金沢発 あれやこれや

-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

自覚前の日々5

2015-10-06 00:44:01 | スピリチュアルコラム
≪うちなる神について≫
先日、実家で園芸作業をする機会がありました。
ブルーベリーが茂りすぎたので、剪定をしたのです。
直径50センチほどの果樹用鉢に植えるまで大きくなっており、
夢中になって剪定してると、その鉢にやもりが現れました。
昼間、それも人間がわさわさ作業してる最中にでてくるなんて
そうないことです。

爬虫類のほうから近づかれる経験はカエルが最初でしたが、
近頃はアパートの窓にやもりを見かけます。これまでと異なり、
すぐ逃げたりせず、見つめあったりします。

一方、虫との関係は相当深まってます。

蚊に刺されなくなったと以前報告しました。
刺されなくなった代わりにじやれつかれることが続いてます。
アパートの中に長くいると乾燥して死んでしまうので、
探し回ったりするのですが、見つからないことがあります。
そのうちに蚊のほうから手に止まって、出してくれとせがみます。
手を動かさずに玄関に移動し、外で息をふきかけて離します。

蚊も大胆なものから恥ずかしがりなものと性格があるようで
恥ずかしがりな蚊は出て来い出て来いと言いながら探します。

そうなった原因は不明でした。が、そんな交流するなかで、
台風のときは「安全な場所でやり過ごして」とか、大雨のときは
「溺れないよう注意して」とか、冷え込むときは「少しでも
暖かい場所で耐えて」とか一帯にアナハタで発信するほか、
朝昼晩で気づいたときにアナハタを介しあいさつをするよう
になりました。

数日前、久しぶりにラムサ聖なる予言を読み返しました。
漠然とした説明が多く、ピンとこない部分が多い本ですが、
客観的に現状を見つめることができ、次の仮説を得ました。

爬虫類、虫、犬、猫、鳥たち、見えない存在の自分への
風がわりな接触は、自分のなかに発現した神性による。
しかし私はまだそれを実感できずにいる。

自分自身のなかに神を見ること、そしてその神自身になることが
彼(釈迦)が体得しなければならなかったこと
というラムサによる説明があります。

お釈迦さまと私は格が違いすぎますが、自分なりに霊長の努め
を果たせたら。そう思います。

コメント
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