シファ湖について、ちょっと紹介しましょう。
90年代の中ばには<死の湖>とまで言われたシファ湖ですが、現在では防潮堤のゲートから1日に2回、海水が流通してすっかり水質もよくなり、環境改善が図られ、生物多様性も向上しています。南側の工事予定地周辺が湿地となって、渡り鳥の棲息地・越冬地となり、ラムサール登録も進められています。
もともと、国の政策として淡水湖として作られた人工湖でしたが、政府自ら淡水化を放棄して海水流通と始めた点は、示唆するところが大きいと思います。また、開発のあり方をめぐって官民協議会が設置されて、社会的な合意をはかるという部分も注目したいと思います。
この背景には、90年代半ばから本格的になった韓国の環境運動の活動があり、また1998年からの金大中政権の進歩的な政策もありました。このあたりは、ぜひ機会があればまとめてみようと思いますが、今回は、シファ湖の環境問題を中心にした流れを紹介します。
シファ湖の奥にある蘆原湿地公園。
<始華(シファ)湖の環境問題のながれ>
韓国水資源公社が1987年から1994年1月まで、京畿道の海岸にある安山(アンサン)、華城(ファソン)、始興(シフン)に接していた京畿湾とその干潟に潮止め堤防工事と埋め立て工事をして作られた人工湖がシファ湖だ。
ソウルから西南に約35km離れたところにあり、周辺には仁川(インチョン)、水原(スウォン)、安養(アンヤン)などの都市が隣接している。 行政区域上では京畿道始興市、華城郡(現在は華城市)や安山市にわたっている。
シファ湖は防潮堤の長さだけで12.6kmに達し、湖の面積が6100ha、水の量が1億8000万トンの巨大な人工湖で、この<始華地区>はシファ湖(1329万坪)や干拓地(3254万坪、防潮堤で陸地化した土地)で構成されている。
この地域に対する干拓事業は1960年代からその可能性が検討されて、1987年6月から韓国水資源公社によって事業が進められ、1994年1月に潮止め堤防工事が完了した。 当初の計画によると、始華地区には、農耕地や工業団地、そして用水を供給するきれいな淡水湖が造成される予定だった。 しかし、環境基盤施設が整わない状態で1994年1月に防潮堤の工事が完了したため、半月(パンノル)工業団地の廃水などがそのまま流入し、始華湖は“死の湖”に変わった。
1996年6月にはCOD(化学的酸素要求量)が20.3ppmに上がり、始華湖に対する解決策をめぐって政府と環境団体が対立している中、水資源公社が水質改善のために、汚染したシファ湖の水を無断で放流する事件が起きた。 1997年3月にはCOD(化学的酸素要求量)が最高26ppmまで高まると、政府は淡水化計画を一時中断して、防潮堤の水門を開放して汚染されたシファ湖の水を海水で希釈した。 この結果、西海(ソヘ)沿岸の堆積物には重金属が溜まって赤潮現象が現れるなど、西海が汚染され始めた。
結局、2001年1月、政府はシファ湖の淡水化計画を完全白紙化し、その後海水湖として管理している。 この海水化によりシファ湖は渡り鳥の飛来地、陸上動植物の棲息地に変貌し、特に2002年にオープンした葦原湿地公園(現在はアンサン市が管理)は、シファ湖の自然が回復するのに大きな役割を果たした。 また、現在、防潮堤の海水流通を活用して世界的規模の潮力発電所が稼動している。
潮力発電所のようす。
一方、2001年にはシファ湖北側の干拓地に約9.26平方キロメートルに達する環境親和的、先端複合都市を造成するシファマルチテクノバレー(MTV)造成事業計画が告示された。 シファMTV事業はシファ湖の干拓地に2016年まで2兆3940億ウォンを投じて先端産業団地と商業ㆍ業務団地、物流ㆍ流通団地、観光ㆍレジャー団地が調和する複合都市を作る事業だ。 しかし、開発による環境悪化を懸念する市民団体の反対に事業推進は中断、これに政府と環境団体は、すべての論議を原点から再検討することを目的に、2004年、<始華地域持続可能発展協議会>という官民協議体を構成した。
以後、政府と自治体、事業施行者、地域住民、市民環境団体など、計38人で構成された協議会は3年8ヵ月間、140回あまりにわたった議論の末、ついに環境に配慮した開発案への社会的合意を成し遂げた。 これによって2001年の開発計画の告示の6年後の2007年8月15日、シファMTV開発事業起工式が行われ、工事が進行中である。(ネイバー、知識百科より、分かりにくい部分は若干補足しました)
蘆原湿地公園のチェ・ジョンインさん。<シファ湖守り人>として有名です。
現在、渡り鳥の楽園になっています。