私が26歳だった昭和42年は、
私流に読むと「死にの年」という事になる。
当時は、
極めて憂鬱な事があって、ひとり旅をした。
3月31日、出張の帰途、
JR静岡駅に下車して、
石垣苺を食べたりしながら
久能山東照宮を参拝した。
表参道の石段1159段を登った。
石段は海に面していて、
駿河湾の眺望が実に素晴らしかった。
その日は、
久能山東照宮から海辺へ降りて、
海岸伝いに夜通し歩き続けた。
羽衣の松で夜明けを迎え、
三保の松原で朝日を拝んだ。
福井県の曹洞宗大本山永平寺を訪れたのは夏だった。
食事、風呂、座禅など一泊二日のコースを体験した。
正門(竜門)の右の石柱に「杓底一残水」、
左の石柱に「汲流千億人」という文字が刻まれていた。
大正時代に若山牧水が越えたという、
群馬県の暮坂峠を歩いたのは秋の事だった。
カラマツ林の黄金色の紅葉が、
風の吹くたびに、
金の炎を巻き散らすように天空に輝いていた。
自然はいつも心を洗ってくれた。
私流に読むと「死にの年」という事になる。
当時は、
極めて憂鬱な事があって、ひとり旅をした。
3月31日、出張の帰途、
JR静岡駅に下車して、
石垣苺を食べたりしながら
久能山東照宮を参拝した。
表参道の石段1159段を登った。
石段は海に面していて、
駿河湾の眺望が実に素晴らしかった。
その日は、
久能山東照宮から海辺へ降りて、
海岸伝いに夜通し歩き続けた。
羽衣の松で夜明けを迎え、
三保の松原で朝日を拝んだ。
福井県の曹洞宗大本山永平寺を訪れたのは夏だった。
食事、風呂、座禅など一泊二日のコースを体験した。
正門(竜門)の右の石柱に「杓底一残水」、
左の石柱に「汲流千億人」という文字が刻まれていた。
大正時代に若山牧水が越えたという、
群馬県の暮坂峠を歩いたのは秋の事だった。
カラマツ林の黄金色の紅葉が、
風の吹くたびに、
金の炎を巻き散らすように天空に輝いていた。
自然はいつも心を洗ってくれた。