老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

老 母

2008-12-03 00:14:12 | Weblog
「他人のふり見て、我がふり直せ」
とは、良く言ったものだ。

短歌は抒情詩、感情を述べる詩。
そのためか俳句に比べて、
父や母を詠むことが多い。
しかも、歌人は、
自分の父や母を安易に「老父」「老母」と詠う。

短歌を作っている本人がお年寄りなのだから、
その親はまぎれもなく「老人」なのだが、
何か釈然としない。

歌人は、一体、
何歳になったら親に「老」を付けるのだろうか。
基準はないだろう。
音数の関係があるかも知れないが、
概ね、特別の意識もなく、
安易に使用しているようだ。
「老いている」とはいえ、ご本人が
「老父」「老母」と言われて嬉しいだろうか。
嬉しいはずかない。
悔しいとは思わなくても
「老」は付けて欲しくないだろう。

また、「老母」と書いて、
「はは」とルビをふるそれだけではない、
「義母」や「養母」、そして「亡母」までも、
「はは」とルビをふりたがる。

このようなルビの類例は極めて多い。
歌人だけの悪い癖だ。