1,2ヵ月前だったでしょうか。 TVから「そんなに安い命なら、私にくださーい!」という声が耳に飛び込んできました。 声の主は私と同年輩のおじさんで、末期の癌患者でした。 いじめなどを苦に、とりわけ若い世代の自殺が相次ぐことを憂い、多くの学校を訪ねては生徒に向かって呼びかけていたのでした。
そのおじさんの訴えの細かい部分は覚えていませんが、今生きている命の尊さを語り、つらさを乗り越えた後の人生の豊さを語りました。 そして自分ががんに侵され、余命いくばくもないことを語った上で、「私はもっと生きたい。 自ら捨ててしまうような、そんな安い命なら私にくださーい」と叫んでいたのです。
このところにわかに硫化水素による自殺が多発しています。 先月の死者が50人とのことで由々しきことです。 やはり若者が多いですね。 ネット上で広まっているようです。 硫化水素が漏れて、助けに入った人や周りの人にも被害が及んでいます。 死に急ぐ彼らには他人を巻き添えにする愚も見えなくなるのでしょうか。
ネット上で自殺を助長する有害コンテンツの除去が検討されているようです。 それはそれで必要ですが、それだけでは不十分です。 自殺する彼らには“何のために生きるのか”あるいは“自分の人生の目的”が見いだせていないのでしょう。 目的をもって一生懸命生きる大人の姿がもっともっと見えていれば、彼らも生きる目的を捉えやすいでしょう。 そうして生きた大人たちがもっともっと報われる姿も見えていれば、自殺する若者は減っていくと思います。
戦後の窮乏期に育ってハングリー精神の塊だったこの私でさえ、自殺を考えたことがあります。 私の場合は“より良い明日、より良い日本、より良い世界”のために少しでも役に立ちたいという希望があって乗り越えることができました。 そしてその希望は両親を含む周りの人々や、多くの書物や映画を通して見た人たちの一生懸命生きる姿から教わったものでした。 彼らに生きる希望と勇気を与えるのは政治とそして彼らを取り巻く大人たちの大事な役割です。
冒頭のおじさんと同様、私も多発性骨髄腫の患者です。 現在の医学では治りません。 私だってもっともっと生きたい。 まだ中学生の娘のためにも、一年でも一月でも一日でも長生きをしたい。 生きて自分の夢を実現させたい。 あいにく背骨の骨折であのおじさんのように学校に出向くことは難しい私ですが、その代りこのブログ上で叫びます。 「自ら捨ててしまうような、そんなに安い命なら、私にくださーい!」と。