より良き明日の為に

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「いつまで詫びれば良いのか」への回答

2015-08-16 15:35:52 | より良き我国のために
 14日の安倍総理の首相談話は肝心なところに主語が無く、「過去の首相談話ではこう言っていた」という解説書の様なものでした。しかし安倍総理の本心は「侵略」や「お詫び」が主語を以て語られた村山談話からはかけ離れています。それは総理自身を含めて側近や閣僚の大部分が所属する「日本会議」、政権の応援団である「国家基本問題研究所」、歴史観を共有する「新しい歴史教科書をつくる会」、同様の靖国神社の「遊就館」の展示内容に示された主張等に現れています。
 更に今回の首相談話には「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」というくだりがあります。しかし「許す、もう謝罪はいらない」と言うのは被害者側であって加害者側ではありません。加害者側が「これからは謝罪しない」という為にはそれまでに被害者側に充分誠意を以て謝り、納得を得た上で「もういい」と言ってもらうしかないのです。
 然るに安倍氏とその仲間達は河野談話に対して、「広義の強制性はあったが、狭義の強制性は無かった」と言って世界中の顰蹙を買いました。更に村山談話に対しては「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」としてこれを否定し、やはり世界中に波紋を広げました。このように河野談話や村山談話で我が国の非を認め、お詫びをしても必ずこれを否定する言論が後を絶たなかったのです。繰り返される総理や閣僚の靖国神社参拝も被害者側の傷に塩をすり込むような所業でした。これが「何回詫びても近隣国に許してもらえない」原因の最たるものの一つです。「日本国民は本気で謝っていない」と受け取られているのです。
 従って「孫以降の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせない」為には先ず主権者たる国民が安倍政権を倒し、「日本会議」に属さず、「国家基本問題研究所」、「新しい歴史教科書をつくる会」及び「遊就館の展示内容」の何れとも相容れない政権を選ぶことです。次にその総理大臣が先日鳩山元総理がソウル西大門で見せたような、中国や韓国の人々の心に響くような姿でお詫びをすることです。更には満州事変以降の日本の所業を包み隠さず全ての生徒や学生に学ばせることです。また靖国神社に変わる国立の戦没者墓地を作らねばなりません。そして現憲法に照らして違憲性の強い法律等も破棄又は改定しなければなりません。それは国旗国歌法、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、道徳教育の正規科目化、刑事訴訟法の中の拡大盗聴法と司法取引導入、現在審議中の安保関連法案、及び教育への政治介入を目指す地方教育行政法改正案などです。
 これらは全て自民党政権取り分け安倍政権が改憲を目指し、我が国を「戦争する国」に変える為に作ってきたものばかりです。これらを一掃して初めて日本国民が先の大戦での所業を真に反省し、平和憲法の主旨に戻って世界の平和に貢献していく姿勢を世界に示すことができるでしょう。やがて中国民や韓国民もそれを認め、「もう謝らなくともいい」と言ってくれる日が来るのだと思います。
 

賞賛 鳩山元総理

2015-08-15 15:40:02 | より良き我国のために
 一昨日鳩山元総理がソウル西大門で膝まずいて過去の植民地政策等を謝罪しました。その姿が土下座に見えるので我が国ではネット上で批判する声もあります。
 しかしむしろ賞賛すべきではないでしょうか。もっともっと早くから我が国の指導者は韓国や中国の人々の心に直接響く反省とお詫びの姿を見せるべきだったと思うのです。

山崩しと「Boots on the ground!」

2015-08-07 19:16:55 | より良き我国のために
 皆さんは山崩しという遊びを御存じでしょうか。土を盛り上げて高さ10㎝程の山を築き、頂上に棒を差し立てて準備完了です。数人が順番を決めて裾の方から土を取り除き山を崩して行きます。棒は段々支えを失って倒れ掛かり、最後に棒の先端を地に着けた者が負けになります。如何に棒を倒さずに多くの土を取り除けるかを競う遊びです。
 今まさに参院で審議中の「安保関連法案」ですが、安倍総理は5月14日の記者会見で次のように言っています。「安保条約を改定したときにも、また、PKO協力法を制定したときにも、必ずと言っていいほど、戦争に巻き込まれるといった批判が噴出しました。しかし、そうした批判が全く的外れなものであったことは、これまでの歴史が証明しています。」
 また国家基本問題研究所も8月6日の新聞意見広告「安保法制が『戦争法案』ですって?」の中で同様の指摘をしています。
 果たして本当に「全くの的外れ」だったのでしょうか。実は戦後国民が挙って築き上げた「平和憲法」という山の天辺に差し立てた「9条」という棒の山崩しが徐々に進んで来たのではないでしょうか。
 1950年の警察予備隊創設、1951年の旧日米安保条約締結、1954年の自衛隊法公布、1960年の日米安保条約改定、1992年のPKO協力法制定、2004年の自衛隊イラク派兵、昨年施行されたばかりの特定秘密保護法、そして近く成立確実な「司法取引と通信傍受拡大」を含む刑事訴訟法改正…と一掻き毎に「憲法9条」を支える土を減らし、今や「9条の棒」は45度程まで傾いています。
 そして更に「安保関連法案」が可決されればこの「棒」は実質的にほぼ倒れてしまうでしょう。安倍政権は「この法案は集団的自衛権を『新3要件』で限定して容認するもので、米国の戦争に我が国が巻き込まれることは決して無い」と言います。その「新3要件」は(1)密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある〈存立危機事態〉(2)我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使にとどまる、の3つです。
 どの要件も曖昧で時の政権の思惑一つで如何様にも判断できそうです。これまでの歯止め「集団的自衛権は有するも憲法9条の制約上これを行使出来ない」の明快さには遥かに及びません。そこで思い出すのは今世紀の初めに米国から発せられた次の2つの言葉です。
 「Show the FLAG」(旗幟を明らかにしろ)は9.11同時多発テロの際に米国アーミテージ国務副長官が柳井駐米大使に協力要請した時の言葉とされています。この時小泉政権は他のどの国よりも早く共闘を表明しました。
 「Boots on the ground」(野球場に来るなら観客になるな、投手や捕手をやれとは言わないが試合に出ろ)はイラク戦争開戦時に日本の役割を野球に例えて要請した同副長官の言葉です。これに対しても小泉政権は陸自をサマーワに、空自をクエートに派兵しました。
 もしもこの度の「安保関連法案」が可決して制定された後、米国が中東や南シナ海などで戦闘状態に入り、「俺が捕手になるからお前が投げろ!」と言って来た時、「新3要件」を盾に断わり切れるでしょうか。甚だ困難と言わざるを得ません。米国から見れば、彼らのかねてからの要望に沿って、漸く日本が集団的自衛権行使容認に踏み切り、憲法9条の縛りが無くなったと見えることでしょう。つまり米国の戦争に我が国は否応なく巻き込まれて行くのです。