影ぞ恋しき
中日新聞 2017/5/2 朝刊
(前段略)
咲弥が言うと、常朝は激しく頭を振った。
「滅相もない。女人は花として生きるのではなく、生きることがすなわち花なのでございます」
「では、殿方が生きることは何にたとえられるのでしょうか」
「花に注ぐ雨であり、遠くから何かを伝える風であり、さらには花に照りつける熱い陽射しを生い茂らせた枝葉の影でやわらげる大樹でございましょうか」
淡々と言う常朝に咲弥は目を瞠った。
「はて、孔孟の教えにさようなことがございましたか。初めて耳にしたような気がいたします」
ははっと常朝は笑った。
「何の、初めてではございますまい。雨宮殿は常にかように生きておられるのではございませんか。咲弥様は、ご自分の頭上で熱い陽射しをやわらげてくれている大樹の影を感じたことはないのでございますか」
咲弥は常朝の言葉にはっと胸を突かれた。
「たしかに日ごろ、蔵人殿の仁慈を当たり前のことといたしてきたかもしれません。もし大樹の影が無くなれば、そのときは随分と寂しい思いがして、影を恋い慕うのでしょうね」(以下略)
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〈来栖の独白 2017.5.2 Tue 〉
何年か前、葉室麟さんの『いのちなりけり』を読み、いたく感動した。そうして、昨年からだったか、中日新聞で葉室麟さんの連載『影ぞ 恋しき』が始まったのだが、期待に反して私には面白くなかった。それでも幼い頃からの習慣で、新聞小説ということで毎日目を通してきた。
すると、やっと本日、「ああ、この連載小説は、これが言いたかったのか」という回(306回)に出会えた。
咲弥にとっての蔵人は、私には我が夫君であり、私自身、夫君がいるから今日の日が生きてゆけている。何もかも、夫君より賜りしもの、命の糧である。よい人に出会えたと思う。
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◇ 葉室麟著『いのちなりけり』(文春文庫)より
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