→前編からの続き
あれですよ。これらの記事を信じるならば、日土関係悪化の種は既にエルトゥールル号の来航とともに蒔かれていたことになります。オスマン宮廷から送られたロボット(?)を蔑ろにし、またその優秀な技術をパクっておきながら、それをひた隠しにして技術大国を自認する日本に対し、トルコ人たちは心から怒りを感じているに違いありませんw。
近年のBBCの世論調査にも、日本人のそうした態度が影響しているのは間違いない!w原因は思わぬところにあったのですよ。日土関係の危機を本気で憂慮している人たちは、アタテュルク像なんかにうつつを抜かしている場合じゃありません。直ちに盗まれた“アラーメット”の捜索に取りかかりましょう!w
まあ、そういう与太話はいいとして、この記事に対するあちらのネット民の反応はどうでしょうか?“haber⑦”のこの記事の掲示板には、まだ何日も経っていないのに、既に大量のコメントがついていました。驚くべき関心の高さです。
こんな“トンデモ記事”wにどうして?と訝しく思う人もいるかもしれませんが、実はこの手の話題は、彼の地では世俗派とイスラーム派の間に横たわる“歴史認識”問題のど真ん中にヒットしがちなのです。
もちろん、“アラーメット”はロボット否か?といったことではありません。あれはただの“形代”なのでw。重要なのは、その“背景”の方です。
現在のトルコ共和国の公的な歴史観においては、アブデュルハミト2世(在位1876-1909年)は、基本的に悪者扱いです。オスマン帝国が列強の半植民地のような状態に陥っていたにも拘わらず、自己の権力を維持するために、議会を閉鎖するなどして改革を阻害。カリフ(イスラーム世界の指導者)としての宗教的な権威を最大限に活用しながら専制政治を行い、帝国の停滞と破滅を招いた張本人ということになっている。
また、自らに反対する者や改革派を権謀術数を用いて大量に粛清したことから、“赤い(血まみれの)スルタン”とも呼ばれます。日本の幕末史でいえば、ちょうど井伊直弼みたいなポジションかw。
ちなみに、例の”エルトゥールル号事件”は、そういう暴君が汎イスラーム主義的な宣伝と国威の発揚のために、”老朽船を無理やり駆り出して行った国費の無駄遣い”みたいな位置づけですね。船は一応日本まで達したとはいえ、具体的な外交関係の進展はちっともありませんでしたから。
ただですね、そうした評価というのは確かに真実の一面をついてはいるものの、そのアブデュルハミト2世をクーデターで退位に追い込んだ“統一と進歩委員会”(=青年トルコ党。若き日のアタテュルクもその一員だった。)や、同じ流れで最終的に帝政を倒したアタテュルク+世俗主義体制を“正統化”するために、敢えてネガティヴな点ばかりが誇張されてきたような所もあるわけです。
まあ、政治的な体制転換があった場合、新しい体制が“いかに自分らの支配がマシなのか”を強調するために、旧体制下の社会を暗黒時代として描いたり、また都合の悪いことは全てそっちの責任にしてしまうのは万国共通ですけどね。
我らが日本でも、明治以降は“江戸時代=武士が自由に町人を切り殺し、農民からも好き勝手に年貢を搾り取れた北斗の拳のような世界w”とされたり、第二次大戦後には“戦前=戦時中=軍部に支配されたリアル「はだしのゲン」の世界”ということになったりしたではありませんかw。
現実には、アブデュルハミト2世の時代は意外と社会が安定し“上からの近代化”が進んでいたという話もあります。その専制を倒した“統一と進歩委員会”の中心は若手の将校団でしたが、彼らにしても国家の側が設立した士官学校で世俗的な教育を受けることで、近代思想や政治的な知識を吸収できたわけで。
考えてみれば、オスマン帝国を第一次大戦に参戦させて滅亡に至らしめたのも、アブデュルハミト2世ではなく“統一と進歩委員会”の3トップ(エンヴェル、ジェマル、タラート)、つまり彼を倒した側の連中でしたしね。
エンヴェル・パシャ(1881‐1922)
出典:wiki
で、最近では民主化が進んで言論の締め付けが緩んだこともあってか、イスラーム主義的な人たちを中心にこのアブデュルハミト2世が盛んに持ち上げられ、その時代が再評価されるようになっています。いや、“理想化”といった方が正しいかもしれない。
というのは、彼らは今の世俗主義体制とそれをうち建てた張本人であるアタテュルクが大嫌いなんですよ。大嫌いだから、革命なんかおきずにイスラームを国教とするオスマン帝国が存続していた方が、トルコの社会は今よりもっとマシなものになっていた筈だ、と(少なくとも彼らは)思いたがっている。
それゆえに、世俗主義者が生み出した共和国の“正史”の下に埋もれているアブデュルハミト2世期のポジテイヴな側面の掘り起こしに熱心なのです。エルトゥールル号の日本遠征もここでは”壮挙”とされているみたいですね。最近、エルトゥールル号関係の本がまとめて出版されたり、またTVなどのメディアが扱う機会が増えた背景には、そのような雰囲気の変化があるのかも。
その中には見るべき発見もあったりするのですが、往々にして無茶しがちなのがちょっとあれですかね。
特に、“オスマン帝国が存続したままではトルコの近代化は不可能だった”という正史=世俗主義者の主張に対抗するためなのか、“それは現代人の技術者が数千人単位でタイムスリップでもしないと無理なんじゃないか?とか、一体どこの「紺碧の艦隊」ですか?”と思わずツッコミたくなるくらいにファンタジーな“オスマン社会の近代性”を平気で語ったりするのです。
その辺りは、韓国の民族主義者が“日帝支配下の近代化”を否定したいがあまりに、“そんなものは昔からあったんだ!”と、李朝や大韓帝国時代の社会が今の韓国のそれと変わらないものであったかのように語るのと似ているかもしれない。
そういうわけで、この記事を書いた人もその手の思想の持ち主だと考えてよいでしょう。アブデュルハミト2世の時代は、そういう優れた”ロボット”を自前で作り、文明開化中の日本人に気前よくあげられるくらい素晴らしい社会だったといいたいわけです。
記事をよく読むと、アブデュルハミト2世が直接関わっていたり、時計の“鐘の音”(=キリスト教のシンボル)の代わりにイスラーム的な“アザーン”が使われていたり、ロボットの存在が忘れられていた原因が共和国時代の言語改革に帰せられていたり、とイスラーム志向の大衆の心をつかむための仕掛けが、至る所にしてあることが分かります。
中でも最大の仕掛けは、時計職人が神秘主義教団の一つであるメフレヴィー教団のデルヴィッシュ(修道僧)であり、時計そのものも教団のメンバーがセマー(旋舞=祈祷)する様を模して作ってあるということでしょう。
オスマン時代、各種の神秘主義教団(タリーカ)はスルタンの庇護を受け、民衆の間に絶大な影響力を持っていました。それだけにアタ手ュルクからは危険視され、まっ先に弾圧の対象となりますが、その後色々と姿・形を変えながら生き残り、今なお大衆には深く浸透しているのです。
アブデュルハミト2世+メフレヴィー教団というのは、かなり強力なコンボなのですよw。
前置きが長くなりました。以下は“haber⑦”の掲示板です。とにかく数が多かったので、同じような内容のものはなるだけ一つにまとめました。
後編(その1)に続く→
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ウリナラみたいにならないで欲しいなあ…とにかく全裸で待ちますねw
一般トルコ人はこの記事から何を考えるのか、後編に興味深々といったところです
日本の場合、神功皇后の実在否定、果ては欠史八代の天皇の存在否定だったり、南京大虐殺否定論や従軍慰安婦の軍部関与の否定などですな。
時間が経ち、世代が代わると歴史は本当に“ただの歴史”になっていまうからね。
自分たちにとって都合の良い解釈を選ぶようになってしまうのも、ある意味必然かな。
ぶっちゃけ、俺も南京大虐殺とか信じてないし、どんな正確な証拠を提示されたとしてもそれは変わらない。
何故なら信じたところで、こちらに得はないからな。相手が現在進行形で虐殺されてるわけでもないし。
それにしても、この記事、トルコ人の意外な一面を知れて面白いなぁ。
韓国みたいにそれで直接迷惑をかけてこないなら、全部信じちゃってくれてもいいような気がしてきたww
>セマー(旋舞=祈祷)って回族(イスラム
>教徒)がクルクル回る踊りが有ると聞いた
>けど、もしかして起源は同じなのでしょ
>うか?
セマーは、何故か〝旋踊”と訳されてますが、本当は意識を飛ばして神と一体化するための修行法です。この派の教団の勢力は多分中華世界まで及んでいないので、多分回族のそれとは別物だと思うのですが...。
ところで、中央アジアの方の回族(現地ではドゥンガン人と呼ばれています)はカザフ人とかクルグズ人に比べると驚くほど敬虔ですね。
自分たちにとって都合の良い解釈を選ぶようになってしまうのも、ある意味必然かな。
おお、何処かの捏造民族と同じ論理ですな
素晴らしい