goo blog サービス終了のお知らせ 

「一流目指してもしようがない」急逝した西村賢太さん〝落伍者〟の矜持 産経新聞 2022/2/12

2022-02-12 | 本/演劇…など

 学芸万華鏡
「一流目指してもしようがない」 急逝した西村賢太さん〝落伍者〟の矜持

 産経新聞 2022/2/12 09:00 海老沢 類

   
   自作『芝公園六角堂跡』についてインタビューに応じる作家の西村賢太さん=平成29年3月

 「そろそろ風俗行こうかなと思っていた」。5日に54歳で急逝した西村賢太さんは、平成23年の芥川賞受賞決定後の記者会見でのそんな型破りな発言と、強烈な個性で一躍時の人となった。自らの不幸な生い立ちをさらし、欲望、憤怒、呪詛(じゅそ)や嫉妬にまみれた日常を描き続けた無頼の私小説作家。でも著作に関するインタビューの場では、異端児としてのイメージに覆い隠されがちな創作に向ける真摯(しんし)な思いとストイックな姿勢を見せることもあった。

「別格の作品です」
 中学卒業後、さまざまな肉体労働で生計を立てながら創作を始めた西村さんは、16年に「けがれなき酒のへど」で商業誌デビュー。芥川賞受賞作『苦役列車』をはじめ、西村さん本人を思わせる作家・北町貫多を主人公にした私小説で知られた。家族での夜逃げや暴力沙汰での逮捕、同居女性への暴言や破局の顛末(てんまつ)も包み隠さず描いた作品群は、「破滅型私小説」と称された。平成の世で、すっかり下火になっていた日本独自の私小説に再び目を向けさせた異才だった。
 西村さんにインタビューする機会を得たのは芥川賞の受賞から6年が過ぎた29年3月。4編からなる連作集『芝公園六角堂跡』(文芸春秋)が刊行されたときだった。
 「受け狙い的な記述は一切なく、書きたいことを書いている。読み手がどう思おうと、これは自分の中で別格の作品です」
 取材の冒頭、西村さんは晴れがましい表情でそう話した。物語の主人公はおなじみの北町貫多。でも、ほかの作品で出るような罵詈(ばり)雑言や暴力は一切描かれない。それが「別格」たるゆえんの一つだった。
 「デビューから一応10年はもって、気づいたら、罵倒する言葉とか暴力描写ばかりを喜ぶ読者にしか支持されていないような気がしまして…。夜郎自大な言い方になりますけれど、読者をふるいにかける、っていうんですかね。これが面白くないと思うのなら、僕の小説は向かないからもう読まなくても結構。そんな意味をこめているんです」

藤沢清造への思慕
 芥川賞の受賞後、西村さんはその際立った個性が注目され、数多くのテレビのバラエティー番組に出演した。知名度は格段に上がり収入も増えた。一方で、30歳を前に自身が逮捕されたときに、その著作を読んで心を救われて以来、「没後弟子」を自任してきた大正期の私小説作家・藤澤清造の墓前からは足が遠のいていた。清造の月命日の29日に必ず行っていた石川県での墓参りを、忙しさを理由に欠かすことが増えていたのだ。
 そんな西村さんの40代後半の日常を投影した『芝公園六角堂跡』の表題作では、清造が凍死した地にほど近いホテルで行われた有名ミュージシャンのライブに赴いた貫多の高揚と惑いがつづられている。私淑する清造が亡くなった地でその残像を感じる貫多が、原点を見つめ直し、薄れゆく書く喜びや情熱を取り戻そうとする物語だった。
 「そもそもテレビに出演したのも、清造の没後弟子を名乗る以上は多少なりとも知られた書き手にならないといけない、という思いからだったんです。ところが、そのうちに自分の名誉欲や金銭欲に押されるようになっていた。あえてくだらないことを書いて読者をくすぐってやろう、なんて色気も出てきた。それじゃあ、ダメだろうと。僕はものすごく噓つきな人間だけれど、清造に関してだけは誠実でありたい、という願望があるんですよね」
 師への誠実さの証しだろう。作中には、清造の肉筆原稿を入手するために大枚をはたく挿話も出てきた。
 「僕の場合、お金を残す人間もいないし、実際ほかにそんなに使うことがないんですよ。ギャンブルは一切しない。それが僕の唯一の取柄かなと。100円あったらギャンブルで増やすより、その100円でパン1個買ったほうが、確実に明日まで生き延びられますから」

「文壇政治はできない」
 そもそも、あけすけな告白を連ねただけでは小説の魅力は立ち上がらない。創作の裏には、絶え間ない鍛錬の集積がある。
 「田中英光、葛西善蔵、川崎長太郎…といった物故私小説作家の作品をもう何十年も読んできた。毎日、そればっかり繰り返し読むんです。すると必ず何かが会得できるんですよ。今でも枕元に置いて、ぱらぱら拾い読みしてますもん」
 そうして生み出された西村さんの私小説は独特のスタイルを持ち、随所にユーモアがあった。「結句(=結局)」に代表されるしゃれっ気のある言葉遣いは文章に絶妙なリズムを生んでいた。一歩引いた位置から主人公に突っ込みを入れる自己批評眼は陰鬱な挿話に滑稽味を添えていた。『芝公園六角堂跡』でも、西村さんは自らの分身である貫多を突き放すように、こう形容している。〈所詮、わけの分からぬ五流のゴキブリ作家〉〈売れぬ五流の私小説書き〉〈薄汚ない五流作家〉…。「五流」という表現は、自らを「落伍者」と語る西村さんの矜持(きょうじ)を凝縮したものだった。
 「『五流』ってのは作品の内容のことじゃないんです。作家で『五流』か『一流』かを決めるのは、編集者との付き合いなんですよね」。西村さんはそう切り出し、言葉を継いだ。
 「僕は人格的に文壇政治的なことは一切できない。だから一流なんて目指してもしようがない。生前に文壇を牛耳っていたような作家さんの作品を、いま一体誰が読んでますか? って話なんですよ。私小説だけを筋を曲げずにバカの一つ覚えみたいに書く。そういうほうが、読む人が読めばわかってくれる。いまの人間がみんな死に絶えて、次の読み手が出てきたときにも広まりやすい、とも思うんです」
 縁はめぐる。壮年で世を去った西村賢太の「没後弟子」を自任する異才が登場する日がいつか来るのかもしれない。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。