大久保清故死刑囚(1976年刑執行)~女性8人殺害から50年 (1)怨嗟 (2)翻弄 (3)素行 (4)虚無 2021/04/04

2021-04-08 | 死刑/重刑/生命犯

大久保は問う~女性連続殺人から50年(1)怨嗟 遺族「思い出したくない」 半世紀経てなおやり場ない無念
 上毛新聞[2021/04/04 06:00]
 黄色い菜の花が道端で揺れていた。今年3月下旬、赤城山が裾野まで望める群馬県の県央地域の田園地帯。一角で暮らす住民の一人は、1週間ほど前に申し込んだ取材について返事をくれた。
 「…『話したくない』っていうんだよ。母親が死ぬまで『悔しい』って言っていたものだから。ごめんなさいね」
 住民の家族は、身内の女性=当時(18)=を一人の男に殺された。もう半世紀前のことになる。
 男の名は大久保清。1971年春、旧新町、旧新里村、高崎、伊勢崎、前橋、藤岡各市の女性計8人(当時16~21歳)を、41日間で殺害した元死刑囚=76年執行、当時(41)=だ。この3月末で、1人目への犯行からちょうど50年たった。
 事件の発覚時、被害者がこれほど広域の複数人にわたるとは、誰も想像できなかったかもしれない。
 71年5月14日。藤岡署は大久保元死刑囚を逮捕した。女性=当時(21)=を誘拐した容疑だった。
 「モデルになって」。派手なシャツにベレー帽。画家を称し、女性に繰り返し声を掛けた。まだ愛車が珍しかった時代に、乗用車の「マツダ ロータリークーペ」を乗り回した。
 県警は数日後、大久保元死刑囚を別の女性を乱暴した容疑で再逮捕。旧倉渕村一帯を山狩りしたり、玉村町の利根川周辺を捜索したが、当初の逮捕容疑とした女性の行方は分からなかった。
 防犯カメラやドライブレコーダーは当然なく、犯行の「足」は、市民の証言などからしかたどれない。大久保元死刑囚の供述が変遷し続けたことも、捜査がかく乱された要因だったとされる。
 事件が展開したのは、初めの逮捕から約10日後のことだった。
 〈今月上旬、車のナンバーを隠すように、大久保元死刑囚らしい男がスコップを持って立っていた〉。こうした目撃情報を基に県警は榛名湖の近くを捜索、土の中から女性=当時(17)=の遺体を見つけ、捜査本部を立ち上げた。
 大久保元死刑囚は女性を乱暴した容疑については供述したり、現場検証に素直に立ち会ったりした。半面、誘拐や殺人などの容疑に関しては、かわすばかりだった。
 事件は連日、繰り返し報道された。県警には段階的に、行方不明となっている県内の若い女性の情報が寄せられるようになった。
 渦中の当事者たちは、どんな心境だったのか。
 今年3月下旬、東毛地域。桜の木の近くで子どもが遊んでいた。近くに暮らし、当時19歳だった女性を殺害された遺族に取材を申し込んだ。趣旨や目的をうなずきながら聞くと、はっきりとした口調で答えた。
 「思い出したくないのでお断りします」

      ◇     ◇     ◇

 日本社会を戦慄せんりつさせた女性連続殺人事件から半世紀。県警の取調官をはじめ関係者の多くは既に世を去り、記憶の風化も著しいが、遺族は今なおやり場のない怨嗟えんさを抱える。女性などを狙う底無しの悪意は現代でも時に闇から牙をむく。事件は今に、何を問う。

大久保は問う~女性連続殺人から50年(2)翻弄 否認、うそ…核心遠く
 上毛新聞[2021/04/05 06:00]
 「まだ暗くなる前だったかな。出てきたのは」
 高山勝さん(80)=前橋市関根町=は3月中旬、群馬県の榛名湖の近くで土の中にあった遺体を掘り起こした時の光景を思い出した。高崎署捜査課係長として現場に急行したと記憶する。1971年5月のことだった。
 遺体は当時17歳だった女性。大久保清元死刑囚=76年執行、当時(41)=に殺され、遺棄された。
 大久保元死刑囚は8人の女性(当時16~21歳)を71年3~5月に殺害した。高山さんが立ち会った発掘で見つかったのは、最初の遺体だった。深さは他の場所に埋められていた被害者よりも浅かったように覚えている。実況見分には無数のマスコミが押し寄せた。
 この発見が、誘拐や乱暴をした疑いで逮捕された大久保元死刑囚を、殺人容疑で本格的に立件する転機になると思われた。そうした捜査機関側などの思惑に反し、事件の全容を解明するにはしばらく時間がかかった。残る7人の発見には、同年7月末まで費やした。
 妙義山麓、高崎市の工業団地周辺、下仁田町のコンニャクイモ畑。遺体は各地に埋められていた。皮肉なことに、県警にとってはこの際の遺体発掘の経験が、71年から72年にかけて県内で起きた「連合赤軍」の殺人事件で生きたとされる。
 大久保元死刑囚の捜査はなぜ困難だったのか。
 否認、うそ。「余分なことは話すが、核心はうたわない。決してばかじゃないが、(人間としての)センターが狂っていた」(高山さん)。そうした容疑者との駆け引きに、翻弄ほんろうされ続けたのだとされる。
 〈大久保(元死刑囚)のウソつき、ホラ吹きは一流だったが、弁舌さわやかという点でも類を見ない犯罪者だった〉〈早く遺体を出して家族にお返ししたかったが、焦る気持ちを読み取られては負けで、神経を使った〉…。捜査段階で100日間ほど向き合った県警の取調官(故人)は、後に述懐している。
 大久保元死刑囚は当初、藤岡署に逮捕された。71年7月中旬まで前橋署に勾留されていたが、それから同年8月下旬までは当時の松井田署(今の安中署松井田交番)に身柄が移された。
 妙義山が一望できる閑静な場所。勾留先をここに変えたのは、大久保元死刑囚の良心に訴える県警の苦肉の策だった。すぐ隣の補陀寺では、住民が心に響けと鐘を鳴らした。「たくさんの記者が来た。2社くらいに電話を貸したな」。近所の細矢栄吉さん(90)は半世紀前を振り返った。 

大久保は問う~女性連続殺人から50年(3)素行 親の訴えにも自供拒絶
 上毛新聞[2021/04/06 06:00]
 「車は密室で、外から中の様子は見えない。『知らない人の車には絶対乗っちゃだめ』って、よく教え子に伝えました」
 群馬県富岡市の女性(81)は3月、大久保清元死刑囚=1976年執行、当時(41)=が逮捕された71年のことを思い出した。東京農大二高で教壇に立っていた。
 女性の夫(81)も富岡東高で教えていた。大久保元死刑囚が、上州富岡駅の周辺でも若い女性たちに声を掛けたという真偽不明の情報が出回った。「生徒たちには気を付けろと、相当言いました」と言う。
 殺害された被害女性計8人(当時16~21歳)の住所地は、旧新町、旧新里村、高崎、伊勢崎、前橋、藤岡各市と広域にわたった。大久保元死刑囚はこれ以外にも県内各地で無数の女性に声を掛けていた。県外へも出掛けていたとされる。
 「友人が男に声を掛けられ、それが後で大久保(元死刑囚)だと分かり、富岡署で事情を聴かれた」。甘楽町の女性(65)は語る。あの子が誘われた、高崎の駅近くで接触した…。いつもなら平穏そのものの町中に、うわさが広まった。町民の男性(72)は「身近な場所でこんな犯罪が起きるなんて。そうした不穏な空気があった」と話す。
 大久保元死刑囚はどんな素行だったのか。初公判(同年10月、前橋地裁)で示された検察側の冒頭陳述に、記述がある。
 35年に当時の碓氷郡(うすいぐん)八幡村(現高崎市八幡町)で生まれ、53年にラジオ店を開業した。55年に女性に乱暴しようとした罪で執行猶予判決を受け、翌56年には別の女性に乱暴した罪で実刑判決が下り、刑務所へ入った。出所後は牛乳店を営んだ。
 67年に再び女性暴行事件を起こすなどして実刑判決を受け、恐喝未遂罪なども併合されて、同年中に府中刑務所に服役した。仮出所は71年3月2日。8人殺害事件の最初の被害者に手を出したのは、そこから1カ月もたたないうちだった。
 女性殺害事件を巡り逮捕され、勾留中の同年6月、大久保元死刑囚の両親が接見に前橋署を訪れた。取り調べで否認や狂言を繰り返すなどして、被害者が最終的に何人に上るか分かっていない時期だった。
 〈他に何人も殺しているなら、早く自供を〉
 両親の訴えに、大久保元死刑囚は接見の目的が自身に供述を促すためだと見透かした上で、返した。
 〈俺は家族にも裏切られた。刑務所から出てくるたびに、友達も冷たくなった。俺の気持ちは誰にも分からない〉

大久保は問う~女性連続殺人から50年(4)虚無 人間不信 侮辱ばかり
 上毛新聞[2021/04/07 06:00]
 〈犯罪構成要件に欠けるところはないのだが、その殺害に至る行動の供述には虚実入り交じり、動機に至って、不可解な点を拭い去ることができなかった〉
 手記は、公判に臨んだ大久保清元死刑囚=1976年執行、当時(41)=の印象をこう評す。一審前橋地裁を担当した元裁判長、水野正男さん=2004年逝去=が96年に残した。
 捜査段階で否認や狂言を繰り返し、当局と駆け引きした大久保元死刑囚。71年10月の初公判で、8人殺害の起訴内容を認めた。
 酒やたばこはやらない。麻薬は使わず、買春もしない。〈知能は普通以上といってよい〉。そうした大久保元死刑囚について、地裁は72年3月、精神鑑定することを職権で決めた。
 水野さんはその日の公判の後、トイレで大久保元死刑囚と偶然出会った。〈死刑を覚悟しているのに、なぜ鑑定の必要があるのか〉〈動機や、その苦悩の過程が知りたい〉―。わずかな会話が交わされた。
 依頼先の東京医科歯科大は126ページに上る鑑定書をまとめた。犯行当時の心理状態は十分に究明にできなかったとしつつ、「性欲殺人、隠蔽殺人のカテゴリーに推定される」などとした。
 地裁は73年2月、死刑を言い渡した。大久保元死刑囚は顔色を変えず、立ったまま全文を聞いた。控訴はなく、判決は確定した。
 水野さんは述懐する。
 〈判決理由を朗読しながら(中略)犯行の具体的事実記載は、依然として定型的形式的なことを感じ、ことに動機の叙述について審理不尽の悔を残した〉
 前橋市の親族によると、水野さんは大久保元死刑囚の事件も含めて家庭で仕事の話はしなかった。後年、趣味の油絵で、法服を着て頭を抱える人の姿を描いたという。
 傍聴者も、筆紙に尽くせぬ感覚や不可解さを抱きながら聞いていた。
 「べらべら、しゃべるだけしゃべってね」。記者席に座った元上毛新聞記者の高橋康三さん(78)=桐生市=は今年3月、振り返った。彼女から誘ってきた、被害者はたばこを吸っていた…。大久保元死刑囚の供述は犠牲者への侮辱ばかりだったと記憶している。
 実際、第2回公判では殺害の正当性などを2時間にわたって論じた。「亡くなった人は反論できない。これほど悔しいことはないだろう」。高橋さんは思いを行間に込め、紙面で報じた。
 厳罰を求める遺族の調書が読み上げられると、大久保元死刑囚は返した。〈自分はそれ以上の罪を犯しているつもり。家族の方は傍聴席でじっと待っていてください。(自分が)その立場になっても、八つ裂きにしたいと思うし、気持ちは分かっています〉
〈私の虚無への序奏は人間不信です〉
 大久保元死刑囚とは何者だったのか。「うーん…。難しいな。難しい」。高橋さんはしばらく考えた後、宙を見てつぶやいた。

 ◎上記事は[上毛新聞]からの転載・引用です
――――――
〈来栖の独白 2021.04.08 Thurs〉
>自分はそれ以上の罪を犯しているつもり。家族の方は傍聴席でじっと待っていてください。(自分が)その立場になっても、八つ裂きにしたいと思うし、気持ちは分かっています
>私の虚無への序奏は人間不信です

 頭の良い人なんだろう。大久保清という人。すべて先回りして言われた感じで、言葉がない。イエス・キリストなら、何と云われただろう。


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