『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』〈2〉

2010-12-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

 『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』〈1〉からの続き

 私の逮捕と、その後に起きた外務省三等書記官の佐藤優をめぐる背任などの事件、鈴木宗男議員をめぐる贈収賄事件、日歯連事件、朝鮮総連ビルをめぐる元公安調査庁の緒方重威の詐欺事件、小沢幹事長の公設秘書による政治資金規正法事件、小沢幹事長の土地購入をめぐる事件などを振り返ると、その底流には法務検察最大の弱みである犯罪を隠蔽し続けていることが、特捜部の捜査に大きな影響を及ぼしていることに気づくであろう。
 大きな影響とは、ある事件は捜査を打ち切らざるを得なくなり、ある事件は政権与党が法務検察を利用する、特捜部の捜査そのものが「けもの道」になっていく、という意味である。捜査が右往左往するだけでなく、現場サイドと、法務検察首脳との間で、捜査の進め方をめぐっての乖離が見られる。それは「けもの道」を知っている首脳と、知らない現場との乖離、と言ってもいいのではないだろうか?
裏金報道を隠すための逮捕
 私の逮捕は、先にも述べたように、法務検察の組織的な巨額の裏金作りの犯罪を隠蔽するためにでっちあげられた、口封じ逮捕である。
 ちなみにその中身は、登録免許税の軽減の証明書一件を区役所から詐取した詐欺事件。銀行ローンを組むため先に住民票を移動し、その空白期間の一週間を不実記載とした事件。前科調書等を検察事務官に指示して入手した、公務員職権乱用事件。事業資金として二〇〇万円を無利息で貸与し、その謝礼として三日間二二万円相当の飲食接待を受けた収賄事件である。その詳細は後で書くことにする。(第二章参照)
 私を口封じ逮捕したのに、マスコミがずっと報道し続けるならば、逮捕した意味はない。そこで、法務検察はどう動いたのか、この点について触れたい。
 私が逮捕された八日後のことだ。東京地検特捜部はいわゆる「ムネオハウス」にからむ偽計業務妨害罪で、鈴木宗男議員の公設第一秘書である宮野明ら七人を逮捕した。
 また、五月二日、千葉地検は元参議院議長である井上裕の元政策秘書ら六人を競争入札妨害罪で逮捕した。
 同日には静岡地検が、マイクロソフトの日本法人元常務を所得税法違反の罪で在宅起訴をしている。加えて同地検は航空機事故でパイロットを在宅起訴。さいたま地検は元東京都福祉局長を、特別養護老人ホームの建設を巡って国庫補助金を不正受給したとして逮捕した。
 五月一四日には、東京地検特捜部は外務省の三等書記官の佐藤優を、外務省関連の国際機関「支援委員会」の不正支出事件(背任罪)で逮捕。
 六月一九日、製材業者「やまりん」に絡む斡旋収賄罪で鈴木宗男議員を逮捕した。
 ご存じの通り、その間に外務省官僚、民間業者ら一〇人を逮捕。
 このように東京、千葉、静岡、さいたまの各地検が、次々と摘発を続けた。
 この一連の動きについて、多くのジャーナリストは「検察自らが創りだした裏金問題の報道をさせないため、自転車操業的に逮捕を繰り返した」という。
 検察捜査に詳しい元産経新聞社会部記者の宮本雅史氏は、検察幹部が「あんまり三井事件で検察庁を叩くと鈴木宗男事件の捜査情報が入りませんよ。分かっていますね」と、露骨な恫喝をされたと伝えている(『歪んだ正義 特捜検察の語られざる真相』情報センター出版局刊)。
 しかしテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」は、四月二七日、私の逮捕劇と調査活動費問題について特集した。これは、本来なら四月二二日に、私が「法務検察の裏金問題」について受けたインタビューの内容を報道するはずだった番組だ。
 そして、五月二三日の参議院法務委員会で、調査活動費問題が集中審議される。すると、東京地検特捜部は鈴木宗男議員の自宅、事務所などの捜索をその日に合わせて実施した。この「効果」は凄まじく、ニュースの内容はほとんどが「鈴木宗男議員の"疑惑"」一色となり、調活費関連のニュースは流れてしまった。
 結果的に特捜部によって、調活費問題のニュースが潰された格好になったのだ。
 このようにして法務検察の情報操作が功を奏し、裏金問題を報道するマスコミは、それ以降なかった。
何でもいいから逮捕しよう
 鈴木宗男議員は、国後島の「ムネオハウス」入札をめぐる事件や、国後島ディーゼル発電施設入札をめぐる事件で、大いにニュースを騒がせる。この情報源は検察からのリークだ。これによって宗男議員は、「疑惑の総合商社」とダーティなイメージのレッテルを貼られることになる。そして大手マスメディアや世論の関心は否応なしに、鈴木宗男議員逮捕にむけた検察の動向に集中していった。逮捕された六月一九日には、すでに鈴木宗男議員は大悪人に仕立て上げられた。
 当時の政権である小泉内閣は構造改革を推進していた。鈴木議員はその抵抗勢力として生贄にされたわけだ。また、「鈴木宗男=大悪人の逮捕」という勧善懲悪な逮捕劇によって裏金問題の報道を封じるという意味も、この逮捕にはあった。「けもの道」により、小泉政権と法務検察の利害が一致したことによって作られた逮捕であると私は見ている。
 ところが国後島の「ムネオハウス事件」にしても、「ディーゼル発電施設事件」も、捜査は不発に終わる。そのため、「やまりん」に絡む斡旋収賄罪、島田建設の工事受注を巡る受託収賄罪で逮捕せざるを得なかったのだ。これだけ大々的に報道されたのであるから、「何でもいいから逮捕しておこう」というところだったのではないだろうか。
 しかし、やまりんや島田建設の事件は、発生から四年が経過しており、こうした贈収賄事件の場合、従前は贈賄側が時効(三年)となった事件を検挙することはなかった。というのも、収賄側の時効は五年であるが、相手方(贈賄側)の時効が完成しているので、相手方は起訴されることもなく、供述が得やすいため、検察の思うとおりの調書がいくらでも作成できる「危険性」があるからだ。
 また、本件で特徴的なのは、斡旋収賄罪はいずれも「表」の金であり、領収書も存在し、政治資金規正報告書にも記載されている金である、ということだ。「表」の金で立件逮捕した事例は、鈴木宗男議員の事件くらいではないだろうか。いずれにしても、東京地検特捜部の鈴木議員に対する捜査は当初の目的を達成しておらず、私は失敗した捜査の一例だと思っている。
急な捜査打ち切り――日歯連事件
 次に日歯連(日本歯科医師会)をはじめとする政治資金規正法事件違反につき、みてみたい。
 この事件は、大物政治家の関わる事件の検察による捜査が途中で不可解に打ち切られ、当事者は起訴されず、当事者でない人間が起訴された冤罪事件として、特異なものである。
 日歯連とは、全国の歯医者から会費を取って、運営している公益法人である。日歯連は、医者と歯医者との診療費の格差が広がる一方だと危機感を抱き、診療報酬改定を自民党議員に強く要望し、多額の裏献金を続けていた。
 平成一三年一月から同一五年の間に、自民党の国会議員に約二二億円の金をばらまいたとされる。その結果、平成一四年には「かかりつけ初診料」が前年二一〇億円だったのが、一〇七〇億円に増加した。
 日歯連の裏献金システムは、いわゆる「迂回献金システム」ともいわれる。日歯連は特定の自民党国会議員に金を渡すに当たり、最終的に金を渡したい国会議員を指定。まず、自民党の政治資金団体である「国民政治協会」に献金する。「国民政治協会」は献金を受け取って、領収書を発行し、協会への献金として会計処理する。最終的には指定された国会議員に金を渡す。
 事件の発端は、平成一三年七月二日夜、東京・赤坂にある高級料亭「口悦」で橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長が、日歯連の臼田則夫会長らと夕食をともにし、臼田会長から橋本元首相に、額面一億円の小切手が手渡されたことから始まる。
 橋本元首相はこれを受け取り、同派の政治団体「平政研究会」の滝川俊行事務局長が金庫に入れて、まもなく現金化した。
 平成一四年三月が提出期限となっている同一三年分の政治資金収支報告書に、一億円の献金の事実を記載しないで裏金として処理したという。まぎれもない政治資金規正法違反事件なのである。
 東京地検特捜部が、政治資金規正法違反の情報を入手したのは、平成一五年になってからである。同年八月に滝川事務局長を逮捕、起訴。同人の証言を唯一の根拠として、平成一五年三月一三日、村岡兼造元官房長官を在宅起訴した。現場にいた橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長の三人は、起訴せずにである。
 なぜ、このようにゆがんだ捜査となったのか。
 結局、村岡は一審で無罪となった。その判決理由は、「滝川事務局長の証言は橋本氏ら派閥の幹部や自民党全体に累が及ばないよう」虚偽証言をした可能性があるというものだった。
 しかし東京高裁は逆転有罪とし、「禁固一〇月執行猶予三年」の判決を下した。その判決理由の中で「他の派閥幹部も起訴する処理も考えられた」と述べ、検察捜査に異例の注文をつけた。
 また、東京第二検察審査会は、平成一七年一月一九日、橋本、青木、野中の三人を起訴しなかった検察の判断につき、「不起訴不当」の議決をした。しかし特捜部は三人とも「不起訴処分」の判断を下している。
 この事件の検察捜査は、きわめて不透明な形で幕引きがはかられたことで、多くのジャーナリストの見解が一致している。
「本来裁かれるべき巨大な不正の痕跡にはふたをし、引退した老政治家にすべての罪を押しつけるかのような捜査からは、政治と検察との間に沈殿する腐臭すら漂ってくる」
 と評するのは、ジャーナリストの青木理氏だ。
 まず、同違反の事実についてみる。
 一億円の金を、いったい何に使ったのか。それが捜査の最大の争点である。当時は参議院選挙の直前であった。平政研究会には約一〇〇人の議員がいた。それらの議員の選挙活動資金ではなかったのか? そうであるなら、公職選挙法違反事件へと発展する。
 また、当時は診療報酬改定にむけ、日歯連は奔走していた。その依頼の趣旨の金ではなかったのか? そうであるなら、贈収賄事件へと発展する。
 領収書を発行しないで裏金処理したのは、犯罪性があるからではなかったのか? 当然これらの点が、重大な捜査の対象となる。
 ところが、なんらその使途についての捜査をした形跡が認められない。
 橋本元首相は取り調べ時、「一億円の小切手をもらった記憶がない」と供述したが、それ以上突っ込んだ取り調べはなされていない。「記憶がない」というのは、木で鼻をくくるようなことではないか。結局はお茶をにごした捜査だったのだ。その巨大な闇にすべてのふたをしてしまった。通常ではあり得ない、信じがたい捜査なのだ。
 小沢幹事長をめぐる土地疑惑事件では、四億円の原資を追及するため、石川議員らを逮捕勾留した。小沢幹事長を狙った捜査と対比すれば、いかに異常な捜査であるかがわかる。
 日歯連事件は本来、献金を自ら受け取り、秘書が政治資金収支報告書に不記載としたことの監督責任があった橋本龍太郎が主犯格であり、野中、青木も同席したことで関与の責任を問われ、逮捕、起訴を免れ得ない、闇献金事件なのである。
 巨大な闇にすべてふたをした理由は、いったい何だったのだろうか? その回答はやはり、政権と検察との「けもの道」にある。
野中広務に裏金問題を聞かれる
 実は、私のでっちあげ逮捕直前の平成一四年三月末、京都駅前にある新都ホテルにおいて、私は野中広務と会ったことがある。京都の野中の事務所の青木秘書から、裏金問題で野中が会いたいと言っているという連絡があった。そこで私が新都ホテルに行くと、青木秘書ともう一人の秘書が出迎えてくれて、エレベーターに乗り、だいぶ上の階だったと記憶しているが、ホテルの部屋に行った。そこに野中が待っていてくれた。
 その部屋はホテルを事務所に改築したもので、一対一で一時間くらい裏金作りの実態と、「けもの道」の話をした。
 野中は「裏金問題は改革しないとダメだ」と言われた。当時は鈴木宗男議員の疑惑報道がなされていた。野中は、「北方領土問題解決のためには鈴木宗男は必要な人です。彼がいないと解決できない」と話されたのをよく覚えている。
 このように、野中は法務検察の組織的な裏金作りの実態と、政権と検察がゆ着した「けもの道」を知っていた人物の一人である。
 当時の政権は、平成一三年一〇月末の「けもの道」のやりとりのときと同じ、小泉政権である。検事総長は、「けもの道」当時の法務事務次官であった松尾邦弘検事総長であった。当然、橋本元首相、青木参議院幹事長らも、「けもの道」のやりとりを知っていたものと思われる。
 東京地検特捜部は、野中と村岡元官房長官の二人を起訴したい方針であった。だが、松尾邦弘検事総長は一人でいいと指示し、結局、野中は起訴猶予処分となった。
 野中が「裏金を公表しようかね」とさえ言えば、自らの起訴は免れたであろう。いや、そこまで言わなくとも、匂わせさえすれば十分だ。また、橋本元総理、青木元参議院議員幹事長らに対しても、起訴することはできなかったと思われる。
 どうしてか。
 起訴すればその報復として、法務検察の裏金問題が公表されるかも知れないからだ。そのため、その巨大な闇にすべてふたをしたのではないか。私はそれ以外の理由はないと考えている。
 日歯連事件は、約八ヵ月にわたって捜査が遂行され、大々的に報道された事件である。国会議員一人だけは何としても起訴しないことには、検察のメンツ丸つぶれである。だが、中心人物は「けもの道」により守られ、起訴できない。そこで、目を付けられたのが村岡であった。議員を辞めており、「けもの道」のなんたるかすらも知らない村岡は、いわば「けもの道」の犠牲者である。
迂回献金捜査の打ち切り
 特捜部は政治資金規正法違反の捜査の過程で、日歯連から約五億円が、診療報酬改定をめぐって自民党議員約二〇人に渡っているとの確証を掴んだ。贈収賄事件などの大疑獄事件へと発展する様相を呈した。
 そのまま捜査が進展したなら、小泉政権そのものに大きな打撃を与えただろう。自民党政権が崩壊する危険性もあった。
 ところが、捜査の最終局面において、松尾検事総長が捜査の打ち切りを指示したと言われる。それに反発した特捜検事の一人が辞職したという。検事総長が特捜部の捜査の打ち切りを指示する。通常ではあり得ない。
 松尾検事総長は若手検事の頃から、贈収賄事件などの独自捜査を遂行した。以前は現金による贈収賄事件のみの立件しかなかった。飲食接待の贈収賄事件は立件することもなかった。大蔵省のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」を、初めて立件逮捕起訴した人でもある。清廉潔白な人で、大疑獄事件に発展するような政界の大贈収賄事件の捜査を、途中で打ち切るような人ではない。
 というのも、以前、松尾検事総長の松山地検検事正時代に、私は氏と手紙のやりとりをしたことがあるからである。平成一二年四月一七日に送られた手紙には、彼の独自捜査の経験や検察官の心構え、使命感について書いてあった。少し長いが、引用させていただく。
 独自捜査の過程で困難に直面し、安易な道を往けばよかったと、一度ならず思ったものでしたが、そうしたことに懲りずに同じ道を往き、一度は辞表を書くまでに至ったこともありますが、このときは検事正、先輩に助けられ、職に止まることになりました。
 大切なことは、事件にきちんと向き合う姿勢を堅持することにあるように思います。送致事件であれ、独自捜査事件であれ、事件の捜査の終局処理を国民から託されている検察官としての誇りを心の底にしっかりと持つことが大切だと思います。
 力強くしたためられた文字を見る限り、彼の本心の言葉であると私は確信している。
 そんな松尾検事総長が、独自の考えで打ち切りを指示したものでない。断じてそれはあり得ない。松尾検事総長は涙ながらの苦渋の決断をしたのだと、私は考えている。検察首脳が「けもの道」という最悪の選択をしてしまったために・・・。
 他方、特捜部では一人の若手検事が辞表を提出し、退職した。彼は「将来の特捜部を背負っていく存在」とまで言われた優秀な人材だったという。退職の本当の理由は定かではないが、「日歯連事件の捜査方針が納得できない」と周囲に漏らしていたという話だ。彼はなぜ捜査が打ち切られたのか、まったく知らないはずだ。
 松尾検事総長が下した判断の「本当の意味」を知っている法務検察幹部は、ごく一部である。特捜部の連中は多分知らないだろう。この事件はそれぞれの立場で苦悩し、人生を歪めた事件だった。
 それではいったい、何があったのか? 打ち切りの闇には何があるのか。
 それは、検察が抱える自らの大罪、つまり政権へのすり寄りという「けもの道」以外にないのではないか。それ以外の理由では、政治資金規正法違反事件において、一億円の闇献金の捜査をしなかったことを説明することはできない。迂回献金疑惑の捜査を打ち切ったことも、説明することができない。
 法務検察は日歯連事件の真相解明よりも、解明をした場合の小泉政権による反撃が恐ろしかったのであろう。個人が犯罪を犯したとき、ひた隠しにする。いつ発覚するかもしれない恐怖を持ち続ける。それは、法務検察組織もまったく同じではなかったろうか。
 最悪の道を選択したその影響は、計り知れない。
『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒』(講談社刊)本文29~59ページより抜粋 
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