歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(6)

2009-05-25 20:43:04 | アタテュルク像問題

→(5)からの続き

市議のブログによれば、氏が銅像をどうにかしようとしているのは、これを政争の具とするためではなく、両国民の友好の維持を願ってとのこと。確かに、この人物の地道な活動がなければこの問題が一般に認知されることもなかったわけですが、氏のブログでのトルコの新聞報道を、その内容を無視して都合よく利用しているのを見る限り、どうも素直には信じられないですかね。

本気で両国の友好を案じているのであれば、とりあえず記事の内容は(トルコ語が読める人間に依頼するとか)どうにかして確認しようとするのではないでしょうか?翻訳ソフトを使っても大意は分かるはずで。

例えば、こんな感じ↓です。

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三井田市議のブログより抜粋

http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2007/10/09/index.html

本来であれば<日本国内で日本人の手、できれば柏崎市内で解決したかった>ものの、既にトルコ国内の大手新聞会社が取り上げてしまった。大手新聞社であろうことは、複数のニュースサイトで同じ記事が配信されていることからも分かる。
http://www.haberturk.com/haber.asp?id=39541&cat=200&dt=2007/10/09

*このサイトはアタチュルク像の首をもつ別の写真までつけて、日本人のこの行為を非難。

http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217
http://www.milliyet.com.tr/2007/10/09/son/sondun10.asp

・・・お恥ずかしいことです。


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ここでの“トルコ国内の大手新聞社”とはこのシリーズの初回で全訳を載せた“ラディカル”紙の記事のことです。

紹介されているサイトの記事には確かにこういう↓写真が載っていますが、


記事そのものは、“ラディカル”の記事です。くどいようですが、もう一度記事の全訳を引用してみましょう。

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「アタテュルク像で日本が大騒ぎに」ラディカル紙 2007年10月9日
原文:Atatürk heykeli Japonya'yı karıştırdı
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217

地震で横倒しになったアタテュルクの銅像が、日本で騒動を巻き起こしている。 日本の新潟市(←原文ママ。正しくは新潟県柏崎市)における地震で、アタテュルクの銅像が横倒しとなった。地震と救出作業の混乱の中、像は倒れたままの状態で忘れ去られていたのだ。日本のジャーナリストらは、このために自国政府の対応を批判。現地の新聞に“アタテュルク像がないがしろにされている”と題した写真入りの記事が掲載されたことで、一般人の間からも“これではアタテュルクに対して失礼だ”と非難の声が生じている。

昨日、在アンカラ(トルコの首都)の日本大使館はこの事件に関する声明を出した。その声明において、日本政府と柏崎市長から説明を求めることを明らかにするとともに、状況がいかに明るみに出たかについては、以下のように説明した。:

“新潟中越地震において、アタテュルク像を台座に繋いであったボルトが損傷しているように見受けられた。像を放置しておけば、落下して破損するのではないかとの懸念から、台座から取り外され、横たえられたのである。銅像をそのように放置する意図など決してなかったのであって、柏崎市は人命救助の努力を最優先せねばならなかったのだ。”

大使館は、アタテュルクが日本に於いて愛され、敬意を払われている指導者であること、また(日本人の間では)彼に対する侮蔑など、まず口の端にも上らないことなどを強調した。

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一体この記事のどの部分が“日本人のこの行為を非難”しているのか?

記事と写真は完全に無関係ですね。市議は単に写真から類推して、自らの主張に都合の良いお話を作っているに過ぎません。

この記事にはコメントが53もついていますが、以前に紹介したサイトのものと同じく、好意的なものばかりです。時間が無いので全訳はできませんが、その内のをいくつか訳してみましょう。

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<ハルクのコメント>

論評ハルク1
トルコ人の最良の友は日本人だ。こういう国々と一緒になって、米国とかEUに対抗しようぜ。


論評ハルク2
日本人は実に誉ある人々だ。トルコですら、アタテュルクにこれほどの敬意は払われていない。


論評ハルク3
俺は、この目の細い奴らが大好きだ!


論評ハルク4
大したものだ!我が親愛なるブルース=リーの子孫たちよwww俺たちよりもはるかにアタテュルクに気を使っているとはな。まったく大した人間だよ。あんたらは。


論評ハルク5号
(トルコで同じようなことがあった場合、どうすべきかという話を受けて、)地震の時に、人命をそっちのけにして銅像の下に駆けつけろというのか?もし地震があったとしたら、俺は絶対に人命を優先する。それが誰の銅像であれだ!人命は何よりも貴重なのであって、これを否定する奴は人間じゃない!

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 至って常識的な反応ですね。“地震だろうが何だろうが、死んでも銅像を守れ!”なんて狂ったコメントは一つもありません。

また、市議はこの銅像事件をネタにして、市議会において市長に追い込みをかける際にもこれらの新聞記事を持ち出しているようです。ブログに市議の発言が丸々掲載されていたので引用すると、

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三井田市議のブログより抜粋

http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2009/03/08/index.html

先ほど御紹介した、トルコの新開ですね、ラディカル紙、結構大きな新開、日本でいうと、朝日新聞みたいなとこらしいんですけど、そこでも1年前に、早急に対応するということで載っていると。もう1年ですよ。本当に、今、手詰まりなのかどうなのかというところもわからない。もし本当に手詰まりであれば、市民の有志ある皆さんからですね、やっぱり意見を上げてもらうことだって必要だと思います。

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…..もういい加減引用しませんが、“ラディカル”紙の記事のどこに“早急に対応する”なんて文言があるのか?上に挙げた全訳で確かめてください。

さらに言えば、とりあえずネット状で確認できる限りにおいては、ラディカル紙は2007年10月のこの記事以来、この銅像事件に関する追加記事は一切書いていません。

“できれば柏崎市内で解決したい”どころか、“国際問題”にする気マンマンではありませんかw

まあ、今の所は良いでしょう。あちらの世俗派メディアの勘違いによって銅像事件は勝手に“美談”として報道され、一部の人々の日本に対する好感度は却って上がっているかもしれない。少なくとも、現時点では何の問題もありません。

しかし、もし今後、あちらのメディアにより詳細な情報がもたらされ、この騒ぎが“銅像が売りとばされた時点から”詳細に報道されたとしたらどうなるでしょうか? 前の記事にも書きましたが、アタテュルクの像は建前としてはともかく、実際にはトルコ人の皆が皆に崇拝されているわけではありません。

とはいえ、一応は現在のトルコ共和国の象徴であるものが、明らかにトルコそのものへの関心の低さから粗末に扱われていることを知れば、最右派のイスラーム主義者でも不快に感じるのではないかと思われます。それで一変に世論が変わることなどまず無いでしょうが、日本に対して悪い感情を持つ人が多少は増えるかもしれない。

もしそうなった場合、産経とか三井田市議は何らかの責任を取りうるでしょうか?多分、自らの政治目標を達成したり名が売れれば万々歳で、責任すら感じないのではないかと思われます。かつての(今でも?w)朝日や左翼の政治家と同じ様に。何せ、彼らの“脳内トルコ人”は未来永劫“親日的”であり続けるでしょうからね….。

くどいようですが、発端がどんなものであれ、個人的には銅像の串本移転それ自体には賛成です。それを“国際問題”化したがっている人たちには賛同しないというだけで。

→(7)に続く


“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(5)

2009-05-25 20:01:24 | アタテュルク像問題

→(4)からの続き

ところで、今回の銅像事件に関する保守派媒体の報道で気になったのは、事件の責任者としてやり玉に上げられている柏崎市の行政のトップ、会田市長と社民党の関係が何だか過剰に強調されている点でした。

例えばこんな↓具合です。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み - メルマ!“より
http://www.melma.com/backnumber_45206_4471738/

払い下げの経緯は不明だが、会田市長は全共闘の出身で、心情は社民党と同じ。テヘランへの自衛隊機派遣を潰して日本が国の恥を晒したのを社民党は手を打って喜んだ。それと同じにトルコが怒り、日本の評判が落ちるのはむしろ彼は望んでいるようにすら思える。

この記事自体は引用されたもので、書いたのはメルマガの主とは別のジャーナリストのようなのですが….。この人にかかると、今回の銅像事件は、実はトルコ国内における日本の評判を落とさんと、会田市長と社民党が意図的に仕組んだ陰謀だったかのような勢いですね。ということは、後々事が大きくなって、市長の地位が危うくなるのも織り込み済みだったということか?

あたかもメガンテを唱えるかのごとく、市長の椅子と政治生命を賭してまでトルコ人の対日イメージを悪化させんと目論む男-会田市長。一体何者なんだ?すごい....すごいよ、会田市長!

あと、社民党はほとんど”死ね死ね団”のような扱いですねw。そういう団体だったのかw。

とりあえず、ネットでこの会田氏という人物について検索したところ、以下↓のような記事を見つけました。

柏崎市長選挙(新潟県) 「原発依存からの脱却」派の現職が推進派の新人を退ける「ザ・選挙」編集部2008/11/16
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_flash/0811/0811160664/1.php

現職と新人の一騎打ちとなった柏崎市長選挙は現職の会田洋氏(61)が新人で元市議会副議長の桜井雅浩(46)を1000余票差で破って再選された。両者とも政党本部の推薦は受けなかったが、会田氏には民主、社民などの国会議員や無所属の田中直紀参院議員らが応援、市議会の複数会派が支持した。桜井氏は自民・公明両党の柏崎支部、前回に市長選で会田氏に破れた西川正純・前市長らが応援した。

昨年7月の新潟県中越沖地震による被災後初めての市長選。運転停止中の東京電力柏崎刈羽原子力発電所に対する考え方は「原発との共存」「早期運転再開」で一致していたが、原発に対する将来の方向性については会田氏が「太陽光発電などエネルギー源を多様化し、原発に過度に依存しないバランスの取れた産業構造にすべき」と「原発依存からの脱却」を目指しており、原発反対派も応援に回った。一方の桜井氏は「原子力中心の産業構造にしたい」と原発推進のまちづくりを訴えた。


なるほど....そういえば、柏崎って原発があったんでしたね。忘れてましたよ。

一方、前回の記事で紹介した“チャンネル桜”の番組にも出演していた三井田柏崎市議は、この数年来、積極的にアタテュルクの銅像護持運動に従事されているわけですが、政治的には自民党に所属。当人のブログなどを読んだ限りでは原発推進派であり、反市長的な立場をとっているらしい。

あえて単純に図式化すると、ここ数年の柏崎市政においては、

会田市長(反原発/民主+社民が支持)
                      vs
三井田市議(原発推進/自民+公明が支持)


といった左右の政治対立があり、一連の銅像騒動においては、右派の市議が左派の市長と行政の落ち度を糾弾し、激しく攻撃している。そして、産経をはじめとする保守系メディアは市議の側に加勢して騒ぎを大きくしている、というのがこれまでの状況かと。

つまり、今回の銅像騒動はあくまで“局地戦”であって、“本丸”はこの会田市長だということでしょう。銅像騒動がトルコを巻き込んで大きくなればなるほど、後の“本丸”を追い込むことができるというわけです。それが“国際問題”にでもなれば、なおのこと良いはず。

まあ、政敵の瑕瑾に徹底的して付け込むのは政治の常道なのだろうし、今回の事件での市長側の失態は十分それに値するでしょう。政治家が社会運動を利用して名を売るのも、いたって普通のことです。この辺りは理解できるんですよ。こちらは柏崎市民ではないし、原発問題にも正直、さほど強い関心はない。だから、この市長が失脚しようがどうしようが個人的には別にどうでもいいのですが.....。

ただ、騒ぎを大きくするために、わざわざ外国まで巻き込むような方法はどうか、と思うのです。

1.ある特定のA国に自らの政治的理想を投影して、これを現実とは無関係に都合よく美化。
  ↓ 
2.国内で自らの政敵や論敵を攻撃できるようなA国絡みの揉め事を“発見”して、それをA国のマスコミ等にリークする。
  ↓
 3.A国のマスコミで報道されると、“A国の人たちは怒っているぞ!”という外圧を用いて自らの政敵や論敵を倫理的に糾弾。その際、A国内の騒ぎが実際にどのようなものであるかは大した問題ではない。
   ↓
 4.国内でもその“揉め事”に善意からコミットする人間が増え、“揉め事”は本格的な“問題”として実体化。どんどん尾ひれがついていく。
  ↓
5. 日本での騒動をさらにA国のマスコミが報道し、こちらでも問題化。これにより、本格的な“国際問題”に。
   ↓
6. この“国際問題“=さらに大きな外圧を背景に政敵・論敵を攻撃。自らの政治的勢力の伸張に利用する。

本件の場合はまだ<4>の段階までは達していないかもしれないんだけど、何かどこかでよく聞いたような話ではありませんか?

そうです。保守派が大嫌いな朝日のような左派メディアが、中国や北朝鮮・韓国を使って散々やってきた手法と同じですよ。そうした自らの党派優先の報道姿勢が、“実際の”東アジア諸国民の相互理解にいかなる害悪をもたらす結果になったかは、今さらここで語るまでもないでしょう。

今回の銅像事件が“国際問題”に発展するまでの過程を時系列的に整理すると、以下↓のようになります。

2007年7月、中越沖地震発生。倒壊の危険から、アタテュルク像は台座から降ろされる。

↓↓↓

2007年8月、かねてより銅像護持の運動を続けていた三井田市議が、自らのブログや掲示板等に倒れたままの像の写真を掲載。
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2007/08/post_20af.html

↓↓↓

2007年9月30日、産経新聞が倒れたアタテュルク像に関する記事を掲載。Web版の方には写真は無いが、新聞の方には写真も一緒に掲載された模様。

トルコ建国の父像横倒し 柏崎の文化村跡地 2007.9.30 16:43
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/070930/trd0709301643010-n1.htm

ケマル・アタチュルクの銅像横倒し 市「事業者と近く協議」 - (2007.10.3)
http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/niigata/071003/ngt0710030218002-n1.htm

↓↓↓

2007年10月8日にトルコの新聞“サバフ”紙、10月9日に“ラディカル”紙が、ネット上で銅像問題についての記事を掲載。ただし、その内容は銅像の粗末な扱いに恨み言を述べるようなものというよりは、“地震で倒れたアタテュルク像がメディアで報道されるほど日本での我らが国父への関心は高い”という意味合いのものだった。 そして、その“メディアの報道”というのは、産経以外に報じた所は無いところを見ると、どうも9月30日(か10月3日)の産経の記事のことを指すと考えて間違いはなさそう。  

↓↓↓

三井田市議、上記の二つのトルコの新聞記事を、恐らくその内容をよく確かめることなく、自らのブログ等で、“トルコの新聞で日本が非難されている!ついに国際問題となった!”と大々的に紹介。これについての詳細は後述。

↓↓↓

2009年2月、2chを中心にBBCの世論調査の結果と銅像事件を結びつけ、“トルコの親日度が低下しているのは銅像事件のせいだ!”とする騒ぎが突然起こる。J-castがこの現象を記事として紹介。

↓↓↓

2009年5月、産経がネット上で盛り上がっている銅像護持運動を記事として紹介。その際の“「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。”という記述は恐らく元の記事を照会したわけではなく、三井田市議のブログがソースである可能性高し。←イマココ

こうして見ると、マッチポンプ”とまでは言えないとしても何だか同じ当事者の間を情報が循環していることが分かるかと思います。もちろん、三井田市議と産経新聞、両者とトルコの「サバフ」紙との間で直接情報が好感されたか否かは何とも言えないのですが、件の「サバフ」紙のサイトに載っている倒れた像の写真が、市議のブログに載っていた写真と酷似している点がとりあえず気になりますね。

参考↓
三井田氏のブログ
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2007/08/post_20af.html

サバフ紙のサイト
http://arsiv.sabah.com.tr/2007/10/08/haber,8729D0E359D24EE892A589BD7C18ED3F.html

→(6)に続く