老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

ひとり旅

2008-12-16 22:42:10 | Weblog
私が26歳だった昭和42年は、
私流に読むと「死にの年」という事になる。
当時は、
極めて憂鬱な事があって、ひとり旅をした。

3月31日、出張の帰途、
JR静岡駅に下車して、
石垣苺を食べたりしながら
久能山東照宮を参拝した。
表参道の石段1159段を登った。
石段は海に面していて、
駿河湾の眺望が実に素晴らしかった。

その日は、
久能山東照宮から海辺へ降りて、
海岸伝いに夜通し歩き続けた。
羽衣の松で夜明けを迎え、
三保の松原で朝日を拝んだ。

福井県の曹洞宗大本山永平寺を訪れたのは夏だった。
食事、風呂、座禅など一泊二日のコースを体験した。
正門(竜門)の右の石柱に「杓底一残水」、
左の石柱に「汲流千億人」という文字が刻まれていた。

大正時代に若山牧水が越えたという、
群馬県の暮坂峠を歩いたのは秋の事だった。
カラマツ林の黄金色の紅葉が、
風の吹くたびに、
金の炎を巻き散らすように天空に輝いていた。

自然はいつも心を洗ってくれた。


102歳の歌人

2008-12-15 22:56:33 | Weblog
私が発行している月刊雑誌の同人に、
高橋静さんという102歳の女性歌人が居た。
102歳で歌を創るというだけでも立派だと思うのだが、
毎月6首きちんきちんと投稿してきて、
一度も欠詠する事がなかった。

しかし、さすがに103歳になった時に、
医者から
「体力的に無理だから、もう短歌を止めなさい」
と言われて悔しがっていた。
視力が衰えて原稿用紙の枠の線が見えないのだ。

普通の人なら
家族に代筆を頼むのが順当な事だと思うのだが、
高橋さんは、
最後まで自筆で歌を記す事に拘わった。
家族に原稿用紙の枠をボールペンで書いてもらって、
短歌を書いた。
一字一字、楷書で、丁寧に、心を込めて書いていた。
短歌が好きで、
自分の歌をとても大切にしている姿が伺えた。

風にのり金木犀の香りきて小春日和をたのしく生きむ
シクラメンのピンクの花咲く一鉢に部屋うるほひて心なごめり

100歳の歌だ。
高橋さんの生き方だ。
心して学びたいと思う。

未亡人

2008-12-14 22:46:51 | Weblog
「看護師」という言葉がいまだ馴染まない。
「看護婦」「看護士」が、男女の区別を無くして
「医師」や「教師」と同列になったのだが。
それでは「ナース」は、男性にも言うのだろうか。

アンケートで
職業を尋ねられるので「無職」に○をする。
見ると「無職」の隣には「主婦」という項目もある。
しかし、「主夫」という項目を見た事がない。
「無職」は男性用の言葉なのだろうか。

「男やもめに蛆がわく」という諺がある。
本来「やもめ」は女性。
女性は「寡婦(やもめ」」、
男性は「寡男(やもお)」と言う。

「未亡人」は
「未来を亡くした人の事と思っていた」
という人は例外としても、
これは女性だけにあてはまる言葉のようだ。
しかし、へりくだった言葉だから、
他人からは言われたく無い言葉だろう。
それが、公式な場で、
奥さんだけは「○○未亡人」と言われる。
男には「○○未亡人」とも「○○やもめ」とも言わない。

言葉に見る男女差の根は深い。


10年設計

2008-12-13 22:58:30 | Weblog
年賀状を書く季節になった。
同時に、喪中の挨拶状が届く季節でもある。
今年も46枚届いた。
そのうち事を知っていたのはわずかで、
喪中葉書が届いて初めて身内のご不幸を知る事となる。
普段のおつきあいの中では、
おくびにも出さなかった悲しみの内容が
喪中葉書なのだと思う。

その中で、
天寿をまっとうされた90歳代の父や母、
義父や義母の死を知らせる葉書が圧倒的に多かった。
私のお付き合いしている年齢層から考えると
至極当然なのかも知れないが、
長寿国日本を改めて認識している。

それと同時に、
兄弟姉妹、中でも弟や妹の死を知らされると悲しい。
連れ合いを亡くされたという葉書に、
多くは、世話になったことを謝す一行の添え書きがあるが、
それを読むといつも涙が出て来る。

私はデーターベースに、喪中の理由を記録しているが、
奥さんを先に亡くされた「未亡男」は、
だいたい余命が2、3年のようだ。

平均余命まで残り10年。
充実した10年設計を急がねばなるまい。

粋な泥棒

2008-12-12 22:34:14 | Weblog
今から丁度40年前に、
東京府中市で3億円強奪事件が起きた。
しかし、犯人はまだ捕まっていない。
どこかに息を殺して潜んでいるのであろう。

伊賀の忍者だった石川五右衛門は、
関西を中心に大名や豪商等を荒らしまわって
1594年京都三条川原で釜ゆでにされた。
「石川や 濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」
と辞世の句を残した粋な大泥棒。

歌舞伎『白波五人男』で
「問われて名乗るもおこがましいが」
と口上を述べる「日本駄衛門」の実在モデル
「日本左衛門」は、尾張藩の下級武士の子で、
東海八カ国を荒らし回った大泥棒。
1747年に処刑。28歳。

鳶職人だった鼠小僧次郎吉(本名中村次良吉)は、
博打狂いで身を持ち崩し、
大名などを狙った大泥棒。
日本橋浜町の
松平宮内少輔宅に忍び込んだ処を見つかり逮捕、
「打ち首・獄門」にされたのが1832年。
35歳。

泥棒で後世に名を残すことや
庶民から喝采を浴びるような大泥棒、
また、
それを歌舞伎にして楽しんでしまうのも、
江戸っ子の粋なのだろう。

急性心不全

2008-12-11 23:04:36 | Weblog
「私の理想の死に方は、ピンピンコロリだ」
と言ってはみたものの「ピンピンコロリ」
も周囲の者にとっては辛い。

何年か前に会社の同期入社のAが亡くなった。
5月に福島県の裏磐梯へ一緒に一泊二日の旅をしたが、
8月に自宅で亡くなっているのが発見された。
奥さんは実家のお母さんが体調を崩されて、
看護に行っていた留守中の事。
倒れたまま
電話で助けを求める事さえ出来なかったのだろう。

先日高校の同期のBが亡くなった。
年四回、
定例会をもち集まって懇親を深めてきた。
その日は、仲間の一人と別れて二時間後、
奥さんから亡くなったと電話があった、
というほど急な出来事だった。

いきがい大学同期のCが亡くなった。
7日の同窓会へ出てきて人一倍元気にお喋りをしていた。
8日は同じく仲間とゴルフをして、
昨日10日に倒れて救急車で運ばれたが帰らぬ人となった。

 三人共、それぞれ前兆があった。
私にも他人事とは思えない節がある。

許されるのは辛い

2008-12-10 00:08:18 | Weblog
12月7日。
先生を囲んで同窓会をやる事になった。
先生も来た事のある場所で15人集まった。
しかし、時間を過ぎても肝心の先生が来ない。
ケータイに電話したら、電源が切ってある。
「多分、電車の中なのではないか。もう直ぐ来るだろう」
と待つ事にした。

ところが15分過ぎても来ない。
今度は自宅に電話したら、ご主人が出て
「ちょっとお待ちください。居りますので、今、変わります」
という。
電話の様子を伺っていた皆が「ええっ!」とざわつく。
結局、先生は、急用とやらが片付かなくて来られなかった。

その翌日、先生から詫びの言葉と
「もう、許していただけないと思っておりましたのに、
来年の早い時期に再度実施したいとのお言葉に、
ただただ感謝のみです」
というメールが来た。

「先生は、いつまでも私達の先生です」
と返信した。
許す側より、許される側の方が、はるかに辛い事だろう、
と思う。

鬼おろし

2008-12-08 00:08:29 | Weblog
「大根おろし」が美味しい季節になった。
今年は11月に雨が降らなかったから、
辛みが例年になく強い。
さんまを焼いた時は勿論、
普段でも食べたくなると庭先の畑から一本抜いて、
おろし器で擂って食べる。

大根おろし器は、陶器の小鉢にプラスチック製の
おろしがセットになっているものを使っている。
擂り終わったら小鉢をそのまま使い、
味ぽんをちょっと垂らしていただく。

とろろも同じおろし器を使う。
私は、胃がないので、
卵掛けご飯やとろろ掛けご飯は食べない。
ご飯とは別々に、
卵もとろろもそのまま味ぽんをかけて食べる。
呑み込むと言った方が良いかもしれない。

母が「すみつかれ」を作る時には、
「鬼おろし」という巨大なおろし器を使っていた。
Y字形の木に竹製の粗い歯のついた物で、
真っ黒になるほど使いこんでいた。
受ける器は大きな擂り鉢。
「すみつかれ」は、実に豪快な料理だった。

明日にでも、亡き母に作って進ぜようかな。

食中毒

2008-12-07 00:06:31 | Weblog
忘年会の季節になったが、去年はひどい目にあった。

6人で東京のある店で忘年会をした。
ところが、
私が2日目から4日間も微熱や下痢が続いた。
同メンバーとゴルフをやることになっていたので、
全員にメールで事情を伝えて出席を取り消した。
そうしたら、次々と同様の事情が発覚。
結局、六人全員が下痢になっていることが判明。
皆、自分だけ、風邪でもひいたのかと思っていたようだ。

幹事がその店に連絡したところ、
「調査してみる」との返事。
区の所管する保健所に連絡すべきか迷ったが、
結局、
その店が営業停止など大騒ぎの事態になることが
目に見えていたのでやめた。

結果、
「ノロウイルスの陽性反応が出た従業員がいた。
但し、他のお客さまからそのような情報はない」
として、
その全国的なレストランチェーン店の経営母体から、
詫び状と商品券が送られてきた。
多分、
他のお客様も「自分だけ」と思って騒がなかったのだろう。

親殺し

2008-12-06 00:08:00 | Weblog
子を殺す親を嘆くな子を殺す親を育てし我らが世代
永田 和宏

親殺し子殺し収賄もろもろの悲懣(ひもん)の中の子供の自殺
馬場あき子

2007年「短歌」1月号と「短歌現代」1月号の作品。
この2年間でこれらの短歌を引用させていただいて文章を書いたり、
お話をしたりするのは、今度で4回目位になる。
事件がある度に思い出す短歌だ。
(最近は、ひっきりなしにあるから思い出すまでもない)
「悲懣」とは、
唐書、魏徴傳に出てくる言葉。かなしみもだえること。

近年、子供や若年層の凶悪な犯罪が多発しているが、
それは、私達大人が、
子供達の未来に明るさも希望も持てない社会にしてしまったからだ。
それを自覚しないで、
「今の若い者はどうしょうもない」
などと言う厚顔無恥な大人が多い。
子供達こそ、大人と社会の被害者なのだ。
と思う。