老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

誕生日

2009-04-30 07:33:26 | Weblog
誕生日が近づいてきたが、
私は、1年に3回も年を取るようだ。

「年齢計算ニ関スル法律」
によれば、誕生日の前日の終了時、
即ち、4月1日生まれの人は、
3月31日の24時に1歳を加えることになる。

従って、
4月1日に生まれた子供が3月31日迄に
生まれた子供と同じ学年となり、
4月2日以降に生まれた子供は
その次の学年となってしまうという、
矛盾のような現象が起こるのは、
このためである。

一方、女子は満16歳で婚姻適齢に達するが、
これは、
16歳の誕生日当日以降でなければ結婚出来ない。

誕生日前日の24時を経過して
初めて年齢が満16歳になるという
身分法の考え方によるものである。

選挙権は、投票日が5月1日の場合、
20歳の誕生日が5月2日の人も投票が出来る。
満20年に達する誕生日の前日全体が
選挙権取得の日に当たる
ものと解釈されているからである。
被選挙権についても同じ。
 
どうでも良い事かも知れない。

南田洋子の尊厳ー介護

2009-04-29 06:20:09 | Weblog
長門裕之の介護報道は見るに堪えない。
長門の美談は聞くに堪えない。
南田洋子を晒し者にしている
テレビ報道は醜悪極まりない。

長門の介護はもう10年にも及ぶが
「彼女が植物状態か寝たきり状態になったら僕の責任だ」
と豪邸を売却し、
介護に都合の良いマンションに引っ越して、
日々献身的な世話を続けている等と、
テレビでも長門の介護の姿が美しい夫婦愛として、
繰り返し報道されている。
社会問題化している「老老介護」の厳しい現実を
浮き彫りにする恰好の例題のようだ。
 
「しかし、まてよ」
といつも割り切れない気持ちがある。
テレビに映し出される元女優・南田洋子の
ぶざまな姿に背筋が寒くなる。

テレビなどの報道は、
介護する側の苦難ばかりが美化されていて、
介護される側のプライドや尊厳は全く無視されているが、
それで良いのだろうか。

「痴呆だから本人にはわからない」
という問題ではない。
被介護者の尊厳を護ることは、
介護短歌を創る場合でも心しなければならないと思う。

泣くな自転車

2009-04-28 06:31:29 | Weblog
自転車に風当たりが強い。
事故が多いからだという。

最近、都会の道路に
「自転車専用道路」というものが出現した。
しかし、
専用道路上の駐停車を禁止しなければ効果はない。

地方の道路には「路側帯」というのがある。
歩道の無い道路の車道の左端にひいてある白線の内側部分で、
自転車などの軽車両と歩行者が通行可能である。
しかし、これも
路側帯の駐停車を禁止しなければ危険だ。

また、路側帯の真ん中に電柱がある。
道路が狭いためというよりも、
路側帯や側溝の整備が電柱の既得権よりも後になったからだ。
敷地内や農地内に移設してある所もあるが、
自転車や歩行者にとって、
路側帯の電柱ほど邪魔で危険な柱は無い。

最近、地中化が中断しているようだが、
狭い日本、
地中化を促進して欲しいものだ。

ちなみに、
自転車は、道路交通法上では
軽車両で路側帯も通れるが、
道路運送車両法上では車両で、
必ず車道を通らなければならない。

日本の自転車は、
まだまだ肩身の狭い乗り物だ。
泣くな自転車。

隣りの奥さんー家庭倫理

2009-04-27 04:33:54 | Weblog
毎月5千人余りの投稿者があり、
日本の短歌結社誌では出詠者数でトップとなっている
「しきなみ」という結社がある。

その会員で、
熊谷短歌会の会員でもある中学の同級生から、
「26日に講演会をやるから聞きにきてくれ」
という誘いがあった。

彼女は、
「家庭倫理の会」という会の下部組織の会長だという。
初めて耳にする団体だ。
「時々、宗教と間違えられるんです」と困惑していたが、
文部科学省以下教育委員会や校長会、
PTAなど教育と子供に関する諸団体が後援している
家庭作りなどを実践する全国組織の団体のようだ。

講演は「家庭をよくする」という、
いかにも倫理講演会らしい演題だったが、
綾小路きみまろの漫談を聞いているようで、
楽しいものだった。

「家庭を良くする」基礎は「夫婦愛和」である。
「当たり前と思う気持ちから感謝は生まれない」から、
「夫は妻を自分の妻だと思わないで、隣りの奥さんだと思え」
というくだりには、納得してしまった。


青年の好意

2009-04-26 06:17:59 | Weblog
電車に乗った。
やや混雑していて吊革に掴まって立っていたら、
目の前の青年が、突然立ち上がって、
「どうぞ」と席を譲ってくれた。
好青年だと感心したが、
私は「いえ、結構ですから」
と辞退した。しかし、
青年は、私が遠慮しているとみたのだろう、
重ねて「どうぞ」と言った。

私は、
健康のために駅まで7Kmの道のりを
自転車で往復するようにしている。
また、橋上駅へのエスカレーターは利用せず、
階段を上るようにしている。
車内では、
出来るだけ座らずに、立つようにしている。
全て、普段の運動不足解消のためである。

とは言え、その時は、私が
青年の行為を素直に受けておけばよかったのだが、
つい「いえ、本当に結構ですから」
と再び辞退してしまった。
それは、
老人扱いにされたという思いからなどではない。

青年は、
一度立ち上げた腰を再び元の席を戻したが、
その後は、お互いに
何か気まずいような思いが漂ってしまった。

さとうきび畑ー風土

2009-04-25 07:50:59 | Weblog
1番.ざわわ ざわわ ざわわ  広いさとうきび畑は
   ざわわ ざわわ ざわわ  風が通りぬけるだけ

11番.ざわわ ざわわ ざわわ  風に涙は かわいても
   ざわわ ざわわ ざわわ  この悲しみは 消えない

この歌を聴くといつも泣ける。
しかし、
この歌の作詞・作曲家の寺島尚彦は
昭和5年・東京生まれ。
歌手の森山良子は
昭和23年の東京生まれ。

従って、二人共沖縄に住んだこともなく、
ましてや沖縄戦の経験は全くない。
いわば、風土を全く知らないわけである。

そのために、
寺島は、本土の人達に
「どう伝えるか」
で大変苦しみ作詞・作曲が1年半にも及んだ。

また、森山は、
沖縄戦は勿論戦争すら知らない、
その上に苦労を知らない自分が
「どう歌えば良いか」に悩みに悩んだ。
そして、
二人とも見事に風土性を獲得した。
だから聞く人の心に響く。

これこそ、
プロフェッショナルの成せる技だと言える。

救いなき悪ー水について

2009-04-24 07:14:27 | Weblog
世界の四大文明である
エジプト文明(ナイル文明) 、
メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス文明) 、
インダス文明 、
黄河文明など、
文明はいずれも大河流域に発生した。
川に人が集まり、農業を営み、古代都市を形成した。

川ありて人が集へり水ありて命寄せ来しこないだまでは 金子貞雄
人間の生きゆくことは救ひなき悪と思ふまで街川濁る  大野誠夫

アフリカの砂漠地帯や
その周辺の映像をテレビなどで観ることがある。
動物は乾季・雨季などの自然現象に従って、
それぞれ水を求めて移動する。

また、人間も生きるために
毎日のように水場に水を汲みに行く。
どんなに遠くても。
どちらも命あるものの究極の姿であり、
水は命そのものなのだ。

水が人間と文明を生み、
その人間と文明が水を汚濁している。

慰霊の園へー坂本九

2009-04-23 07:44:48 | Weblog
歌手の坂本九は、
私と同じ昭和16年の生まれだった。

昭和60年の日航ジャンボ御巣鷹山墜落事故で
43歳の若さで亡くなった。
常に全日空を利用していたのに、
お盆の帰省ラッシュのため満席で、
仕方なく日航機に乗って事故に遭ってしまった、
という逸話がある。
 
昨日、妻が突然、
その慰霊の園のある群馬県上野村へ行こうと言い出した。
往復170Km、6時間のドライブである。
国道299号線は
神流川の右岸、左岸をくねくねと進む。
道沿いにある濃紅色の桃の花が満開、
雑木々は丁度若葉の季節で、
山々を緑のグラデーションに彩る。

そんな中に、合掌をかたどった慰霊塔は
静かに山の色、空の色を映していた。
 
その坂本九は、
昭和18年、217名が死傷した
常磐線土浦駅列車衝突事故では、
その列車に乗り合わせていたものの、
事故直前に
他の車両に移っていたために難を逃れた、
という逸話もある。

「上を向いて歩こう」という歌声が、
残響のように降ってきた。

親の祈りー名前について

2009-04-22 06:37:33 | Weblog
自分の名前の文字を間違えられると
不愉快な思いがする。

市名は「龍ヶ崎市」であるが、
駅名は「竜ヶ崎駅」、
県立の高校名も「県立竜ヶ崎○○高校」である、
と怒られた事がある。ややっこしい。
どうして県と市で表記が異なってしまったのだろう。

もっとも吾が県でも
「埼玉県さいたま市」「行田市埼玉(さきたま)」が
あるから他県のことを軽々には言えない。

「さき」の表記では、
「埼玉県」の「埼」が
今度常用漢字に認められる事になるようだ。

「龍ヶ崎市」のように、山へんの「崎」は
山がそのまま海に突き出た所。

一方「埼玉県」のように、
土へんの「埼」は木の生えていない土(崖)が
海に突き出た場所。犬吠埼がある。

他に、石へんの「碕」もあり、
岩が海に突き出た土地をいう。
島根県に出雲日御碕がある。

私は貞雄。
貞夫や貞男、定雄などという字の人もいる。
文字にはそれぞれ意味があり、
名前には親の祈りがある。

教誨師ー植木職人の技

2009-04-20 06:42:53 | Weblog
自転車で出歩くと家々の庭木が目に入る。
そして、
植木職人の技にはほとほと感心する。
自然空間をカンバスにした最高の絵画だ。

「枝葉末節」という言葉がある。
取るに足らないような些細な事を言うが、
植木職人ほど
「枝葉末節」を大事にする職業はあるまい。
それでいて素人よりも大胆に、
極限まで「枝葉末節」を剪り落とす。
樹木を知り尽くした者の技であろう。

読書を始めるといつも眠くなる。
19日、庭に出て五葉松の整枝をした。
犬槇や黒松は容易いが、
成長した五葉松ほど
整枝のしずらい庭木もあるまい。
傲慢でY字型にふん反り返っている。
他人の傘になろう等という気持ちは微塵もない。

以前、
一番の太枝を四方割で曲げようとして
枯らしてしまった事がある。
仕方なく、
首から10Kgの重しを吊り下げる
2年間の実刑を科してきた。

その枝に添え木をするのだが、
下手な植木職人の添え木は、
見栄えだけでまったく厚生させる気概もない。

その点でも、
プロの植木職人の技には感心する。
頑固な枝も教誨師のように傘に導く。