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岡井隆さん死去 2020/7/10 戦後短歌界けん引した歌人 三人の元妻と三十二歳年下の四人目の妻と

2020-07-13 | 本/演劇…など

岡井隆さん死去 92歳、戦後短歌界けん引した歌人  
  日本経済新聞社会・くらし2020/7/11 15:15
 前衛短歌運動や鋭敏な批評で戦後短歌界をけん引した歌人で文化功労者の岡井隆(おかい・たかし)さんが7月10日午後0時26分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。92歳だった。お別れの会を行うが日取りなどは未定。
 1946年、短歌結社「アララギ」に入った。初期は写実に根差した短歌を詠んだが、慶応大医学部在学中の51年に歌誌「未来」を創刊。内科医として病院に勤務する傍ら前衛短歌運動に取り組み、思想性や社会性を反映する表現の可能性を広げた。
 短歌だけでなく現代歌論を確立したとされる評論や発言でも歌壇を超えて注視された。
 93年からは歌会始の選者を務めた。歌集では「禁忌と好色」で迢空賞、「親和力」で斎藤茂吉短歌文学賞、「ウランと白鳥」で詩歌文学館賞。詩集では「注解する者」で高見順賞も受けた。
 宮内庁和歌御用掛、京都精華大教授も務めた。90年6月から2014年3月まで、日本経済新聞歌壇の選者を務め、08年10月には「私の履歴書」を連載した。

 ◎上記事は[日本経済新聞]からの転載・引用です


夕歩道 
  中日新聞夕刊 2020年7月13日 
 反体制的前衛歌人から宮内庁御用掛の宮廷歌人へ。三人の元妻と三十二歳年下の四人目の妻と。物議を醸した新著『わが告白』を世に問うたころ、岡井隆さんが小紙のインタビューに答えている。 
 「この二十年間でどんどん自己改造している。転向に何ら恥じることもない。当然の経過」。当時八十四歳。妻から「百十歳まで生きてほしい」と言われたという大歌人が九十二歳で亡くなった。 
 本紙朝刊に三十年近く連載した「けさのことば」は、ご本人によると都合一万五百回ほどに。誤って同じ題材を使ってしまったことが一度だけあったそうな。波瀾万丈(はらんばんじょう)と裾野の広さに改めて絶句。
 
 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です


中日春秋 
 中日新聞 2020年7月14日
 少年が学校から帰り、自分の部屋をガラッと開けると、見知らぬ老人が布団を敷いて昼寝をしていた。不条理芝居の滑り出しみたいだが、実話である。少年の部屋で寝ていたのは歌人の斎藤茂吉。父親が茂吉の結社「アララギ」の会員だった関係から家に寄ったのだろう ▼「おお君の部屋を借りたよ」。そう声を掛けられた少年はやがて歌人となり、戦後の短歌界をけん引する。歌人の岡井隆さんが亡くなった。九十二歳。名古屋出身。あの少年である ▼大戦後、短歌は危機にあった。敗戦のショックが大きかったのだろう。短歌ではなく別の方向に進まなければ日本は文化的に生き残れないのではないか。日本伝統の短詩型そのものを否定する意見もあった ▼岡井さん、塚本邦雄、寺山修司が担った前衛短歌運動とは短歌滅亡論への疑問と反抗だった。実験的な比喩表現や虚構性。短歌の新たな可能性を模索し続けた。歌壇には「前衛狩り」の風潮もあったが、結果として岡井さんたちの試みは混乱期の短歌を救ったと言える ▼<海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ>。かなしき婚とは一九六〇年の日米安保改定だろう。歌の強さ、鋭さは後の世代から見てもまぶしい ▼本紙ではコラム「けさのことば」を長く連載していただいた。愉(たの)しみの半面、博識と内容の深さに、同じコラム書きは毎度ため息をついた。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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 追悼・岡井隆さん 時代と矛盾を歌に昇華  
社説 2020年7月14日
 戦後の前衛短歌運動を進めた歌人の岡井隆さんが十日に亡くなった。短歌という古い器に同時代の先鋭的な問題意識を注ぎ込む、一見は矛盾する行為を優れた歌へと昇華させた九十二年の生涯だ。 
 岡井さんの創作活動は、早くも少年時代に始まる。医学や生物学系の学問を志しつつ、優れた歌人であった父の影響で文系の書物も愛読し、短歌誌の「アララギ」を読みふけって作歌に取り組んだ。 
 後に本紙で、先人らの至言を読むコラム「けさのことば」を長年書き続けられた土台には、その懐の深い教養があった。 
 こうした知的な面を持ちつつ、戦時中は「神国・日本」という観念をすり込まれていた少年でもあった。だが敗戦後の世相は、そして周囲の大人たちは一変する。 
 その中で登場したのが、上代からの伝統ある短歌や俳句を時代遅れとし、西洋の小説などに劣るとみる「第二芸術論」。批判に抗して岡井さんは、新しい時代の意識をも表現できる歌を目指した。 
 思想や観念。政治や社会など同時代の問題。それをわずか五・七・五・七・七の短い文字列で描きだす困難な営みに、盟友の歌人・塚本邦雄氏らと乗り出したのだ。 
 先行世代からけなされても意に介せず、自らが求める次の時代をつくる歌を「未来」と命名された歌誌を舞台に追い求めた。短歌の命脈が尽きていたかもしれない状況の中、戦後の文学運動の中でも際だつ挑戦的な試みといえよう。 
 医師として活躍しつつ、創作に評論にと打ち込み、政治運動にも関わった。公安警察につけ回されたこともあるその人が、後に宮中で歌会始の選者や和歌の御用掛を務めるという大転向を果たす。これも「前衛短歌の歌人・岡井隆」を語るときには切り離せない。 
 四十代の頃には勤め先の病院を突然辞め、短歌を捨てる気で五年近くも九州で暮らすが、後に歌壇に復帰した。こうした奔放で矛盾に満ちた軌跡は時に信奉者さえ落胆させたが、一方、この国では珍しいほど自由な生き方を貫き、複雑で魅力ある人物像を造形していた。 
 伝統や対立者の批判、社会の規範にはとらわれず、短歌の持つ可能性を探り続け、若い歌人への関心も持ち続けた。 
 敗戦の焦土の上に築かれた戦後の空虚さを見すえつつ、精いっぱい生き、歌った人。戦後七十五年となる今年、その死を惜しむ。 
 今は戦後のむなしさに居て見おろせば水の上の蟻(あり) 空襲死あり 
 (「眼底紀行」より)

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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わが告白  Kindle版  
 岡井 隆 (著)   
 男女の愛とは何だろうか――。二度の離婚。そして五年間の恋の逃避行。日本を代表する大歌人には、語られざる過去があった。文学者として世俗的な栄誉をすべて受けた今、封印してきた記憶が蘇る。そして、嫉妬と悪意の嵐。裁判沙汰になったストーカー騒動にも巻き込まれ、決して平穏な日々は訪れない。最初で最後の小説。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
 岡井/隆
 1928年1月5日愛知県名古屋市生まれ。歌人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。現、宮内庁御用掛。慶應義塾大学医学部卒。医学博士。内科医師として国立豊橋病院内科医長などを歴任。1946年「アララギ」に参加。1951年、近藤芳美を中心に「未来」創刊。『禁忌と好色』で迢空賞、『親和力』で斎藤茂吉短歌文学賞、『岡井隆コレクション』で現代短歌大賞、『ウランと白鳥』で詩歌文学館賞、『注解する者』で高見順賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

 ◎上記事は[amazon.co.jp]からの転載・引用です


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