歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

ユダヤ人はなぜ日本に住まないか?(1)

2009-05-01 06:56:43 | ロシア関係

例のごとくロシアのポータルサイト“Mail.ru”を巡回していたら、こんな↓スレを見つけました。

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<教えて!ナロード>


「日本は人々の平均寿命が長く、最も技術の進んだ国だ。それなのに、どうして住んでるユダヤ人は少ないんだろう?」
原文:Почему мало евреев живет в Японии, самая высокая продолжительность жизни, самые современные технологии?
http://otvet.mail.ru/question/4478081/

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日本で普通に暮らしている人間の頭からは、あんまり出てこなさそうな疑問ですね。もちろん「そんなことはない!なぜなら日本人の祖先はユダヤ人だからだ!青森県某村にはキリストの墓があるし、石川県某所にはモーゼの墓もある!」みたいな人もいるかもしれないのですが、それはそれとしてw、「何でユダヤ人は日本に住まないんだ?」とか言われても、大多数の日本人は「いや、パレスチナって遠いし....」みたいな感じで、困惑するだけではないでしょうか。

まあ、尾岸昭著「中国・開封のユダヤ人」によれば、中国の開封には千年ほど前の宋代にイランや中央アジア方面から移住してきたユダヤ教徒のコミュニティがつい最近(といっても100年くらい前だけど)まで存在していたといいますから、歴史的に日本にユダヤ人が渡来する可能性が完全に無かったとも言えない。でも、多分この質問者が言っているのは、そういうことではないでしょう。

ロシアにおける一般的なユダヤ人のイメージは、よく言えば“賢くて金儲けがうまい”、悪く言えば“抜け目が無く、狡猾で金に汚い”といった感じか。その辺りは欧州で昔から流布しているステレオタイプと同じですね。

ロシアの社会には、帝政時代の18世紀辺りから急速に西欧文明、特にドイツの文化が取り入れられますが、その際、元々西方キリスト教圏の伝統に根ざした反ユダヤ主義思想も、一緒に輸入されたのでした。

18世紀の後半、帝政ロシアが現在のポーランド東部、ベラルーシ、ウクライナ西部にまたがる地域を併合し、実際に数百万に及ぶアシュケナージーム(=ユダヤ系ドイツ人。ドイツ語に似たイーディッシュ語を話した)を抱え込むようになると、その後政府は彼らが集住する地域を“ユダヤ人定住区域“に定めて移住の自由を禁じたり、高等教育機関への入学を制限するなど、なにかと差別的な政策を行いました。19世紀の後半に頻発した農民や国粋主義者によるユダヤ人への襲撃(ポグロム)はお上に不満を持つ農民らのガス抜きに使えるとみなしたのか、これを黙認したりもしています。

米国のユダヤ系には、先祖がこの時期にこの辺りから移住してきたという人が結構多い。ロシア革命の際、トロツキー(本名:ブロンシテイン)をはじめとするボリシェヴィキの中枢メンバーがユダヤ人ばかり(八割がたそうだったと言われます)だったのも、偶然ではありません。

そういう古くからの差別感情に加えて、ソ連時代(といっても1970年代から)にイスラエル経由で“豊かな西側”に移住できるのはユダヤ人だけであり、何かとやっかみと反感を買いがちでした。さらに、ソ連の崩壊後、ユダヤ系の実業家たちが欧米のユダヤ系金融ネットワークを利用して資金を調達して政治家を動かし、巧妙に国有資産の払い下げをうけてオリガルヒ(新興財閥)と成り上がっていったことも、大衆のユダヤ人に対するイメージを悪くしました。

ユダヤ系のオリガルヒ‐グシンスキー、ベレゾフスキー、ハダルコフスキー等が次々とプーチンに文字通り“成敗”されていった時、ロシア国民の多くが大喜びしたのは、単に政府のプロパガンダが奏功した、というだけではないように思えます。

そうした文脈を踏まえると、要するにこの質問者が言いたいのは、“ユダヤ人というのは大変抜け目がない連中で、欧米諸国やオーストラリア、イスラエルなど生活水準が高くて金がありそうな所ならどこにでも集まるが、どうして日本に居つかないんだろう?”ってことなんでしょう。

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<ナロードの答え>

回答ナロード1号
多分、入国させてもらえないだけだろ。


回答ナロード2号
日本人になりすますのは難しいんだなwww


回答ナロード3号
日本人は極東のユダ公だ!

※ユダヤ人に対する蔑称“Жид(ジード)”が使われている。なお、普通に“ユダヤ人”と言う場合は“Еврей(イヴレーイ)”。“勤勉で賢い”というユダヤ人のプラスなイメージが、日本人のそれとしばしば被るらしい。


回答ナロード4号
あんたはアフリカでは、黒人をユダヤ人とみなさないわけか。w

※日本人のユダヤ教徒って、どれくらいいるんだろう?


回答ナロード5号
日本人は、自分の国じゃ日本人しか認めないんだろ。


回答ナロード6号
俺が知る限りでは、日本人は外国人とか混血の人間を嫌ってて、そうした連中は彼の国では生きていけないって話だけど。


回答ナロード7号
あそこは人口の99.8%が日本人(大和民族)だよ残りの少数派にしてもユダヤ人にしても、日本じゃ何もできないだろ。随分と辺鄙なところでもあるしね。


回答ナロード8号
奴らは日本が嫌いなんだよ。それだけさ。


ナロード・ベストアンサー>

神道のような宗教や高い人口密度、氏族性などといった日本人の民族・宗教的な生活様式は、事実上の単一民族を生み出したんだけど、奴隷として連れてこられた“朝鮮人”や、北方に追いやられた列島の原住民“アイヌ”を除けば、ユダヤ人のみでなくロシア人など他民族はまったく住みつけなかったんだ。

※”奴隷”って.......「強制連行」ネタをさらに妙な感じに誤解している模様。まあ、一昔前までは日本社会でも全般にそのような認識だったわけで、仕方が無いかも。

で、明治維新までの日本は他国に対して国を閉ざし、嵐で難破して沈みかけた船すら寄港させなかったんだが、当時の“外国との通商禁止”、“キールを備えた船の建造禁止”といった数々の法令も、外国人の来住を妨げていたわけ。

そうした鎖国状態も、米国の提督“ピリー”(原文ママ)の強固な意志に基づく行動によって終わりを迎える。1961年(←原文ママ。なお、これが1861年でも幕府は未だ健在なのであって、どちらにしても間違っている)に“メイジのミカド”(=明治天皇のことらしい)による改革が始まり、その後になってようやく日本は発展を始めた。さらにはその発展は急速なものであり、1905年にはロシアとの戦争に勝利して樺太(サハリン)島と千島列島の全てを獲得した。(←これも間違い。千島列島は日露戦争の前から日本領だったし、樺太については南の半分のみ)。

しかしながら、今でもなお、日本人と結婚した欧州人の女性は自らの生活様式を保ち得ないほど(社会における同化圧力は強い)。

帝政ロシアのユダヤ人定住区域では、そんなことは無かった。ユダヤ人は定住区域の外に住むのを禁じられていたが、そこでは帝国の臣民全てに関わるはずの法が、ユダヤ人には適用されなかったんだ。

※“ユダヤ人定住区域“は上述の通り、今のベラルーシとウクライナ、ポーランド東部などにまたがる広い地域のこと。この辺りは、第二次大戦の前までは欧州で最もユダヤ人の多い地域でした。

ロシアの工業化が、そうしたユダヤ人に対する規制が撤廃されたストルイピン(帝政ロシア末期の宰相。日露戦争や1905年革命で動揺するロシアを建て直すため、反動的な政治を行った)の時代に、ユダヤ人が多数派を占める地域で興ったのは偶然じゃない。革命の参加者にユダヤ人が多かったのも、これが原因かもしれない

※実際には、それ以前から多くのユダヤ人が、モスクワなどの都市部に移住していました。ユダヤ系の革命家が多かったのは、一般にユダヤ人は教育熱心なことから高等教育を受ける人間が多かったのと、あと自らの置かれた差別的な境遇もあって、当時は先進的な社会改革思想であったマルクス主義に走りがちだったからだと言われます。なお、今のロシアの右翼の中には、ボリシェヴィキの指導者がユダヤ系ばかりだったことをもって、「ロシア革命=国際ユダヤ人組織の陰謀」だったと主張する人間も多かったりしますw。

当時のユダヤ人の人口は、帝国の全人口一億2千万人中、800万に及んだ。現在は23万4千人で、未成年は4%。15年もすれば、ロシアからユダヤ人は居なくなるだろう

※ロシア国内のユダヤ系人口がここまで減ったのは、ベラルーシやウクライナが独立して別の国となったのもありますが、第二次大戦中にこの地を占領したナチによる大虐殺や、その後、生き残った人々がイスラエルや北米に移住したりしたことで、人口の絶対数が減ったのも大きな原因です。なお、イスラエルなどへの移住は現在でもなお進行中。
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「ベスト・アンサー」の人の歴史的な知識の怪しさはひとまず置くとして、言ってることは他の人間とほぼ同じですね。日本にユダヤ人がほとんどいないのは、日本社会が閉鎖的だからだという…。そんなに単純な話なのか?w。

のみならず、鎖国を行って外国人の移住をほとんど認めなかった江戸時代の日本よりも、諸々の差別はありながらもユダヤ人の国内居住を認めた帝政ロシアの方がまだマシだったのだ、とでも言いたげな感じなのですが、前述のように、19世紀の後半からはユダヤ人に対するポグロムが起こる度に村が焼かれたり、人が殺されたりしてたわけで…..。彼らも別に、好き好んでロシア帝国の臣民になったわけでもなかったろうし。

そもそも、片や四方を海に囲まれた、比較的同質性の高い封建国家の連合体、片や大陸的な他民族帝国と両者の置かれた歴史的な環境は全然異なるわけで、単純に比べても意味が無いと思うんですがね。

(2)に続く。