千葉景子法相の死刑執行命令--検察・官僚の掌に乗せられ

2010-07-31 | 死刑/重刑/生命犯

BLOGOS編集部 2010年07月31日10時00分
【ムネオ日記】2010年7月28日(水)鈴木宗男
 千葉法務大臣が二人の死刑執行に立ち会ったと発表している。
 死刑廃止論者の千葉大臣は、法務大臣就任以来、死刑執行を頑なに拒んできた。それにも関わらず、突然の死刑執行判断。この経緯を国民に是非とも説明して戴きたいものだ。いや、説明責任を果たす義務があるのではないか。
 千葉法相は執行後の会見で、死刑制度存廃を含めて議論する勉強会を設置し、東京拘置所の刑場を報道機関に公開するよう省内に指示したことを明らかにした。指揮命令を確認するためとして、東京拘置所で自ら執行に立ち会ったという。法相が立ち会ったのは初めてとみられる。(7月28日毎日新聞夕刊1面)
 千葉大臣は、一体どういう考えで死刑執行に立ち会ったのだろうか。
 ただ指揮命令、確認をするために立ち会ったとするのなら、いかほどの意味があるというのか。この点もしっかり国民に説明して戴きたいものである。
 千葉大臣は参議院議員として、二度も取調べの可視化法案を参議院に提出し、可決させている。しかし法務大臣になったら、検察、官僚の掌に乗せられ、可視化に向けた動きは極めて遅く、鈍いものとなってしまった。
 この点でも、政治家としての信念、志に、首をかしげたものである。
 政治家が信念や勇気を失い、心がなくなったのなら、辞めるべきだというのが私の考えである。民主主義の一番大事な選挙という手続きで、国会議員から民間人になり、千葉大臣に大きな心境の変化があったのだろうか。
 是非とも説明責任を果たして戴きたい。 強調(太字)は来栖
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官邸に「死刑制度調査会」を設置せよ
BLOGOS 保坂展人2010年07月29日
 千葉景子法務大臣は、死刑廃止を推進する議員連盟の会員である。その千葉大臣から、就任直後に秘書を通して「脱会届け」を受け取ったのは私である。後に会った時には、「立場が立場ですから」と言っていた。まさか、「死刑執行の準備」のためだとは思わなかった。千葉大臣は、就任直後から「死刑制度について国民的な議論を行いたい」としながら、同じ民主党の国会議員が死刑廃止議員連盟を代表して会いたいと言っても、会いたがらなかった。国民どころか、与党の国会議員とさえ死刑問題を議論した気配がない。いや、その機会を避け続けてきた。
 そして、25日で終了した参議院議員の任期切れの1日前、24日に死刑執行命令にサインをした。そして自ら執行命令を出した2人の処刑現場を立ち会ってきたという。「死刑の執行は適切に行なわれ、私自身自らの目で確認させていただき、あらためて死刑に関する根本的な議論が必要だと感じました」(記者会見)と語った。そこで会見では「死刑のあり方について検討するために法務省内で勉強会を立ち上げることにした。私自身のもとに法務省内の関係部局によって構成することとしますが、開かれた場で外部の様々な方々からの意見をお聞きしたい」として、「死刑の存廃も含めた国民的議論が行なわれる契機にしたい」としている。
 ここに倒錯がある。今日まで「国民的議論」に背を向けて法務官僚の語る「死刑執行の職責」と向き合ってきた千葉大臣は、自ら命じた死刑執行を目で見て「根本的な議論が必要」との認識に至ったのだという。「死刑執行」の実行があってこそ、「国民的議論」がなされるという法務官僚のトリックにまんまとはまっている。自らが「死刑執行」を実行したら、「いかに死刑執行に国民的な合意と承認を形成するか」という視点で議論を進めなければならない立場に身を置くことになる。
 千葉大臣は、死刑廃止議員連盟を離れて、「適切な執行をこの目で見届ける大臣」へと成長した。「国会議員なんてそんなもんだよ」と法務省刑事局で後世まで語り継がれるほどの転換をさせたのは何だったのか。「死刑執行を実行しない大臣」は「国民的な死刑の存廃も含めた議論」を行なう資格はないのだ。まずは、死刑執行をしてスタートラインに立つという「独特な論理」は、どんなに議論をしても「現行死刑制度の存置」という結論にしかならないような立場に千葉大臣の軸足を切り換えることになる。
 仙谷由人官房長官も、死刑廃止議員連盟の古くからのメンバーだ。菅直人総理は、これまで死刑制度についての発言は控えているが、仙谷氏は加藤紘一自民党元幹事長と共に2008年に「裁判員裁判における死刑判決の全会一致制度」「終身刑創設」法案をともに議論してつくりあげた要の役割を担った。法務省の勉強会は、始まる前から「死刑存置」の結論が見えている。せめて、菅内閣で総理直属で官房長官をトップとした「死刑制度調査会」を設置するぐらいのことは出来ないのだろうか。
 自民党時代は、法務・検察を向かうにまわすことなど出来なかった。政権交代がまだ続いているなら、この内閣でも総理直属の「死刑制度調査会」は出来るはずだ。千葉大臣は法務省内で事後勉強していればいい。もし、やるというなら私自身は全面的に協力したい。
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「心臓が弱い人は民主党を支持するときには注意が必要~役人の論理の前で突然に変節する民主党の政治信条」
BLOGOS 木走正水2010年07月29日
 政治家の政治信条とはかくも変節可能なものなのでしょうか。
 29日付け読売社説から。
「死刑執行 やっと法相の責任を果たした」(7月29日付・読売社説)
 民主党政権になってから初めて、2人に死刑が執行された。昨年7月に3人の執行があって以来1年ぶりになる。
 千葉法相はかつて「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだった。昨年9月の就任以降、死刑執行に対する法相としての姿勢を明確にしないまま執行ゼロの状態が続いていた。この結果、死刑確定者は109人と、過去最高の水準にまで増えていた。
 刑事訴訟法は、死刑確定から6か月以内に刑を執行しなければならないと定めている。法相の考え方や信条によって、執行のペースが左右されるとすれば、法治国家として異常な事態である。
 先の参院選で落選した千葉法相が、民間人として続投することには批判も出ていた。この時期、突然の執行に踏み切った真意をいぶかる声もあるが、法に基づく執行は、法相として当然の責務だ。
 内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑容認派が過去最高の85・6%を占めた。被害者や遺族の感情に配慮する意見や、凶悪犯罪の抑止力になることを期待する意見が多かった。
 世界的には欧州を中心に、死刑を廃止か停止している国の方が維持している国よりも多い。だが日本では、国民の大多数が死刑を容認している現実を踏まえ、その声を尊重する必要があろう。
 法相は自ら希望して、拘置所で2人の刑の執行に立ち会った。記者会見では「見届ける責任があると思った」と述べた。法務行政の最高責任者が執行に立ち会うのは、初めてのことだという。
 法相はまた、死刑制度のあり方について、省内で本格的な議論を始める方針を明らかにした。
 昨年から裁判員裁判が始まっており、いずれ裁判員が裁判で死刑の選択を迫られる日も来る。
 国民が責任の一端を担う以上、死刑制度の議論を深めること自体には意味があろう。だが、最初から廃止や停止の結論ありきでは、国民の理解は得られまい。
 死刑に関する情報の公開も欠かせない。法相が東京拘置所の刑場を報道陣に公開する方針を示したことは前進と言える。
 これまで法務省は、死刑について徹底した「秘密主義」を貫いてきた。執行した死刑囚の氏名まで公表するようになったのは2007年以降である。
 刑場の構造、執行の方法、死刑囚の生活――。そういった情報が提供されることが、国民一人ひとりが死刑制度を考えるきっかけになるだろう。(2010年7月29日01時08分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100728-OYT1T01124.htm 
 本当に驚きました。
 よもや「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだった千葉法相が、参院選で落選し民間人として大臣を継承することに物議をかもしているまさにこのタイミングに、まさに突然の死刑執行であります。
 読売社説は「やっと法相の責任を果たした」と無邪気な評価をしています、私も死刑制度容認派でありますので執行を決断したこと自体は肯定的に評価したいです。
 がしかし、「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーであった千葉氏の今回の突然の変節は正直理解に苦しみます。
 政治家の政治信条とはかくも突然に変節するものなのでしょうか。 
 この変節は死刑制度廃止派から厳しい批判をまぬがれないでしょう、またタイミングの悪さもありさっそく野党からも批判が起こっているようです。
 ふう。
 当ブログではこの気の毒な法務大臣を本件では批判を控えたいです、そもそも彼女はさきの参院選で落選したときに辞任すべきだったし本人も辞任を希望してたのです、留任させたのは本人の意思ではなく菅首相であり、現在の彼女は管政権の姑息な保身策の犠牲者という側面もあるからです。
 それに、「法相は自ら希望して、拘置所で2人の刑の執行に立ち会った」とありますが、報道によれば彼女は絞首刑場で死刑執行をガラス越しに立ち会ったそうです、顔面蒼白であったとあります、そうとうの覚悟で立ち会ったのでしょう、一部報道でこの時期の死刑執行は政治的パフォーマンスではないのかとありますが、私はその論はありえないと考えてます、パフォーマンスで死刑執行現場に立ち会うなどは、昨日の彼女の会見の疲れ切った重い表情を見れば、千葉氏にそのような余裕はなかったと考えるのが普通でしょう、事実は逆で、追いつめられた苦渋の決断だったのではないか、推測します。
 ここは素直に「刑の執行に立ち会った」千葉氏の覚悟と責任感には敬意を表したいです。
 別の新聞報道によると、千葉法相は、在任期間中の「執行ゼロ」を避けたい法務省側からの説得を受け入れ、徐々に執行の決意を固めていったようです。
 同省側は法相に対し、裁判員裁判で国民が死刑か無期懲役かという重い判断を迫られるようになったため、それでも執行を避け続ければ国民の理解を得にくいことを強調していたそうです。
 2月の内閣府の世論調査で死刑容認が過去最高(85・6%)になったことも、決断の背景にあるのではと同省側は話しております。
 今回の突然の執行は、刑場を国民に向けて公開する必要性を説いていた法相と死刑執行を行わせたい役人側との間で「執行とセットでの情報公開」というぎりぎりの妥協点だった側面もあるという見方もあります。
 6月24日、千葉法相は土曜日にもかかわらず登庁し大臣室で死刑執行命令書にサインしたそうです。
 参院議員の任期が満了する前日であります。
 私は今回の死刑執行で千葉氏を個人的に批判する気にはなれません、しかし、どうにもこの突然の死刑執行は驚きであり、いろいろな意味で民主党政権についてあらためて深く考えさせられてしまいました。
 政治家の政治信条とは役人の論理の前では、なぜかくも簡単に変節するものなのでしょうか。
 鳩山氏は、普天間基地移設問題で選挙前「最低でも県外」と公約し政権成立後も埋め立ては沖縄の海を冒涜するなどの発言を繰り返し、「政治主導」で解決すると意気込みました。
 が、結局は外務省の用意したとおりのシナリオに落ち着きます、役人の説明に「抑止力の認識を新たにした」と発言し、現行通りに決着させます、この鳩山氏の突然の「変節」は、事前説明がいっさい無く、地元沖縄の人々の怒りを買ったわけです。
 菅氏は、財務相に就任した当時は、無駄使いは「逆立ちしても鼻血も出ないほど絞り取る」と喝破していました。
 しかし財務相として国際的な蔵相会議に出席するなどを通じて、ギリシャの経済危機などを役人を通じて学習、日本の財政危機を危急的速やかに解決すべき深刻な問題と認識するようになります。
 そして自らが首相になるとあの突然の「消費税増税発言」となります。
 これも国民にとって突然の変節でありました。
 そして今回の千葉氏の突然の死刑執行、「変節」であります。
 ここには共通した流れがあります。
 野党時代からその政治家の大切にしていたであろう政治信条が、与党の要職に就きしばらくすると役人の説得・説明に感化・影響され180度真逆に変節していく。
 その変節の過程はけっして有権者には説明されず、ある日突然、発表され国民を驚かす。
 そして皮肉にも、変節のベクトルはすべて「政治主導」から「官僚主導」へと向かいます。
 この流れの意味するところは深刻です。
 民主党政権のうたう「政治主導」なるものはまったく実態をともなわないスローガンに過ぎないということです。
 しかもたちが悪いことに政治家の変節の過程は一切見えませんから、国民にとってはいつも突然の変節になって現れます、まさに「晴天の霹靂(へきれき)」です。
 心臓が弱い人は民主党を支持するときには注意が必要だということです。
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篠沢一男・尾形英紀死刑囚に死刑執行=政治が官僚に負けた/法務大臣臨時記者会見の概要 
千葉景子法務大臣は検察を適切に指導せよ/特捜検察と小沢一郎2010-01-18 


4 コメント

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Unknown (rice_shower)
2010-08-03 20:53:32
存置派の私が言うのは変かも知れませんが、千葉法相の屈服は無念でした。

http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d100802_0
衛星放送はなかなか良い番組を作っていますね、地上波と違って。
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Unknown (ゆうこ)
2010-08-03 22:52:30
rice_showerさん。
 コメント、ありがとう。BSフジのこの番組は、私も時どき見ます。対中国の問題など、防衛の専門家を出演させて、暴露的な突っ込んだことなど言わせていますね。
 ご案内の「死刑執行」のは、見ていなかったです。高村元法相、良いですね。女性のキャスター、「おさらい」なんて言って、ダメ。若狭さんの「10年後、20年後」には、げんなりです。こういう人が大半なんですけどね。(保岡氏は清孝の執行を命令した人です。)
 日本で法務大臣の職に就くというのは、きついと思いますね、鳩山(弟)みたいな無茶者でないかぎり。
 若狭さんの言う「10年後、20年後」を、もしも千葉さんが見据えたのであれば、とんでもないこと。「いい加減にせい」と言いたいです。
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Unknown (rice_shower)
2010-08-06 07:47:28
>保岡氏は~
そうだったのですか.....。 辛い事を思い出させてしまいましたね。

千葉法相については、「結局、その程度の覚悟だったのか」、「そんなんで死刑廃止が実現できるとでも思っているのか」との怒りすら感じました。 私が言うのも変なのですが。 

裁判官、そして裁判員は、被告と刺し違える位の覚悟で死刑判決を下さねばなりません。

存置派こそが、慎重の上にも慎重に、安易な死刑判決を許容してはらなない、そう思っています。
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Unknown (ゆうこ)
2010-08-07 13:34:36
rice_showerさん
 コメント、有難うございます。
>存置派の私が
>私が言うのも変なのですが。
>被告と刺し違える位の覚悟で死刑判決を
>安易な死刑判決を許容してはらなない
 心優しいrice_showerさんは、ご発言の説得力という面でそのほうが効果的だとして、殊更「存置派の私」を標榜しておられるような・・・。
 若狭さんの「10年後、20年後」とは、他人事として捉えているから出てくる言葉だと思います。昔、名拘の幹部職員と何度か面接しましたが、ある時「死刑は明日、廃止されるかもしれない。しかし、僕たちは、今、死刑制度があるのだから、今日はその中で務めを果たさねばならない」と言いました。私の心に溶けるように入ってきました。彼も私も、死刑制度の現場にいました。10年後20年後なんて考えて今日を生きては、いなかったのです。
 rice_showerさん。ありがとう。
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