今夕はヴァイオリンとピアノ。メンデルスゾーン29歳の時のヴァイオリン・ソナタも好いが、フォーレのヴァイオリン・ソナタ1番イ長調(31歳)、なんて優美なんだろう。フォーレっていえば、私はミサ曲が先ず頭に浮かぶが。
前回は、気分がすぐれずお休みした。コンサートにも行く気がしないというのは、私にとって、相当滅入っている状況だ。ピアノも弾く気がしなかった。帰省しても、一度もピアノの蓋を開けなかった(実家は普段空き家同然なので、帰省すると、留守を守ってくれている愛車やピアノたちに先ず声をかける。車にエンジンを掛け、ピアノの蓋を開けて音を出す)。心に音が響いてこないことを、ベートーベンのピアノソナタ17番(テンペスト)第3楽章を弾いていて、はっきり自覚していた。本来の私は、例えば「ヘミオラ」を愉しむ性質だった。が、その箇所が苦痛でならない。その不安定さが、苦痛でならない。そんなことをレッスンで先生にお話しすると、「ヘミオラは、バッハのインベンションにも出てきますよ」と云われる。4番だ。弟藤原清孝の死から私を支えてくれたのは、バッハだった。インベンションだった。そうか、安定感抜群のバッハと認識していたが、浅い安定感では、あのときの私の精神の支えにはならなかったはずだ。不安をも抱え込んだ理性、安定を私は求めていたはずだ。先生の言葉で、私は吹っ切れた。バッハの大きさに、また救われた。----レッスンでは、一度私が弾いてみる程度で、多くは、先生とのおしゃべりである。その時々で、音楽に関係したおしゃべりをする。一度は先生が「今日は、私の演奏を聴いてください」とおっしゃり、後で感想を申し上げたこともあった。----
今夕のコンサートは、愉しめた。K・KAWAIのまろやかな音色に包まれる。お久しぶりの気分。ここでは、スタンウェイもヤマハも、その素晴らしさを発揮しないだろう。ここはカワイの音色がピッタリだ。
途中、ケイタイに、サイレントで息子からメール。「急ですが、ドームへ行きます」。帰宅して新聞を見ると、対「楽天」戦♪ うまいことしたな! マー君じゃないか。そういえば、「楽天が(交流戦で)来たら」と、あいつ(愚息)言ってたっけ。
前回は、気分がすぐれずお休みした。コンサートにも行く気がしないというのは、私にとって、相当滅入っている状況だ。ピアノも弾く気がしなかった。帰省しても、一度もピアノの蓋を開けなかった(実家は普段空き家同然なので、帰省すると、留守を守ってくれている愛車やピアノたちに先ず声をかける。車にエンジンを掛け、ピアノの蓋を開けて音を出す)。心に音が響いてこないことを、ベートーベンのピアノソナタ17番(テンペスト)第3楽章を弾いていて、はっきり自覚していた。本来の私は、例えば「ヘミオラ」を愉しむ性質だった。が、その箇所が苦痛でならない。その不安定さが、苦痛でならない。そんなことをレッスンで先生にお話しすると、「ヘミオラは、バッハのインベンションにも出てきますよ」と云われる。4番だ。弟藤原清孝の死から私を支えてくれたのは、バッハだった。インベンションだった。そうか、安定感抜群のバッハと認識していたが、浅い安定感では、あのときの私の精神の支えにはならなかったはずだ。不安をも抱え込んだ理性、安定を私は求めていたはずだ。先生の言葉で、私は吹っ切れた。バッハの大きさに、また救われた。----レッスンでは、一度私が弾いてみる程度で、多くは、先生とのおしゃべりである。その時々で、音楽に関係したおしゃべりをする。一度は先生が「今日は、私の演奏を聴いてください」とおっしゃり、後で感想を申し上げたこともあった。----
今夕のコンサートは、愉しめた。K・KAWAIのまろやかな音色に包まれる。お久しぶりの気分。ここでは、スタンウェイもヤマハも、その素晴らしさを発揮しないだろう。ここはカワイの音色がピッタリだ。
途中、ケイタイに、サイレントで息子からメール。「急ですが、ドームへ行きます」。帰宅して新聞を見ると、対「楽天」戦♪ うまいことしたな! マー君じゃないか。そういえば、「楽天が(交流戦で)来たら」と、あいつ(愚息)言ってたっけ。