より良き明日の為に

人類の英知と勇気を結集して世界連邦実現へ一日も早く

政治改革と税制改革

2008-07-23 15:09:32 | より良き我国のために

 小泉元総理の5年余りの政治の評価にはまだ時期尚早かもしれませんが、早くもその影響は国民生活のあちこちに現われています。 彼はかつてこう言いました。 「財政再建には痛みを伴う。」「小泉政権では消費税を上げない。」「ぎりぎりまで削れば、やがて増税してもいいという声が出てくる。」 いずれももっともな話です。 しかし、実際に痛みを強く感じているのはもっぱら庶民です。 道路、ダム、新幹線は計画通り造り続け、大企業は最高益を上げています。 一方庶民は直接税の実質増税、社会保障費の5年間定額削減による医療や介護現場の崩壊、生活保護などセーフティネットのほつれ等で散々な目に逢っています。 「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉氏ですが、自民党は壊れず、官庁や大企業を助け、庶民をくじく自民党の体質も健在でした。

 いま国と地方を合わせて1000兆円にも迫る借金の返済や今後急増確実な社会保障費を前にして、消費税増税が既定路線であるかのように語られています。 盛んに旗を振る経済界はもとより、政府与党の大部分と野党の一部も相和して、総選挙後の実現タイミングをうかがっているようです。 これは総選挙の前では決してできません。 やれば必ず負けるからです。 つまり大増税を国民が納得しないのです。 ここがデンマークなどの民主主義先進国と違うところです。 デンマークは高負担高福祉の国ですが、国民が政府に信頼を寄せており、世界で最も幸せな国民と見られています。 税金の集め方、使い方がガラス張りで無駄使いや不正が殆ど無く、増税分はそのまま自分たちに戻ってくるからです。 一方我が国は逆で、国民は政府を信用していません。 税金の集め方や使い方が不公正、不適切であり、公共事業の談合や公務員の天下りなどの無駄使いや不正が無くならないからです。 デンマークのような国に一朝一夕で成れないことは分かっています。 しかし少しでも早くデンマークに近付きたいと考え、以下の提言をする次第です。

 ひとつ目は所得の完全把握による徴税の公正化です。 1980年にマル優(300万円以下の貯蓄)や郵便貯金を名寄せする“少額貯蓄等利用者カード”(グリーンカード)ができた時、当時の金丸信自民党副総裁が「人の懐に手を突っ込むようなこと」と反対して延期になり、最終的に廃止されました。 名寄せされると複数の金融機関で違法にマル優貯蓄をしていた富裕層が困るのです。 要するに金丸氏達の反対は所得把握の不公正を温存し、主に自民党の支持層である富裕層の脱税余地を死守するためだったのです。 その後発覚した同氏への多額の闇献金の事実を見ても彼の行動原理が分かります。

 グリーンカードに限らず、政府が国民に“総背番号”を振って一元管理する構想はことごとく潰されてきました。 労組や野党及びメディアの一部が反対したこともありました。 2002年に始まった“住民基本台帳”(住基ネット)も旧自治省の範疇にとどめた為、国民にとって殆どメリットの無いものになってしまいました。 反対の主な理由は“政府への不信(個人情報保護)”です。 確かに公務員が持ち出したパソコンやメモリーが紛失する事件が続きました。 その中に個人情報が含まれていれば、プライバシーの侵害が生じることは確かです。 その結果どんな災難が降りかかるかと危惧する気持ちは分かります。 また社会保険庁の職員が有名人の年金記録を盗み見ていたことなど、公務員が国民に信頼されるレベルにないのも事実です。

 しかしこれらの多くは現在及び将来のセキュリティ技術を駆使すれば解決できます。 例えば公務員全員のパソコンからメモリー機能を排除し、すべての情報をサーバーから取り出し再びサーバーに返すようにすることです。 更に外部記録媒体への書き込み機能も無くし、私物パソコンの持ち込みも厳禁すれば、電磁記録データの漏出は殆ど無くなります。 また公務員が閲覧した情報のログを残しておき、これを監視すれば“ネットカフェ状態”と言われる不適切な情報閲覧もかなり解消されることでしょう。 ただし日進月歩で発達するセキュリティ技術をいかに駆使しても情報漏洩や不適切情報閲覧を完全に防ぎきることはできません。

 ではプライバシー侵害の恐れが残ることをもって“所得の完全把握”を諦めるべきでしょうか。 答えは否でなければなりません。 “十・五・三・一”と言われるサラリーマン・自営業・農業・政治家の所得把握率の不公正を正して徴税に公正感を喚起すること、電子政府を構築して行政効率を飛躍的に高めることのメリットの前に、プライバシー侵害の恐れはもはや克服すべきデメリットでしかありません。 それが世界的な時代の趨勢ではないでしょうか。 全国民は11桁の個別の番号(仮称グリーンカード)を持ち、すべての金のやり取りをこのカードを持ってすれば、全国民の所得把握率は等しく100%に近付き、ガラス張りとなります。 その上で直接税の望ましい累進税率や年金・健保、セーフティネット等の社会保障制度を改定していけば良いのです。

 二つ目は上記グリーンカード制度による所得把握の公正化を前提とした上での直接税の累進税率についてです。 我が国の直接税の最高税率は1983年までは75%でした。 これが“一億総中流時代”を経て下がり始め、消費税導入時にさらに下がって現在は50%になっています。 今厳しい“格差社会”を迎えて高所得者の最高税率を再び上げて所得の再配分を行う必要があるのではないでしょうか。 明日を担い、明日の命を育む若い世代が“ワーキングプア”に苦しみ、老後の社会保障に頼れず、結婚して子供を育てる自信も無くしています。 一方高所得者は自身の、あるいは父祖の努力の賜物でもありますが、同時にこの日本の社会システムの恩恵を深く受けての高所得なのです。 より一層の負担を受け入れるべきではないでしょうか。

 三つ目は同じくグリーンカード制度による所得把握の公正化を前提とした上での年金、医療・介護保険制度についてです。 年金については現在被雇用者の厚生年金と公務員の共済年金を統合する方向にありますが、自営業者・退職者などの国民年金は取り残されています。 所得の正確な把握が難しいからですが、グリーンカード制度で自営業者・退職者を含めた所得把握が公正化された暁に、初めて全ての国民を一本の年金制度に統合することができます。 現状の国民年金は富裕層にとっては取るに足らない月6万円程度の受給額に過ぎず、一方貧困層にとっては払い続けることが困難な月1万5千円程度の保険料なのです。 これが国民年金加入率低迷の原因でした。 一本化によって富裕層は所得に見合った受給となり、貧困層の保険料はより低く設定できます。 医療・介護保険についても同様です。 現在国保、中小企業、大企業、公務員と別れていますが、所得把握の公正化によって一本化できます。 現在の介護保険料・国保税は所得累進性が低いので相対的に富裕層には安く、貧困層には高くなっていますがこれも是正されるべきです。

 四つ目は消費税です。 消費税は衣食住を含むありとあらゆる物とサービスにかかっているため、貧困層ほど対所得税率が上がる逆累進性が問題でした。 また国民が支払った消費税が小規模事業者の手元に残る“益税”の問題もあります。 更に計算の煩雑さを理由に徴税の公正さが保障されるインヴォイス方式を捨て、脱税の余地を残した帳簿方式としたという問題もあります。 益税については自民党の票田である自営業者や農業者の利便にそった感があります。 インヴォイス方式は消費税導入当時すでに欧州では一般的であり、この不採用は上記益税と同様の作為を感じます。 これら消費税にまつわる諸問題は国民の納税意欲を阻害しており、その増税に反発する根拠になっているのです。 1989年にそれまでの“贅沢品”にかけられていた物品税を廃止して新設された消費税ですが、その廃止を提案したいと思います。 その代り贅沢品と贅沢サービスにかける“物品・サービス税”を新設するべきです。 例えば“食”であれば一人5千円以上の外食、“住”であれば5千万円以上の住宅、“車”であれば2000CC以上の車・・・といった具合です。 これであれば特に贅沢をしない限り消費生活に税金はかからないことになります。 国民の過半数を占める低所得層の生活はだいぶ楽になることでしょう。

 消費税を廃止すると言えば代わりの財源を問われることになります。 最近自民党の中川秀直氏が特別会計170兆円の中で無駄を徹底的に排除すれば50兆円の財源ができると表明しています。 さっそく与謝野前官房長官が「そんな額にはならない」と打ち消してはいますが、とにかく特別会計も一般会計も徹底的に洗いなおして無駄を排除することが必要です。 自衛隊も災害救助機能だけを残して解体すべきです。 世界に27もの戦力不保持の国がある現在、憲法に戦力不保持を謳った我が国に世界有数の戦力があること自体が異常なのです。 我が国は憲法の理念を世界に広げ、戦争の無い世界システム構築の先頭に立ち、もって世界の中で名誉ある地位を占めるべきではないでしょうか。 政権交代も急務です。 半世紀にわたる自民党の政治が続いた結果、政官財の癒着が顕著です。 三者なれ合いもたれあう結果、談合による無駄、天下りによる無駄、無用の道路・新幹線・ダムなどの無駄は小泉政権でも無くせませんでした。 欧米先進国のように政権交代を繰り返すことによって三者の間に緊張感を保ち、結果として国民の国民による国民のための政治になるのです。 先に掲げた電子政府を実現することにより、行政効率の大幅な改善と公務員数の削減も可能です。 これらすべてを実施しつくした上で、なお税金が足らないのであれば、デンマーク国民がそうであるように、日本国民もガラス張りに変身した政府を信頼して増税を了解することでしょう。


貧困撲滅と世界連邦

2008-07-02 18:34:00 | より良き世界のために

 ケニアのポール・テルガトさんは2003年のベルリンマラソンを当時の世界最高記録で走り優勝しました。 彼の生まれた村は貧しく、幼い頃の記憶はひもじさばかりで、母親が歌で子供たちの空腹を紛らし、寝かしつける毎日だったそうです。 まともな朝食も取れないまま5キロの道を走って学校に通っていましたが、8歳の年に世界食糧計画(WFP)が彼の学校で無料の給食を始めました。 家では食べられないトウモロコシと豆の温かい食事が彼に“力と意志”を与えてくれたそうです。半世紀近くにわたって貧困地域で学校給食プログラムを進め、資金難に悩みながらも年間約1600万人の子供を援助しているWFPの事業は尊く有益です。 しかしそれでも手の届く範囲は世界で3億人と言われる飢えている子供の5%に過ぎません。 世界が今の倍の資金を出したとしても10%です。 新しい発想と組織による貧困撲滅が図られなければならないと考えるのは私だけでしょうか。 

先ごろ第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)が終了しました。 日本は5年後にアフリカ向け政府開発援助(ODA)を倍増する約束です。 国と地方を合わせ1000兆円近い借金を抱え、若者の多くがワーキングプアに陥っている我が国に、この約束を守ることができるのでしょうか。 またそのODAは有効に働くのでしょうか。 アフリカに限らず発展途上国の先進国による経済援助は多くの失敗を重ねてきました。 橋が建設中に落ちたり、発電機が補修資材や補修用員の不足のために稼働していないなど、その例は枚挙にいとまがありません。 巨額の援助資金の多くは先進国の大企業が回収し、残りの大部分も途上国の独裁者の懐に消えます。 日本以外の国のODAには武器輸出すら相当含まれていると言われています。 あとには巨額の債務負担を抱えた途上国の国民が残るのです。

ODAはなぜこのように失敗続きなのでしょうか。 それはひとつには先進国から途上国への“施し”または“慈善”だからです。 先進国では巨額の“施し”が途上国でどのように成果を上げているか、上げ続けているかはそれほど注目されません。 検証もさほど厳しく行われません。 ましてや継続的な検証はさらに乏しいのです。 かくしてさほど途上国の国民のためにはならないものが作られ、かつ短期間で使い物にならなくなったりするのです。  世界連邦では世界中から“世界連邦税”を集めます。 この資金で世界連邦に託された“世界共通”の諸問題に対処していくわけですが、その一部が途上国の経済開発に使われます。 冒頭に掲げたWFPの活動のように今日明日を生きるための給食プランもあれば、教育、職業訓練など中長期のプランもあります。 ここで使われるのは“税金”ですから綿密な予算編成と厳格かつ継続的な検証が行われます。 “施しや慈善”のような気まぐれのものでなく“社会保障やセーフティネット”に近いものになります。 それは“すべての世界人民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する”とする世界連邦憲章の中の一項(私案)にもとづくものです。

ODAの失敗続きの原因の二つ目は発展途上国の政治体制の劣悪さにあります。 たとえばミャンマーですが、5月のサイクロンで多くの被災者が出ました。 被災地に救援の手が届いていない一方で、軍政は関連企業に復興事業を割り振り、被災者の土地を奪っているそうです。 6月の新憲法承認国民投票では軍政が棄権した人や行方不明者の身分証番号を使って、勝手に賛成票を投じたとも伝えられています。 6月の大統領選挙で野党側に対する与党側の殺人、脅迫、拉致、暴行など不正の限りが尽くされたジンバブエですが、こんな話もあります。 役所の非能率でなかなか電話が引けない。 そこである民間人が携帯電話会社を設立したところ、政府は民間の電話事業を禁止する法律を作る。 裁判所がそれを違憲と判断すると、今度は事業を免許制に切り替え、免許を大統領の親族に与えてしまったというのです。 このような政治体制の国にいくら資金援助してもその金は国民に届く前に権力者、役人などがあらかた吸いこんでしまいます。

従ってこれらの国々の政治体制の刷新つまり民主化が必要なのですが、これが現在の国連体制では簡単ではありません。 先程のミャンマーにしろジンバブエにしろ、国際社会は懸命に民主化を促しますが、手が届きません。 それは国の主権を最大限に認めているからです。 国境があまりに高く、内政干渉ができないのです。 世界連邦ではここが違ってきます。 国境の高さは今より低くなります。 世界連邦政府は途上国の貧困撲滅、人権擁護の名のもと、その国の国政選挙を管理し、自由で公正な選挙を保障します。 かくして軍政や独裁政権は姿を消し民主国家に変わっていきます。 これは世界共通の課題処理を託された世界連邦にして初めてできることで、現在の国連ではできません。 このようして初めて世界連邦税による“社会保障やセーフティネット”が途上国の国民一人一人まで届きます。 そして“すべての世界人民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する”とする世界連邦憲章の中の一項(私案)が実現されるのです。


政権交代のある国へ

2008-07-01 16:19:10 | より良き我国のために

 私はあえて言うなら無党派層に属します。 しかし選挙権を得てから約40年間自民党及びその候補者に投票した試しがありません。 それはひとえに政権交代のある国を希求してきたからです。 我が国では1955年以降半世紀以上をほぼ一貫して自民党が政権を担ってきました。 15年程前に細川・羽田非自民党政権が例外的にありましたが、足しても1年に満たず、実質的な政権交代とは言えません。

 長期政権はその効率の良さゆえに戦後の復興から高度成長時代までは十分機能したと言えるでしょう。 国全体のパイが大きく広がる中で、その配分に多少の問題があろうとも、国民の生活も潤っていったので、あまり文句も出なかったのです。 しかし90年代以降一転して低成長時代に突入します。 資源と言えば人的資源のみで、世界の工場だった我が国が、その地位を東南アジアや中国に奪われていった結果です。 さらに今では世界でも有数の少子高齢化の国となり、その唯一の資源さえも危うくなりました。 このように国全体のパイが小さくなると、その配分には少しの無駄も許されなくなります。 

 現在世界の中で富の配分が劣悪なのは軍事政権や独裁政権などの非民主国家です。 たとえば先頃サイクロンの甚大な被害を受けたばかりのミャンマーですが、各国からの救援物資は被災者に充分届いていません。 途中で権力者、役人などが収奪、横流ししているからです。 あまつさえ軍事政権は殆どの国からの人的応援を拒否しています。 国民の命よりも、実情を外の目に曝されないことの方が大事なのです。 やや遅れて四川省が未曾有の大地震に見舞われた中国ですが、民間や外国資本の建物が無事な中、学校の校舎は軒並みペシャンコになり“お殻校舎”と呼ばれています。 これら公共建築物に大規模な手抜き工事があり、おびただしい数の幼い命と引き換えに、業者と役人が甘い汁を吸ったのでしょう。 現在中国政府は本件の報道を厳しく規制する一方で、共産党員や官僚に多発する腐敗の撲滅に大わらわです。

 逆に富の配分で比較的良好なのは欧米先進諸国です。 米、英、独、仏など各国は選挙を通じ時計の振り子のように政権交代を繰り返します。 そこでは与野党がこぞって国民の声に耳を澄ませ、国民のための政治がおこなわれています。 その政府と省庁との間に癒着やなれ合いは起きにくいでしょう。 仮に与党と癒着した不正があったとしても、次に野党に政権が移ったとたんに摘発されるからです。 特に米国では政権交代があると、官僚の上層部もガラリと交代するようです。 かくして前政権時代の行政評価が次政権によって厳格に判定され、新しい民意が省庁の末端まで徹底されやすいのです。 たとえば出生率ですが、これらの国ではかなり以前に底を打ち、上昇しています。 これは政府の施策により、子供を産んでも何とか育てていけるという安心感が国民の間に定着した証拠です。 また新薬の承認も我が国よりはるかに早いです。 これも政府が国民の健康と命を大事にしている証拠と言えるでしょう。

 現在の我が国はこれら両者の中間に位置していると言えるでしょう。 民主国家には違いないのですが、自民党政権が長く続き、本格的な政権交代が無かったからです。 その弊害のひとつは政権党と官僚の癒着にあります。 本来前者は国民の信を受けて行政の実務部隊たる後者を指揮監督するもので、両者の間には適当な緊張感が必要です。 しかし現実は自民党と官僚は一体化し、相互依存していて省庁の権限を地方に移譲するとか、天下りを全廃するなど、省庁の利に反する政策は一向に進みません。 更に年金管理のルーズさ、後期高齢者医療制度設計の杜撰さなど低いレベルの仕事ぶりや最近発覚した“居酒屋タクシー”に代表されるような税金の浪費と特権意識もあります。 これらは政権が省庁をまともに指揮監督できていないことを示しています。 

 弊害の二つ目は真に国民のための政治になっていないことです。 水俣病をはじめとする多くの公害やサリドマイド禍をはじめとする幾多の薬害での行政の対応を見ても、国民の健康や命よりも企業の利益を優先したことが分かります。 最近の財政再建においてもどこを切り詰めるかといえば、主に社会保障費や生活保護の母子加算、老齢加算などです。 また何を増税するかといえば低所得者に辛い消費税と大多数の国民の所得税です。 一方で企業には研究費助成や法人税などで減税をし、一握りの高所得者の所得税の累進税率は大幅に下げました。 つまり弱きをくじき強きを助ける政治になっているのです。 政権交代のないところでは政治家の関心は声なき国民よりも資金があり、声も大きいものの方に向きがちです。

 それでは国民の大多数がこの長期政権を支持してきた理由は何なのでしょうか。 変化を好まない国民性とあいまった民度の低さではないでしょうか。 かつてある選挙区では政府高官を務めた有力国会議員が“愛郷無限”と書いた広告塔を立て、同じ文言の宣伝ビラを配っていました。 つまりトップクラスの大臣でも選挙区に利益をもたらさないと選挙に勝てなかったのです。 中央とのパイプを誇示し我田引鉄や我田引道をする人へ投票する有権者が大勢を占めていました。 目先の利益や職域、地域のしがらみで議員を選び、理念や政策で選んでこなかった付けが、今国民に先行き不安という形でのしかかっているのです。 国政選挙でも50%を切るような低投票率も民度の低い証拠です。 政治に無関心な人が多ければそれなりの政治しか与えられないということでしょう。

 今衆参両院にねじれが生じており、政権交代の一歩手前の状態にあります。 自民党のある元首相はこれを“政治が進まない困った状態”とし、“大合同ならぬ小合同をすべし”と言っています。 確かに彼らにとっては困った状態に違いありません。 しかし自民党が民主党に抱きつき、自民党を含む政権がさらに続くようでは国民が困るのです。 遅くとも来年の秋までには総選挙があります。 ここで国民はこぞって政権交代を実現させましょう。 そして少なくとも数年はこれを持続させ、半世紀に及ぶ政治と官僚の癒着による悪弊を一掃させましょう。 永田町と霞が関及び地方にある税金の無駄遣いを正すだけでもかなりの財源が生まれると思います。 また政権を度々変えることによって国民が真の主人になっていくことでしょう。 政権交代のある政治は不安定で落ち着かないように思えるかもしれません。 しかし欧米の先進国ではすでにこの状態が続いており、その国民は少なくとも現在の日本国民よりも幸せなのです。