老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

お年寄りコンサート

2008-10-31 00:17:25 | Weblog
今、お年寄り団地が話題になっている。
昭和30年代~40年代に出来た団地に
同じ位の年齢の人達が一斉に入居した。そのために、
団地が後期高齢者ばかりになってしまった、
というわけだ。

10月30日、第3回たんぽぽの会コンサートがあり、
20グループ・560人が参加した。
童謡や唱歌を通して、
親睦と交流を目的として結成された組織で、
結成以来、私も若いクラスの役員として働いている。

私達の「いきいき童謡クラブ」25名は、
結成して5年目、60代後半のグループ。
しかし、公民館活動などで歴史のあるグループは、
後期高齢者団地の現象と同じで、
グループの歴史と共に年をとられてきたために、
お年寄りばかりのグループになってしまったのだ。

そうしたグループは、80歳代は驚くに値しないようで、
94歳を最高として90代の方も沢山おられる。
それだけではない、
歌を唄うと元気になるのだから不思議だ。

「老麗・美しく老いる方法1、歌を唄い続けること。」のようだ。

衣食足りて礼節に苦しむ

2008-10-30 00:06:55 | Weblog
「美しいお年寄り」と言われるのも大変な事だと思う。

中国に「衣食足りて礼節を知る」という故事がある。
「生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになる」
という意味だが、最近の日本は、まるで
「衣食足りて礼節を知らず」だと思う。

五十年も前の話。
高校の社会の先生がこの事を講義した時、私が
「それでは、貧乏人はどんなことをしても良いのか」
と喰いついた。
押し問答は授業そっちのけで続き、休憩時間にまで及んだ。
私も若かったと思う。

今は、到底そんな気力はないが、困っていることはある。
完全な年金暮らしでも、衣食は足りている。
ところが、文学関係では紙誌の購読や出版記念会。
音楽関係ではチケット購入。
また、ユニセフや災害救援等のような寄付や募金。
等々が切りもない。
身近な事では孫とのつきあいもある。
詰まるところは年金の使い方の問題だが、どこ迄をどうするか。

衣食足りて礼節に苦しんでいる。

メダカはダメか

2008-10-29 00:07:14 | Weblog
嬰児の諸機能の発達はきわめて早い。
従って、日々驚きの連続だ。
嬰児は、生まれながらにして
聴覚は成人以上に発達している。
ごく小さな異常音でも、
猫の聴覚と同様の反応をするのには驚いた。

それに引き換え視覚は全くの未発達で生まれて来る。
生まれて何ヶ月か経って、視力が発達してきた時、
最初に、動きの無い物、赤い色の物に反応した。
動きに対応するのは大変な能力が必要のようだ。

わが家では、玄関でヒメダカとシロメダカを飼っている。
当初25匹いたがだんだん数が減ってきて、
今では6匹になってしまった。
従って、嬰児が水槽を覗いても何も見えないらしい。

秋の彼岸の頃だったか、娘が里帰りした。
水槽が寂しいので、
買い物のついでにメダカを買って来てくれるように頼んでおいた。
そうしたら飼ってきたのが真っ赤な金魚二匹。

ゆっくりと泳ぐ真っ赤な金魚に、
孫は水槽のガラスを叩いて喜んでいた。

『1リットルの涙』に学ぶ

2008-10-28 00:22:56 | Weblog
死の覚悟は、老いのものだけでは無いらしい。むしろ、死を前にして苦しむ老いを何人も見てきた。「美しい死」があることを知る。
『1リットルの涙』は、著者・木藤亜也が中学三年生の時、原因不明の不治の病「脊髄小脳変性症」を発病してから、病状が進んでペンさえ持てなくなった二十一歳までの日記。二十五歳で夭逝。
この病気は、身体の動きに必要な小脳・脳幹・脊髄の神経細胞が縮小し、消滅して行く病気。従って、身体の全ての動かす機能が失われ、やがて死にいたる。亜也は、残酷にも中学三年生でそれを知ることになる。
 それでも、頑張って高校を受験し、合格。しかし、身体機能の衰えは早く、翌年、養護学校へ転校することになる。その時の苦悩を「決断を自分に下すのに、少なくとも、一リットルの涙が必要だった」という。
 その後、家族を初め多くの献身的な介護を受けつつ「懸命に生きるしかないのだ」と頑張った。そして「ア・リ・ガ・ト」と逝った。

同姓同名の悲劇

2008-10-26 23:57:04 | Weblog
自分の姓名をGoogleで検索してみたら、文字まで同じ同姓同名の方が十人位いることがわかった。但し、思っていたより少なかった。
10月11日の読売新聞によれば、和歌山社会保険事務局が、死亡した市内の女性と同姓同名の福島県の女性を死亡させてしまったなど、同姓同名の処理ミスが3件みつかったという。全国的に調べればもっとある。
昭和33年の長崎2区の衆議院議員選挙では、前大蔵大臣の北村徳太郎氏と同姓同名の新人が立候補するという珍事があったという。選管では、「前大臣」とか、政党名や在住市名、年齢などを併記して投票するように呼びかけて事なきを得たようだ。それにしてもお騒がせ候補なのだが、共に実名だから仕方のないことと言えよう。
親戚に私と文字も同姓同名の者がいて夭逝している。墓石も近くなので初めて知った時はびっくりした。そちらのご家族の話では、その方が幼くして亡くなったので、私が長生きできているのだ、と言われた。

人生の金メダリスト

2008-10-25 05:32:20 | Weblog
元マラソンの松野明美は、オリンピックこそ出られなかったが、人生の金メダルを獲得した。
今年の10月13日は体育の日。東京の国立スポーツ科学センターでのイベントには、北京オリンピック競泳の金メダリスト・北島康介らが参加し、子供たちにそれぞれの競技を披露しながら、スポーツの楽しさを教えた。指導を受けた少女は「すごく感動しました」と話していた。
同じ日、北京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストの石井慧は、子供達との100m走でフライングして迄勝とうとした。また、「人を蹴飛ばしても、引きずり下ろしてでも勝たなければダメだ」と教えていた。
15日、あるTV番組で、元マラソン選手の松野明美が「次男がダウン症だ」と告白。「産まければ楽だったろうなと思いながら、5年間世間に隠し通してきたが、もう隠さない。人に遅れても、人に勝てなくても、それが、わが子健太郎の人生だから」と語った。

「龍勢」を予約する

2008-10-20 00:39:35 | Weblog
高齢者の生き甲斐は、自分で創り出すものだと思う。

10月12日、今年で4年連続となる秩父市下吉田の
農民ロケット「龍勢祭」を観覧した。
夜のNHKのテレビニュースでは「観客10万人」と報道していたが、
私の目には例年より桟敷の空きが目立った。 
昨年負傷事故があり、今年は警備員の増員や防護ネットの設置、
ロケットの火薬の量も1Kg減らしたという。
その為か、失敗が多いような感じがした。
30本の内大成功が10本、大失敗が10本位だった。

 観覧には毎年サプライズがある。
今年は、隣の流派の桟敷に知人がいて、
「龍勢」に背負わせる「開祖 昇雲流」唐傘を記念に頂いた。

 私達は、深商同期生20人で、三年後、
喜寿の祝いに「龍勢」を打ち上げる。
その「龍勢」の製作を「美峯雲流」に予約して帰って来た。

こうして私達は、また新しい目標を創った。
私達は、その目標の実現を励みとして、
日々の健康管理に努めることを誓い合っている。

老麗・美しく老いる

2008-10-20 00:31:38 | Weblog
 これから「老齢」ではなく、「老麗」の華を咲かせたいと思っている。

多く加齢した人間に対して、世間は、
爺婆や高年・高齢、老年・老齢、老人・老耄・老老などと、
実に沢山の言葉を用意してくれた。
しかし、どの言葉も冷たい感じがする。
まるで最近の国の扱いに似ている。
そんな中では「お年寄り」は暖かそうで、ほっとする良い言葉だ。

 そういう社会情勢のためか、
お年寄り自身にも心に余裕が無くなっているのではないだろうか。
不信が強くなっていたり、猜疑心が増殖したりしていないだろうか。
あるいは、停年ならぬ諦念の気持ちが芽生えてきてはいないだろうか。
最近、お年寄りが危ういと思うことが多い。

ブログをスタートするに当たって、
通底するテーマを決めることにした。
「美しく老いる」、この言葉がいつの頃からか、
私の心に住み着いてチクリチクリと私の心を刺すようになった。
私の最も不得意とするところだからかも知れない。
だからこそ「老麗」目指したいと思う。