老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

ウイルス言葉

2009-05-31 06:38:06 | Weblog
「さまじい」と言い。広辞苑には無い。

私の地方では
「この子は、さまじい子だ」等と
「気が利く」という意味で使っている。
時には「賢い・利口」という場合もある。

「じいさま・爺様」や
「すさまじい・凄まじい」という、
似たような言葉もあるが、意味が全く違う。

「いいざま・好い様・好い態」は、
「ひどいありさま。他人の失敗などをあざけっていう」。

「好い」と言いながら、
反対の意味になってしまった。
「市長が汚職で逮捕されたそうだ、いいざまだ」
等と使う。

「まじい」という言葉がある。
「まじ」と同じで「まじめ・真面目」
という意味だから、
「さまじい」の「さ」を接頭語と考えれば、
全く不自然という事にはならない。

しかし、私の地方で「まじい」は、
「美味くない。まずい・不都合だ」
という時に使う。

言葉はウイルス、
時と場に適合し生きるために変化する。


汁かけ飯

2009-05-30 06:44:16 | Weblog
永平寺で参籠修行をした事がある。
勤行や座禅は勿論、
風呂に入るのも
一汁三菜の食事をいただくのもすべて修行。
あらためて
「いただきます」と「ごちそうさま」
の心を知った。
ここに「食育」があると思った。

この地方では、
味噌汁の事を「おみおつけ」とも呼ぶ。
御味御付。
「おみ」は「味噌」、「おつけ」は「汁」
を意味する女房言葉。
江戸時代に江戸の地で使用され始めたという。

みそ汁は、
戦国時代に陣中食として考案されたとする説がある。
また、
普段は里芋の茎を味噌で煮しめて縄として使い、
食事の時にちぎって陣笠に入れ、
熱湯をかけて味噌汁を作ったとも言われる。

石田三成は、
「熱湯に焼き味噌をかき立てて飲めば、
終日米がなくとも飢えたることなし」
と語ったと言う。

御飯に味噌汁をかけて食べる「汁かけ飯」
という偉大な発明は、
戦国時代になされたが、
今でも「汁かけ飯」ほど
簡単・美味な料理はあるまい。

鼻で笑う

2009-05-29 06:47:08 | Weblog
目覚めの時間は、その日の成否を左右する。

今朝は、午前3時に眼が覚めてしまった。
いつもは、0時半に寝ているのに、
昨夜は11時半に寝たのが間違いだった。
小用を済ませて再び眠ようとしたが、
眠れない。こういう場合、いつもそうだ。

角川から『角川現代短歌集成』の校正用のゲラがきた。
もう、出した事さえ忘れていた。
5冊の歌集から10首選んで出したのだが、
「これが俺の代表歌か」と思うと愕然として、
余計目が覚めてしまった。

黒田杏子著『金子兜太の養正訓』を読む。
俳句にも、人生にも、健康にも
自信にあふれた金子兜太89歳が見える。
 
4時半。
電灯を点けなくても外の明るさで本が読める。
雲雀の声がする。鴉や尾長の声もする。
雀の声がもっともうるさい。
 
8時に寝て4時に起きる仲間を鼻で笑ってきだが、
暗くなる頃に寝て、明るくなる頃に起きる。
人間も動物に戻る方が自然なのかも知れない。

バナナ移住

2009-05-28 06:29:05 | Weblog
バナナは1万本以上食べてきたが、
美味いバナナの見分け方は難しい。
スイカやメロンの売れ具合の判定が難しいように、
外見では判らない。

バナナは、
未熟で青い物を輸入して、
国内で販売時期、
食べられる時期に合わせて熟成させる。
その熟成の良否がバナナの品質を決定づける。

皮は、
しっかりした黄色をしていて、
やや硬めの物が良い。
果肉は、
やや硬めで、
甘みは頂点に達する手前の頃合いの物が好きだ。

ところが、外見が美味そうなのに、
炊き損なった御飯に芯があるような
バナナに出合うことがある。
熟成の仕方を間違えた物だ。
食べてみてガッカリする。

また、人によっては、よく熟れたもの、
黒い点点のシュガースポットの多い物がお勧めだと言うが、
私は嫌いだ。
歯ごたえが弱く甘すぎる。

みっともないが、バナナは筋も食べる。
バナナの筋は維管束と言って、
植物にとって人間の血管のような重要な物で、
栄養分の宝庫である。

老後は、
樹で熟成したバナナが食える国へ移住したいものだ。

笑う庭石

2009-05-27 06:11:32 | Weblog
庭石は8個ある。
すべて三波石である。

母屋を建て替える以前は、屋敷林があった。
また、
屋敷の東西は、高さ4mの樫の垣根だった。
この垣根と庭木の手入れは大変な作業で、
群馬県千代田町の庭師が毎年2人で2日間かかっていた。

梯子から落ちたり、
足長蜂や毒虫に刺されたり、
色々な事件もあった。

 
庭を見ては、
群馬県鬼石町の石屋が何度も売り込みに来た。
そのたびに母と妻は断っていた。

ところが、
ある日、
妻が勤めから帰宅してみたら、
2トン以上もありそうな大きな庭石が、
でんと居座っていたという。
妻が母に尋ねると

「昼間来て断ったが、
夕方また来た。
一日走ったが売れなかったのだそうだ。
金はいつでも良いそうだ」

とはいうものの、
石屋は三日後に金を取りに来た。
母は笑いながら用意した大金を渡していた。
 
以来母は、
「素晴らしい庭ですね」
などと言われながら石屋や庭師に騙され続けた。
亡くなった今も、
庭石は母の顔をして鎮座している。

ハルシオン

2009-05-26 07:12:03 | Weblog
妻は、
私が死んでからも10年間生き続ける。
平均余命と年齢差から計算すると、
そんな結果が出たが、猫が私の寿命を更に短くする。

「男性は、妻と1つのベッドで眠ると熟睡できない」と、
5月2日のダイヤモンド・オンラインで
ウィーン大学の教授の報告が掲載されていた。
しかし、「女性は熟睡する」のだという。
承知している。

睡眠不足は、
記憶力などの脳機能の低下だけでなく、
高血圧など多くの病的状態との関連も示唆されている。
時に、寿命をも左右する。

私にとっての睡眠環境は、最高だ。
妻は1階、私は2階。
電灯の点滅や就寝・起床の時間は自由。
誰にも妨げられる事はない。

しかし、私は寝付きが悪い。
その上この季節は、屋根の雀狩りをする猫に、
今朝も4時半に起こされて、
睡眠は4時間だった。
これでは長生きは出来そうもない。

猫を捨ててしまえば良いのだが、
猫は13歳。
我々夫婦と同世代だという。

今夜はハルシオン0.125gを飲むとするか。

歩く自転車

2009-05-25 07:00:19 | Weblog
自転車は、車道を走らないで欲しい。
理由は、
車を運転している者にとって、
車道をヨタヨタ走っている
自転車ほど危険で邪魔な物はない。

車道を走る自転車にはいつもヒヤヒヤさせられる。
自動車が近づくと突然フラフラする自転車もある。
お年寄りや女性は
「自動車が来たな、危ない、気をつけよう」
と緊張すればする程、
ハンドルを持つ手に力が入って、
逆に運転操作が難しくなるからである。

自転車は、車道を走らないで欲しい。
理由は、
車道をノロノロ走っている
自転車ほど危険で邪魔な物はない。

一般道における自動車の速度は、
概ね40~60kmである。
一方、
普通の自転車は10Kmが精一杯である。
そんな高速の自動車と低速の自転車とを、
狭い道路で一緒に走らせる法律が間違っている。

歩道を、
人と自転車が分かち合うべきである。
自転車は、
歩道を歩くように走るのがよろしい。

レンジの神様

2009-05-24 07:06:18 | Weblog
わが家の台所には、
四ヶ所同時に煮炊きが出来る竈があった。

竈の薪(たきぎ)は、
煮炊きする物によっても異なるが、
基本的には、薪(まき)、麦わらや豆木、胡麻木、
桑枝(くわで)、もみ殻、枯れ枝、落ち葉等、
燃える物は手当たり次第に何でも燃やした。
 
しかし、
いずれも直ぐに燃え尽きてしまう物ばかりだから、
必ず火の番人がいて、
適宜、焼(く)べる必要があった。
そのために、背後には燃やす材料が
いつも堆(うずたか)く積まれてあった。
 
火の番は、竈火災の番人でもあり、
退屈な仕事だが、大事な役でもあった。
しかし、作業は簡単だったので、
子供の頃からやらされた。
嫌で仕方がなかった。
竈で燃える明かりで宿題をし、本も読んだ。
 
竈には、荒神様が祀られていたが、
家の建て替えと共に竈は無くなってしまった。

今では、正月や節の祝いに、
ガスレンジの傍に幣束やお供えをしているが、
神様もガスレンジには宿りづらいだろう。

木琴おばあちゃん

2009-05-23 05:57:19 | Weblog
「孫に“おばあちゃん”とは言わせない」
という人に出会った。
前にも、同じような話を聞いた事がある。
案外こういう人が多いのかも知れない。

「何と呼ばせるのか」と聞いたら、「オオママ」だと言う。
全くふざけた話だ。
「スパゲッティではあるまいに、何がオオママだ」
とあきれかえったが、
黙って聞いていた。

 同居、別居は別問題としても、
家庭には「おじいちゃん、おばあちゃん」がいて、
「お父さん、お母さん」がいる。
否、いなければならない。
それが自然というものだから。

たとえ精神的なものにせよ、
そうした家庭構造をお年寄りの利己主義で破壊するなど、
言語道断・以ての他である。

大体、
こういう利己主義で子供を育ててきたから、
子供の世代や孫の世代が社会問題を起こすような、
人間に育ってしまったのだ。

「おばあちゃん」と呼んでみる。
その響きは木琴のようだ。
音色が温かく、優しく、美しい。
愛と信頼の大樹だ。
「おばあちゃん」。

ぽっきり・かっきり

2009-05-22 06:40:11 | Weblog
友人は心臓病だった。
「ぽっくり」とは
「長患いする事なく突然に死ぬさま」
とある。

女児用の下駄を「ぽっくり」と言ってきたが、
不吉な発音だ。
「木履」だから「ぼっくり・ぼくり」
と言うべきだった。

同じような言葉に「ぽっきり」がある。
「数量の名詞に付いて、ちょうどそれだけである事」。
「千円―」と言う。
消費税込み価格で1050円だったのを、
内容量を減らして「千円ポッキリ」
と価格表示したら、2倍も売上が伸びたという。
好きな所で折ってくれるような、
魅力的な言葉だ。

また「かっきり」もある。
「数量などに端数のないさま。ちょうど。」
「―半分だ。千円―」と使う。
一升枡に米を量る時の「掻っ切り」に似ている。
掻き切られて損をしたような気になる、
損な言葉だ。

「きっかり」は、
「数量・時刻などが厳密に合っているさま。」
「―千円。十二時―」と使う。
店の主に
「そんな固い事を言わずに、少し位オマケしてよ」
と言いたくなる、
妙な言葉だ。