歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

ユダヤ人はなぜ日本に住まないか?(2)

2009-05-05 15:48:37 | ロシア関係

(1)からの続き

こんなの↓もありました。
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<教えて!ナロード>


「ところで、日本と中国にユダヤ人って住んでるの?」

原文:а в японии и в китае евреи живут?
http://otvet.mail.ru/question/19864076/


<ナロードの答え>


回答ナロード1号

どこにでも住んでるでしょ!


回答ナロード2号
ユダヤ人はあらゆる所に住んでいる!!


回答ナロード3号
当たり前だろうが!


回答ナロード4号
中国については知らない。で、日本なんだけど、あそこはユダヤ人のいない国だ....

※前回の記事にも書いた通りで、中国には千年くらい前からユダヤ人が住んでいます。中にはキリスト教やイスラームに改宗した人もいますが、現在でも僅かながら残っている模様。


回答ナロード5号
あの人らはどこにでも住んでるでしょwwww。ヨーロッパにも、もうどんだけ居るんだか!考えてもみなさいよ。なにせ名前が“ヨーロッパ”なんだから....。

※ ロシア語でヨーロッパは「イヴローパЕвропа」、ユダヤ人は「イヴレーイЕврей」と語感が似ていることから、それら2つの言葉を引っ掛けた駄洒落。「ユダヤ人だらけのヨーロッパ=“ユダロッパ”」なのだと言いたいらしい。実際には、世界で最もユダヤ人の人口が多いのはイスラエル(700万くらい)で、二位が米国(600万くらい)。昔はともかく、今の欧州にはそんなに沢山住んでるわけではない。


回答ナロード6号
住んでるけど、数はとても少ないな。あっちの言葉はすごい難しくて、ちゃんと聞き取れるまで最低2年はかかるぞ

※一般人の間では漢語と日本語は大体ごっちゃになっていて、また必要以上に難しい言語だと考えられています。


回答ナロード7号
住んでるとも、あんた。住んでるんだから、住みたいように住ませてやれよ。


回答ナロード8号
住んでるよ。目は細いけどな

※人種的偏見がらみのつまらんジョークのようですが、写真で見る限り、中国のユダヤ人の顔は実際にアジア顔だったりします。


回答ナロード9号
住んでるけど、何か?


回答ナロード10号
日本には、実質住んでないな....。中国の方は、小さなコミュニティがあるほとんど同化されかかってるけど.....。

※近年はイスラエルへの移住者もいるらしい。しかし、状況を正しく把握しているところをみると、この人はユダヤ系でしょうか?


回答ナロード11号
ユダヤ人はどこにだっているんだよ。アフリカにすらなwww


回答ナロード12号
何だか、ガチに親ユダヤ的な意見が出ているみたいだな。奴ら絡みの問題は山のようにあるんだが。一体どうしたんだ?羨ましくて仕方がないのか?俺たちよりもユダヤ人が賢いってことが?


回答ナロード13号
どこにでも住んでるけど、族際結婚の結果、生まれてくるのは漢人だってことになる。このことは、彼らの律法書にも書いてあるよ。

※母親が漢人だと子供も漢人になるということか?


回答ナロード14号
彼らはカフカス地方にまで住んでるよ。その名も“山岳ユダヤ人”=“カート人って言うんだけど。

※ 正しくは「タート人」。イラン系のタート語を母語とし、容貌は欧州方面のユダヤ人とは大分違います。もともとカスピ海の西側に位置するダゲスタンの山岳地帯に住んでいたことから、「山岳ユダヤ人」とも呼ばれますが、実際のタート人にはユダヤ教を信仰するグループと、イスラームを信仰する集団がちょうど半々くらいの割合で存在。


<ナロード・ベストアンサー>

日本には本当にいないよ。向こうでまだ15世紀頃に、賢明なる日本の皇帝(=天皇のこと)がキリスト教に心酔しユダヤ教の信仰を禁じてしまったんだ

※ 15世紀といったら室町時代か。それまでの日本にはユダヤ教徒がごろごろ居たんですね。全然知りませんでしたよw。これも“教科書が教えない歴史”なのかwww。

彼は他のスレでは「俺はユダヤ人が嫌いだ!」とか「もし自分の町でゲイ・パレードがあったら、自宅の屋根から狙撃してやる」みたいな書き込みをしていました。w

アイコンもこんな感じで↓非常に怪しいw。



しかし、日本人から見た感じ、あちらの人間と言うのはどうも鍵十字と“卍”の違いに無頓着な気がしますね。何度かネオナチみたいな奴らがデモをやってるのを見たことがありますが、その際に彼らが掲げていた旗は皆卍”にちょこっと毛の生えたようなシロモノでした。ハーケン・クロイツではなく。

心の中で、「お前らなんかナチじゃない!単なる仏教徒だ!」と何度叫んだことか。

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まあ、「鎖国」から「天皇による禁教令w」まで、その理由については色々と意見が分かれるとはいえ、“日本にユダヤ人はいない(もしくは、いないに等しい)”というイメージは多くのロシア人に共通しているようです。

実際にはどうなのか?

外務省HPによれば、日本での在留イスラエル人の数は600人。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/israel/data.html

これにユダヤ系の欧米人を加えれば、その数は多くて2000人くらいでしょう。日本在住の外国人の中ではそれほど多いとはいえない。

ただ、我々が普段メディアでよく目にする、“日本語が異様に流暢な白人”には意外とこのユダヤ系が多かったりします。数学者兼大道芸人のピーター=フランクル然り、モルガン・スタンレー証券の人然り.......。

一番馴染み深いのは、“ヤキソバンの敵”(但し、サンコンでは無い方)でしょうw。 もちろん、この人に関しては実は生粋の日本人で、髪は染めてパーマをかけてるだけだとか、実家は埼玉県の春日部にあるとか、その近くのコンビニで“投稿写真”を立ち読みしている姿が目撃されたとか、そういう噂も多々あるんだけれどもw…。

参考映像:ヤキソバンと闘うヤキソバンの敵


というか、“明治以降、日本の近代に深く関わった欧米人”みたいなもっと広いくくりで考えても、やはりユダヤ系の数は多いらしい。

こういうもの↓がありました。

参考:ウィキペディア“日本に関わったユダヤ系の著名人一覧”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA


知識人や芸術関係者が目立ちますね。そもそも、ロシアでも欧米でも知識人や芸術関係者の中でユダヤ系の占める割合は、人口比から言えば昔も今も非常に高い。まさに上のコメントにも出てきた「賢い(もしくは狡賢い)ユダヤ人」のイメージそのままですが、これは彼らが、一般に子弟の教育に熱心なためだと言われます。

その背景には、歴史的に彼らは都市部に住んで商業や金融を生業としたがために、後継者の教育への投資が不可欠だったという事情があるとかないとか。近代日本は懸命に西欧文明を吸収し続けてきたわけですが、その欧米の側からの伝達者の中にユダヤ系の人々が含まれたのはある程度自然なことだったのでしょう。

ところで、上でコメントしているロシア人は多分ほとんど知らないと思うのですが、つい90年ほど前の大正時代、日本に住むユダヤ人の数がいきなり激増したことがあります。それも、大半が旧ロシア帝国の領域から革命を逃れ、満洲経由でやってきた難民でした。いわゆる、“白系ロシア人”というやつです。

“白系ロシア人”という言葉は、どうも現在の日本では“白人のロシア人”だと誤解されがちなのですが、この“白”は肌の色ではなく政治的な“赤”(=共産主義)の対語です。といっても、“赤”じゃないから即、ガチガチの“反革命・帝政論者”というわけではなく、実際には西欧的な自由主義者からボリシェヴィキではない穏健な社会主義者まで含んだ雑多な集団でした。

また、かつての帝政ロシアは旧ソ連以上の版図を持つ多民族国家であり、“ロシア人”の中にはウクライナ人やユダヤ人、カフカスの諸民族など他の民族も大勢含まれていたのです。

ちなみに、ロシアのユダヤ人にはドイツ語っぽい姓を持つ人が多いですが、これは、彼らがかつてイーディッシュ語(ドイツ語に近い言語)を使っていた頃の名残です。ドイツ系ロシア人というのもいるにはいますけど、ソ連の崩壊後はドイツへの「帰国」が進み、今ではその数はかなり少ない。世間的にはドイツ語っぽい姓=ユダヤ系と思われることが多いですね。

そういうわけで、正しくは“ボリシェヴィキが嫌いな旧ロシア帝国遺民”とでも言うべきだったのかもしれませんが、当時の日本人には彼らの細かい違いなど分からないわけで、みな一様に“帝政護持派”“ロシア人”ということにされてしまったのでした。

これら“白系ロシア人”たちはさすがにボリシェヴィキに目の敵にされるだけあって、いわゆる“富裕階層”の出身者、つまり貴族や地主、軍人、官吏や商工業者、芸術家などがそろっていました。帝政時代のロシアにおいては、貴族は日常的にフランス語で話し、フランス料理を食べて暮らしており、一般の富裕層はそこまではいかずとも、かなり西欧化された生活を送っていたらしい。国民の大多数を占める、素朴でロシア的な生活を送る農民たちとは完全に別の世界に暮らしていたというわけです。

そうした全般に教育程度が高く、洗練された西欧文化の粋を身につけた人々は、大正‐昭和初期の日本文化に多大な影響を与えることになります。

これについては澤田和彦著「白系ロシア人と近代日本文化」が詳しいのですが、

この↓サイトに本の要約あり。
http://www.nichiro.org/12_jigyou/sympo_2002_5sawada.html


特に変化が大きかったのは、芸術面、特に西洋のクラシック音楽やバレエでした。ロシアのそれは当時からレベルが高かったのですが、日本に逃れてきた“白系ロシア人”の中には、そこの第一線で活躍していた名ピアニストやヴァイオリニスト、指揮者等が大勢いたのです。彼らは日本の聴衆に向けたコンサートを開くのみでなく、東京音楽学校(後の東京藝大)等で若き日本人演奏家の指導も行いました。受容からまだ半世紀足らずであった日本の西洋音楽は、これによって飛躍的に発展することになります。

で、例の如く、その中にはユダヤ系のロシア人やウクライナ人が含まれていたのですよ。例えば、ウクライナの生まれの指揮者、エマニエル・メッテル(1884-1941)はロシアの帝室音楽院の教授を勤めたほどの人物で、来日してからは当時の大阪フィルや京大フィルなどを監督しました。クラシック(というかブルックナー?)好きなら誰もが知ってるであろう著名な指揮者、故朝比奈隆の師匠です。作曲家・服部良一(服部克久の父親)の師でもある。その妻は、宝塚歌劇団で舞踏の指導を行ったといいます。

当時、世界的なピアニストであったレオ=シロタ(1885‐1965)もまたウクライナ出身のユダヤ人で、こちらは東京に移住して、そこで東京音楽学校の教授などをつとめるのですが、日本の音楽界のみならず、日本の社会全体に及ぼしたインパクトの大きさという点から言えば、幼少期を日本で過ごした娘のベアテ=シロタ・ゴードン(1923-存命中)の方が有名かもしれない。

この人は日米戦争の直前に米国の大学に留学し、卒業後はそのまま米国籍を取得。その後、日本語が堪能である点を買われて、何とGHQの民生局の一員として戦後の日本に舞い戻ってきます。

そして、何と若干22歳にして日本国憲法の草案作成に参加するという…。

憲法第24条の男女平等の規定は、彼女が押し込んだものらしい。
http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/info/beate/beate.html

長々と書いてきましたが、要するに何を言いたいかというとですね、件の掲示板のロシア人たちが言う通り、日本に住むユダヤ人の数はほぼ居ないに等しいくらい少ないものの、全体として日本の近代文化に与えた影響は、人口の割には意外と大きなものがある。ただ、彼らは日本人からは一般に“ロシア人”や“ドイツ人”、“米国人”あるいは単なる“白人”だと看做された(ている)ため、それがユダヤ人によるものだと意識されることはほとんど無い。といった感じでしょうか。

なお、ロシア革命後、約20年間にわたって日本や満洲で暮らしていた“在日・在満ユダヤ人”たちは、第二次大戦における日本の敗戦とともに米国や豪州へと移住していきました。“ユダヤ人は何故日本に居付かないのか?”という問いの答えは結局よく分かりませんが、あのまま敗戦が無ければ、彼らのうちの幾家族かは東京やハルビンに定住していたのかなあ、という気はしないでもないです。