韓国雑記帳~韓国草の根塾&日韓環境情報センター&ジャパンフィルムプロジェクトブログ

韓国に暮らして30年。なぜか韓国、いまだに韓国、明日も韓国。2022年もよろしくお願いします。

男は船 女は港 シム・スボン

2011-10-31 02:29:50 | ソウル・メモリーズ~7080

심 수봉( シム・スボン)

 

 昔は演歌(韓国ではトロットといいます)があまり好きじゃなかったんですが、だんだん年をとるにつれて、じゃないな、いろいろなトロットの名歌を聴いて、やっぱり韓国の歌謡曲もすごい、トロットも半端じゃないなと実感したのですが、そんな名曲のうちのひとつが、これです。

 たぶん日本のカラオケにも入っているでしょう。内容はそちらをご覧になってください。それよりもシム・スボンについてメモしておきましょう。デビューは78年、大学歌謡祭で「그 때 그 사람(あの時 あの人)」でデビュー、ピアノの弾き語りで歌った様子はユーチューブでも見ることができます。この歌もいい歌なのですが、大学生らしくないということで入賞できなかったとか。まあ、そんな時代だったのでしょう。

 彼女は自分でも作詞作曲をするわけで、このあたり、すごいですね。もうひとつ彼女を<有名>にした事件が、パク・チョンヒ大統領の暗殺事件。実は、現場にいたそうで、その後しばらく活動できませんでした。

 もう、50代後半なのに、声の艶は魅力的ですね。このほかにもいい曲がありそうなので、探して見ます。ということで、今日はなつかしのメロディでした。

 


懐かしさがいっぱいの映画「サニー」

2011-06-13 02:13:27 | ソウル・メモリーズ~7080

韓国映画「サニー」予告編

 25年前、僕は水道橋の韓国YMCAでチャンゴを習いだしたころだ。韓国にはじめて行ったのは、たしか86年ごろ。韓国の街並みも、若者のファッションも、車のスタイルも、食べ物も、本当に変わった。そんな昔の様子を背景に、7人の<お姫様>の物語が、この「サニー」だ。

 高校時代に仲間と秘密のグループを作ったりしたことのある人なら、思い浮かぶシーンが満載だ。僕の連れ合いも、高校時代にかなりの「人気者」だったそうで、映画と同じような経験をしたことがあるという。高校の友人は特別だ、一生の友達だと連れ合いからよく言われていたが、この映画を見ると、納得できる。韓国の高校、とくに80年代を高校で過ごした人たちには、青春そのものが高校にあったことが分かる。

 ストーリーは、単純明快。母親の見舞いに行った病院で、高校時代の友人に出会う主人公。友人はガンの宣告を受け、余命わずか。最後の望みは高校時代の仲間に会うことだった・・・。と、ここまで書けば、大体分かるでしょう。高校生で登場する主人公たちが、魅力的だ。みんな新人だけど、80年代を生きている。

 「スピード・スキャンダル」のカン・ヒョンチョル監督が、またまた新人を使ってヒットをとばしたと、いま韓国で話題です。日本でDVDが出たら、ぜひ見てください。

 おまけ;それにしても、僕の高校時代とは大違い。社会問題に目覚めてしまい、高校生のクセに「朝日ジャーナル」や「展望」や「世界」を読んでいたのだから、青春とは程遠い毎日でした。そのうえ、よくサボったし。今になり、後悔しても遅すぎますね。

 

 

 


初めて韓国に来た時

2010-11-11 02:27:04 | ソウル・メモリーズ~7080
 86年の夏に初めて韓国に来たことがあります。

 水道橋にある在日YMCAのツアーで済州、光州、慶州、ソウルと回ったのでした。このツアーで一番記憶に残っているところが光州です。YMCAを訪問したのですが、ちょうどタルチュム(仮面劇)の練習をしていました。練習が終わってからYMCAのメンバーたちと一緒に食事をすることになりました。

 話をしているうちに(通訳を通してですが)歌の話になり、キム・ミンギの「朝露」が好きだというと、この歌は禁止されているからと、すぐに話題を変えたのが印象的でした。で、歌を歌おうということになり、彼らは「5月の歌」という80年5月の光州の民主化闘争のときに歌われた歌を大声で歌いだすので、大丈夫かなと、かなり心配したことを覚えています。

 後から分った話ですが、僕たちの泊まったホテルはちゃんと監視されていたそうで、僕たちが出発した後、警察が調べに来たそうです。当時は、夜間の外出もまだ制限されていた時代、楽しかったたびですが、ちょっと緊張したのも覚えています。

月刊宝島のこと

2009-07-18 02:17:30 | ソウル・メモリーズ~7080
 今手元にはないのですが、僕が韓国に係り出すきっかけになった本があります。月刊宝島(別冊宝島かもしれません)の「朝鮮・韓国を知る本」です。この本、歴史、文化、社会と幅広い範囲にわたって、韓国のことを分かりやすく解説した本で、当時としては画期的なものでした。

 皆さんの中にも、この本を読んだ事のある方がいらっしゃるのではないでしょうか? 80年代ごろ、周囲からの冷たい視線(?)に耐えながら韓国マニア、韓国オタクになった人間にとっては、必読書だったと思います。

 急に昔が懐かしくなり、書きました。探したら写真もありましたよ。こんな表紙でした。


ヘバラギのサランウロ

2009-05-30 02:16:51 | ソウル・メモリーズ~7080
 ヘバラギ(韓国語でひまわりと言う意味)という男性2人組みのグループの歌で<사랑으로>というとても有名な歌があります。こちらの飲み会などでよく〆に歌われますが、とてもいい歌です。

   내가 살아가는 동안에 할 일이 또하나 있지
   僕が 生きている間 やる事はもう一つあるだろう

   바람부는 벌판에 서 있어도 나는 외롭지 않아
   風吹く 野原に 立っていても 僕は寂しくない

   (中略)

   아아 영원히 변치않을 우리들의 사랑으로
   ああ 永遠に変わらない 僕たちの愛で

   어두운 곳에 손을 내밀어 밝혀 주리라
   暗いところに 手を指し出し 明るくしよう

 こんな歌詞ですが、実は先日なくなったノ・ムヒョン前大統領が好きだった歌でした。昨日行われた<国民葬>の後半、ソウル市役所前で行われた<野辺送り>の最後でこの歌が歌われました。最初の出だしの部分は、ノ・ムヒョン前大統領の肉声です。

故ノム・ヒョン前大統領 <May 29, 2009>


 20万人とも40万人とも言われる市民が一緒に歌って送りだす光景は、感動的でした。これほどまで国民から愛され、親しまれた政治家がどれだけいたのだろうかとあらためて考えさせられました。

 この<野辺送り>で司会をしていたキム・ジェドンのコメントも、とても感動的でした。ノ・ムヒョン前大統領の残した遺書のワン・フレーズごとにコメントを述べましたが、会場にいた人たちや僕のようにテレビで見ていた人たちの複雑な気持ちを的確に代弁してくれました。このコメント、明日にでも探してみます。

キムドクス・サムルノリのこと

2009-05-21 01:10:16 | ソウル・メモリーズ~7080
 韓国で暮らすようになったもう一つのきっかけが、キムドクス・サムルノリです。

Kim Duk-soo, Samulnoree


 サムルとは四物、ここではチャンゴ、プック、チン、そしてクェンガリの四つの打楽器のこと。ノリは遊びのこと。この二つの言葉を繋げて、舞台パフォーマンスにしたのがキムドクスたちです。韓国各地に伝わるプンムル、いわば韓国版の神楽ですね、これをいろいろアレンジして70年代の後半に作ったわけです。

 ですから、音楽自体、とくにチャンダンとよばれているリズム・パターンとその組み合わせは伝統そのものです。ですが1時間半程度の舞台パフォーマンスとして再構築したところは、キムドクスたちの才能の結果でしょう。キルノリ(入場パフォーマンス)、コサ(お祈りとピナリという唱)、アンジュンパン(座って演奏するもの)、パンクッ(踊りながら演奏するもの)、フィーナーレと続いていく一連の流れは、ものすごい迫力でした。
 
 このサムルノリに夢中になったのです。
 80年代の中盤から後半まで、東京周辺で行われたコンサートはほとんど行きました。芝の増上寺、サントリーホール、世田谷美術館、荒川区民ホール、高麗神社、横浜、五反田の簡易保険ホールなど、今では信じられないぐらいです。僕だけでなく、そんな<追っかけ>をする日本人や在日韓国人が何人もいました。
 結局、コンサートに行くだけでは物足りず、チャンゴを習い始め、キムドクス本人に習う機会もありました。そして、芸は身を滅ぼすという言葉の通り、勤めていた職場をやめて韓国にまで来てしまったわけです。

 今では手元にチャンゴもありませんし、コンサートに行く機会もありません。でもあの時覚えたチャンダンは今でもしっかりと体に染み付いています。たぶん、一生忘れることはないでしょう。チャンゴについては思いがありすぎて、書いても書いても足らないぐらいです。

 いったい何が僕を、あれだけ夢中にさせ、韓国で暮らすようにさせたのか、まだよく分からないのが正直なところです。それだけのインパクトが何だったのか、ぼちぼち考えて見ましょう。 

ヤン・ヒウン&キム・ミンギのアチムミスル(朝露)

2009-05-17 00:22:23 | ソウル・メモリーズ~7080
 韓国の歌の中で、いちばん思い入れのある歌がこの歌です。

ヤンヒウンのアチムミスル(朝露)


 動画ファイルは、KBSで放送中の<7080>という70~80年代の思い出のメロディーを聞かせてくれるテレビ番組のもの。真ん中ぐらいから歌が始まります。全般部分はこの歌についての解説。内容を知りたい方はコメント欄に書き込み、お願いします。

 僕がまだ日本で暮らしていた頃、ちょっとしたきっかけでこの歌を知りました。当時、韓国では歌ってはダメ! という歌に指定されていて、テレビはもちろん、外で歌うのもダメだったそうです。歌詞には政治的な主張とかスローガンもないのに禁止になったのですから、当時のパク・チョンヒ政権がどれほど抑圧的だったのか分かると思います。

 僕が韓国で暮らし始めた頃には、ようやく歌えるようになりました。一番好きな歌は<アチムミスル>だよと韓国人に言うと、なぜ知っているんだ、と必ず聞かれたものです。いろんな人と、いろんな場所で歌った歌、アチムミスル。僕が韓国にかかわりだしたルーツのひとつです。

 

僕の韓流 ~ 7080コンサート

2009-04-02 16:22:49 | ソウル・メモリーズ~7080
 KBSの音楽番組の中に、「7080コンサート」というのがあります。70年代、80年代に流行った歌を聞かせてくれる音楽番組で、大体の場合、当時の歌手が出演します。

 80年ごろから韓国に興味を持ち始めた僕としては、聞いた事のある歌手や好きだった歌手が登場したりして、けっこうお気に入りの番組の一つです。先日、イ・ソニ(李仙姫)という女性の歌手が出てきて、久しぶりにたっぷり聞かせてもらいました。

 僕の一番の好きな歌が「美しい江山(아름다운 강산)です。顔に似合わずパワフルな歌い方なので、好き嫌いがあるかもしれませんが、聞いてみてください。

 イ・ソンヒ - 美しい江山


*前のほうかこの歌です。左下にハングルの歌詞があるので、勉強中の方はどうぞ。



仁旺山(イナンサン)~ソウル再発見

2009-03-05 10:01:06 | ソウル・メモリーズ~7080
 ソウル旧市内(四大門の内側です)はぐるりと四方を山に取り囲まれています。北側が北岳山(プガクサン)、東側が駱山(ナクサン)、南側が南山(ナムサン)、そして西側が仁旺山(イナンサン)です。

 山といってもそれぞれ300メートルぐらいの小さなもの。でも、どれも特徴が違い、比べてみると面白いですよ。一番観光客に知られているのが南山、ソウルタワーもあるので、年中観光客で賑わっています。

 今日紹介するのが西側の仁旺山、あまり知られていない山です。実は、僕が韓国で暮らす前、観光旅行でソウルにきたとき、登ったことがある山なのです。ここには、<ソンバウィ>というちょっと形の変わった岩があり、信仰の対象になっています。

 旅行できたときは、まだ80年代の半ばごろ、民主化されていない時期でした。山の上から写真を撮ってはだめだと、おじさんに注意されたことを思い出します。それにしても、観光旅行でよくこんなところまで来たものだと、我ながら感心しますね。

 この山は、地下鉄3号線の独立門の駅から歩いて登れます。途中、小さなお寺やムーダンの儀式をするお堂などがあるので、なかなかスゴイ雰囲気です。今回登ったときも、岩の前で熱心にお祈りする人がいました。



仁旺山入口の山門。ここまで登るのが大変です。



頂上付近のソンバウィ。この日も祈っている人がいました。



地下鉄の独立門駅で降ります。表示板にしたがって階段や坂道を30分ぐらい登っていきます。

語学堂のこと

2008-08-05 09:56:47 | ソウル・メモリーズ~7080
 僕が延世大学の韓国語語学堂(한국어학당)に通ったのは、1989年の3月から翌年の2月までです。語学堂で1年弱、韓国語を勉強したわけです。そのあと、高麗大学の大学院で民俗学の勉強のまねをしました。

 もう20年も昔の話です。当時の語学堂は、図書館の横の2階建て(もしかすると、地下1階、地上2階建てかもしれない)の小さい建物でした。僕の入学したときは、ソウルオリンピックが終ったばかりで、ちょっとした韓国ブームのとき。語学堂の入学者数が増えだした頃です。ですから、一番やさしい1級から3級まではこの建物で授業を行い、4級から6級は大学の裏側にある寄宿舎の一部を利用していました。あのころは、学生の過激なデモも盛んな頃で、催涙ガスの臭いが残る中、勉強した覚えがあります。

 僕は日本で少し勉強していたので、2級からスタート。でも、独学だったので、発音をあいまいに覚えてしまったため、今でも発音と正確な書き取りでいつも間違えてばかりいます。ですから、これから勉強する人には「最初が肝心、ちゃんとした先生から教わったほうがいいですよ」と、いつも言っています。

 最近思うのは、語学堂でいっしょに勉強した人たちです。日本人、在日韓国人、在米韓国人、アメリカ人、ニュージーランド人、台湾人、ドイツ人、イラン人、シンガポール人、イギリス人…。いろいろな人と一緒に勉強しました。年月が経ったせいなのか、韓国に係り続けているせいなのか、かつての同級生に会いたいなという気持ちが強くなってきました。

 それで、語学堂の<同窓会>をネットでやりたいなと思っています。<goo>のコミュニティーなどを使えばできますよね。いっしょにやってくれる人がいたら、ぜひ始めてみませんか。語学堂同窓会ネットワークを作れば、いろいろな情報交換もできるし、韓国関係の仕事を続けている人にとっては、プラスになる面もあると思います。興味のある人は、ぜひ書き込みお願いします。