韓国雑記帳~韓国草の根塾&日韓環境情報センター&ジャパンフィルムプロジェクトブログ

韓国に暮らして30年。なぜか韓国、いまだに韓国、明日も韓国。2022年もよろしくお願いします。

スンチョン湾保全運動の歩み~その3

2013-04-25 00:39:24 | 環境問題&有機農業

 先週の週末からスンチョン市で始まった「庭園博覧会」は、なかなか好調なスタートを切ったようです。先週の土日だけで8万人以上が訪れ、予想以上の入場者数だったそうです。ただ、休憩施設などが少ない、ベビーカーや車椅子用のスロープが一部の施設で整備されていないなどの問題点があるとニュースで指摘しておりましたね。でも、一番の問題は、スンチョン湾までの新しい交通手段として鳴り物入りで宣伝していた無人小型モノレール(と勝手に命名しました)の完成が間に合わなかったことなんですが、マスコミではほとんど報道しませんね。こんどスンチョンに行ったら、この点を調べて見ます。

 さて、スンチョン湾の保全運動ですが、98年の9月に河口での砂利の浚渫計画が中止になり芦原は守られましたが、河川の直線化という問題が残ってしまいました。河川の直線化は、国家予算がつく、川の浚渫で砂利が手に入る、元の川の河川敷を農地に使えるなど、地方自治体にとっては<おいしい>土木工事ですし、雨期の洪水や堤防の決壊などにおびえる流域の住民にとっては宿願とも言える工事といえます。スンチョンでも例外ではなく、河川の直線化という問題は市民運動と流域住民の間に厳しい葛藤と対立を呼び起こしてしまいます。

そのうえ、国立公園管理公団がスンチョン湾の国立公園化を検討し、また環境部はラムサール湿地登録を検討するなどのスンチョン湾の保護区域化の報道が流れたため、保護区域の対象になりそうな地域の住民から財産権(土地や建物)の制約を受けるのはいやだという反発が巻き起こりました。そのため、葦原に火をつけるなどの妨害行動が何度か発生し、スンチョン湾の保護のための方法を合意するまでに、まだまだ時間がかかりました。

 市民団体はスンチョン湾の制度的・法的な保全プランを確立するためには地域の住民たちとの協力が不可欠であると判断し、また行政の側も住民や市民団体との合意が必要だということを認識し始めました。1999年5月、市民団体は一歩譲歩して河川直線化工事を認め、スンチョン市は規模を縮小し生態系の保全と連携する形で工事をすることにしました。そして、その次の年から、スンチョン市と住民、市民団体が参加する対話の窓口として「スンチョン湾協議会」を組織するための模索を始めました。

 2000年代になると、スンチョン湾は生態学習の名所として定着します。広大な葦原の景観、ナベヅルなど冬の渡り鳥を観察しに来る人々が切れることなく続きました。2000年2月には「ツル保護国際シンポジウム」がスンチョン市役所の会議室で開催され、住民・市民段代・市関係者が合同で日本の鹿児島の出水や香港のマイポ湿地を訪問し、海外の先進事例の視察も行いました。このようにしてスンチョン湾は保護しなければならないという認識が、地域の共同体全体で持たれるようになりました。

 スンチョン市はスンチョン湾に自然生態公園を作るというプランを提案しますが、市民団体との葛藤は続きました。官民共同の調査を行ったりして河川整備工事をできるだけ最小限にし、また自然生態公園も観光目的に偏りすぎていると批判をしました。また、スンチョン湾一帯でえびの養殖場、シルバータウン、海水サウナ施設などの建造物の建設計画に対し、スンチョン市の態度があいまいだと批判をしました。とくに、ハクサン里という地域で進められた太陽熱発電施設については、雇用効果がなく、地域産業との連関も弱く、将来のスンチョン湾の効率的な利用に障害になるとして市の誘致計画を批判しました。その結果、最低限の太陽光発電の施設だけが建設されました。

 2003年の春、スンチョン湾に接するトンチョンという川の堤防に野菊を植えるイベントが行われます。市民団体が主催し、一部の地域住民も参加し、市関係者も同席しました。そして、4月に住民、市民団体、スンチョン市が参加してスンチョン湾の関連事項を討論する場として「スンチョン湾協議会」が、ようやく始まります。スンチョン湾にむけられて視線が、開発と対立から保全の話し合いへと完全に転換したわけです。その年の秋、湿地保全地域指定のための住民公聴会が終わり、12月にスンチョン湾一帯が湿地保全地域に指定されました。翌年の2004年11月にスンチョン湾生態公園がオープンし、その年の第7回スンチョン湾葦原フェスティバルはスンチョン市が主催し、地域住民と市民団体が共同で主管し、プログラムを分けて行いました。このようにして、スンチョン湾を保全する主体である地域住民、市民団体、行政が、おたがいに行こうとする方向は少しずつ違いますが、ついに同じ船に乗りました。(続く)

スンチョン湾で作っている無農薬のお米。もちろん、渡り鳥のえさにもなっています。

 

 

 

 


スンチョン湾保全運動の歩み~その2

2013-04-21 01:08:30 | 環境問題&有機農業

 昨日の土曜日から一般公開の始まった<庭園博覧会>、ニュースでも思った以上に大きく取り上げていますね。昨日の初日も天候が悪かったのですが、予想以上に入場者数が伸びたとか。まあ、関係者の皆さんはほっと一息というところでしょうか? ヒマな日本人が一番乗りになりたくて夜中の2時にゲート前にいったそうですが、それより前に並んでいた韓国人がいて、かれは見事(?)に2位。それでもテレビのインタビューにでていました。

 テレビのニュースを見ながらちょっと感じたのですが、庭園博覧会、化けるかもしれないですね。というのも、ヨス海洋博ではパビリオンの出し物が映像中心でがっかりしたからです。だって、<アバター>のようなすごい映画に慣れ親しんでいる今時の大人・子供を感動させるような映像なんかは、なかなかないですよ。テーマ館もひどかったし、日本館などは問題外でした。それとくらべると、庭園=ガーデンですから、実物です。時間帯や季節によって姿は変わりますし、直接の体験です。そしてなによりも、写真が撮れる! 問題は、庭園博覧会に来た人たちが、どれだけスンチョン湾の保全運動の歴史にきがつくかでしょう。

 さて、1997年11月にスンチョン湾で第一回の<葦原フェスティバル/순천만갈대제>が行われます。スンチョン市役所の無関心と一部住民の反対行動のなか、市民団体のメンバーのカンパとボランティアと使命感で行われたフェスティバルは、翌年に全羅南道10大フェスティバルに選ばれます。食べたり飲んだりするだけの普通のお祭りと違い、当時としては珍しい自然生態をテーマにした文化祭として実施されたところが評価されました。

 このようなフェスティバルと同時に、市民運動のメンバーたちは情報公開請求、行政訴訟、環境評価に対しての質問状の提出、監査請求といったさまざまな制度や権利を駆使して圧迫を加えていきました。そのため、スンチョン湾の直線化と砂利採取に賛成する住民と業者は一等反発し、フェスティバルのときなどは横断幕をかけたり、葦原に火をつけたり、ナベヅルのえさ場を妨害するため稲を倒したりしました。

 1998年になると、環境部、文化財管理局(天然記念物を管理します)、国立公園管理公団など政府の関連機関の訪問も盛んになり、市民運動側は国際的な連帯活動に力を注ぎました。その年の6月にソウルでスンチョン湾の保護を求める全国環境団体の共同声明が発表され、6月19日にはウェットランド・インターナショナルなど国際湿地団体の専門家がスンチョン湾を訪問して、スンチョン湾の保存を訴える記者会見を行いました。そして、1998年9月、スンチョン市はこれ以上砂利採取事業を推進することができなくなり、事業許可の取り消しを決めました。しかし、スンチョン湾に流れ込むトンチョンという川の直線化問題は解決せず、あたらしい問題点として浮上します。(続く)

スンチョン湾の目の前の食堂で、「灰貝」のフルコースです。

 


スンチョン湾保全運動の歩み~その1

2013-04-18 00:35:04 | 環境問題&有機農業

 今年、すでに2回行ったスンチョン湾。どうやら、今年も数回は行きそうです^^ せっかく行くのですから、行くごとに新しい何かを仕入れようと思っていますが、今回はスンチョン湾保全運動の歩みをまとめた論文を手に入れましたので、紹介しましょう。というのも、ここ2~3年はスンチョン市役所(生態公園のビジターセンター)などからの情報が中心でしたので、昔のことがよくわかりませんでした。もう一度、スンチョン湾保全運動の原点をふりかえり、スンチョン湾の魅力と可能性を考えて見ましょう。(論文名;スンチョン湾保全市民運動/著:全南東部地域社会研究所)

 1996年、スンチョン湾に流れ込んでいる東川(トンチョン)の直線化と河口での砂の採取事業に対して、スンチョン湾での湿地保全運動が始まりました。スンチョンに事務所を置く<全南東部地域社会研究所(以下、東社研)>という民間の市民団体が中心になり、<スンチョン湾を守る市民委員会>が結成され、討論会、集会、署名運動、座り込みなどさまざまな活動を行い、またハンギョレ新聞、東亜日報、MBC, KBSなどマスコミを通してスンチョン湾の生態系の価値が全国的に知られるようになり、一方で行政裁判(日本とは制度が違います)、監査院への監査請求など法的な手段で問題提起を行いました。

 特に1996年10月、監査院で砂利採取事業の許可で問題点があったという監査請求を受付けて、監査を行うと決定しました。これは市民団体の監査請求が始めて認められたケースです。また、市議会でも砂利採取事業許可に対する特別委員会が作られ、スンチョン湾河口での生態系調査を市民団体と共同して実施し、砂利採取反対運動はいっそう拡大していきました。

 1996年11月、初めての生態系調査が行われます。市議会の特別委員会と東社研が協力し、故キム・スイル教授(教員大学)、イ・インシク代表(馬山昌原環境運動連合)、ヤン・ウンジョン教授(慶尚大)、オ・ギョンファン先生などの専門化がボランティアで参加して実施されました。この調査の結果、ナベヅルをはじめ、コウノトリ、マナヅル、ズグロカモメなど国際的な絶滅危惧種の渡り鳥が確認され、翌年の調査でもミヤコドリ、クロツラヘラサギ、オグロシギなどが発見されます。

 翌1997年1月、NGOの活動家がスンチョンに集まり全国湿地保全大会が開かれ、スンチョン湾の保全運動は韓国全土から支援を受けるようになります。スンチョン湾の湿地が国際的にも重要であることが知られるようになり、日本からも野鳥の会の活動家などがスンチョンを訪問して、調査活動に参加しています。同年5月、スンチョン市は事業許可をそのままにした状態で、市民団体の要求を受け入れ、スンチョン湾の環境保存と生態公園化に関する討論会を開催しましたが、スンチョン湾の保存運動に反対する住民が鉢巻をして集団で参加して大声で怒鳴るなどして、保存運動には超えなければならない課題が山積していました。

 スンチョン湾の保全運動が内外で拡大していくに従い、砂利採取事業を早く着手しようと、装備や機械を河口にあるデデ桟橋(漁港)に置き、試験採取の許可を取って強行しました。これに対して市民団体は現場での座り込みと市役所前での集会など5月いっぱい開発と保全をめぐって対立が激しくなっていきました。(続く)

スンチョン湾の葦原にある干潟観察場所。

 

 


PSY - GENTLEMAN と楽童ミュージシャン&パクジミン

2013-04-17 00:21:57 | 僕の韓流~ソング&シネマ

PSY - GENTLEMAN M/V

カンナム・スタイルで世界的なスターになったPSY(싸이/サイ)の新曲、「ジェントルマン」が発表されました。韓国のニュースでも連日報道されるなど話題ですが、正直言って、やっぱりなというか、2匹目のドジョウ狙いというか、カンナム・スタイルが作り出した<スタイル>の枠の中での曲といえるでしょう。

もともとライブのミュージシャンなので、MVで判断するのは正しくないかもしれませんが、ダンスにしてもブラウンアイドガールズが「アブラカダブラ」で踊った<小生意気ダンス>のコピーですし、MVの内容も小学生レベル(といったら小学生に失礼ですね^^)のギャグですし、まあ、2~3週間もたてば失速するのじゃないでしょうか。

カンナム・スタイルはたまたま、いろいろな要素が偶然に重なって世界的なヒットになったわけで、そんなうまい話があちこちにころがっているわけではありませんよね。どこか、錯覚しているような、履き違えているような気がします。

とまあ、怒りの文章になってしまいましたが、なぜかというと、もっと優れたミュージシャンが韓国にはごろごろいるわけで、彼ら(彼女ら)のほうにもっと注目したいからです。とりわけ、10代のミュージシャン、それもデビューしたてだったり、オーディションの参加メンバーだったり、まだまだ経験は浅いですが、音楽に対する姿勢はプロだと思います。

楽童ミュージシャン/パクジミン [タリコジマ / Rolling in the deep] @KPOPSTAR Season 2

この映像は、KPOPスターというオーディション番組のシーズン1の優勝者(パクジミン、真ん中の女の子、17歳)とシーズン2の優勝者(楽童ミュージシャン、兄のイチャニョク18歳、妹のイスヒョン15歳)の競演で、それぞれ相手の持ち歌を歌い、最後にはひとつになるという、センスが光る構成になっています。パクジミンのローリングインザディープはもともとアデルの曲ですが、タリコジマは楽童ミュージシャンの自作曲で予選のときに、審査委員から絶賛された曲です。

今回は予選のときの感じとがらりと変わった雰囲気で歌っていますが、たぶん楽童ミュージシャンにアレンジの才能があるからこそできたのだと思います。また、チャニョクがパクジミンの足を指差しながら「足を組むな、この足、お前の足」と指差しながら歌うところなど、笑いつつも音楽的なレベルの高さ、センスのよさを感じました。

パクジミンの歌をきちんと聴いたのは今回が初めてだったので、こんなにうまいし、また安定感のある歌手とは知りませんでした。演技というか、演出というか、これもなかなかのものですね。また、画面でこのオーディションの参加者たちがステージの脇で聞いている様子が挿入されていますが、彼らの反応を見ても面白いですよ。こんな10代のミュージシャンの活躍を見ていると、うーん、やっぱりSPYの新曲は古いなという気がしますね。そして、10代の若いミュージシャンの発展の可能性が、これから注目です。

 


グリーン農業大学とスローフード国際大会

2013-04-11 01:06:59 | 梧南里(オナムリ)便り~韓国ニュースあれこれ

 やはり、一度更新を始めると続くのですね。きょうは、地域のお知らせを。

 昨年、南楊州市農業技術センターで行っている<グリーン農業大学>という農家を中心にした社会人教育に通いましたが、今年も3月から<深化過程>に通い始めました。昨年の<7期野菜科>のメンバーも10名ほど通っているので、顔見知りも多く和やかな雰囲気。

 先週はトトリムック(どんぐりゼリー)を家で作って持ってきたSさんご夫妻は、今度は豆腐を作って持ってきました。どんぐりも自分の畑、無農薬で作っている梅畑の周りの木からとっていますし、豆腐の原料の豆も自分の畑で作ったものです。今度はちゃんとカメラを用意しておきますから、何を持ってくるかお楽しみに。

 さて、次のお知らせは10月1日から6日に行われる「2013アジオ・グスト 南楊州スローフード国際大会(テッラ・マードレとアジア・オセアニア地域スローフード国際大会)」を紹介しましょう。アジオというのはアジアとオセアニアの合成語で、グストはイタリア語で味という意味です。

 今回はじめて開かれるアジオ・グストは、イタリアのトリノで開かれているサル・デル・グスト、フランスのトルで開かれているユロ・グストと並ぶスローフードの国際大会になっています。アジア・オセアニアの種多様性の保護、伝統食文化の保存と交流、農業と食品産業の保護などがテーマで、国際会議、展示、テイストワークショップ、マーケットなどで構成されています。

 先日、実行委員会の方と話をしたのですが、国際会議は伝統米の多様性、発酵食品、食とスピリチュアリティー(霊性)、スローフードとハンサルリム(韓国の代表的な協同組合)運動の4つで構成されるそうです。

 まだ日本語のHPはありませんが、これから情報が入り次第、お知らせしようと思います。もし、興味のある方は、連絡をください。何人かそろえば、南楊州での農家体験や料理体験などを含めたツアーも考えていますので。


楽童ミュージシャン() SBSの「K-POPスター2」で優勝!

2013-04-10 01:24:13 | 僕の韓流~ソング&シネマ

一ヶ月も更新せずにほっておいて、どうもどうも。まだ、韓国で生きております。たまった翻訳仕事を片付けたり、いろいろしておりました^^

さて、ひさびさの更新なので芸能畑のニュースをひとつ紹介しましょう。以前、このブログでも取り上げた「K-POPスター2」というオーディション番組(SBS)で4月7日のトップ2のファイナルステージが行われ、楽童ミュージシャンが見事、優勝しました!(悪童ではありませんから気をつけてください。韓国語では楽も悪も発音が同じなので間違えている人が多いようです)

次に紹介する映像は、トップ4を選ぶとき(だったと思います)に歌った自作曲の「クレッセンド」です。

楽童ミュージシャン(악동뮤지션Akdong Musician) [クレッセンド (Crescendo)] @KPOPSTAR Season 2

今回のオーディションで楽童ミュージシャンは「タリコジマ(다리 꼬지 마/足を組むな)」「メリョクイッソ(매력있어/魅力ある)」など7曲あまりを番組の中で歌い、これらの歌の音源はプロの歌手を押しのけてダウンロード1位になるなど、注目を浴びました。この2曲もとてもいい歌で、たぶん「クレッセンド」と合わせて3曲がベスト3かなと思っています。せっかくなので「クレッセンド(音楽用語でだんだん大きくなるという意味)」の歌詞を紹介しましょう。

모두가 날 알아보도록 어어우워워워~ (みんなが僕を見分けるように オオウォウォウォ)
날 알아듣도록 어어우워워워~ (僕を分かってくれるように オオウォウォウォ)

Crescendo 워워 one two (クレッセンド ウォウォ one two)
내 목소리가 묻혀 내 숨소리가 커져 (僕の声が埋もれ 息の音が大きくなって)
아무도 듣지 않는 내 말은 rising in Crescendo (誰も聞かない 僕の言葉は rising in Crescendo)

목소릴 높여 high 날 좀 알아줘 hi (声を高め high 僕をちょっと認めて hi)
내 목소리를 잡아 catch it tightly oh hey (僕の声をつかまえて 
 catch it tightly oh hey )

비집고 들어가 틈을 너를 작게 만든 아픔을 (こじ開けて入った隙間を 君を縮こまらせる痛みを)
소리쳐 널 비추는 하늘 향해 (叫んで 君を照らす 大空へ)

모두가 날 알아보도록 Crescendo (みんなが僕を見分けるように Crescendo )

날 알아듣도록 Crescendo (僕をわかってくれるように Crescendo )

내 목소리가 하늘에 닿아 울려 (僕の声が空に届き 響き)
구름도 나를 듣기까지 맘에 들 때까지 (雲も僕を 聞いてくれるまで 気に入るまで)
 
노을빛 보며 (夕焼け 見て)
빌은 이른 아침의 소원 얘기던 (祈り 早い 朝の願いの事でも)
시름 시름 앓았던 사랑 얘기던 (憂い 病んだ 愛の事でも)
일단 말하고 봐 바라던 바 시작도 안하고 포기는 마 (まず話してみて 望んだ事 スタートせずに諦めないで)
맘 속 깊은 곳에 자리 잡은 꿈 (心の深いところにある夢)
thanks 오늘의 날씨는 기쁨 (thanks 今日の天気は 喜び)
Don't cry You can fly 
You don't even try

있는 듯 없는 듯 축 쳐진 고개는 들고선 (あるようで ないようで うつむいた 顔を上げて)

들뜬 애들처럼 놀아 라시도레미파 (うきうきした子供たちのように遊ぼう ラシドレミファ)
올라가는 멜로디 빨라가는 템포를 따라 (高くなるメロディー 早くなるテンポについて)
laugh aloud 하하하하하 하하하하하 (laugh aloud ハハハハハ ハハハハハ)

모두가 날 알아보도록 Crescendo (みんなが僕を見分けるように Crescendo)        날 알아듣도록 Crescendo (僕を分かってくれるように Crescendo)
모두가 날 알아보도록 Crescendo (みんなが僕を見分けるように Crescendo)
날 알아듣도록 Crescend (僕を分かってくれるようにCrescendo)

 

これを作詞作曲したイ・チャニョク君は18歳、妹のスヒョンさんは15歳と楽童ミュージシャンの2人はまだ10代です。審査のとき、パク・ジニョンは「いままで10代の歌手が10代の歌を歌っていたが、実は大人が作詞作曲したものだったが、楽童ミュージシャンは自分たちで作詞作曲をするとても貴重な仲間だ」と褒めています。

あるインターネット新聞で、オーディション番組は<楽童以前>と<楽童以後>に分けられると書かれていましたが、もしかするとオーディション番組といったレベルでなく、K-POP全体が<楽童以前>と<楽童以後>に分かれるかもしれないぐらいのインパクトがあります。たぶん単純なダンスミュージックのグループは減少し、個性のあるシンガーソングライターが登場してきそうな感じです。

K-Pop Star2 ????? CF Olleh All-IP SONG

実はまだプロデビューをしていないのにもかかわらず、携帯電話のCMモデルに起用されていますが、このCMに使われている曲もチャニョク君が30分ほどで作ったというのですから、音楽の才能はかなりのレベルだと思います。審査員のボアも最初の審査で、メロディーの展開の仕方が普通じゃない、歌詞もとてもセンスがあると褒めていましたっけ。今度時間がありましたら、別の曲も紹介しましょう。自作曲だけでなく、ほかの人の曲を編曲したり、歌詞を変えたり、ラップをいれたり、今回のオーディション番組でも、ほかの参加者にはない魅力がありました。これからも目を離せない楽童ミュージシャンです。