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手ぬぐい浴衣

2016-12-31 16:01:32 | セピア色の日々
 1955年私が小学校に上がる頃のことです。母は家族の布団や褞袍、ちゃんちゃんこ、寝巻などを手作りしていました。ただし材料は新品では無く、大抵は古着をほどいて洗い張りした布や打ち直した綿を使っていました。綿入れの際には私も手伝わされたものです。
 夏も近づく頃、母は私の為に浴衣を拵えました。布地は珍しく古着では無く新品でした。ただし新品は新品でも全て手ぬぐいです。それも「北西酒造」と大きく紺色に染め抜かれていました。これを何枚もつなぎ合わせて浴衣にしたのです。
 北西酒造は我が家に醤油を収めていました。醤油が残り少なくなったころ、藍色の前掛けをしてメガネを掛けたおじさんが醤油ダルを担いでやって来ます。新しい木樽の平面外周近くに直径3センチほどの丸穴をあけ、古い樽の栓をコンコンと叩いて外してはそれを新しい方の穴に取り付けます。その作業はガラガラ声での世間話の合間に終わるのでした。「まいどあり!」と言って古い樽を担いで帰る時、例の手ぬぐいを置いて行くので、我が家にはかなり新品が溜まっていたのです。
 仕上がったのはまるで「北西酒造」の宣伝用のような浴衣でした。それでも私は新品の浴衣を気に入り、それを着て夏祭りに出掛けたのです。盆踊り会場で同じ年恰好の女子とすれ違いました。先方は色鮮やかな花柄の浴衣を着ていました。
 「それ寝巻?」その子は私に尋ねたのです。彼女から見れば寝巻にしか見えなかったのでしょう。私はそれに答えず、黙って踊りの輪に入りました。踊りながらも少し離れていた母にそれが聞こえたかどうかが気がかりでした。
 弾んでいた心が急に落ち込んでしまったあの夜の光景は今でも脳裏に浮かびます。しかし1997年に亡くなった母には勿論ずっと内緒で通し、母もそれに触れることはありませんでした。