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歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(中編)

2009-06-27 00:37:26 | トルコ関係

→前編からの続き

あれですよ。これらの記事を信じるならば、日土関係悪化の種は既にエルトゥールル号の来航とともに蒔かれていたことになります。オスマン宮廷から送られたロボット(?)を蔑ろにし、またその優秀な技術をパクっておきながら、それをひた隠しにして技術大国を自認する日本に対し、トルコ人たちは心から怒りを感じているに違いありませんw。

近年のBBCの世論調査にも、日本人のそうした態度が影響しているのは間違いない!w原因は思わぬところにあったのですよ。日土関係の危機を本気で憂慮している人たちは、アタテュルク像なんかにうつつを抜かしている場合じゃありません。直ちに盗まれた“アラーメット”の捜索に取りかかりましょう!w

まあ、そういう与太話はいいとして、この記事に対するあちらのネット民の反応はどうでしょうか?“haber⑦”のこの記事の掲示板には、まだ何日も経っていないのに、既に大量のコメントがついていました。驚くべき関心の高さです。

こんな“トンデモ記事”wにどうして?と訝しく思う人もいるかもしれませんが、実はこの手の話題は、彼の地では世俗派とイスラーム派の間に横たわる“歴史認識”問題のど真ん中にヒットしがちなのです。

もちろん、“アラーメット”はロボット否か?といったことではありません。あれはただの“形代”なのでw。重要なのは、その“背景”の方です。

現在のトルコ共和国の公的な歴史観においては、アブデュルハミト2世(在位1876-1909年)は、基本的に悪者扱いです。オスマン帝国が列強の半植民地のような状態に陥っていたにも拘わらず、自己の権力を維持するために、議会を閉鎖するなどして改革を阻害。カリフ(イスラーム世界の指導者)としての宗教的な権威を最大限に活用しながら専制政治を行い、帝国の停滞と破滅を招いた張本人ということになっている。

また、自らに反対する者や改革派を権謀術数を用いて大量に粛清したことから、“赤い(血まみれの)スルタン”とも呼ばれます。日本の幕末史でいえば、ちょうど井伊直弼みたいなポジションかw。

ちなみに、例の”エルトゥールル号事件”は、そういう暴君が汎イスラーム主義的な宣伝と国威の発揚のために、”老朽船を無理やり駆り出して行った国費の無駄遣い”みたいな位置づけですね。船は一応日本まで達したとはいえ、具体的な外交関係の進展はちっともありませんでしたから。

ただですね、そうした評価というのは確かに真実の一面をついてはいるものの、そのアブデュルハミト2世をクーデターで退位に追い込んだ“統一と進歩委員会”(=青年トルコ党。若き日のアタテュルクもその一員だった。)や、同じ流れで最終的に帝政を倒したアタテュルク+世俗主義体制を“正統化”するために、敢えてネガティヴな点ばかりが誇張されてきたような所もあるわけです。

まあ、政治的な体制転換があった場合、新しい体制が“いかに自分らの支配がマシなのか”を強調するために、旧体制下の社会を暗黒時代として描いたり、また都合の悪いことは全てそっちの責任にしてしまうのは万国共通ですけどね。

我らが日本でも、明治以降は“江戸時代=武士が自由に町人を切り殺し、農民からも好き勝手に年貢を搾り取れた北斗の拳のような世界w”とされたり、第二次大戦後には“戦前=戦時中=軍部に支配されたリアル「はだしのゲン」の世界”ということになったりしたではありませんかw。

現実には、アブデュルハミト2世の時代は意外と社会が安定し“上からの近代化”が進んでいたという話もあります。その専制を倒した“統一と進歩委員会”の中心は若手の将校団でしたが、彼らにしても国家の側が設立した士官学校で世俗的な教育を受けることで、近代思想や政治的な知識を吸収できたわけで。

考えてみれば、オスマン帝国を第一次大戦に参戦させて滅亡に至らしめたのも、アブデュルハミト2世ではなく“統一と進歩委員会”の3トップ(エンヴェル、ジェマル、タラート)、つまり彼を倒した側の連中でしたしね。

エンヴェル・パシャ(1881‐1922)

出典:wiki

で、最近では民主化が進んで言論の締め付けが緩んだこともあってか、イスラーム主義的な人たちを中心にこのアブデュルハミト2世が盛んに持ち上げられ、その時代が再評価されるようになっています。いや、“理想化”といった方が正しいかもしれない。

というのは、彼らは今の世俗主義体制とそれをうち建てた張本人であるアタテュルクが大嫌いなんですよ。大嫌いだから、革命なんかおきずにイスラームを国教とするオスマン帝国が存続していた方が、トルコの社会は今よりもっとマシなものになっていた筈だ、と(少なくとも彼らは)思いたがっている。

それゆえに、世俗主義者が生み出した共和国の“正史”の下に埋もれているアブデュルハミト2世期のポジテイヴな側面の掘り起こしに熱心なのです。エルトゥールル号の日本遠征もここでは”壮挙”とされているみたいですね。最近、エルトゥールル号関係の本がまとめて出版されたり、またTVなどのメディアが扱う機会が増えた背景には、そのような雰囲気の変化があるのかも。

その中には見るべき発見もあったりするのですが、往々にして無茶しがちなのがちょっとあれですかね。

特に、“オスマン帝国が存続したままではトルコの近代化は不可能だった”という正史=世俗主義者の主張に対抗するためなのか、“それは現代人の技術者が数千人単位でタイムスリップでもしないと無理なんじゃないか?とか、一体どこの「紺碧の艦隊」ですか?”と思わずツッコミたくなるくらいにファンタジーな“オスマン社会の近代性”を平気で語ったりするのです。

その辺りは、韓国の民族主義者が“日帝支配下の近代化”を否定したいがあまりに、“そんなものは昔からあったんだ!”と、李朝や大韓帝国時代の社会が今の韓国のそれと変わらないものであったかのように語るのと似ているかもしれない。

そういうわけで、この記事を書いた人もその手の思想の持ち主だと考えてよいでしょう。アブデュルハミト2世の時代は、そういう優れた”ロボット”を自前で作り、文明開化中の日本人に気前よくあげられるくらい素晴らしい社会だったといいたいわけです。

記事をよく読むと、アブデュルハミト2世が直接関わっていたり、時計の“鐘の音”(キリスト教のシンボル)の代わりにイスラーム的な“アザーン”が使われていたり、ロボットの存在が忘れられていた原因が共和国時代の言語改革に帰せられていたり、とイスラーム志向の大衆の心をつかむための仕掛けが、至る所にしてあることが分かります。

中でも最大の仕掛けは、時計職人が神秘主義教団の一つであるメフレヴィー教団のデルヴィッシュ(修道僧)であり、時計そのものも教団のメンバーがセマー(旋舞=祈祷)する様を模して作ってあるということでしょう。

オスマン時代、各種の神秘主義教団(タリーカ)はスルタンの庇護を受け、民衆の間に絶大な影響力を持っていました。それだけにアタ手ュルクからは危険視され、まっ先に弾圧の対象となりますが、その後色々と姿・形を変えながら生き残り、今なお大衆には深く浸透しているのです。

アブデュルハミト2世+メフレヴィー教団というのは、かなり強力なコンボなのですよw。

前置きが長くなりました。以下は“haber⑦”の掲示板です。とにかく数が多かったので、同じような内容のものはなるだけ一つにまとめました。

後編(その1)に続く→


我がオスマン帝國の科學力は世界壱ィィィィイ!(前編)

2009-06-25 02:03:37 | トルコ関係

ネットでちょっとエルトゥールル号関係の情報を漁っていたら、トルコのニュース・サイト“haber⑦”で驚くべき情報に出くわしたので、思わず訳してしまいました。もしこれが本当だとしたら、日本の技術史は根底から覆されることになりましょうw。

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「日本で最初のロボットは、アブデュルハミト2世の贈り物だった」
原題:Japonlara ilk robot Abdülhamit'ten
http://www.haber7.com/haber/20090620/Japonlara-ilk-robot-Abdulhamitten.php

アブデュルハミト2世が、1889年に日本へロボットを贈っていたことが明らかとなった。“アラーメット(オスマン語で「奇跡」もしくは「勲章」の意)”と名づけられたその人型ロボットの特徴は、セマー(旋踊=イスラーム神秘教団の修道法の一つを踊りながら半メートルの歩行が可能。さらには、時間ごとにアザーン(イスラームにおける礼拝時の呼びかけを唱えることができるというものだった。

メフメット=ルファット=イェエン記者

参考;アブデュルハミト2世(在位1876-1909年)


出典:wiki

参考:アザーン


参考:セマー(旋踊) を踊るセマーゼン(セマーの踊り手)


オスマン帝国末期の歴史に汚点を残したとされるスルタン(皇帝)、アブデュル=ハミト2世が、今日、技術的な先進国である日本に対し、1889年の時点でロボットを贈っていたことが判明した。人型に作られ、“アラーメット”という名を持つこのロボットの性能は完璧だったという。

研究者にして作家であるオクタン=ケレシュの書庫にある“アラーメット”の生写真は、ユルドゥズ宮(宮殿の一つ)で起きた火災で損傷を受けてはいるが、その焼け残りですら、120年を経て初めて公になったこの事件を語るには十分だろう(この写真については後述)。


<鐘の代わりにアザーンの声>
この歴史的事件は、スルタン・アブデュルハミト2世の同時代人であった日本の明治天皇の甥、小松宮が、船にてイスタンブルに来訪。スルタンに様々な贈り物をもたらしたことから始まった。

小松宮が宮殿にてもてなされた後、1889年にもイスタンブルに特使を送った天皇は、アブデュルハミト2世に日本の最高位の勲章“大勲位菊花大綬章”を始めとする様々な贈り物とともに、一通の書簡を送った。

その書簡の内容は、アブデュルハミト2世に対し、イスラームという宗教や科学技術の発展のさせ方、各種のワクフ(宗教基金)、慈善機関などの諸事について、フランス語か日本語にてその情報の提供を求めるものだった

※小松宮がイスタンブルを訪問したのは事実。しかし、日本側からイスラームや技術についてオスマン朝からの情報提供を求めた事実は無い。

アブデュルハミト2世は、時計のメカニズムに詳しく、またイェニ・カプのメヴリハーネ(神秘主義教団の道場)で時計職人をやっていたムーサー=デデに、未だかつて存在したことのない作りの時計を製作するよう求めた。

デルヴィッシュ(神秘主義教団の修道僧)でもあったデデが、

“この時計はセマーゼン(「セマー」の踊り手)の形にしましょう!そして、一時間単位で手を広げてセマー(旋舞)を踊り、鐘が鳴るようにするのです。”

と案を出したのに対し、アブデュルハミト2世は、計画について詳細に研究した後、鐘の代わりにロボットに毎時アザーンを唱えさせるよう、求めたのだった。

オクタン=ケレシュによれば、ロボットが製作される少し前にグラマフォン(蓄音機)が発明されていたので、音声を記録するのは可能だったらしい。

<“アラーメット”は同音異義語である勲章(アラーメット)と混同されていた>
ケレシュによれば、エルトゥールル号によって日本へと送られた“アラーメット”が、これまで知られていなかったのは、史料の中にあった同音異義語と混同されていたからだという。

“歴史的な文書だと、「オスマン帝国の各種の勲章が、贈り物とともに日本の天皇に献上された、という具合になっています。オスマン語だと、”勲章“は“アラーメット”であり、まさにこのロボットの名前と同じですから、混同されてしまったのでしょう。“

※ 現代トルコ語だと勲章は“ニシャン”。

オスマン語はオスマン帝国時代に宮廷を中心に使われていた書き言葉で、アラビア文字でつづられていた。その語彙は9割以上がアラビア語やペルシア語からの借用語で、文法的にも両言語の要素が多分に混じっている。現代トルコ語は、トルコ共和国時代に行われた“言語改革”で、そうした語彙や表現をかなり強引にトルコ語固有のものに置き換えたものであり、ほとんど別の言葉だと考えるべき。

日本語に例えると、ちょうど漢語・漢文的表現を徹底的に排除し、その代わりに大和言葉や大和言葉を組み合わせて造語された新語(例:飛行機→とびもの、学校→よみどころetc…)それに英仏からの外来語を代わりに使っているような感じ。
お陰で、オスマン時代に書かれたものをアラビア文字からラテン文字に直したとしても、普通のトルコ人はそれを満足には理解できない


アブデュルハミド2世は、その時代の技術の精華であったこのロボットを、特別書簡や贈り物、それに勲章などとともに、エルトゥールル号に乗せて日本の天皇のもとへと贈った。その帰路で、船は台風によって450人の乗組員とともに、海に沈んだのだった。


<120年前の発見>
ケレシュは、作られたロボットの特徴を次のように挙げた。

“セマーゼンの形をしていて、普通の人間の背丈に近い大きさを持ち、時計も付いたロボットです。胴体は台座に据え付けられている。そして、時間ごとにセマー(旋踊)を踊るのですが、この際は腕が上がり、銀板で作られたスカートが広がります。同時に、ロボはアザーンも唱えるのです。”

”これらの動作を行うときは半メートル前に進み、回転するようになっていました。アザーンを唱え終わると元いた位置に戻り、スカートと腕が下がるというわけです。その全身は金と銀で装飾され、胴体の後ろの部分にはネジがついていて、それを7日に一ぺん回すようにできていました。”

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日本のロボット工学者に、二足歩行の人型モデルの開発に拘る人が多いのは、昭和期からTVで放映されてきた“ガンダム”シリーズなどのロボットアニメが影響しているからだ、という説がありますが、多分そんなのは嘘っぱちですねw。

日本の人型ロボットの起源は、実はオスマン帝国の技術の粋を結集して製作された“アラーメット”にあったわけですw。エルトゥールル号事件というのは、日土の友好がどうこうとか言う以前に、日本の技術史を根底から変える重要な節目だったことになる。

こうした重大な事件が今の日本人に知られていないのは、まさしく日本民族の団結力を奪うためにその歴史を改竄するという、GHQやコミンテルンの陰謀が功を奏したからに違いありませんw。是非とも歴史の教科書に載せるべきでしょうw。

ところで、このニュースは大手紙の“ミリエット(共和国)”紙を含む国内の色んな新聞に配信されているようで、例えば日刊紙の“ブギュン(今日)”では、ホンダの有名な人型ロボット“アシモ”の写真とともに、

“アシモの父はトルコ製だった”

という煽り文句までつけられています。

“ブギュン”紙の表紙。ロボットの件に関する見出しは右上に見える。

http://www.netpano.com/haber/3492/Haberimiz/Medya/Manşetlerinde

またこの新聞は、当時、帝国内で出回っていた雑誌にもロボットが見られるとしています。
http://www.bugun.com.tr/haber-detay/72272-dunyayi-sasirtan-osmanli-robotu-haberi.aspx

↓サイボーグ化されたオスマン人


↓後のアナライザーである(嘘)


とりあえず、“haber⑦”のサイトに掲載されていた、火災による焼失を辛うじて免れたという“アラーメット”の生写真を見てみましょう。

↓”アラーメット”(写真右側)



………………….。


いや、これは……………..。


アシモ(本物)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/05/HONDA_ASIMO.jpg




アシモの父じゃない........。

アシモの血族じゃないよ.........。


というか、写真じゃないだろう、これはw。どこの形代だよw。

このペラペラしたシュールな物体が時間ごとに上半身を回転させ、アザーンを朗誦するとしたら、ちょっと困りますね。怖すぎる。夢とかに出てきそうです。

横に立っているトルコ帽(フェズ)の男が大きなネジの様なものを持ってますが、きっとこれで動力源であるゼンマイを巻くのでしょう。蓄音機とどのように繋がっているかは謎。足が一本しかない様に見えるのも気になる。下に車輪でもついてるのか?だったら、無理せず“ガンタンク方式”でいいではありませんか。職人からも“偉い人には分からんのですよ!”とか言われてそうですw

あと、イスラームの礼拝は宗派にもよりますが、基本的に1日3~5回のはずで、1時間ごとにアザーンが鳴り響く環境って宗教的にいかがなものでしょうか。アブデュルハミド2世は一応カリフでもあるはずなんだけど…等々、次から次へと疑問が沸いてくるのですが、そういう細かいツッコミはとりあえず置いておきましょう。

そんなことよりも、もし仮にこれが実在したとして、そもそも“ロボット”と呼べるのかという話です。この記事を読む限り、作った人もアブデュルハミト2世当人も“時計”と言ってるではありませんか。だったら、“時計付きの人型ロボット”というよりは“人型時計”、いやより正確に言えば“からくり時計”でしょう。

で、ゼンマイ式のからくり時計に関していえば、東芝の創始者として有名な“からくり儀右衛門(田中久重)”の例を挙げるまでもなく、日本には江戸時代からの技術の蓄積がありました。

ましてや明治維新から20年が経過し、既に近代化が軌道に乗りつつあった当時の日本では、こういう怪しい時計の出る幕は無かったでしょう。でも、大部分のトルコ人はそんなの知らないんだろうなあ…..。

参考:江戸時代の伝統工芸―からくり人形総集編


それにしても、この“ロボット”の存在がオスマン側の史料で確認できないのはトルコの言語改革により生じた混乱wによるものだから仕方がないとしてもwww、明治天皇に献上されたのであれば、日本に現物が残ってないとおかしい訳です。

この記事ではその辺のことについては何も触れてないのですが、他のニュースサイトで“アラーメット”のその後の運命まで言及している記事がありました。全体的な内容はほとんど同じなので、とりあえず、その部分だけを訳してみます。

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「今日の日本のロボット技術は誰のお陰なのか?」
原題:Japonya bugünkü robot teknolojisini kime borçlu?
http://www.tumgazeteler.com/?a=5163746


.…しかしながら、それでもいくつか疑問が生じるかもしれない。例えば、日本人はどうしてこのロボット(“アラーメット”)を贈られたという事実を公にしなかったか?といったことだ。この問いには、次のような答えが考えられる。

当時、日本の皇室は混乱していた。皇居やいくつかの宝物殿も略奪に遭い、“アラーメット”もその混乱した時期に略奪者の手に渡ったとも考えられる。

もう一つの疑問は、当時の日本の時計会社が、“アラーメット”にインスパイアされたか否か、だ。例えば、”セイコー社”の時計工場は1892年に設立され、1899年に初のアラーム時計を市場に出している。そして、キンタロー=ハットリによってセイコー社が設立されたのは1881年。

知りたいのは以下のようなことだ:

・“アラーメット”はこれらの時計に影響を与えたのではないか?

・(セイコー社の時計に)“アラーメット”の上に刻まれていた7人の時計職人の頭文字がどこかしらに残ってないか?

・“アザーン”時計(目覚まし時計の要領でアザーン朗誦装置のついた時計はイスラーム圏ではよくみかける。中国製が多い)発祥の国が日本であることに関して、“アラーメット”の影響はどの程度あるのか?

それらの答えは分からないが、一つだけ確かなことは、アザーン朗誦機能を備え、かつロボットとみなされる時計を最初に世界に送り出したのは、アブデュルハミト2世だということだ!

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皇居って略奪に遭ったことがあったんですね。全然知りませんでしたよw。“当時”というのが一体いつのことを指すのかよく分かりませんが、近代日本でそういう機会があり得たのは、多分第2次大戦直後の混乱期だけでしょう。持ち去ったのはGHQに違いない!その目的は…(以下略)。

この記者によれば、“人型ロボット”のみならず“セイコー社の時計技術”もその起源はオスマン帝国にあるらしいw。“アザーン時計”もオスマン製の時計に触発された日本人が世界に広めたものなんだそうなw。そうだったのかwww。

参考:アザーン時計


中編に続く


二コ動とトルコと大本教団

2009-06-12 05:45:47 | トルコ関係

何かですね、この頃、本ブログで延々と続いている一連の記事の名「“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?」とまったく同じ名前の動画が二コ動にアップされている、知らせてくださった方がありました。

早速探してみたら、こういう↓ものが見つかったわけで….。


えーと……何だこれは?

まず最初に断っておきますが、

本ブログは、この動画とは一切関係ありません

動画の内容は見ての通りで、トルコの新聞に載っていたと思しき、“目を横に引っ張って釣り目にしたあちらの小学生の写真が延々と続きます。

写真の見出しには“Japonların ataları Dadaşköylü çıktı(日本人のルーツはダダシュキョイにあった)とあるのですが、どうやら動画の作成者はそこに“Japon(日本人)という言葉が入っているのを見て、日本人を人種的に揶揄する写真だと思ったらしい。

で、何らかの原因でトルコが嫌いなこの人は、この写真と例の倒れたアタテュルク像を組み合わせ、“お前ら色々騒いでいるけど、これこそがトルコ人の本音なんだよ”といった感じの動画を作って二コ動にアップ。巷の嫌土感情を煽っているようなのです。

そういう動画にこちらの一連の記事名が冠されているというのは、どうも何か勘違いされているみたいですね。よく読んでいただければ分かると思うのですが、ここは別に“反土ブロク”ではありませんw。

自分がしつこく批判しているのは、あくまで政治的に動員されやすい“脳内トルコ人と脳内日本人”間の怪しい友好なのであって、リアルな日本人とトルコ人が仲良くするのには大いに賛成なわけです。

ただ、そのためにはもっと冷静に現実を見るべきかと。日本は米国ではありませんから、人々の間に具体的な“親日”とか“反日”の感情が存在するのは、多分、東アジア限定の話だと思います。その中でも、文化・経済的な関係が密接で、またそのナショナリズムが発動される要件に日本の存在デフォルトで入っている分、中・韓の場合はそれが突出している、ということでしょう。

それ以外の地域に関して言えば、大体東アジア諸国の区別なんてものは曖昧で、日本が好きか?嫌いか?というよりも、関心を持つ人が多いか?少ないか?、という話になるように思えます。ある人は物凄くあるんだけど、それは社会のごく一部。で、一般の人々においては、直に接する(ハード+ソフト双方の)日本製品が良質であることから、全体的なイメージは何となく良い、というのが実情ではないですかね。

トルコもそういう国の一つであって、彼の国に住む人々とは、歴史的なしがらみが無い分付き合いやすい。それくらいに考えた方が無難かもしれない。

何しろ、なまじ期待値が高すぎると、現実に何かあった場合の幻滅の度合いもより深い。ロクなことになりません。身近な例で言えば、今世紀に入ってから日本人の対中感情が極端に悪化してしまったのは、冷戦時代のメディア(特に左派)が、自らの理想なり贖罪意識なりを投影して、中国や中国人を必要以上に美化してきたのも原因の一つではないでしょうか?

“何だその態度は?お前は親日設定のはずだろうが!”とか一方的にキレられたところで、トルコ人の側も迷惑なだけでしょうw。

思うに、この動画をアップした人も,そんな感じで、“トルコの親日神話”を信じる“親土家”だったのが、この写真を目にして“日本を崇拝しているはずのトルコ人が実は馬鹿にしてた!”と幻滅、一転して“反土家”になってしまったのではないか?まあ、単にあっちを旅行して、絨毯屋とかケバブ屋でボラれただけかもしれないんだけどw。

それはともかく、一体この新聞記事はどういう内容だったのでしょうか?“ダダシュキョイ”がどこかの地名(“ダダシュ”=人名、“キョイ”=村とか集落)だというのは分かりますが、それが日本とどう関係があるのか?

ちょっと気になったので、見出しの一文をグーグルで検索にかけてみた所、ものの3秒で元記事らしきものが見つかりました。いやあ、ネットの発達は本当に素晴らしい。

記事は「ワタン(祖国)」紙で、2007年10月18日に掲載されたようです。ちょうど、例の「ラディカル」紙による銅像事件の報道から10日後にあたりますね。件の写真も載っている。短いので全訳してみましょう。

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「日本人のルーツはダダシュキョイ町にあった」 ワタン紙 2007年10月18日
原文:Japonların ataları Dadaşköylü çıktı
http://w9.gazetevatan.com/haberdetay.asp?detay=0&tarih=11.04.2009&Newsid=142415&Categoryid=7

自らの起源がダダシュキョイ町にあると信じる、百万以上の信者からなる日本の大本教団の関係者が、その町役場を訪問すると言う。

日本の大本教団は100万を超える信徒を擁し、信者らはその祖先がエルズルム県(トルコ東部の県)の古名を“カン”、現在ではダダシュキョイと呼ばれる町から発して日本に移住したと信じているのだが、その教団の関係者がやってくるという知らせに、ダダシュキョイの町民は興奮。

※wiki情報では、実際には50万くらいらしい。

町民らは、手で目じりを引っ張って日本人の顔真似をしながら、いつでも彼らを歓迎する用意がある直訳:彼らに対して、門はいつでも開いていると話している

↓日本人の真似をするダダシュキョイ町の子供たち


アタテュルク大学(エルズルム県の中心都市、エルズルム市内にある大学)の助教授であるヤヴズ=コンジャ博士は、大学を訪問した大本財団の理事らに、エルズルム県の6000年にわたる歴史について説明したことを明らかにしながら、以下のように語った。:

“彼らは私に対して、ここに「カン」とか「マン」みたいな名前の集落はあるか?と尋ねてきました。だから、古名が「カン」であるダダシュキョイの町に案内したのです。1600‐1700年代にオニサブロー=デグチ(出口王仁三郎)によって設立された教団の教義によれば、デグチはその夢の中で、祖先らがトルコの東部にある「カン」という名の土地から日本に移住する様を見たとのこと。”

※ 実際に教団が生まれたのは明治時代のこと。また、大本の教主は女系相続であり、初期の指導者であった出口王仁三郎も厳密には開祖ではない。

↓記事に載っていた出口王仁三郎の写真


↓エルズルムを訪れた大本教団の人


“その「カン」と言う土地と、旧カン村(現ダダシュキョイ町)の間には類似点があるようです。教義の中で語られる諸々の特徴が、旧カン村にはよくあてはまるのですよ。教団の関係者は、話を聞くために私を日本に招待しました。それで、私も2004年にあちらに行き、歴史的な事柄について講義を行ったのです。”

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これは“ムー”の記事ではありませんw。一応、あちらの大き目の新聞に載ったものです。いや、まさかこういう濃い話だったとは…。タイトルだけだと完全に予想不可能ですね。

まあ、こちらも“大本”についてあまり詳しいことは知らないので、とりあえずwikiの記述を読んでみました。

↓wiki“大本”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC 

↓wiki “出口王仁三郎“
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%8F%A3%E7%8E%8B%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E

一通り目を通したのですが、

大正時代、田中守平の霊術団体「太霊道」と激越な批判・反批判の論争を行い、最後は霊能力で対決した

とか“幽幽白書”みたいなことがさらっと書かれているのが妙に印象に残っただけで、エルズルムと大本の繋がりはよく分かりませんでした。

そういうわけで、ネット上で見つけた信者の方のものらしきサイトに片っ端から当たってみたのですけど、


“霊界物語”勉強会のサイト

http://www.k3.dion.ne.jp/~reikaimg/report58.html
国祖国治立命が隠退し身をやつして、埴安彦となられる。黄金山は、日本で言えば桶伏山、本宮山、綾の聖地のこと。地球上のこと、トルコのエルゼルムのこと。東彦は、玉の井の郷、穴太のことだが、オリオンの星から降りてきた神で、その時は東雲別と言う。

地上天国建設委員会の日記
http://2.suk2.tok2.com/user/chijoutengoku/?y=2007&m=09&d=15&all=0
前巻では、素盞嗚尊は千座の置戸を負って救世の神業のためフサ(今のイラン)の国に入るが、その頃の地上神界の中心はトルコのエルゼルムすなわち中東であった。素盞嗚尊は中東の仕組みが実現すると、自転倒島(日本の国)に拠点を移した。

……..これは厳しい。そもそも登場人物の名前すら読めないではありませんか。 でもまあ、色々と苦戦はしながらも、エルズルムが大本の信者にとってどういう場所かと言うのは大体分かりました。

まず、“大本”には主要な経典が二つあり、その内の一つが出口王仁三郎が口述筆記したものを活字にした“霊界物語”であるらしい。それは全八十一巻八十三冊にも及ぶ長大なもので、日本神話の神々が全世界を舞台に他の宗教と絡んでいくという、一大スペクタクル叙事詩なのだとか。記事の中にあった、“王仁三郎が夢で見て云々”というのはこの物語のことを指しているのでしょう。

その物語の初めの方で、天地開闢の後、大本の主神である“艮の金神=国之常立神(くにのとこたちのかみ)”が自ら世界を統治していた時期があり、その際に都が置かれたのが中東の“エルゼルム”(=エルズルム)に近い、“カン”の地だったというのです。故に、大本の信者にとって、そのエルズルムに近い旧名“カン”村こそかつ聖地であり、父祖の地ということになるらしい。

その辺りの経緯は、多分これを聞かされた記者もちんぷんかんぷんだったはずで、単純に“日本人のルーツがダダシュキョイにある”と信じてる変わった人たちがいるよ、とかそういう話になってしまったんでしょう。

自分が気になるのは、この“カン”という地名が何語に由来するか、です。現代トルコ語だと“カン”は“血”を意味しますが、この言葉が単独で地名になっている例はアナトリアでも中央アジアの方でもほとんど見られない。多分、他の言語ではないでしょうか。というのも、共和国の成立以来、トルコ政府はアルメニアやギリシア、クルドなど他の言語に由来する地名をどんどん平凡なトルコ語名に改名しているのですよ。

もちろん、これはトルコに限った話ではなく、その周辺諸国も似たようなことをやっていて、特にアルメニアやアルメニア人が不法に占拠しているアゼルバイジャンの領土では、トルコ語風の地名が逆にどんどん“アルメニア化”されていたりもするわけですが、ここいらの重層的な歴史の生き証人である地名がそういう政治的な理由で簡単に消滅してしまうのは、何とも残念に思えるのです。

話を元に戻すと、結局、この↓写真は日本人を揶揄しているのではなく、むしろ“ダダシュキョイ町民が大本教団員を来訪を歓迎している”というイメージを添えるために使われていることが分かるかと思います。


“こんな歓迎は嬉しくない!”というツッコミはひとまず置いとくとしてw、少なくとも、例の動画の作者が考えているような悪意に満ちたものではなさそうですね。

そうしたものを、記事の内容や由来をまったく確かめることなく、トルコ人への敵意を煽るために使うというのは、前述の三井田市議があちらの新聞記事を悪用しているのと同じで、極めて有害なものですよ。

これを見ておられるのなら、是非とも削除をお勧めいたします。

ところで、エルズルム県というのはかなり東の方にある田舎で、日本で言えばちょうど佐賀県くらいに相当するのではないかと思うのですが、エルズルム市は落ち着いた良い町ですね。夏もイスタンブルなんかに比べれば、はるかに涼しい。人々も遠来の客には親切です。

彼の地の住民の名誉のために書いておくと、彼らは客人の身体的な特徴を内心ではどう思っていようが、当人らの面前であげつらうような非常識な人たちではないし、また日本人が来るからといって、皆で日本人の顔真似をして大喜びするほど馬鹿ではないと思います。多分w。まあ、ごくたまに、東アジア人を見たら反射的にカンフーの真似をしたり、怪鳥音を発するようなウザいガキもいるんですけどねw。

“町民らは、手で目じりを引っ張って日本人の顔真似をしながら、いつでも彼らを歓迎する”云々というのは、恐らく記者が話を面白くするために付け加えたものでしょう。あの子供の写真もそのための“やらせ”だと思います。

その辺の小学生を捕まえて、ねえ、みんな!写真とってあげるから、日本人の顔やってみて!そうそう。もっと目を吊り上げて”みたい手軽に撮ったのではないでしょうか。確かに悪意は無いのかもしれませんが、頭が悪すぎる。

でも、こういうのが普通に大新聞に載ってしまうのが、あちらのメディアなんですよね....。


“草薙事件”がトルコ人から誤解されている件

2009-04-28 08:56:12 | トルコ関係
前回の続きでアゼルバイジャンの掲示板を物色していたら、トルコのニュースサイト“Haber⑦com”で興味深い記事を見つけました。というわけで、今回はそちらを訳してみようと思います。トルコは旧ソ連圏ではないですが、まあ隣ということで、諒とされたし。

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「公園で全裸になったポップ・スター!」
原文:Parkta çırıl çıplak bir pop yıldızı!
http://www.haber7.com/haber/20090423/Parkta-ciril-ciplak-bir-pop-yildizi.php
日本の首都・東京で泥酔し、全裸で公園を徘徊していたポップ・スター、ツヨシ=クサナギが警察により逮捕。連行されるのに抵抗した34歳のポップ・スターは“裸になって何が悪い?”(直訳だと、“裸になることのどこが間違っているのだ?”)と問うた。

東京の警察は、公園で裸の人物が騒いでいるとの近隣住民の苦情を受け、日本国内で非常に人気のあるユニット“SMAP”のメンバー、ツヨシ=クサナギを現行犯で逮捕した。 日本放送協会(NHK)によれば、この34歳のポップスターは地面に座り込んで連行を拒否。警察官を見ながら“裸になって何が悪い?”と尋ねたという。 テレビのニュースでは、この有名なポップ・スターの逮捕された公園や、取調べを受けている留置場の前にファンたちが集まるのが目撃されている。

ツヨシ=クサナギは、彼を含めた5人からなるユニット“SMAP”が1991年にデビューして以来、国内で高い人気を得て、TVドラマや映画に出演。朝鮮語に堪能なクサナギは、韓国でも人気がある。 トヨタは、この事件のために、この有名なスターの顔を使っていたレンタカーのCMの放映を取りやめた。なお日本では、公然猥褻罪(原文では“公風良俗に反する行動”)は6ヶ月以下の懲役あるいは三千ドル以下の罰金。

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“例の事件”はトルコでも報道されてたんですねw。ただ、よく読むと、内容が日本でのそれとは微妙に違っています。ちなみに、日本の新聞記事はこんな↓感じでした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009042302000231.html

東京都港区の公園で全裸になったとして、警視庁赤坂署は二十三日、公然わいせつの疑いで、人気グループ「SMAP」メンバーの草なぎ剛容疑者(34)=東京都港区赤坂九=を現行犯逮捕した。草なぎ容疑者が出演するCMの放送が中止されるなど、影響が広がっている。

逮捕容疑は、二十三日午前三時ごろ、自宅近くの区立檜町公園で全裸になったとされる。「知人二人と赤坂の居酒屋でビールや焼酎を飲んだ。何で裸になったかは覚えていない。反省している」と話し、容疑を認めているという。 

同署によると、公園の近くに住む男性が同日午前二時五十五分ごろ、「酔っぱらいが騒いでいる」と一一〇番。署員三人が駆け付けると、草なぎ容疑者は泥酔状態で全裸になって芝生の上にあぐらをかいており、「裸だったら何が悪い」などと叫んだり、手足をばたつかせるなど暴れたりしたため、保護用のシートで拘束し、パトカーに乗せたという。

(以下略)



まず、事件が起きたのが夜中の3時であるということには一切触れられていません。これを読んだトルコ人たちは、酔っ払った草薙氏が、白昼の公園に堂々と全裸で乱入してきたと考えるでしょう。でもって、衆人環視の中で前転を繰り返したり、「アイヤァァ!」、「バァァカ!バァァカ!」などと大声で叫ぶという。まさに掛け値なしの“怪人”ですね。面白すぎる!でも、そうなってたら、芸能生命どころか社会的生命も危うかったんだろうけど。

まあ、記者がそう書くのも仕方が無いのかもしれない。東アジア圏の人々とは違って、普通のトルコ人はSMAPの影響力がどの程度かなんて知らないわけで。たかだか一人の芸能人が“夜中に”しかもほとんど無人の公園で泥酔し、脱いだと言うだけでどうして「大事件」となるのか、また何故に日本社会がこれほど大騒ぎしているのか、彼らは理解できないに違いない。正直、自分もよく分かりません

さらに、この記事では明らかに“裸になって何が悪い?”という発言に重点が置かれているように思えます。日本での報道のように草薙氏自身による“反省“とか”謝罪“みたいな言葉や、酔った上での過失を連想させるような描写は一切無い。当人のキャラについての知識なんて皆無のトルコ人読者たちは、恐らくこのクサナギという男を、既成の秩序に挑戦し続ける、パンクな芸術家肌の人物だと想像するのではないでしょうか。

そして、そういう人物が、酔っているとは言え、確固たる意志をもって公共の場で全裸となって座り込み、やってきた官憲に対して「人間が裸で何が悪い?」と根源的な問いを突きつけるのです。どうですか?格好良すぎる。何だか“戦闘的なダダカン”みたいだ……。

現に、この記事のコメント欄では彼をそのような“芸術家”と捉えて同情し、これを逮捕した日本の治安当局の態度は芸術や表現の自由に理解が無く「反動的だ」と非難する意見が結構多かったですね。

以下はそのコメント欄の訳です。
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<ハルクのコメント>
※ハルク=Halk、トルコ語で”人民”の意。

論評ハルク1号
彼は正しい人間だ。注目を浴びるために半裸でうろつきまわる人間もいれば、脱ぐ人間もいる。そのために全部脱いでしまったからといって、どうだと言うんだ。


論評ハルク2号

俺には何だか反動の匂いが漂ってくるぞ、みんな...。ほら、当局によって公的に人間の自由が脅かされているじゃないか日本の将来は、この時点から悲観的な方向に堕しつつある..もはや日本は退行し始めるんだ....。


論評ハルク3号
日本よ….. 反動的になるな。



論評ハルク4号
文明とは肉体を解放することだと言うのであれば、この日本人は我々よりも文明的ってことだ。メフメット=アキフ=エルソイを偲ぼう.....

※ 近代トルコ文学を代表する詩人の一人。現トルコ国歌の作詞者でもある。20世紀の初め、雑誌等で伝え聞いた日本の近代化の成功と帝政ロシアに対する戦勝に感銘を受け、日本を題材とした作品をいくつか作っている。


論評ハルク5号
芸術は芸術のためのものなんだ。彼は芸術のために脱いだんだろう


論評ハルク6号
人間が全裸で徘徊してどうなるんだ!とかいうのは、あたかも正しいことを言ってどうなるんだ!と言うようなもんだぞ。


論評ハルク7号
>2号wwww
あんたは日本は退行し始めるといっているが、実は日本は(現時点でも)後進的なんだよ。なぜなら、彼らはアタテュルク主義者じゃないから…。

※ アタテュルク主義者とは、トルコ共和国・建国の指導者ケマル=アタテュルクの教えを守って、政教分離と社会の世俗化・近代化を志向する人々を指す。別名「ケマリスト」。この人の言うことはまるで意味が分からないかもしれないけど、どうしてこの言葉が出てくるかについては後述。ちなみに、そのアタテュルクは生前、非西欧圏で唯一自力で近代化を成し遂げた国として、日本をその手本とすべしと語っていたと言われるのだが、こいつは多分知らないのだろう。


論評ハルク8号
あのさ、この脱いだ人に腹を立てるんじゃないよ。これよりどうやって世俗的になれると言うんだ?この世界では、衣服をたくさん着ていれば着ているほど反動的で反世俗的、裸であれば極めて世俗的な国民ってことになるんだよ。w


衣服を沢山着て肌を隠す=イスラームの戒律に忠実=政教一致のイスラーム主義者

なるだけ肌を晒す=イスラームの戒律に忠実でない=政教分離の世俗主義者

だと言いたいらしい。これについての詳細は後述。



論評ハルク9号
もちろん、(クサナギは)正しいことを言っている。元来、人間は服を着て生まれてきただろうか?服なんてもので苦労することはない。実際に、君は我が国でもそうした行動をとることになるだろう。閉じこもっていては普遍的な世界は得られない。それを手にするために、服をあまり着るまいといって、彼方へ飛び出していくんだ。

※第二のエガシラになれということか?wあと、この文章の後半はあまり意味が分かりません。要するに全裸になるのは良いことwだってことらしいんだけど。


論評ハルク10号
写真は無いのか?…動画か画像をみないことには、この記事に書いてあることは信用できないな。wwwもちろん冗談だけど。アッラーよ、こいつらに良き知恵を与えたまえ。ww

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そんな話じゃないんだけど….w。ところで、同じく草薙氏の行動を芸術的なパフォーマンスと完全に誤解したw上で、日本の警察の対応を支持する人たちもいるらしい。ネット上ではどうか知りませんが、トルコ国民全体でいえば、多分こちらの方が圧倒的に多いでしょう。

というのも、トルコというのは、実は日本に比べて肌の露出には意外とやかましい所なのですよ。その背景にはイスラームに根ざした伝統があります。ご存知の通り、この宗教はユダヤ教と同じで、現実の生活に関わる細かい律法のようなものが沢山あるわけです。

女性が家族以外の異性になるだけ肌を露出すべきでない、というのもその一つですが、男性でも公の場で余計な肌の露出が好まれないのは同じで、例えば田舎の方で膝下の出たズボンでウロウロしてたりすると、露骨に嫌がられたりします。

それを思えば、公の場で全裸になるなんてことは、公衆道徳がどうこうとか言った以前に、信心深い人々にとってみれば、とてつもなくバチ当たりなことなのですよ。大分前に、トルコの田舎の方でやった何かのイベントで江頭2:50が全裸になり、観客が激怒して暴動寸前の騒ぎになったことがありましたが、あれは江頭がパンツを脱いだ瞬間に、極端な話、社会の秩序を乱す“神の敵w”の如き存在となったためでした。

もちろん、トルコは他のイスラム圏の国々に比べればかなり西欧化が進んだ国であり、都市部での人々の暮らしぶりは欧米やこちらとも大して変わらないように見えるのですが、元々はそういう社会なのです。

今のような状態は、1923年に国父ケマル=アタテュルクの主導でトルコ共和国が成立して以来、国家と欧化した少数のエリートによる上からの政教分離=世俗化、というかよりぶっちゃけて言えば、国家が宗教を厳格に管理し、国民には学校教育を通じて政教分離を叩き込むことで、“非イスラーム化”がじわじわと進められてきた結果に他なりません。

ただ、非イスラーム化といっても、実際にはソ連のイスラーム地域で行われたような宗教勢力の徹底的な殲滅(モスクの閉鎖や破壊、宗教関係者の抹殺や強制収容所送りetc.)に比べればかなり穏健なものでしたから、“主に都市部のエリートからなる少数の世俗派vs 地方の農民や商工業者に支持されるイスラーム派”の対立は今に至るまで続いています。

というか、これまで前者が国家を牛耳って後者を支配してきたといった方がいいかもしれません。その辺りは革命前のイランとよく似ているのですが、トルコがそうならなかったのは、建国以来のアタテュルク主義者の牙城たる軍が、常に世俗派の側に味方してきたという事情によります。

くどくどと書いてきましたが、要するに何を言いたいかと言うと、トルコでは肌の露出とか服装の問題は世俗派とイスラーム派の対立に直結しやすいわけですよ。そして、誤って伝えられた“草薙事件”の情報は、完全に本来の文脈から離れて、あたかも”スカーフ問題”のように両者の対立のネタになってしまっている、と。

大まかにまとめれば、

草薙を擁護する=宗教による肌の露出の規制に反対“世俗派”

草薙を批判する=宗教による肌の露出の規制に賛成“イスラーム派”

ということです。そう考えれば、上のコメントを寄せている人はほとんどが「世俗派」ということになる。「7号」とか「8号」の言ってることも、何となく分かるのではないでしょうか。

これに対して、草薙批判=イスラーム派の言い分は以下↓の通り。

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「ポップ・スター、公園にて裸で拘束される」

原文:Pop yıldızı parkta çıplak yakalandı
http://www.internethaber.com/news_detail.php?id=189133&interstitial=true

(以下、記事の内容は前出のそれとほとんど同じ)


評論ハルク1号
神のお許しあれ…しかし、日本の法律って........というのも、日本みたいな非イスラーム国ですら、このような状態に至った人間たちを公然猥褻(直訳すると、“公風良俗に反する”)」の咎で罰しているというのに、トルコではタクシム(※イスタンブルの繁華街)のような場所で、人々が街中で頻繁に買春したりする有様だ。誰も関心を示さないとはいえ、こういうことをしてる奴らは、他の人々の(宗教的な戒律に基づく)道徳心に悪影響を与えているのではないか?

トルコでこうしたことを法制化したいというのであれば、まず体制の転換を訴えて集会みたいなのをやってる共和主義者(=世俗派)をどうにかしないとな…….。

※現在の与党「公正発展党(AKP)」はイスラーム主義的な政党。世俗派は、その解党を目指している。


編集部より
親愛なる読者のみなさま、ここに寄せられたコメントは、当編集部の規準にはそぐわないものだったため、表示しておりません。

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 どうやら、ここの「評論ハルク1号」とこれに反発する世俗派の人との間にものすごいバトルが展開されたようで、2つ目以降のコメントは全て編集部により削除されてしまったようです。何だか…..。  

しかし、草薙氏本人は大陸の彼方で、まさかこういうことで自分の名前が使われてるとは、思いもよらないでしょうねw。