まずしいネット生活

2006-03-30 | 日録

 友人に久しぶりのメールを出しておいたところ、早速返信を戴いた。私より10歳若い彼女だが、重なるところが多い。諒解を得て、一部をコピペさせていただく。お嬢様の卒業式のお話とか、お母様のこと、ご自身のパソコンのお話などである。

 大学の卒業式には実家の母とともに出席しました。パイプオルガンと賛美歌で始まった式に母はとても感激した様子で、少しは親孝行できたかなと嬉しかったです。
 東京駅のホームまで迎えに行ったのですが、乗る予定だった新幹線(私が調べて指定した)から降りてこなかったので、あわてました。実は10分早く着いた別の新幹線に乗ってしまっていたのです。幸い、同じホームだったので、なんとかつかまえられましたが・・・ これを始めとして、いろいろ、病気が進んでいることを改めて思い知らされて悲しくなったりしましたが、とりあえず、喜んでくれたので、よかったと思ってます。
 いま介護保険認定では要介護1ということですが、まだ何もサービスはうけていません。本人は「もう頭も体も調子がよくなった」というのですが、毎日見ている弟(同居はしていませんが)の話では、記憶障害や今までできていたことができなくなっている状態は相変わらずで、遠からず一人にしておくことはできなくなりそうです。
 今のところはなんとか大丈夫なのですが・・・いくら病気で仕方ないとはいえ、実母のそういう状況を見ると落ち込んでしまいますね・・・
 自分もそうなるかも、というかなると思っていたほうがいいのでしょうね。
私自身は、幸い1月の検査でも異常はなく、また一年後です。ただし、年相応というか、コレステロール値が要注意でした。体質的なものらしいので、食べ物や運動で改善されるというわけでもなさそう。しかし、親しい同年輩の友人たちも、私より高い方が多く、そんなことで慰め合っております(笑) せいぜい楽しめるうちにと思って、ロックコンサートにも相変わらず行っておりますが・・・・
 「午後のアダージオ」は毎日楽しみに拝見してます!
 もぅすぐセリーグも開幕で、心がそわそわしますね~WBCも興奮しましたし・・・・
今日は熱田神宮でドラゴンズの必勝祈願があったそうですが、今年こそ!!!
 実はナゴヤドームには来週行きますが、野球ではなく、ローリングストーンズのコンサートです。
 それと、我が家でも二匹の猫が何よりの癒しですね。寝ている姿を見ているだけでも和みますもの。
 パソコンもネットも便利でもはや、欠かせぬ生活ツールですけど、時にそれに振り回されて、ストレスがたまっているのも感じます。
おととい、PCをリカバリしたのですが、こういうことは嫌いではないですけど、なんとか立ち上がった後もおかしなエラーメッセージや不都合が発生するたび、どきどきしてばかり・・・よく考えたらそんなこと、生きていく上でどうでもいいことなんですけど。
 こんな調子で暮らしていますが、最近読んだ本で良かったのが「逝きし世の面影」(渡辺京二・平凡社ライブラリ)です。幕末・明治にかけて日本を訪れた外国人の書いた記録から当時の日本社会にあって、今は失われてしまった「文明」を描き出しているものです。単純な伝統主義や国家主義的な立場はとっていないところも興味深いです。

 私どもも、母は認知症である。夫の母は、息子を見ても判らないときがある。ペースメーカーも着帯しており、介護認定5度である。私の母は介護認定1度で、新聞も読むし手紙も書く、本も読むが、新たな記憶は出来ないようだ。二人とも施設に入っており、常時医師や介護してくださる人の目に触れているので、家族としての心配は軽減された。

 パソコンもネットも便利でもはや、欠かせぬ生活ツールですけど、時にそれに振り回されて、ストレスがたまっているのも感じます。
 実感! ストレスがたまる。

 どきどきしてばかり・・・よく考えたらそんなこと、生きていく上でどうでもいいことなんですけど。

 ほんと、どうでもいいことなのに、どきどきします。そんなことならやらなければいいのに、と自分でも思うのだが、やっている。私の場合、HPとブログの更新に大方の時間を費やして、他のことは何も出来ない状態。まずしい。のんきにネットサーフィンとかもやった記憶はないし、掲示板とかもよっぽど気分に余裕のある時に限られる。チャットというものもあるそうだが、一度も試したことはない。ま、私のような遅筆では、無理だろうが。そのようにしてHPに時間も心血!も注いでいるわけだけれど、パソコンという代物は本当にわけのわからない不可解極まるツールである。HPの更新では、今になっても「転送」がドキドキ・ハラハラである。「どうってことない、簡単に壊れるものではないし、転送できなければ、このまま置いておいてもいいじゃないか」と、念仏唱えるように自分に言い聞かせるのだが、緊張はその極に達する。アダージオをうっかり清孝のほうへ転送したこともあった。「私には適正がない」とは、何度も痛感したことである。ほんとうに難しい。パソコンなくしては何事も進んでゆかない、そういう時代に乗り合わせた身の不運を嘆くばかりだ。紙に書いて送受信する時代には、個人情報の漏洩もウィルスの感染もなかった。今、何と目に見えない多くのものにぶら下がって生活していることだろう。

 けれど、パソコン・インターネットのお陰で、私どものような拙いサイトにも目を留めてくださる人がいる。やっぱり魅力だ。


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