日本テレビの
「おもいっきイイテレビ」を観ていた時の事だ。
「きょうは何の日」のコーナーで
「1990年12月8日は写真家・林忠彦が亡くなった日」
という言葉に、私は、一瞬、聞き耳を立てた。
林忠彦は、
「人物写真の林」と言われたほど、
戦後の日本を彩ったさまざまな人物の写真を撮ることで、
時代を見つめ続けた有名な写真家だ。
私の短歌の師・
大野誠夫の処女歌集に『薔薇祭』がある。
戦後風俗を詠って一躍大野を有名にした歌集だ。
その歌集の表紙や三枚の口絵写真が
すべて林忠彦の写真なのだ。
旧参謀本部の男女、
上野駅地下道の親子、
有楽町ガード下に立つパンパン、
大森駅前で七輪の火を起こしているバーの女将。
戦後、
写真を四枚も使った贅沢な歌集でも話題になったが、
その写真が林忠彦のものである事でも注目された。
林を紹介する場面で、
その中の女将の写真が映されたので、
咄嗟に、妻に画面を注目させようとしたが、
「あっ、そう」とあしらわれた。
「おもいっきイイテレビ」を観ていた時の事だ。
「きょうは何の日」のコーナーで
「1990年12月8日は写真家・林忠彦が亡くなった日」
という言葉に、私は、一瞬、聞き耳を立てた。
林忠彦は、
「人物写真の林」と言われたほど、
戦後の日本を彩ったさまざまな人物の写真を撮ることで、
時代を見つめ続けた有名な写真家だ。
私の短歌の師・
大野誠夫の処女歌集に『薔薇祭』がある。
戦後風俗を詠って一躍大野を有名にした歌集だ。
その歌集の表紙や三枚の口絵写真が
すべて林忠彦の写真なのだ。
旧参謀本部の男女、
上野駅地下道の親子、
有楽町ガード下に立つパンパン、
大森駅前で七輪の火を起こしているバーの女将。
戦後、
写真を四枚も使った贅沢な歌集でも話題になったが、
その写真が林忠彦のものである事でも注目された。
林を紹介する場面で、
その中の女将の写真が映されたので、
咄嗟に、妻に画面を注目させようとしたが、
「あっ、そう」とあしらわれた。