生きるのが不安だ マニフェストでは「安心」できず

2009-08-18 | 社会

新聞案内人.2009年08月18日
桐村英一郎 神戸大学客員教授、元朝日新聞論説副主幹
「ダラダラ老後」をどう生きるか
 新聞を読み終わった後も、なんとなく気掛かりで、頭にまとわりつく文章がある。たとえば、日本経済新聞夕刊「シニア記者がつくるこころのページ」に載った精神科医・大平健さんのインタビューである(6月18日)。
 1949年生まれの大平さんは団塊の世代。アラウンド還暦(アラ還)というわけで、インタビューの見出しは「『アラ還』の戸惑い」となっている。
 「現代人には引退がなくなった。『これにて私は引退。消え失せます』と宣言して、従来の人間関係から飛び出して見えなくなる人はまずいない。その結果、終わりのないゲームをするような人生になる」
 「これはけっこう、つらいことだ。不幸ではないが、それほど幸せでもないダラダラとした老後になっていくだろう」
 「ダラダラとした老後」。ちょっと不気味な響きがある。厚生労働省によれば、2008年の日本人の平均寿命は女性が86・05歳、男性が79・29歳で、男女とも過去最高を更新したという(7月17日。日本経済新聞)。
 1944年生まれで、団塊の世代よりやや上の私は平均寿命まで達するとは思わないが、それでもなお、かなりの年数を生きなければならない。「不幸ではないが、それほど幸せでもないダラダラとした老後」。嫌な言葉だと思いながら、不思議なリアリティーをもって迫ってくる。
○長生きの「不安」、マニフェストでは「安心」できず
 大平さんは、それに「不安」がつけ加わるという。「長生きして生活費が底をついたらどうするか」という不安である。自民党も民主党も「安心」を掲げ、年金改革を柱のひとつにするのは当然であろう。
 だが、両党のマニフェストを読んで「安心」する中高年はどれほどいるだろうか。
 「月7万円の最低保障年金を創設します」(民主党)、「3年以内に、無年金・低年金対策を具体化します」(自民党)といっても、その財源がはっきりしないことをみんな知っているからだ。
 それだけではない。私ぐらいから上の年代は、これまで公共財やサービスの配分が自分たちに有利で、次代を背負う若者たちに不利に行われてきたことに気づいているはずだ。
 支払う税金・社会保険料と受け取る年金・医療サービスなど、受益と負担の世代間格差は大きくなる一方だ。「逃げ切り世代」はそれを知りながら、「負担は嫌だ。もっと受益を」と求め、政党は「消費税率引き上げは先の話ですから」と媚を売る。
 そんな「偽善」や「欲張り」はもうやめにしてはどうか。いや、これからはそうしたくてもできなくなるだろう。「どちらかといえば、不幸なほうに近いダラダラとした老後」がわれわれを待っている可能性もあるのだ。
 第一に、いくら政党が甘い言葉を連ねても、高齢者の負担増は避けられない。これは国債を乱発して後世にツケ回しをしてきた「ツケ」でもある。高齢化と労働力人口の減少が重なれば、「支える人」に対して「支えられる人」の割合が増えて行くから、お年寄りに働いてもらって「支える人」を増やすか、「支えられる人」の自己負担を増やすか受益を減らすか、しないと社会保障はパンクしてしまう。とりわけ豊かな、余裕のある高齢者からは「所得税」「資産課税」「相続税」などを総動員して負担増を求める必要がある。
 「オレオレ詐欺」は「余裕ある高齢者・貧しい若者」という社会の構図を背景にする「犯罪的所得移転」である。取り締まりに加えて、高齢者の負担増という要因でも「オレオレ詐欺」は減るだろう。
 第二に、社会的弱者への配慮は別として、一般的に年金は抑制されて行くだろうから、高齢層にとって収入は増えず、税金だけ増える、という悲しい事態になる。
 2009年度の「経済財政白書」によれば、ドイツや日本など年金への信頼感が低い国ほど貯蓄率が高いという。みんな年金に多くを頼れないと思っているのだ。老後の心配で貯蓄に回す分が増えれば、それだけ消費が減り、経済全体にも響く。
○高度成長の担い手たちも、最後は「介護難民」か…
 第三に、これからはデフレからインフレに風向きが変わるだろうから、増えない年金が「目減り」するという二重苦に見舞われる可能性がある。デフレは年金生活者にとってはお金の使いでが増す分、悪くなかった。しかし、今後は「国債消化のために金利を上げざるを得ないなど『悪い金利上昇』がありうる」「資源や食糧の価格がじわじわ上がり、輸入インフレに見舞われる」などから、インフレ=年金の目減りは避けられまい。
 どうやら私や、それに続く団塊の世代の「老後」を取り巻く状況はかなり厳しいと覚悟しておいたほうがよさそうだ。ワークライフバランス(仕事と生活の調和)の専門家・小室淑恵さんは読売新聞のインタビューで、こんな警告を発している(8月4日)。
 「15年後には『団塊の世代』が75歳になり、要介護者も急増するが、施設や住まいの整備が追いつきそうにない」「今から長時間労働を見直し、家族のために使う時間を確保しておかないと、介護難民が多数出てくる恐れがある」
 働き蜂のように高度成長を担って、最後は「介護難民」か。「ダラダラした老後」がだんだん怖くなってきた。
 そう。うかうかできないのだ。もはや、これから「取り立て」にかかる国に期待できない。それに自分のことを考えても、「高齢者は、働くことしか才能がない」といった麻生首相の言葉は結構、的をついている。収入が増えなくても、いや減っても楽しく生き、「ダラダラとした老後」にアクセントを付けるべく、私たちが生き方、考え方、幸せ観を変えて行くしか対応策はないのである。
○「成長戦略」より暮らしの「社会戦略」
 朝日新聞の船橋洋一主筆は、自民・民主両党に「未来を切りひらく中長期的な成長戦略」を示せ、と主張した(8月6日)。「環境・農業、海洋・森林、文化・地方、介護・医療、人材開発・在日外国人、アジア・新興国など成長戦略のフロンティアを開拓することだ」と言われれば、そうかもしれないと思う。「成長戦略」は、はやり言葉のようでもある。
 しかし、「成長だ」「成長せよ」とあちこちから連呼されると、ややうんざりする。
 「ダラダラした老後」を送る人がどっと増えるこれからの日本に必要なのは、「成長戦略」よりむしろ、GDP(国内総生産)がたとえ減っても、人々が生き生きと暮らせるような「定常型社会戦略」「老齢化社会戦略」ではないだろうか。
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89歳夫が寝たきりの84歳妻を絞殺 茨城
8月18日11時0分配信 産経新聞
 寝たきりの妻を自宅で殺害したとして、茨城県警ひたちなか東署は18日、殺人未遂の現行犯で、同県ひたちなか市西十三奉行、無職、大場五郎容疑者(89)を逮捕した。同居する家族からの119番通報で、消防隊員が現場に駆け、妻を同市内の病院に搬送したが、間もなく死亡。同署は現場にいた大場容疑者を逮捕し、殺人容疑に切り替えて動機を調べている。
 同署の調べでは、大場容疑者は同日午前4時半ごろ、自宅1階の寝室で、妻のふてさん(84)の首をひものようなもので絞め殺害した。
 同署によると、大場容疑者方は、息子夫婦、孫娘夫婦、ひ孫を含めて7人暮らし。ふてさんは約30年前から寝たきりの状態で、大場容疑者が介護していたという。

豪雨被災の75歳女性が自殺 兵庫・佐用町
asahi.com2009年8月18日11時56分
 台風9号の影響による豪雨被害に見舞われた兵庫県佐用町で、被災した女性(75)が自殺していたことが県警への取材でわかった。県警によると、家族あての遺書があったという。
 県警や佐用町によると、16日午前8時前、女性が自宅そばの農機具小屋の軒先で首をつっているのを巡回中の警察官が見つけた。女性は夫と息子夫婦の4人家族。9日夜の豪雨で自宅が床上浸水した後、水につかった家財道具などの片付けを続けていた。


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