オウム真理教元幹部平田信容疑者逮捕/23年12月31日午後11時50分頃、警視庁丸の内署に1人で出頭

2012-01-01 | オウム真理教事件

オウム・平田容疑者を大崎署に移送 取り調べ本格化
日本経済新聞2012/1/1 10:15
 警視庁は1日午前8時半ごろ、逮捕監禁致死容疑で逮捕した元オウム真理教幹部、平田信容疑者(46)の身柄を、出頭した同庁丸の内署(東京・千代田)から留置先の大崎署に移送した。同庁は同署内で、事件での役割や16年半に及んだ逃走の足取りなどについて同容疑者の本格的な取り調べを始める。
 平田容疑者は丸の内署のエレベーターを降り、駐車場に向かわされた。途中の通路に設けられた目隠しの仕切りの上からわずかに見えた茶髪の頭頂部は、染めてから時間がたっているためか一部が黒くなっていた。
 黒いセダンの後部座席に乗せられ、両脇を捜査員が固めて出発。平田容疑者はスモークガラスの窓の向こうでダウンジャケットを頭にかぶってうずくまり、表情はうかがえなかった。
 周辺の交通整理に警察官100人超が動員され、元日に似合わない物々しい雰囲気に包まれた。
 平田容疑者を乗せた車は約20分後に大崎署(同・品川)に到着。同署周辺も50人余りの警察官が交通整理などにあたった。通りかかった50代のタクシー運転手男性は「あのオウムの平田容疑者が捕まったのか」と驚いた様子で眺めていた。
 大崎署には、1995年2月に発生した目黒公証役場事務長、仮谷清志さん(当時68)の逮捕監禁致死事件の捜査本部が置かれている。
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96年2月以降、足取り途絶える=一時死亡説も、逮捕の平田容疑者
[時事通信社]2012年1月1日10時6分
 16年以上にわたる逃亡の末、警視庁丸の内署に出頭して逮捕されたオウム真理教元幹部平田信容疑者(46)。逃亡中の足取りはほとんど分かっておらず、警視庁は潜伏先や逃走資金の入手方法について本格解明を進める。
 捜査関係者などによると、平田容疑者は教団幹部から逃走資金として1000万円を受領。教団の女性信者=犯人隠避容疑で指名手配、時効成立=と行動を共にしていたとみられる。女性信者は1995年12月~96年2月の約3カ月間、仙台市宮城野区の飲食店で働いており、同容疑者は店の従業員寮に潜伏していた可能性があるという。
 その後の足取りは途絶え、新宿青酸ガス事件に関与した元信者の男=殺人未遂ほう助罪で実刑=は、96年11月に埼玉県警に出頭した際、平田容疑者について「死んでいる」と話していた。
 警視庁は教団施設周辺での張り込みや、人混みで顔などの特徴から容疑者を捜す「見当たり捜査」などを継続。昨年、北海道に住む平田容疑者の母親が亡くなった際にも入院先や葬儀に捜査員を派遣するなどして行方を追っていた。
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公証役場事務長事件
 公証役場事務長事件 1995年2月28日、オウム真理教元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)の指示を受けた井上嘉浩死刑囚や中川智正死刑囚らが女性信者の居場所を聞き出すため、兄の目黒公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=を拉致、監禁した。平田信容疑者も関与したとされる。中川死刑囚が仮谷さんに全身麻酔剤を過剰に打って意識を失わせ、3月1日、山梨県の旧上九一色村の教団施設内で死亡させた。同死刑囚らは遺体を焼き、湖に捨てた。(時事通信2012/01/01-06:05)
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逃亡17年、平田容疑者「区切りつけたかった」
読売新聞 1月1日(日)6時44分配信
  1995年2月に発生したオウム真理教による目黒公証役場事務長、仮谷清志さん(当時68歳)拉致事件で警察庁に特別手配され、17年近くにわたって逃亡を続けていた平田信容疑者(46)が31日深夜、警視庁丸の内署に出頭、1日未明に逮捕監禁致死容疑で逮捕された。
 平田容疑者は「区切りをつけたかった」などと供述しているという。同庁は、逃亡中の足取りの解明を進めるとともに、現在も逃亡を続ける特別手配犯2人の所在についても事情を聞いている。
 同庁幹部によると、平田容疑者は31日午後11時50分頃、ダウンジャケットにジーパン姿で丸の内署に出頭。宿直の警察官に「平田信です。出頭しました」と告げたという。リュックサックには下着や着替え、シャンプーなどが入っており、所持金は数万円だった。髪は肩まで伸びていたが、変装はしていなかったという。同庁が指紋を確認したところ、平田容疑者と一致した。
 平田容疑者の逮捕容疑は、95年2月28日夕、東京都品川区上大崎の路上で、仮谷さんをレンタカーで拉致し、山梨県の旧上九一色村(現富士河口湖町)の教団施設に連れ込んで薬物を大量に投与し、翌3月1日に死亡させた疑い。
 調べに対し、「車を運転しただけだ」などと容疑を一部否認し、出頭した理由については「時間もたったので、一区切りつけたかった」などと説明しているという。
 平田容疑者は、95年3月19日に宗教学者が住んでいた杉並区のマンションに時限式爆弾を仕掛けた爆発物取締罰則違反の疑いでも、警視庁に指名手配されていた。
 平田容疑者は95年8月、名古屋市内で林泰男死刑囚(54)と会食していたことが確認されたのを最後に足取りが途絶えていた。警視庁は、平田容疑者が国松孝次・元警察庁長官銃撃事件についても何らかの事情を知っている可能性があるとみて、行方を追っていたが、銃撃事件は10年3月に公訴時効を迎えた。
 教団を巡っては、地下鉄サリン事件で特別手配されている菊地直子(40)、高橋克也(53)の両容疑者が現在も逃走を続けている。 最終更新:1月1日(日)10時6分
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平田容疑者を逮捕監禁致死容疑で逮捕 警視庁 
産経新聞 1月1日(日)5時10分配信
  平成7年2月の目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件などで特別手配され、12月31日深夜に出頭したオウム真理教元幹部、平田信容疑者(46)について、警視庁は1日早朝、逮捕監禁致死容疑で逮捕した。容疑内容や逃走ルートなどについて本格的な取り調べを始める。平田容疑者の逃亡は16年半に及んだ。
 平田容疑者は、教団への強制捜査を攪乱(かくらん)する目的で7年3月、教団に好意的だった東京都杉並区内の宗教学者の元自宅に爆発物を仕掛け、爆発させた事件でも、爆発物取締罰則違反容疑で警視庁公安部に指名手配されており、公安部は今後、立件する。
 平田容疑者は23年12月31日午後11時50分ごろ、東京都千代田区の警視庁丸の内署に1人で出頭。指紋などから本人と確認された。
 残るオウム真理教元幹部の特別手配犯は菊地直子(40)と高橋克也(53)=いずれも地下鉄サリン事件の殺人、殺人未遂容疑など=の2容疑者で、この2人の行方についても追及する。
 これまでの警視庁の調べによると、平田容疑者は、麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=らと共謀し、目黒公証役場事務長の仮谷清志さん=当時(68)=から、教団を脱会しようとしていた仮谷さんの妹の居所を聞き出そうと計画。7年2月28日、品川区内の路上で仮谷さんを車で拉致し、教団施設(当時山梨県上九一色村)に監禁、麻酔薬を注射して死亡させた疑いが持たれている。拉致の実行犯の1人とみられている。
 また、22年3月に公訴時効が成立した国松孝次元警察庁長官銃撃事件についても事情を聴く方針。教団信者だった警視庁元巡査長が、現場に平田容疑者ら複数の教団幹部がいたと供述していたほか、周辺で平田容疑者に酷似した男の目撃情報が複数あった。
最終更新:1月1日(日)5時37分
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<来栖の独白2012/01/01 Sun.>
 この時の自首。「尊師」を始め死刑確定したかつての仲間の死刑執行を阻止するためかというのが、一報に接してまず私の胸に浮かんだ思いだった。厳しい捜査の眼を潜って、16年余も生きてきた。これからだって、逃げ遂せないなどとは考えていなかったろう。それを、「むざむざ」出頭した。
 昨年12月で、オウム真理教関連被告はすべて刑確定した。が、平田信氏の裁判が始まるとなれば、当局も、関係なしとして死刑執行するわけにもゆくまい。そのために、文字通り身を挺する挙に出たか。


オウム中川被告「寝耳に水」=仮谷さん殺害示唆を否定―きょう上告審判決・最高裁
2011年11月18日15時6分
 オウム真理教による1995年の公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件をめぐり、教団元幹部中川智正被告(49)=一、二審死刑=が事件直後、殺害を示唆する発言をしたとされる問題で、中川被告は時事通信の取材に対し、「寝耳に水の話で全く事実ではない」と発言を否定する内容の手紙を18日までに寄せた。
 中川被告の上告審判決は午後に言い渡される。オウム事件の裁判は21日の元幹部遠藤誠一被告(51)=一、二審死刑=の上告審判決で終結する見通し。
 手紙は13日付で、手書きで便箋に3枚。元幹部井上嘉浩死刑囚(41)が今年8月、遺族に対し、中川被告が事件直後、「殺害できる薬物の効果を確かめようと点滴したら、亡くなった」と発言したと伝えたことについて、「真偽は別にして、井上君が彼なりの真実を述べるのであれば、ご遺族の方々の関心の高い内容だけにもっと早く話してほしかった」と不快感を示した。その上で「井上君が述べている話は、私の記憶とも実際にあったこととも違う」と改めて否定した。[時事通信社]
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オウム真理教:井上死刑囚が仮谷さん「殺害」示唆の手紙
 オウム真理教による東京・目黒公証役場事務長の監禁致死事件(95年)で、事件に関与した井上嘉浩死刑囚(41)側が、被害者の仮谷清志さん(当時68歳)の遺族に対し、事件が殺人だったことを示唆する手紙を送っていたことが分かった。遺族は「『告白』を機に、事件の真相を知りたい」と話している。
 仮谷さんの長男実さん(51)によると、井上死刑囚の話を家族が代筆した手紙で、今年8月に届いた。仮谷さんの死後、中川智正被告(49)=1、2審死刑=から「ポア(殺害)できる薬物を点滴したら死亡してしまった」と聞いた、などと記されていた。
 手紙には「中川被告の刑が確定すれば面会もできなくなると考え、この時期に伝えた」との記述もあった。ただ、実さんが先月21日に中川被告と面会した際には、「積極的に何かをしたわけではない」と殺害を否定したという。実さんは「裁判が終わった後でも、改めて関係者から話を聞きたい」と話している。中川被告の上告審判決は18日、言い渡される。
 これまでの確定判決によると、井上死刑囚や中川被告らは教祖の松本智津夫死刑囚(56)の指示を受け、信者の居場所を聞き出そうと95年2月28日、東京都品川区の路上で、信者の兄の仮谷さんを拉致して監禁。3月1日、全身麻酔薬の副作用による心不全で死なせた。遺体はマイクロ波焼却装置で焼かれた。
毎日新聞 2011年11月12日 20時45分
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