→(4)からの続き
それにしても、一連の“セルカン事件”の流れを追っていて思ったのは、これだけネットが発達し、しかも自動翻訳ソフトの精度が日々向上していることを考えれば、単純に日本語と他言語間の“言語障壁”を利用した“だけ”の詐術というかインチキは、今後は通用しづらくなるのではないかということでした。
もし仮に、その言語が、翻訳ソフトなんて存在しなさそうなマイナー言語であっても同じでしょう。現に今回のように、その気になって探せば、ネット上には古代シュメール語が読める日本人すらいた訳で。
ただまあ、セルカン氏が他人の発想やデザインをパクれたのも、コピペ論文で博士号が取れたのもまた、発達したネットのお陰なんでしょうけどね。
その意味では、氏は自己実現というか、成り上がるためにさんざん活用してきた、まさにそのネットによって引導を渡されるという、何とも皮肉な運命を辿ることになりそうです。
合掌。
ところで、日土間の“言語障壁”を悪用していたのは何もセルカン氏1人に限ったことではありません。似たようなことをやっている人は、実は日本人の中にも結構いたりします。以前にアタュルク像騒動に関するエントリーで取り上げた新潟県柏崎市の三井田市議なんて、まさしくその典型でしょう。
この政治家の先生は、かねてより対立政党に属する柏崎市長に圧力をかけるとともに、恐らく自身の知名度を高めるため、例の“アタテュルク像問題”を最大限に活用しようとしてきた節があります。
確かに、他国から貰った物を大事にしようと言う主張そのものは間違いではないし、政敵の失点に乗じて名を売るのも、まあ政治の常道なのでしょう。また、アタテュルクなんて普通の日本人には馴染みの薄い名前ですから、世間の耳目を引くためには、いくらか問題を誇張する必要があるというのも、分からない話ではありません。
でも、だからといって、そのためにトルコの新聞記事やら写真の内容を歪曲して広め、元より存在しない“日本に激昂するトルコ世論”なるものをでっち上げるというのは、完全に“誇張”の域を超えています。
はっきり言って“詐欺”ですよ。
ネット上で拾った写真を適当にコラージュして“トルコ人初の宇宙飛行士”を名乗っていたセルカン氏と、何ら変わるところはない。
もちろん、嘘自体のスケールこそ違いますが、“エルトゥールルの恩返し”物語を絡めて、ネットやメディアをうまく利用した点なんてよく似ていますね。実際に“引っ掛けた”日本人の数から言っても、結構良い勝負なのではないでしょうか。
こういうことを書くと、
“嘘だろうが何だろうが、三井田ブログや産経新聞のお陰でアタテュルク像問題に関心を持つ人は実際に増えたんだから、それで良いではないか!銅像の串本移転にも貢献したに違いない!!”
とか何とか、“嘘も方便”的な擁護をする人が出てくるかもしれませんが、そういう“ダメな前向き思考”はよくないですね。
話を分かりやすく某健康食品に例えるならば、
“食べなかったら絶対に死ぬぞ!と無理やりプルーンを大量に買わされて仕方なく食べてるけど、今健康な理由の何分の一かはきっとプルーンの効能のお陰だから、そういう強引な商法も超OK(死語)”
みたいなことを言うに等しい .....
とか、却って分かり難くなってますがw、
要するに、どんな言い方をしようが“嘘”は“嘘”であって、それを信じた人たちが騙されていたという事実に変わりは無い訳です。
でまあ、嘘吐きは今後も何かと嘘を吐き続けるだろうから、その口から出る言葉は何であれすぐには信用せず、まずは眉に唾をつけてみようという話ですかね。
それと、前にも書いた通り、銅像の串本移転が急転直下的に実現したのは、今年の1月4日から1年間続く“トルコにおける日本年”の記念事業の一環だと言われているわけですが、そのために、銅像を所有していた企業と直に返還交渉を行ったのは駐日トルコ大使館であり、移転の費用を負担するのは日本財団です。移転そのものには、三井田市議らは別に関わっていないはず。
何はともあれ、銅像問題も解決したことだし、さすがにもうこのネタは引っ張ってないだろう、と思って久しぶりに三井田市議のブログを見てみたら....
こんな↓記事がありました。
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2010年1月 5日 (火)
アタチュルク像、トルコ国外では最大
トルコ国内でアタチュルク像報道
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2010/01/post-9264.html
(前略)
本年2010年は、エルトゥールル号事件から120年となることから「2010年トルコにおける日本年」となった。この事から、本年1月3日から4日まで岡田克也外務大臣がトルコを訪問し、アブドゥッラー・ギュル(Mr. Abdullah GUL)大統領をはじめ、アフメット・ダーヴトオール(Dr. Ahmet DAVUTOGLU)外務大臣との会談、そして「2010年トルコにおける日本年」のオープニング式典に出席した。
そして、アタチュルク像問題についての経過説明と謝罪が岡田外務大臣からあったという(トルコ国内某自治体関係者より)。
発言した詳細な内容を議事録などのかたちでまだ入手はできていないが、トルコ国内の複数の新聞でアタチュルク像の移設まで書かれた記事が4日から5日にかけて掲載されたことから、事実であろうと推測できる。
一例:Hürriyet紙(英文)「Erecting Atatürk’s statue in another corner of the world」
トルコ語の別記事:http://www.nethaber.com 「Kaidesiyle birlikte 7.5 metrelik Atatürk heykeli Japonya’nın Kushimoto kentine dikilecek」
内容としては、両国のため今年のイベントに影響がないよう、ご苦労をされた駐日大使への配慮もあって、以下のようなストーリーになっている。
・新潟地震?により、トルコ文化村は廃業となり、この地震によって銅像にも損害があり、保管されていた。しかし、今回、もうすぐ再建される。
記事によっては「Kashiwazaki:柏崎」の名称が出ておらず、「Niigata:新潟」という表記のみで新潟県民皆様へは申し訳ない限りであるが、両国のためにはこのような報道でまずは安心したところ。
また、今回のトルコ語を何とか読んで分かったことは、旧柏崎トルコ文化村に建立されていたアタチュルク像(重さ8トン、全高7.5メートル)は
・トルコ国外にあるアタチュルク像では一番大きい。
・トルコ国内を入れても3番目の大きさを誇る。
だったことである。
本来であれば、柏崎市で引き取り、柏崎市から和歌山県串本町に移設するのが筋であるが、今回のように一旦、トルコ共和国に返す(駐日トルコ大使館)かたちになったのは、恥の極み。
今年、是非、トルコに行き、関係者の皆様にお詫び申し上げたいと思う。
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まだやってたのか!w
今回のは多少手が込んでるようですが…..
何というか……
その行間から
“銅像問題は解決なんかせず、ずっと飯のタネであり続けてくれればよかったのに!”
という魂の叫びとか、
“それが無理なら、この問題が後々までも市長派への糾弾+知名度UP用の政治的アイテムとして使い続けられるよう、最低でも自国の外相すら巻き込んだ<外交問題>に発展したことにしておきたい“
という書き手の執念の如きものが、にじみ出ているような文章ですね。
大本の情報ソースが“トルコ国内某自治体関係者”と微妙に得体が知れないのも、落合信彦みたいで素敵ですw。
→(6)に続く
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「目的が手段を正当化する」例そのものですねー。コレを良しとする人はマスゴミの”納豆事件=あるある大辞典での納豆ダイエット捏造”でも、納豆は体に良いから別に良いじゃないか!という事を言いそうですな。
しかし納豆議員さん、まだ未練たらしく書いていたのかww
>今年、是非、トルコに行き、関係者の皆様にお詫び申し上げたいと思う。
もう移転を完了したら政治的利用価値がないので、時間と金を使ってまでは絶対に行かないでしょうね・・・。
セルカンの「遠山敦子コネクション」は
闇が深いのではないかと思う。
(朝日新聞) 元文部科学相で駐トルコ大使も務めた遠山敦子さん(70) は、セルカンさんに「日本のお母さん」と慕われている。
数年前、トルコデーの祝賀会で「有能な技術者がいる」と 紹介され、以来、家族ぐるみの交際を続ける。「普通の顔を持っている非凡な天才」とセルカンさんを評する。
(朝日新聞) 遠山氏談 === 「8カ国語を自由に操り、スキーを履かせればメダルをとり、 学問の領域でも大型構造物の解析で群を抜く。
いつか宇宙エレベーターで宇宙に行き、地球全体を眺めた上で、 トルコに帰って科学技術大臣になり、大統領に推されるかもしれませんよ」