「週刊読書かいわい」 (中日新聞夕刊 2008/11/05 Wed)
『蟹工船』小林多喜二(金曜日) ブームめぐる論者の場外乱戦
ワーキングプアの貧困問題の上に、今度は「1929年(の大恐慌)に匹敵する」(麻生首相)金融危機の到来だと。それで・・・かな?! 丁度1929年に書かれた小林多喜二のプロレタリア文学『蟹工船』=戦前日本資本主義の暗黒労働で搾取される人々の姿を描いた物語が大ブームだ。私も再読したが、ここに記すほど新たな感慨はなかったね。むしろ今回は、このブームをめぐる論者の場外乱戦の方が面白いので、そっちを紹介しよう。
まず評論の柄谷行人が、その文体は「勧善懲悪的なプロパガンダ」で、ブームは「文学の復活にも・・・、政治的な実践の復活にもならない」(文学界11月号)と口火を切った。作家の辺見庸も、「あんな船、まじ、あったの」「SFみたいだよな・・・」と語り合う大学生の言葉を並べ、「SFとしての『蟹工船』」(中日新聞10月30日夕刊)と呼んだ。『蟹工船』セールにのり出した(出版資本)側は、多喜二の革命思想などドーデモ良く、単に「売れるから、売るのだ」と皮肉っている。なら、このブームは怖いもの見たさの“究極の貧困(暗黒労働)体験ツアーのようなものなのか?”
こうしたプロレタリア文学のレベルは軽々と卒業してきた柄谷・辺見氏ら大人の視点と、いまフリーターや派遣労働者(プレカリアート)の「生きさせろ!」デモの先頭に立ち、いわば政治的な実践を復活させつつある若手作家の雨宮処凛などはくっきりと対立する。本書・週刊金曜日版『蟹工船』の解説で彼女は、「カニコーは・・・『私たちの等身大の物語』」と、次のように書く。
〈「悲惨」な労働現場の描写に溢れるこの物語には、21世紀を生きる若者たちの日常と、奇妙に符合する場面が沢山登場する。・・・「蟹工船は『工船』(工場船)であって、『航船』ではない。だから航海法は適用されなかった。(中略)工場法の適用もうけていない」。・・・まるっきり(現在の派遣ザル法の)「偽装請負」と同じではないか〉といった調子だ。『蟹工船』から政治的な実践は復活するか=柄谷と雨宮の論戦を期待したい。そしてその論争には私も加わりたいな。なぜなら蟹工船の時代は、樺太の原木積み取り人夫(製糸業)という“もう一つの暗黒労働”があって、その主流は朝鮮人だった。つまり蟹工船の下層にもっと劣悪非道な収奪が展開していた。『蟹工船』を日本資本主義の悪徳モデルの代表のように考える現在のカニコーブーム論争って甘すぎると思うからだ。(吉田司・ノンフィクションライター)