→(6)からの続き
そういう細かい点はさておき、注目すべきは記事の日付けの方でしょう。
三井田市議は、トルコの新聞に例のアタテュルク像絡みの記事が載ったのが4日から5日であることを根拠に、
「2010年トルコにおける日本年」のオープニング式典において“アタチュルク像問題についての経過説明と謝罪が岡田外務大臣からあった”と“推測できる”
としているわけですが、
日本の外務省のサイト↓によれば、
-----------------------------------------------------------------
岡田外務大臣のトルコ訪問(概要と評価) 平成22年1月5日 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_okada/turkey_10/gh.html
岡田外務大臣は、1月3日(日曜日)から4日(月曜日)にかけて、トルコを訪問し、トルコ側要人と会談したほか、「2010年トルコにおける日本年」オープニング式典に出席したところ、訪問の概要と評価は以下のとおりです。
1.主要日程
3日
イスタンブール着
ボスポラス海峡横断地下鉄整備計画等(円借款案件)視察
在留邦人(「日本年」現地実行委員)等との懇談
イスタンブールからアンカラに移動
4日
ギュル大統領表敬
アタテュルク廟(トルコ建国の父の墓所)での献花
日・トルコ外相会談(含、ワーキングランチ)
トルコ外務省大使会議におけるスピーチ(別添)
「日本年」オープニング式典出席
アンカラ発
---------------------------------------------------------------------
岡田外相の「日本年」オープニング式典出席 は2010年1月4日ですね。
でも、ヒュリエット紙のサイトに載っている、トルコ語のそれと同じ内容の英文記事は、2010年1月3日付けなのですよ。
オープニング式典よりも1日早い。
記者は他人の心が読めたのか?w
あるいは、例のごとくいい加減なトルコの新聞が日付けを間違えたのか?
どちらも違うでしょう。
この記事を書いたデミルタシュ記者は、
実はその3週間くらい前まで日本にいたのです。
10日間と短期の滞在だったようですが、来日に至った経緯や日本での印象などは、ヒュリエット紙のサイト内に設けられたブログ“Postcard from Japan” (日本からの絵葉書)で、英文にて綴られています。
-------------------------------------------------
「日本からの絵葉書」 セルカン=デミルタシュ
<東京に到着> 2009年12月6日
http://blogs.hurriyetdailynews.com/japan/?p=3
(前略)
私がどうして故国から10000kmも離れたこの国にいるのか、説明した方が良いだろう。まず第一に、日本人は非常に親切なのである。第二に、彼らは私が日本の文化的な豊かさや社会的な調和、それに経済力を我が目で見られるようにと、この美しい国への10日間の旅に招待してくれるくらい、親切なのだ。
来年、トルコでは“トルコにおける日本年”の一環として、日本を紹介する沢山のイベントが催される。2003年は同じような感じで“日本におけるトルコ年”であり、国内各地で150を超えるイベントが開かれた。日本の当局者によれば、その“トルコ年”は大成功であり、トルコを訪れる日本人の観光客数はほとんど3倍になったという。
(後略)
-----------------------------------------
その中には、在東京トルコ大使館に駐日トルコ大使のアタジャンル氏を訪ねたという記述↓もあり、
-----------------------------------------
<天皇の名前は> 2009年12月7日
http://blogs.hurriyetdailynews.com/japan/?p=8
(前略)
2日目に最後にお会いしたのは、駐日トルコ大使のセルメット=アタジャンル氏だった。私と氏との交友関係は、氏が外交官の報道官であった90年代半ばに遡る。
(後略)
------------------------------------------
また、最後の方で串本も取材に訪れている記述があることを思えば、
---------------------------------------------------
<(月と)星になったような気分> 2009年12月12日
http://blogs.hurriyetdailynews.com/japan/?p=42
(前略)
一日にも満たない串本訪問の中での筆者の経験は、異なる国民や民族、宗教間の結びつきを強めるには、親切な見通しが常に重要であることを示している。私は世界のこの場所で、まさにそれを目の当たりにしたのだ。
串本市(←ママ)の“アリ”ヨリオ=ヤマグチ氏、“ズュベイデ”アヤコ=ヤマダ氏、“エリフ”トモコ=クシ氏といった職員の方々は、駐日トルコ大使館の武官につけてもらったトルコ名を大変誇りにしており、名刺にまでその名を記しているのである。
(後略)
------------------------------------------------
デミルタシュ記者が昨年12月の時点で、銅像が串本に建立されるという情報や、そこに至るまでの経緯を既に詳しく知っていたのは間違いありません。
つまり、何を言いたいかというと、
ヒュリエット紙のアタテュルク像の串本建立についての記事は前々から準備されたものであって、それが(トルコ語版の方だと)2010年1月4日に掲載されたのは、同日に執り行われた“トルコにおける日本年”のオープニング式典に合わせた演出だと考える方が自然ではないのか、という話です。
そうなると、やはり岡田外相の謝罪+経緯の説明があったという話そのものが、かなり疑わしくなりますね。本当にそんなことを言ったのか?
そういえば、三井田ブログの記事の中には、
>発言した詳細な内容を議事録などのかたちでまだ入手はできて
>いないが
という箇所がありました。“オープニング式典”で“議事録”というのも変な話です。ひょっとしたら、他にも訪土中に発言の機会があったのかもしれない。
と思って、再度、外務省のサイトにあった訪問日程を見てみると、
-------------------------------------------------
3日
イスタンブール着
ボスポラス海峡横断地下鉄整備計画等(円借款案件)視察
在留邦人(「日本年」現地実行委員)等との懇談
イスタンブールからアンカラに移動
4日
ギュル大統領表敬
アタテュルク廟(トルコ建国の父の墓所)での献花
日・トルコ外相会談(含、ワーキングランチ)
トルコ外務省大使会議におけるスピーチ(別添)
「日本年」オープニング式典出席
アンカラ発
-----------------------------------------------
この中で他に可能性がありそうなのは、4日目の“ギュル大統領表敬 ”と“日・トルコ外相会談”、“トルコ外務省大使会議(トルコ外務省の大使級の官僚が集まる会合)におけるスピーチ”ですかね。
でも、いずれも三井田市議の情報源である“トルコ国内某自治体関係者”が気軽に同席できそうなものではない訳で、
除外すべきでしょう。
一応、その中でネット上に記録がアップされている分の内容を確認してみると、まず、“トルコ外務省大使会議におけるスピーチ”については、日本の外務省サイトで全文が読めますね。“銅像事件”の話など微塵も出てきません。
↓日本外務省のサイトより
-----------------------------------------
「トルコ外務省大使会議における岡田外務大臣スピーチ」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/22/eokd_0104.html
-----------------------------------------
トルコの外務省のサイトには、そのトルコ語訳が載っていました。内容は同じで、やはり“銅像事件”のことは出てこない。
↓トルコ外務省サイトより
------------------------------------------
Japonya Dışişleri Bakanı Katsuya Okada'nın Büyükelçiler Konferansı’nda Yaptıkları Konuşma, 4 Ocak 2010, Ankara (外務省大使会議における日本の岡田克也外相のスピーチ 2010年1月4日 於アンカラ)
http://www.mfa.gov.tr/japon-disisleri-bakani-katsuya-okada_nin-buyukelciler-konferansi_nda-yaptigi-konusma_-ankara_-4-ocak-2010.tr.mfa
------------------------------------------
また、その前に行われた“日・トルコ外相会談”については、トルコ外務省のサイトではその後の共同記者会見での受け答えが記録されていました。長いので訳しませんが、ほぼ上記のスピーチで言ってるようなことを、報道陣に対しても話しています。これも“銅像事件”の話などは出てこない。
内容が気になる方は、自動翻訳ソフト(“土日”よりも“土英”変換の方が良い)でも使って読んでみてください。
-------------------------------------------
Sayın Bakanımızın Japonya Dışişleri Bakanı Katsuya Okada İle Ortak Basın Toplantısı, 4 Ocak 2010, Ankara (我が国の外相閣下と日本の岡田克也外相の共同記者会見 2010年1月4日 於アンカラ)
http://www.mfa.gov.tr/sayin-bakanimizin-japonya-disisleri-bakani-katsuya-okada-ile-ortak-basin-toplantisi_-4-ocak-2010_-ankara.tr.mfa
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となると、
やはり1月4日の“オープニング式典”に絞られることになりそうです。
少なくとも、岡田外相が読み上げたと思しき“開幕宣言”には、銅像のドの字も出てきませんけどね...。
→(8)に続く
そういう細かい点はさておき、注目すべきは記事の日付けの方でしょう。
三井田市議は、トルコの新聞に例のアタテュルク像絡みの記事が載ったのが4日から5日であることを根拠に、
「2010年トルコにおける日本年」のオープニング式典において“アタチュルク像問題についての経過説明と謝罪が岡田外務大臣からあった”と“推測できる”
としているわけですが、
日本の外務省のサイト↓によれば、
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岡田外務大臣のトルコ訪問(概要と評価) 平成22年1月5日 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_okada/turkey_10/gh.html
岡田外務大臣は、1月3日(日曜日)から4日(月曜日)にかけて、トルコを訪問し、トルコ側要人と会談したほか、「2010年トルコにおける日本年」オープニング式典に出席したところ、訪問の概要と評価は以下のとおりです。
1.主要日程
3日
イスタンブール着
ボスポラス海峡横断地下鉄整備計画等(円借款案件)視察
在留邦人(「日本年」現地実行委員)等との懇談
イスタンブールからアンカラに移動
4日
ギュル大統領表敬
アタテュルク廟(トルコ建国の父の墓所)での献花
日・トルコ外相会談(含、ワーキングランチ)
トルコ外務省大使会議におけるスピーチ(別添)
「日本年」オープニング式典出席
アンカラ発
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岡田外相の「日本年」オープニング式典出席 は2010年1月4日ですね。
でも、ヒュリエット紙のサイトに載っている、トルコ語のそれと同じ内容の英文記事は、2010年1月3日付けなのですよ。
オープニング式典よりも1日早い。
記者は他人の心が読めたのか?w
あるいは、例のごとくいい加減なトルコの新聞が日付けを間違えたのか?
どちらも違うでしょう。
この記事を書いたデミルタシュ記者は、
実はその3週間くらい前まで日本にいたのです。
10日間と短期の滞在だったようですが、来日に至った経緯や日本での印象などは、ヒュリエット紙のサイト内に設けられたブログ“Postcard from Japan” (日本からの絵葉書)で、英文にて綴られています。
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「日本からの絵葉書」 セルカン=デミルタシュ
<東京に到着> 2009年12月6日
http://blogs.hurriyetdailynews.com/japan/?p=3
(前略)
私がどうして故国から10000kmも離れたこの国にいるのか、説明した方が良いだろう。まず第一に、日本人は非常に親切なのである。第二に、彼らは私が日本の文化的な豊かさや社会的な調和、それに経済力を我が目で見られるようにと、この美しい国への10日間の旅に招待してくれるくらい、親切なのだ。
来年、トルコでは“トルコにおける日本年”の一環として、日本を紹介する沢山のイベントが催される。2003年は同じような感じで“日本におけるトルコ年”であり、国内各地で150を超えるイベントが開かれた。日本の当局者によれば、その“トルコ年”は大成功であり、トルコを訪れる日本人の観光客数はほとんど3倍になったという。
(後略)
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その中には、在東京トルコ大使館に駐日トルコ大使のアタジャンル氏を訪ねたという記述↓もあり、
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<天皇の名前は> 2009年12月7日
http://blogs.hurriyetdailynews.com/japan/?p=8
(前略)
2日目に最後にお会いしたのは、駐日トルコ大使のセルメット=アタジャンル氏だった。私と氏との交友関係は、氏が外交官の報道官であった90年代半ばに遡る。
(後略)
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また、最後の方で串本も取材に訪れている記述があることを思えば、
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<(月と)星になったような気分> 2009年12月12日
http://blogs.hurriyetdailynews.com/japan/?p=42
(前略)
一日にも満たない串本訪問の中での筆者の経験は、異なる国民や民族、宗教間の結びつきを強めるには、親切な見通しが常に重要であることを示している。私は世界のこの場所で、まさにそれを目の当たりにしたのだ。
串本市(←ママ)の“アリ”ヨリオ=ヤマグチ氏、“ズュベイデ”アヤコ=ヤマダ氏、“エリフ”トモコ=クシ氏といった職員の方々は、駐日トルコ大使館の武官につけてもらったトルコ名を大変誇りにしており、名刺にまでその名を記しているのである。
(後略)
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デミルタシュ記者が昨年12月の時点で、銅像が串本に建立されるという情報や、そこに至るまでの経緯を既に詳しく知っていたのは間違いありません。
つまり、何を言いたいかというと、
ヒュリエット紙のアタテュルク像の串本建立についての記事は前々から準備されたものであって、それが(トルコ語版の方だと)2010年1月4日に掲載されたのは、同日に執り行われた“トルコにおける日本年”のオープニング式典に合わせた演出だと考える方が自然ではないのか、という話です。
そうなると、やはり岡田外相の謝罪+経緯の説明があったという話そのものが、かなり疑わしくなりますね。本当にそんなことを言ったのか?
そういえば、三井田ブログの記事の中には、
>発言した詳細な内容を議事録などのかたちでまだ入手はできて
>いないが
という箇所がありました。“オープニング式典”で“議事録”というのも変な話です。ひょっとしたら、他にも訪土中に発言の機会があったのかもしれない。
と思って、再度、外務省のサイトにあった訪問日程を見てみると、
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3日
イスタンブール着
ボスポラス海峡横断地下鉄整備計画等(円借款案件)視察
在留邦人(「日本年」現地実行委員)等との懇談
イスタンブールからアンカラに移動
4日
ギュル大統領表敬
アタテュルク廟(トルコ建国の父の墓所)での献花
日・トルコ外相会談(含、ワーキングランチ)
トルコ外務省大使会議におけるスピーチ(別添)
「日本年」オープニング式典出席
アンカラ発
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この中で他に可能性がありそうなのは、4日目の“ギュル大統領表敬 ”と“日・トルコ外相会談”、“トルコ外務省大使会議(トルコ外務省の大使級の官僚が集まる会合)におけるスピーチ”ですかね。
でも、いずれも三井田市議の情報源である“トルコ国内某自治体関係者”が気軽に同席できそうなものではない訳で、
除外すべきでしょう。
一応、その中でネット上に記録がアップされている分の内容を確認してみると、まず、“トルコ外務省大使会議におけるスピーチ”については、日本の外務省サイトで全文が読めますね。“銅像事件”の話など微塵も出てきません。
↓日本外務省のサイトより
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「トルコ外務省大使会議における岡田外務大臣スピーチ」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/22/eokd_0104.html
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トルコの外務省のサイトには、そのトルコ語訳が載っていました。内容は同じで、やはり“銅像事件”のことは出てこない。
↓トルコ外務省サイトより
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Japonya Dışişleri Bakanı Katsuya Okada'nın Büyükelçiler Konferansı’nda Yaptıkları Konuşma, 4 Ocak 2010, Ankara (外務省大使会議における日本の岡田克也外相のスピーチ 2010年1月4日 於アンカラ)
http://www.mfa.gov.tr/japon-disisleri-bakani-katsuya-okada_nin-buyukelciler-konferansi_nda-yaptigi-konusma_-ankara_-4-ocak-2010.tr.mfa
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また、その前に行われた“日・トルコ外相会談”については、トルコ外務省のサイトではその後の共同記者会見での受け答えが記録されていました。長いので訳しませんが、ほぼ上記のスピーチで言ってるようなことを、報道陣に対しても話しています。これも“銅像事件”の話などは出てこない。
内容が気になる方は、自動翻訳ソフト(“土日”よりも“土英”変換の方が良い)でも使って読んでみてください。
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Sayın Bakanımızın Japonya Dışişleri Bakanı Katsuya Okada İle Ortak Basın Toplantısı, 4 Ocak 2010, Ankara (我が国の外相閣下と日本の岡田克也外相の共同記者会見 2010年1月4日 於アンカラ)
http://www.mfa.gov.tr/sayin-bakanimizin-japonya-disisleri-bakani-katsuya-okada-ile-ortak-basin-toplantisi_-4-ocak-2010_-ankara.tr.mfa
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となると、
やはり1月4日の“オープニング式典”に絞られることになりそうです。
少なくとも、岡田外相が読み上げたと思しき“開幕宣言”には、銅像のドの字も出てきませんけどね...。
→(8)に続く
岡田大臣は過去に↓こんな事しているので、コレ読んだ人は信じちゃうでしょうねぇ。
岡田外務大臣が韓国に謝罪した <丶`Д´> → 言葉はいいから政策で謝罪しる!
やれやれ・・・・・