老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

NO.530私の海蝕

2009-06-15 07:22:08 | Weblog
記憶は甦って来なかった。

伊豆高原には、
勤めていた会社の保養施設があるので、
東伊豆にはたびたび来ている。
ぼら納屋で食事をしたことは覚えている。
 
12日に、伊豆城ケ崎海岸に行った。
4千年前の大室山の噴火で溶岩が海岸に流出し、
無数の岬をつくり、
波の浸蝕で数十メートルの絶壁が数多く見られた。
それらを結ぶ遊歩道が整備されており、
溶岩独特の岬のスリルを満喫出来る。
今度来た時は、
遊覧船に乗り海上から観てみたい。
 
門脇吊り橋を渡った。
半四郎落しと門脇岬の間に海蝕洞があり、
Y字型に突き出た両端を、
海面からの高さ23m、長さ48mの吊り橋で結ぶ。
城ケ崎海岸の絶壁が目の前に見える。

門脇灯台にも登った。
平成7年に、
展望台付の高さ25mの灯台に改築されたというから、
以前来た時には
古い灯台を見ているはずだが。

私の記憶も海蝕が進んでいた。


NO.529くつろぐ時間

2009-06-14 07:08:36 | Weblog
街のあちこちに櫓が見え、
100度の温泉を激しく噴き上げている光景は壮観だ。
湯煙と硫黄の臭いを街中に漂わせているのも
温泉情緒たっぷりである。

お湯かけ弁天様の傍の噴泉櫓では、
湯の花が分厚い板を形成していた。
無料の足湯もあり、
笑顔の美しい女性たちが幾人も使っていた。

11日伊豆熱川温泉へ行った。
新装なった熱川駅から海辺に降りた所に
太田道灌の銅像がある。
何故こんな所にあるのかと不思議に思って
傍らの掲示板を見ると

「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」

という、太田道灌の山吹伝説から説き起こして、
その道灌が怪我をいやす猿の湯浴みを見て
発見したのが熱川温泉なのだ、
という。

ホテルの部屋は、901号室。
大島、利島が眼前に横たわる最高の眺望だ。

翌朝4時半。
東の海上に棚引く雲が真っ赤に輝く。
やがてお天道様が雲の上に現れる。
その荘厳さに思わず両手を合わせて、
拝礼する。

ここは、
波音の中に朝日が生まれ出る街だ。
旅は、時間までが、くつろいでいる。

NO.528豚のうらみ

2009-06-13 06:16:52 | Weblog
今、
豚がインフルエンザを蔓延させている。
WHOは
11日にフェーズ6(世界的大流行)
を宣言した。
次に鳥が来るという。

「人民の人民による人民のための政治」
は、
1863年の米国・リンカーン大統領の演説。
民主主義の本質を語った言葉として有名である。
とは言え、
先住民を虐殺したヨーロッパ民族の侵略者でもある。
 
地球上に戦争が絶えないのは、
「民族の民族による民族のための政治」

「自国民の自国民による自国民のための政治」
という考え方が底流に潜み、
「宗教者の宗教による宗教のための政治」
が強力だからでもある。

動植物の世界は、
弱肉強食の世界である。
どんなに知性を獲得したとしても、
人間も動物であって、
その本性は弱肉強食にあり、
子孫繁栄のための生存競争にある。

そればかりか
「人間の人間による人間のための政治」
が続く限り、
人間は、
豚や鳥ばかりではない、
地球上のすべての動植物の怨敵であり、
地球上の孤独者である。

NO.527こじはん

2009-06-11 04:57:26 | Weblog
小学校の農繁期休みは大嫌いだったが、
「こじはん」は楽しみだった。

わが家は、貧農ながら米を作り、
大麦・小麦、ビール麦を作り、
また、養蚕もする農家だったから、
農繁期は寝る間も惜しむ忙しさであった。

この季節、
午前4時半にもなると、
太陽が顔を出す。
養蚕農家の朝は太陽よりも早く、
朝露の中で桑を刈る。
夏蚕は特に忙しい。

この季節、午後7時になって、
やっと太陽が沈む。
小麦農家の夜は太陽よりも遅く、
黄昏時まで麦を刈る。梅雨の晴れ間は特に忙しい。

わが家は、母子家庭だったから、
わが家の農繁期に手伝ってもらうために、
毎年、この時期になると
親戚の麦刈りや田植えを私が手伝った。 

「おーい! こじはんにすべえーよ!」

 畦道から、大声がする。
「こじはん」は、
「おにぎり」や「ふらい」など。
一日14時間労働の時期の「おやつ」である。
手で差し招かれるのを待つ迄もなく、
真っ先に痛い腰を伸ばし
上がるのは大人の後について上がる。


NO.526生血を飲む

2009-06-10 07:14:41 | Weblog
先日、群馬県の富岡製糸場を見学した。
私と同年代の男の方々が
ボランティアでガイドをしてくださる。
時々見学者を笑わせながら、
軽妙な語り口で手際よい。
若いガイドに無い安心感がある。
 
富岡製糸場は、国の殖産政策の一環として、
フランス人の指導により明治5年に国営で建設された。
高品質・大量生産が可能な近代的な器械製糸工場。
幅14m、長さが140mもあり、
今でも左右に2ライン設置されていて向こう側が見えない。
 
ところが、
いざ操業の段になって工女を募集したが、
なかなか集まらず操業を3ヶ月間延期している。

原因は
「富岡製糸場へ行くと、外国人に生き血を採られる」
というデマが飛んでいた為だった。

何と、
フランス人が赤ワインを飲んでいるのを見て、
勘違いしたらしい。
 
富岡製糸場と群馬県内の絹産業関連遺産が、
世界遺産の暫定リストに登録されたが、
それに、
女工の物語も附属して欲しいものだ。

NO.525ガーコンのうた

2009-06-09 06:50:51 | Weblog
戦地より 小麦のできを 案じる葉書
あれから4回 刈りました
肥料も買えず 実はわずか
それでも ガーコン踏みました
ガーコン ガーコン ガーコン ガーコン
ガーコン ガーコン ガーコン ガーコン

父さんは 遠くへ行った と母さんより
聞かされてから はや5年
父さん帰る日 待ってます
僕にも ガーコン踏めました
ガーコン ガーコン ガーコン ガーコン
ガーコン ガーコン ガーコン ガーコン

*ガーコンは足踏式脱穀機とその音

No.524昆孫の槍

2009-06-08 06:16:23 | Weblog
竹の根を掘る。
竹の子より辿って掘る。
一本の竹の子の根を辿って掘ると、
10本の竹の子がある。
10本の竹の子の根に10本の枝根が伸びている。
どんどん辿ってゆくと、どんどん深くなって、
親根は地獄へ続いている、
と母は言っていた。

一本の親根から複数の子の根が生え、
それぞれの子の根から、
それぞれに複数の孫の根が生える。
それぞれの孫の根から、
それぞれに複数の曾孫の根が生えている。
四方、八方、十六方に拡がって、
玄孫が生え、来孫が生え、昆孫が生える。

根の上に根が幾重にも重なり、
根の下に根が幾重にも絡まる。
年々に増えて、60年で花が咲き、
域内の竹は枯れる。

竹は邪魔物を突き破って、域外に増殖する。
山に増殖し一山をなし、里を侵蝕し竹林をなす。
竹の根の先端は、槍の様に硬く、鋭い。
その気になれば、
私のどてっ腹に突き刺すことだって可能である。

今も、地下で、
恐ろしい事が、起こっている。

NO.523思索する手

2009-06-07 05:52:07 | Weblog
庭は、赤紫の萩の小花が満開だった。

3日、群馬県立土屋文明記念文学館に行った。
今では、
箱物行政の批判をまともに受けて、
こんな立派な建物は建てられないだろう、
と思われるほど贅沢な建物だ。
美人ガイドさんの説明も嬉しい。

珍しい八角形の展示コーナーは、郷土「榛名山」・
歌集「ふゆくさ」の時代・「アララギ」・「万葉散策」・
歌集「山下水」の時代・青山の「復元書斎」・
「青南の日々」の他、「短歌の世界」や、
ゆったりしたビデオ鑑賞コーナーがある。

また、屋外には
東京南青山の文明宅から移植した樹木を観賞できる
「方竹の庭」がある。

「心のうち沈んだ時、
この庭を散策すると心が癒やされる」
と、方竹のようにスマートなガイド嬢は言った。

 思ひつつ文明の庭の方竹に手触れれば痛し刺にぞささる  貞雄
 
ロダンの考える人は、
頰杖をつく。
文明は思索する時に、
左の手の平を額にあてる。
私は、
頭の両脇を両手で挟み付けて、
絞り出す。


NO.522泥を吐く

2009-06-06 07:25:15 | Weblog
子供の頃、
泥鰌掘りが大好きだった。
しかし、
食べるためには、
煮る前に必ず泥鰌に泥を吐かせる必要があった。

それにしても、
私が17年間も殺人犯扱いされ続けたとしたら、
どうだろうか。
きっと、
気が狂ってしまうだろう。

4日、無期懲役が確定していた
管家利和受刑者(62歳)が釈放された。
東京高検が無実の市民を、
強引に殺人犯に仕立てていた誤りを認めた。

密室の取調室で、
「吐けっ、吐くんだっ!」
「いいかげで吐いたらどうだ!」
等と、警察官が机を叩き、大声で脅迫する姿は、
テレビだけの作り物と思っていたが、・・・。

管家氏は
「当時の警察官を絶対に許せない」という。
そうだろう。

テレビでは、
警察の決定に疑念を持って、
他の誰かが真実を追求して行くが、
あれはTVドラマだけの正義だったようだ。

水をくんだ小桶に泥鰌を游がせておくと、
やがて、底に泥が溜まってくる。
泥鰌を脅迫したわけではない。
泥鰌が泥を吐いたのである。

NO.521拾う母

2009-06-05 07:53:44 | Weblog
詩集『月に吠える』を、
お父さんは庭に投げ捨てた、
という。

熊谷短歌会の文学散歩で、
萩原朔太郎記念「前橋文学館」へ行った。
清流広瀬川のほとりに聳える近代的な建物で、
朔太郎のコーナーが常設されている。
ガイドさんの説明も丁寧で、
2時間位かけて観賞したい所だ。

「光る地面に竹が生え」
で始まる「竹」という詩など
『月に吠える』の下書きや
自筆原稿が展示されていて興味深い。
下書きの多くがざら紙に
散らし書きのように書き散らしてある。
思いついた勢いで殴り書きされたようだ。
感興の趣くまま、
ほとばしり出る詩句を忙しく書きとめるためだろう、
判読不可能なような走り書きが目立った。

白秋の序文、犀星の跋文を得て
大好評の『月に吠える』だったが、
医院の後継者として期待していた父親は、
朔太郎から受け取るや、
その憤懣を晴らすかのように庭に投げ捨てた、という。

投げ捨てし父の心に母のゐて『月に吠える』を拾ひしならむや 貞雄