民族分裂主義者を排除しつつ、これに打撃を与えるのです。また、外国の敵対勢力の浸透と破壊工作を防ぎ、対抗していかねばなりません。



9.民族分裂主義者の破壊工作に対しては、法の力を以て、強力で徹底した打撃を与えねばならないのです。



10.イデオロギー面における分裂主義との闘争に大いに重点を置き、民族分裂主義者と狂信的宗教勢力の幹部や大衆が思想を汚し、有害化するのに断固反対しなければなりません。 

→(5)に続く