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慰安婦像問題の底流

2017-12-31 15:17:48 | より良き我国のために
 先月米国サンフランシスコ市は市民団体が建てた慰安婦像の寄贈を正式に受け入れました。これに続いてフィリピン国マニラ市にも慰安婦像が建てられました。現在いわゆる慰安婦像は韓国内を含めて世界中に50体以上あります。何れも第二次世界大戦での日本軍による性奴隷を告発し、我が国の真摯な認識と謝罪を求める意味が込められています。

 一方アウシュビッツに代表される同大戦中のホロコーストを象徴する像や記念碑も世界中に数多くありますが、日本の在外公館などの近くに今なお続々と立てられる慰安婦像の様な、認識と謝罪を求めるような目的の物は皆無です。この差は一体何なのでしょうか。ホロコーストの被害民族は寛容で、慰安婦の被害民族が非寛容と言うことでは決してありません。それは加害民族側の反省度合いの違いによるものだと思われます。

 ドイツは反ナチス法によってナチスの罪状を認め、ナチスを礼賛する言動には厳罰をもって戒めます。学生は授業でこれらを必ず学びます。満州事変以降の歴史をまともに教えていない我が国とは大違いです。ドイツの大統領を始めとする指導者は被害国を訪れて謝罪します。時には墓前に跪きもするのです。このドイツの徹底した行動が被害民族の心の琴線に触れて受け入れられて来たのではないでしょうか。

 一方我が国はどうだったでしょうか。岸信介元首相は開戦時の東条内閣の閣僚でした。戦中に東条首相とは離反してはいますが、これをドイツに例えればヒトラー政権の閣僚の一人が戦後12年目に首相に選ばれたと同じ事になり、全くあり得ないことです。このドイツとの比較で、日本民族が本心での反省をしていないと思われても仕方のないことなのです。

 日本国憲法の平和主義は被害民族にとっては日本国民の反省と誓いの象徴です。然るに岸元首相はこの憲法を改定し、自主憲法制定を目指す勢力の源流となりました。しかも9条を改変し再軍備をも目指したのでアジア諸国は警戒したのです。岸氏は開戦の動機として「経済封鎖を受け、生きるためやむなく戦った」と語っています。これは現在の北朝鮮首脳も言いそうな言葉ではないでしょうか。そこには国内外に数千万人の犠牲者を出した責任の一端を担ったことへの反省がありません。

 岸元総理と同様に公職追放を解除された旧指導層の多くが我が国の各層各分野に復帰しました。現在の日本会議や日本基本問題研究会などの右派勢力は彼らを源流としています。彼らは岸元総理の孫にあたる安倍総理の改憲、再軍備姿勢を支えています。もしも戦後の日本国民が岸氏など旧指導層の復帰を許していなかったなら、今慰安婦像が日本大使館や総領事館前に立てられることもなかったのではないでしょうか。そして岸氏の薫陶を受けかつ尊敬していたという安倍晋三氏の首相就任も無かったかもしれません。

 慰安婦問題を始めとする歴史認識に関して、我が国は河野談話や村山談話で謝罪の態度を明らかにしてきました。しかし一方で上記の右派勢力の閣僚などが必ずこれを打ち消すような言動をしてきたのです。A級戦犯合祀後の総理・閣僚による靖国神社参拝も被害諸国民の心を逆撫で続けました。結果として我が国の歴史認識と謝罪の誠意がうやむやになってしまったのです。安倍氏はかつて「何度謝れば良いのか?」とか「次世代に謝罪する宿命を背負わせない」などと発言していますが、そもそも相手が「まだ本気で謝罪していない」と感じているのですから無意味な話です。

 慰安婦問題に限らず、南京虐殺問題も同様です。中国がユネスコに記憶遺産として申請した南京虐殺文書に関して我が国は難癖をつけました。これを採用したユネスコに対してその分担金支払いを一時留保したのです。一方ドイツはアウシュビッツ強制収容所に関する文書を加害者として自らユネスコの記憶遺産に申請しています。この差が問題なのです。

 我が国は今からでも歴史を直視して「反ナチス法」に相当する法律を制定すべきです。それを掲げて被害民族に謝罪するのです。国のリーダーはソウルや南京に出掛け、被害者やその遺族に直接会って謝罪する必要があります。しかしこれは安倍総理では無理でしょう。例え彼がそれを実行しても、先方は「口先のみ」としか受け取らないと思います。一刻も早く彼を退陣させ、よりリベラルな政権を選んでこれらを実行してもらおうではありませんか。