歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(2)

2009-05-17 09:20:48 | アタテュルク像問題

→(1)からの続き

この都合の良い勘違いというか、もとい“美談”的な傾向は、上のラディカル紙の記事を引用した他の新聞の記事で、さらに加速することになります。その5日後、2007年10月14日にアップされた、日刊紙“ワタン”の記事は以下の通り。

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「アタテュルクへの敬意と日本の例」

ワタン紙 2007年10月14日 ムスタファ=ムトル記者
原文:Atatürk’e saygı ve Japonya örneği!
http://w9.gazetevatan.com/haberdetay.asp?detay=0&tarih=12.05.2009&Newsid=141764&Categoryid=4

先週、トルコの南東部から(クルド人独立派勢力との戦闘の結果)次々と送られてくる戦死者の遺体のおかげで、非常に重要なニュース(“ラディカル”紙のアタテュルクに関する記事)を見逃さざるを得なかった…。

ニュースの要約は以下の通りだ:

日本の新潟市(←原文ママ。正しくは新潟県柏崎市)における地震で、アタテュルクの銅像が横倒しとなった。地震と救出作業の混乱の中、像は倒れたままの状態で忘れ去られていたのだ。日本のジャーナリストらは、このために自国政府の対応を批判。現地の新聞に“アタテュルク像がないがしろにされている”と題した写真入りの記事が掲載されたことで、一般人の間からも“これではアタテュルクに対して失礼だ”と非難の声が生じている。

在アンカラ日本大使館も、事件に関して以下の声明を出した:

“新潟中越地震において、アタテュルク像を台座に繋いであったボルトが損傷しているように見受けられた。像を放置しておけば、落下して破損するのではないかとの懸念から、台座から取り外され、横たえられたのである。銅像をそのように放置する意図など決してなかったのであって、柏崎市は人命救助の努力を最優先せねばならなかったのだ。” 大使館は、アタテュルクが日本に於いて愛され、敬意を払われている指導者であること、また(日本人の間では)彼に対する侮蔑など、まず口の端にも上らないことなどを強調した。


何ともはや、地震が起きたというのに….

日本のマスコミはこういったことまで問題にして、自国政府の責任を問うている!….。

我が国ではどうなのか?いくつか例を挙げてみよう。

2005年2月22日
(イスタンブル市内の)カドゥキョイ地区船着場の広場にあるアタテュルク像の左足を、手に持った斧で破壊しようとしていた人物が逮捕される。


2005年8月7日
イスタンブルのアクサライ地区で、我らが偉大なる指導者アタテュルクの命により1930年に設立されたキャーティプ=チェレビー小学校の校庭にあったアタテュルクの胸像が、PKKの分離主義者の標的となる!

この狼藉者たちは、5年間に渡って夕闇にまぎれ現れては、胸像に“この狼野郎!俺たちがお前を倒す!”と落書き、逃走していたのだ。

※PKK=“クルド労働者党”のトルコ語での略称。独立クルド国家の建国とトルコからの分離を目指して活動し、その武装組織は長年に渡ってトルコの軍や警察と抗争を繰り広げている。


2005年9月30日
カイセリ(トルコ中部の都市)の第4小学校でトルコ国旗とアタテュルクの胸像が汚される。ペンキの塗られた胸像には、テロ組織(PKKのことか?)のスローガンが描かれていた。


2006年5月16日
イスタンブルのアクサライ地区にある国立小学校の校庭にあったアタテュルクの胸像に残飯をかけたとして、3人が逮捕。


2006年9月14日
エディルネ(ブルガリア国境に近い町)のハヴサ地区にある殉国教師・メフメット=ビロル記念高校のアタテュルクの胸像に、何者かによってペンキで口髭と顎鬚が描かれる


2007年4月8日
イズミル(トルコ西部の町)のカイナク公園にあったアタテュルクの胸像が破壊行為に遭う。


2007年9月16日
アダナ(トルコ南東部の都市)にあるエミネ=サプマズ小学校のアタテュルクの胸像に、ペンキで罵倒語が描かれる。


これくらいで十分だろう….。

さらに多くの例を知りたければ、グーグルで“アタテュルクの 胸像への 破壊行為”と打ち込んで検索してみればいい….。(トルコで)インターネットが広く使われるようになったこの12年だけでも、諸々の破壊の例が1030件もあったことが分かるだろう。

ここで問う必要がある。アタテュルクは、その銅像が地震で横倒しになったというだけで大騒ぎしている日本の指導者なのか?それとも共和国の建国以来、今に至るまで銅像が壊されたり、傷つけられたりしているようなトルコのそれなのか?

日本の友人たちを悲しませるな。

彼らはムスタファ=ケマル=アタテュルクの価値を、我々よりもはるかによく知る人々なのだ。

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いやいや、知らないってw。

後ほど詳しく触れますが、彼の地ではアタテュルクは国家により神格化され、その肖像画や銅像はトルコ民族主義+世俗主義の象徴として、あたかも戦前の日本の“御真影”のような扱いを受けています。それらを毀損した場合は“不敬罪”みたいな罪に問われたりする。上の記事で、“ペンキをかけて逮捕され云々”というのは、そういうことです。

そのために、“トルコ民族主義=自民族を抑圧するイデオロギー”とみなすクルド人の独立派や、世俗主義を否定するイスラーム原理主義者からは、銅像や胸像といった“いわゆるアタテュルクもの”は目の敵にされているわけですよ。だからペンキをかけられたり、壊されたりする。もちろん、中には単なる子供のいたずらもあるんだろうけど...。

要するに、トルコ国内における“アタテュルク像”というものは、

<国家=軍=世俗主義=“アタテュルク教”>
                      VS
<イスラーム原理主義orクルド民族主義>

の極めてハードな政治問題のネタになりやすいという話です。

これまで記事を引用した“ラディカル”紙や“ワタン”紙はリベラルか保守かの違いはありますが、いずれも世俗主義志向の新聞です。彼らが日本でのアタテュルク像事件を取り上げている理由も分かるのではないでしょうか?つまり、”日本ですらこれだけ尊敬されてるアタテュルクなんだから、お前らもトルコ人ならもっと尊敬しろ!そして、もっと世俗的になれ!”と説教したいわけですよ。別にこんなことでナショナリズムを煽りたいわけではなく。

この記事には、色んな掲示板でコメントがつけられています。その中の一つ“ww3.guduwap.com”は以下のような具合。 記者の意図は十分に伝わっているようです。

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<ハルクのコメント>

http://ww3.guduwap.com/forum/f56/ataturk8217%3Be-saygi-ve-japonya-ornegi-39380/

論評ハルク1号
残念だ。実に残念だ…..。我々が日本人みたいにアタテュルクを尊重できないっていうのは、本当に悲しいことだ。


論評ハルク2号
日本人たちが経済的、技術的に我々より進んでいる原因は、まさにここにあるんだ。他に何か考えられるか?十分に研究すれば、お前らもこれを認めることになるだろうな…..。いい記事を紹介してくれて有り難う。


論評ハルク3号
>日本の友人たちを悲しませるな。
>彼らはムスタファ=ケマル=アタテュルクの価値を、我々よりもはるかによ
>く知る人々なのだ。


他の部分は正しいと思うけど、これにはちょっと賛成できないな。とてもいい記事だし、日本人のことも好きだけどさ。アタテュルクの価値は、俺たち自身が一番よく知ってるんだよ。

でもさ、何とも残念なことだけど、自分自身や祖国についてよく知らない連中が出てきている。彼らに責任はない。彼らに対し、ムスタファ=ケマル=アタテュルクが何者であるか、この祖国が、この共和国がいかに困難な状況の下で建国されたか、そして、その建国に際して彼がわが民族に対していかに貢献したか、そうしたことをよく伝えてこなかった、俺たち自身が悪いんだ…..。

(以下、内輪の話が続くので省略)

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日本の経済発展の秘密は,実は日本人がアタテュルクを信奉していることにあったようです。知らなかったw。その是非はともかく、別の掲示板、www.knightonlineforum.comはこんな↓感じ。

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<ハルクのコメント>

http://www.knightonlineforum.com/ataturk-heykeli-yan-yatti-japonya-karisti-t217561.html

論評ハルク1号

銅像は銅像だ。単なるシンボルに過ぎない。大事なのは銅像ではなくて、それに込められた愛情なんだよ。だからといって、銅像が蔑ろにされていいわけでは無いけども。


論評ハルク2号
>銅像は銅像だ。単なるシンボルに過ぎない。大事なのは銅像ではなくて、それ
>に込められた愛情なんだよ。だからといって、銅像が蔑ろにされていいわけで
>は無いけども。


俺もそう思う。大事になのはそれに込められた俺たちの愛情だ。


論評ハルク3号
うちらの国の若い奴らはTVに出て、アタテュルクなんて嫌いだと言って騒いでる。日本人のアタテュルクに寄せるこの敬意と感受性を見てみろよ。この件が、うちらの国の己を知らぬ連中への教訓とならんことを。この記事を読んだときは、嬉しくもあり、悲しくもあった。

嬉しかったこと:うちらのアタテュルクが、世界の各地にトルコ人とトルコ人の威信を伝えているのが分かったこと。

悲しかったこと:日本みたいな外国ですら一言の侮辱も認められないようなアタテュルクに対し、自国の若い奴らが楯突いていること(もちろん皆じゃない。そういう己を知らぬ奴らもいるってこと)。


論評ハルク4号
外国の人間ですら偉大なる我らが指導者に対し敬意を払っているというのに、我が国のTVの討論番組に出ている、自らをトルコ人といいながらその実、己を知らぬ連中が、我らが国父に対しくだらないことを言っている。

とにかく、彼らについて色々言う必要はない。このニュースが、我らが国父がどれほど尊敬に値する人物であるか、彼らに示すことを望みたい。


論評ハルク5号
トルコに住む誰かさんたちよりもアタテュルクを尊崇しているとは…素晴らしい。


論評ハルク6号
彼ら(日本人)の目は釣りあがっているけど…何というか、GJ!


論評ハルク7号
>3号

お前の言っていることは実に正しい。


論評ハルク8号
偉大なる我らが指導者は、単に我々にとってだけではなく、全世界の国々にとっても(嫉妬して挑発的な行動をとっている国もいくつかあるとはいえ、)偉大で世界的な指導者だということだ。何と喜ばしいことだろう。

※アルメニア等のことを指していると思われる。

この世界に唯一人アタテュルクが現れ、我が民族をお救いになられた….

栄光の中で眠りたまえ…

そして、我らこそ共和国の守り手であることを知りたまえ….

我が国父よ、安らかに眠りたまえ。

※もはや“アタテュルク教”ですね。イスラームの信仰告白の実によく似ているように思えます....。

論評ハルク9号
アタテュルクについてくだらないことを言うトルコの子なんていない。いるとしたら、そいつは実はトルコ人じゃないんだ。

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駄目押しにもう一つ、掲示板http://www.forumburasi.comより。

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<ハルクのコメント>

http://www.forumburasi.com/serbest-kursu-muhabbet/45688-japon-ornegi.html

論評ハルク1号
これが文化と人間性というものだ。感謝しなければならない。もし俺たちが彼らと同じ立場にあったとして、こんなことができるだろうか?
 ★  ★  ★
アヤ=ウエトよ、君を見て以来、俺は前にも増して神を信仰するようになった。何故なら、君のような天使は神にしか創りえないものだから。

※アヤ=ウエトというのは上戸彩のことらしい。一体どこ経由で知ったんだろう?


論評ハルク2号
日本人、大好き!



論評ハルク3号
俺たちだとこんなことはできないな。自分らの価値あるものにすら注意を払わないんだからな。
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→(3)につづく


“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(1)

2009-05-17 08:15:28 | アタテュルク像問題

最近までよく知らなかったのですが、ネット上でこういう↓珍しい騒ぎが持ちあがっているらしい。産経に詳しい記事があったので、ちょっと長いですが、全文引用してみます。

「トルコ建国の父」救え 銅像の寄贈先破綻…「友好危機」ネットで署名活動 2009.5.6
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090506/trd0905060153000-n1.htm

屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化しているのを憂慮し、インターネット上でつながった有志が立ち上がった。トルコから新潟県柏崎市のテーマパークに寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)の銅像の行き先がテーマパーク破綻(はたん)をきっかけに決まらない問題が影響しているとみられ、ネット上で署名活動を始めたのだ。有志らは「1人1人が声に出して行動することで、解決に向けて前進する」と協力を訴えている。

署名活動を始めた「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。 江口さんは英BBC放送の調査で、世界有数の親日国トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転しているのを知った。その原因を調べるうちに、アタチュルク像問題に突き当たった。

アタチュルク像は平成8年、柏崎市にテーマパーク「トルコ文化村」が開園したのを祝い、トルコが寄贈した。2度の閉園で再建を断念した市は18年、トルコとの友好関係に配慮するとの条件を付け、上越市のプラスチック製品製造業「ウェステックエナジー」に像も含めて売却。ウ社は19年6月、施設を改装して結婚式場を始めたが、1カ月半後に中越沖地震が発生。倒壊の恐れがあったとして像は台座から外され、当初は屋外に横倒しにされた(批判を浴びたため、現在は屋内で保管)。「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。 

さらにウ社と柏崎市、敷地内の民有地地権者の3者の間で訴訟合戦が勃発(ぼつぱつ)。訴訟と切り離して像の譲渡を求める市に対し、ウ社はその条件として市の謝罪を要求。会田洋市長は「市が引き取ってしかるべき場所に移設したいが、市の落ち度を認めると裁判で不利になる」と対応に苦慮している。 柏崎市などに電話して問題の背景を知った江口さんらは「自分たちにできることから始めよう」とネット上に経緯をまとめたサイトを立ち上げ、4月11日からは署名活動に乗り出した。 

像の移転先に挙がっているのが和歌山県串本町だ。明治23年、遭難した軍艦エルトゥールル号の乗組員を住民総出で救助したのが縁で、串本町はトルコと100年以上にわたり交流を続けている。来年は遭難から120周年を迎え、「トルコにおける日本年」も開かれる。昨年3月にはトルコ大使館が「像の移設費用は負担するので、土地を提供してほしい」と町に要請し、町議会は全会一致で賛成したが、「裁判の結果が出ないことには動けない」(町総務課)のが現状だ。 事態打開に向け、江口さんらは訴える。「事は両国の外交、友好にまで及んでおり、まず銅像を訴訟から切り離してほしい。一致団結してトルコとの友好を取り戻そう」と。 

会は目標の署名を集めて会田市長とウ社、外務省に提出する予定。署名目標数は1万人で、5日現在で2200人を超えた。署名サイトのアドレスはhttp://www.shomei.tv/project-932.html(永岡栄治)


ここに至るまでの全体的な経緯は、この辺↓のサイトがもっと詳しいですかね。
アタテュルク像事件のまとめサイト:http://www19.atwiki.jp/torco/pages/12.html
J-castによる記事:http://www.j-cast.com/2009/02/20036358.html

自分なりにこれまでの経過をまとめると、

ある民間企業が新潟県柏崎市にトルコを題材にしたテーマ・パーク「柏崎トルコ文化村」を創設。
           ↓
 トルコと日本の交流を促進する上で有意義な試みだということで、トルコ政府が大使館を通じてアタテュルクの銅像を寄贈。
           ↓
融資元の銀行が破綻したこともあって経営難に陥り、倒産。柏崎市が土地と建物を買い取り、地元の観光業者を中心に設立された新会社に貸付け、村の運営を続けさせる。
           ↓
でも、やっぱり経営は立ち行かず。中越地震による打撃が決定打となって、その新会社も倒産。柏崎市は園内の施設を他の企業に売却したが、その際にアタテュルク像も一緒に売りとばされてしまったこれにはトルコ大使館からのクレームがつくも、売却先が「トルコとの友好関係に十分配慮するとともに、アタチュルク像の今後の取り扱いは十分、市と協議する」という条件を付けることで何とか合意。
           ↓
売却先の企業は“村”を結婚式場に改装。アタテュルク像はそのまま放置されていたが、2007年の中越沖地震で被害を受け、台座から降ろされて横倒しに。補修されること無くそのまま野ざらしにされるなど、色々と粗末な扱いを受けている。トルコ大使館はもちろんのこと、今では柏崎市も銅像の補修・移設を望んでいるらしいが、件の売却先の企業は、「売却の際の条件に食い違いがあった(“村”の敷地内には市と関係ない民有地が含まれていたらしい)」として市に対し訴訟を起こしており、両者の関係はぐだぐだな状態。直ちに市へ銅像が返還される可能性は低い。

なお、銅像は現在施設内のどこかに保管されているらしい。←今ここ

このトルコ文化村には、実は閉園前に一度だけ行ったことがあります。もう10年くらい前になりますか。東京から青春18切符を使って、日帰りで。当時、件の銅像は村の入口に立っていたのですが、タキシードを着て背中にマントを装着したアタテュルクが馬に乗っているという、何というか奇天烈なシロモノだったという印象が強いですね。

トルコ本国でアタテュルク像といえば、軍服を着て馬に乗っているか、軍服か背広で立っているかの2パターンが普通なんですよ。そちらを見慣れているからか、あたかも“ジーンズ姿のカジュアルな毛沢東像”みたいな違和感がありました。

ああいう像は、“本場”でもまず無いんじゃないか。あちらに無いということは、世界で唯一ということです。その意味では大変貴重な像だと思うのですが、まさかこんな騒ぎの元になっていようとは.....。

↓在りし日のアタテュルク像



まあ、くれた国がどこであれ、また貰った物が何であれ、柏崎市の対応はダメダメですね。もしこれの寄贈元が米国や西欧諸国、中国みたいな大国だったとしても、彼らは同じような扱いをしたでしょうか?

“俺たちはそんな差別はしない!相手がどこであれ、市場の論理に従って売りとばすだけだ!”とニヒルに言われたらそれまでなんだけど、彼らの意図はどうあれ、少なくともこの騒ぎによって、大使館の関係者や在日トルコ人の中に感情を害している方が多々おられるのは事実な訳です。何らかの感情的な手当ては必要でしょう。

↓参考:在日トルコ商工会議所の陳情書
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/files/071203_seigan.pdf


それを考えれば、銅像を和歌山県の串本町に移転するという案は良いと思います。あそこはエルトゥールル号事件以来、トルコとの交流の歴史も長い。これ以上の適地は無いですよ。

↓参考動画:エルトゥールル号と串本のことを扱ったトルコのTV番組
ただですね、一つ気になるのは、いかにこの事件がトルコのメディアで報道されたとはいっても、上の産経の記事にあるように、そのために“屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化“したとかいう話は事実なのか?ということです。

いったい何が基準で“屈指の親日国”なのかとか、そういう細かい話はさておき、現時点でいかに銅像がぞんざいに扱われているとは言え、それは地震という、ある意味“不可抗力”によるものだったわけです。別に日本人が積極的に銅像を壊そうとしたとかそういう話ではない。トルコ人というのはそれほど不寛容な人々なのか?そもそも、あちらではいかなる報道がなされたのか?

とりあえず、ネット上で確認できる事件についてのトルコのメディアや掲示板を検証してみることにしましょう。 まずは、事件について最も早く報じた日刊紙「サバフ(Sabah)」の、2007年10月8日付けの記事の全訳です。

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「倒れたアタテュルク像、日本との間に危機をもたらす」

サバフ紙、2007年10月8日 ハサン=エルシャン記者
原文:Devrilen Atatürk heykeli Japonya ile kriz çıkardı
http://arsiv.sabah.com.tr/2007/10/08/haber,8729D0E359D24EE892A589BD7C18ED3F.html
日本における“トルコ‐日本友好の村”(“柏崎トルコ村”)のあるニガタケン(新潟県のことらしい)で(2007年)6月に起きた地震では、村にあったアタテュルクの銅像も被害を受けたが、その像が台座から転落する危険があるとして地面に横たえられたことで、日土の間に危機が生じている。

銅像は長きに渡って地面に倒れたままであり、抗議が寄せられたにも拘わらず、起こされることはなかった。その地面に倒れたままの姿を日本のメディアが報道。在東京トルコ大使たるセルメト=アタジャンルはこの6トンもの銅像を引き起こし、倉庫へと移動させたのだ。友好の村は、1996年に開設されたものである。
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柏崎市による銅像の売却問題とかそうした一連の騒動についての説明は無く、ただ日本の地震で被害を受けたアタテュルク像が粗末に扱われているという話が、手短に述べられているだけですね。写真付きで。 トルコの新聞のサイトには大抵コメント欄が付いていて、読者の関心を集める記事の下にはずらずらとコメントが連なっているものなのですが、この記事のコメント欄には未だ書き込みがありません。記事がアップされてから1年半も経つというのにです。

また、グーグル等で調べてみた限り、この記事がネット上で他の新聞サイトに引用されたり、掲示板等で2次利用された形跡もほとんどない。つまり、この記事はトルコのネット民にはほとんど影響力を持たなかった、と考えてよいでしょう。

これとは対照的に、翌2007年10月9日にアップされた大手日刊紙「ラディカル」の記事は、他の新聞社のサイトをはじめとして、ネット上のいたる所で転載・引用されています。これ以降、他の新聞社が独自に記事を発信した形跡はないので、事実上、この記事こそ事件についてのトルコのネット世論を方向付けたと思われますね。以下はその記事の全訳。
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「アタテュルク像で日本が大騒ぎに」
ラディカル紙 2007年10月9日
原文:Atatürk heykeli Japonya'yı karıştırdı
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217

地震で横倒しになったアタテュルクの銅像が、日本で騒動を巻き起こしている。 日本の新潟市(←原文ママ。正しくは新潟県柏崎市)における地震で、アタテュルクの銅像が横倒しとなった。地震と救出作業の混乱の中、像は倒れたままの状態で忘れ去られていたのだ。

日本のジャーナリストらは、このために自国政府の対応を批判。現地の新聞に“アタテュルク像がないがしろにされている”と題した写真入りの記事が掲載されたことで、一般人の間からも“これではアタテュルクに対して失礼だ”と非難の声が生じている。

昨日、在アンカラ(トルコの首都)の日本大使館はこの事件に関する声明を出した。その声明において、日本政府と柏崎市長から説明を求めることを明らかにするとともに、状況がいかに明るみに出たかについては、以下のように説明した。:

“新潟中越地震において、アタテュルク像を台座に繋いであったボルトが損傷しているように見受けられた。像を放置しておけば、落下して破損するのではないかとの懸念から、台座から取り外され、横たえられたのである。銅像をそのように放置する意図など決してなかったのであって、柏崎市は人命救助の努力を最優先せねばならなかったのだ。”

日本大使館は、アタテュルクが日本に於いて愛され、敬意を払われている指導者であること、また(日本人の間では)彼に対する侮蔑など、まず口の端にも上らないことなどを強調した。

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どうでしょうか?

日本で銅像が粗末に扱われていたことよりも、それがわざわざ新聞記事になったり、またそれに世論が反応していることに力点が置かれています。つまり、日本社会において、アタテュルクはそれほどまでによく知られ、高い関心を払われているのだとトルコの読者に強調したがっているわけです。実際には、そんなことはないんだけど。

全体としては“日本人というのは、地震で困っているにも拘わらずアタテュルク像の安否を気遣ってくれるような感心な人たちだ”と、どちらかと言えば“美談”のような、好意的な調子でまとめられているのが分かるかと思います。

ブルサ(トルコ西部の都市)の掲示板”Life in Bursa”には、以下のようなコメントが付いていました。いずれも好意的です。というか、いかに熱心なアタテュルクの信奉者でも、これを読んで“日本人は許さん!”みたいに反応する人って、そうそういないんじゃないでしょうか。

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<ハルクのコメント>※ハルク(Halk)=トルコ語で“人民”の意。
http://www.lifeinbursa.com/haberx/24606/32/ataturk_heykeli_japonyayi_karistirdi.htm

論評ハルク1号
日本にアタテュルクの銅像なんてあったんだなあ……知らなかったよ。


論評ハルク2号
日本人は大したものね。向こうにアタテュルク像があるなんて知らなかった。


論評ハルク3号
日本人たちは俺らのアタテュルクを俺ら以上に気にかけている。何と素晴らしいことか。

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(2)に続く