goo blog サービス終了のお知らせ 

『死刑弁護人』 / “平和を実現する人々は幸いである。義のために迫害される人々は幸いである” マタイ5章

2011-10-12 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白2011/10/12Wed.〉
 10月10日0時45分からの東海テレビ「死刑弁護人」(安田弁護士の人間像に迫る)を見た。劣悪な放送時間帯につき、録画しておいて、お昼に見た。1時間45分ほどのドキュメンタリー。内容については、「安田さんの信条、生き方を是とする」とだけ述べるに留めたい。
 ここでは、番組の最終部分、「安田事件」が2審で敗訴となった、そのシーンを考えてみたい。安田裁判の報告会のシーン。岩井信さんの涙が止まらない。安田さん有罪判決を受けて、若い岩井さんの無念の涙がとまらない。。
 昔、「カトリック正義と平和協議会」死刑分科会に岩井さんをお呼びし、お話をお聞きしたことがあった。その頃、岩井さんはまだ弁護士ではなかった。「弁護士を目指して勉強しています」と言われ、安田さんのところへ出入りして、安田弁護士を敬愛している気配がうかがわれた。やがて首尾よく弁護士登録され、安田さんと同じ感性で活動されるようになった。
 その岩井さんが、ビデオで、泣いていた。ご本人の安田さんはと云えば、にこやかな笑顔である。周囲への気遣いもあるのかもしれないが、禁固刑でもないのだから、弁護士としてやっていくには別段支障ない。明るい、やさしい笑顔である。
 さかのぼれば、安田弁護士逮捕の理由は、オウム真理教松本智津夫被告(当時)の裁判(審理)引き伸ばしに業を煮やした当局が仕組んだものだった(安田さんたちは「はめられた」と表現した)。ことほど左様に、安田弁護士は社会を敵に回すような重大事件を多く担当するゆえに、数々の嫌がらせ、バッシングに曝されてきた。普通の神経ではもたないような人物破壊構造である。怒り心頭に発した安田さんは「チクショー」と記している(獄中メモ)。
 が、2審判決を受けての安田さんは明るい。いかなる逆境にあっても、自分はやましい生き方はせず、そして自分を信じてついてきてくれる仲間がいる。これが、笑顔の理由ではないか。
 いま一度、私は、岩井さんの泣き顔を思い出す。いい顔だ。人が人のために泣く、とてもよいことだ。人のために悲しんだり、喜んだりすることが、だいじだ。人間らしい行為だ。私はキリスト者だが、このように書くとき、けっしてパウロの言葉〈ローマ人への手紙12章15節〉の勧めに依拠しているのではない。自然に、そう感じて書いている。
 附記しておくが、安田さんの2審判決の前日が、光市事件の差し戻し2審判決の日であった。この期日を私は極めて意図的、作為的なものと受け止めている。裁判所の期日指定は決して偶然に任されてはいない。当局はすべてを用意周到にやる。そのように感じた。
 今一つ「附記」であるが、番組中、安田好弘弁護士が魚住氏の触れた個所に言及していた。井上嘉浩被告(当時)の反対尋問を松本氏が「しないで戴きたい」と切願したというのである。「ここにいる証人はたぐいまれな成就者です。この成就者に非礼な態度だけではなく、本質的に彼の精神に悪い影響をいっさい控えていただきたい」と言ったそうだ。「そして、その直後から、麻原氏は精神に異常をきたした。ガタガタと崩れた」と安田弁護士は言う。魚住氏が情熱を傾ける麻原彰晃氏とは、いかなる人物だろう。---附記おわり--- 
 小沢一郎さんは、検察・裁判所・メディア、加えて政治家たちにより、政治生命すら危うくされるほどの厳しい状況が長年にわたって続いている。しかし、氏は、御自分を保っている。氏自身の精神の強靭さもあるだろうが、氏を理解し、信じて、ついてゆく人がいる。そのことが、氏を絶望から護り、確信を与えているのではないか。
 そういえば、親鸞さんは、「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」(たとえ法然上人に騙され、お念仏して地獄に落ちたとしても、私は決して後悔はいたしません)と、歎異抄に云う。「何をやってもダメな私。地獄へ行くのは決まっているようなもの」との諦念はあっただろうが、それ以上に、師法然に寄せる深い信頼が、「法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも」と言わせたのではないか。「地獄におちたりとも」・・・これは、すごい。並みの人間関係で言える言葉ではない。
 安田さんや小沢さん、そして親鸞さん。このような人間関係に身を置くとき、幸せな人生といえるのではないだろうか。泣く岩井さんの顔も、慈しみに満ちた安田さんの顔も、実によかった。
...............................
「死刑弁護人」安田好弘弁護士の人間像に迫る/東海テレビ 2011/10/10/00:45~
............................................................................  
平成15年12月24日宣告 平成10年刑(わ)第3464号 強制執行妨害被告事件 東京地方裁判所刑事第16部《川口政明,早川幸男,内田曉》 被告人 安田好弘
〈被告人安田好弘〉強制執行妨害被告事件 2003年12月24日-東京地裁-無罪 / 2008年-東京高裁有罪 
 2008年4月23日14時0分配信 産経新聞  
 旧住宅金融専門会社(住専)の大口融資先だった不動産会社に資産の差し押さえを免れるように指示したとして、強制執行妨害罪に問われた弁護士、安田好弘被告(60)の控訴審判決公判が23日、東京高裁で開かれた。池田耕平裁判長は、1審東京地裁の無罪判決を破棄し、罰金50万円(求刑懲役2年)の逆転有罪を言い渡した。
 判決によると、安田被告は、不動産会社社長(72)=懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決確定=らと共謀し、同社の所有するビル2棟の賃料の差し押さえを免れるため、平成5年3月~8年9月、ビルをダミー会社に転貸したように装い、計約2億円を隠した。
 安田被告が、ビルを別会社に転貸して賃料を移し替えるというスキームを考案したことには争いはない。控訴審では、このスキームが強制執行を免れる目的で提案されたものか否か▽社長らとの共謀の有無-などが争われた。
 検察側は、安田被告が提案したビルの転貸は「結果的に強制執行妨害を生じさせることは明らかで違法」と指摘。共犯者の供述などからも「共謀が認められる」と主張していた。
 一方、弁護側は1審の約1200人を大きく上回る約2100人の弁護団を結成。1審同様に「事件は捜査当局が作り上げたもの」などと無罪主張していた。池田裁判長は、共犯者の供述内容を認めた上で、「幇助(ほうじょ)犯にとどまる」と判断した。
 1審判決は、安田被告との共謀を認めた共犯者らの供述を「信用できない」と判断。「スキームは適法な再建策。強制執行逃れの指示ではない」として無罪を言い渡した。
 安田被告は、22日に広島高裁で死刑判決が言い渡された山口県光市の母子殺害事件など多くの刑事事件で弁護人を務めているほか、死刑廃止運動の中心的存在としても知られる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
所謂事件名「光市母子殺害事件」広島高裁差し戻し審 判決文〈破棄自判〉 広島高等裁 平成20年4月22日
===========================================
〈来栖の独白 追記2011/10/21Fri.〉
 安田さんは兵庫県の出身である。子供のころ日曜学校へ通った、と『死刑弁護人 生きるという権利』に書いておられた。教会のやり方違和感をもった、とも書いておられた。今回、このビデオを見ていて、そのことを思い出すと同時に、安田さんこそ、そのまま神父、或いは修道者の生き方ではないかと感じた。港合同法律事務所の狭い自室に昼間は無造作に立てかけてあるマットレスを、夜になると半畳にも満たないスペースに敷いて寝る。鎌倉の自宅へは、月に1回ほどしか帰らないという。子供の学校の行事にも出てやれなかった。そのような中、不条理な裁判の弁護に没頭してきた。
 マタイによる福音書は5章で次のように言う。
“平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(~12節)
 岩井さんは「困難な事件は全部、安田さんのところへゆく。それが問題だ。我々は全部、安田さんにおっかぶせてしまっている」と云う。安田さんは、困難な事件でも頼まれると断れないのだと云う。同福音書に次の句がある。
“また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。”(9.36)
 そこら辺の宗教者よりも優れて修道者である、と私が感じる所以である。
...............................
五木寛之著『親鸞』 阿弥陀仏もイエスも、よろずの仏から疎まれた罪人を深く憐れみ、彼らをこそ救う


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。