NHK的な曖昧な公正・中立の概念/ 「メディアの敗北」を意味した原発報道~佐高信氏インタビュー

2012-03-14 | メディア/ジャーナリズム/インターネット

「メディアの敗北」を意味した原発報道~佐高信氏インタビュー
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"原発のメディア報道"について、辛口評論家・佐高信氏にインタビュー。昨年(2011年)6月に出版された佐高氏の著書「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社)は、今でも増刷に増刷を重ねている。【取材:金木 亮憲 編集:清水 秀生】
<プロフィール>
佐高 信(さたか まこと)
 1945年1月19日山形県生まれ。評論家・東北公益文化大学客員教授。
 慶應義塾大学法学部を卒業後、高校教師や経済誌編集長を経て、評論家として活躍。近著に「電力と国家」。
▼2012年3月2日15:08 ①
 ――「原発文化人50人斬り」は、大変に評判ですが、先生がこの本を通じて訴えたかったところからお話頂けますか。
佐高信氏(以下、佐高) まず何よりも、「原発反対」ということが、まったくといっていいほどメディアに登場していなかったことが背景にあります。世論がメディアを通じて、国と電力会社に買い占められていたのです。私は、メディアは本来、少数派や批判派の意見を代弁すべきものであると考えています。ところが、広告料という名のもとで、新聞社、テレビ、地方紙まで完全に買い占められてしまった現実があります。その結果、電力会社が「安全です」というと、その拡声器になって、検証なく、オウム返しに「安全です」という状況が続いてきていたのです。
 その点から、今度の原発事故というのは何よりもメディアの敗北の結果と言えます。メディアがメディアでなかった「原発報道」ということを自覚しなければ立ち直れません。その気づきを与えることができればと思っています。
 私がメディアのなかで仕事をしてきて、常に感じているのは、細川内閣成立、小泉内閣成立の時しかり、日本のメディアは多数になびく、多数にこびる傾向が強いということです。多数の代弁者となって、少数派や批判派の意見は聞かないということを肌身にしみて感じてきました。
 たとえば、9割が小泉内閣支持という場合、批判するとマスコミに干される。今で言えば大阪の橋下市長がそれにあたります。橋下氏は大阪市長選で、圧倒的勝利ではなかった。しかし、メディアが、少数派の意見を封じ込めて、多数派の拡声器、増幅器となり、批判を許さなくなっています。私は、毎回繰り返されるこの現象に対して、とても苦々しく思ってきていたのです。
▼2012年3月 5日 15:32 ②
 ――東京電力・福島原発の事故後、メディアのあり方が問われています。
佐高 私は、今回の「原発事故」に対するメディア報道は、この体制を改めることのできる最初で最後のチャンスと思っています。ここで改まらなければ、もう未来永劫に、改まることはないかも知れないという気持ちでいるのです。
 私は、批判は固有名詞でやらなければ批判にならないと思っています。裏がとれないとか、個人批判はよくないとか、色々な理由をつけて、日本のメディアの場合は事実を並べるだけで、個人を追及しないことが多いです。しかし、「原発報道」に関して言えば、明らかに推進派の広告塔的役割を果たしたビートたけし氏、弘兼憲史氏や中曽根康弘氏たちの犯罪性を明らかにしていくことが重要なのです。
 ある意味、日本のマスコミの多くは上品ぶっており、この種の個人批判はすることが少ないです。しかし、私は、彼らが、電力会社からお金をもらって、その希望・要望に従って行動したことを追及しているのであって、別に個人の人格を追及しているわけではありません。メディアに従事する記者の最大の過ちは、自分たちを上品なものと錯覚していることです。メディアは、本来、泥臭く、下品なものなのです。ところが今、メディアの動きはこの考えと逆に向かっています。何よりも、下品さを恐れ、真実の報道とは全く関係のない、"提言"ブームさえ起っています。
 下品さ、私が言うところの個人批判を失ったら、メディアはいわゆる毒を失い、牙を抜かれメディアでなくなるのです。その毒は、原発報道においては、見事に失われてきました。電力会社からお金を受け取り、「安全神話」の旗振り役であったビートたけし氏は、今でも、毎日のようにTVに出ています。しかし、確かな根拠を持って「原発危機」を言い続けてきた広瀬隆氏は現在でも、TV局からは"上映禁止物体"と言われています。電力会社からお金を貰い「安全神話」をばら撒いたビートたけし氏に、その後、原発のことはどう思うかを聞くメディアがでないのはおかしいと思うのです。これは完全にメディアが牙を失っている一例です。
▼2012年3月 6日 13:18 ③
 ――「原発報道」では、"公正・中立"が言われましたが、この点はいかがですか。
佐高 NHKをはじめとして大新聞も"公正・中立"という言葉をよく使います。ここですでに敗北しているのです。メディアに公正・中立はありません。
 私がよく「原発おばさん」と呼んでいる幸田真音さんという作家がいます。彼女はエネルギーの小説を書くために、電力会社がスポンサーであるラジオ番組に、私が「原発おじさん」と呼んでいる弘兼憲史氏と一緒に出ておりました。
 私は、それを批判しました。「原発安全PR」に協力した事実があったからです。そのときの彼女の返答は、「スポンサーにはなってもらっているが、自分の書いたものは公正・中立です」というものでした。これは誰が考えてもおかしいでしょう。電力会社は営利企業です。高額の出演料・お金を目的も一切なく、一個人に投資するわけがありません。
 この感覚が、社会人として、とてもお粗末で、ずれています。本人に自覚がないせいか、為政者は使いやすいのでしょう。NHKの経営委員もやっているのです。無知、無自覚が原因かも知れません。しかし、今回の福島原発事故が、国民の多くがそう思っているように人災であると考えるのであれば、彼女は重大な責任を負っていると言わざるを得ません。無知、無自覚で済む問題ではないと思うのです。
 公正・中立は、メディアにとって"死"を意味しています。どちらにもコミットしないことは、死んでいるのと同じです。このNHK的な、曖昧な公正・中立の概念が、多くのメディアに蔓延してきているのです。危機的状況です。
 今までは、反対意見はまったくメディアに登場していません。逆に、100%「安全神話」に偏っていたと言えます。もし、公正・中立というのであれば、極端な言い方ですが、これから1年間とか100日とか、メディアは反対意見だけを載せるべきなのです。そのうえで初めて情報量が対等になり、今後の原発稼働の是非に関して、国民の正しい判断を可能にすると思えるのです。
 ところが、再稼働の問題に関して、メディアは、単純に賛成派、反対派のそれぞれ1人とか、2人とか数人の意見を載せ、国民に是非を投げかけています。それで、いかにも公平・中立であるような顔をしているのはとてもおかしいでしょう。情報量を等しくするためにも、賛成1人、反対5人の意見を載せて、是非を問うべきなのです。
▼2012年3月 7日 13:58 ④
――メディアは第三の権力と言われていますが、会社にはとても弱いのですね。
佐高 私は、日本は会社国家そのものと思っています。私が、新聞や週刊誌の連載を潰されたりするのは、政治の問題ではありません。広告スポンサーである会社の意向がすべてです。スポンサーである会社に逆らうとお金が入ってこなくなるので、とても怖いのです。そのスポンサーの最大なものが電力会社なのです。トヨタ(約1,000億円)、パナソニック(約800億円)より総額は多いと言われています。
 先日、東京電力・西澤俊夫社長が記者会見で言い放った「値上げは権利だ!」という言葉には、まったく呆れますが、その背景にはこの現実があります。あれだけ、国民を窮地に陥れ、現在も避難生活をしている国民が多いなかで、まったく反省もなく、あの発言は前代未聞だと感じるでしょう。
 やらせメール問題に端を発する、一連の九州電力・松尾新吾会長と眞部利應社長の発言もスポンサーである自信からくるものです。マスコミなど全く恐れていない傍若無人ぶりです。さらに、大新聞の経済記者を接待漬けにしている自信があります。完全にメディアを舐めています。私の長い経済記者の経験をもってしても、東京電力や九州電力の今回の対応は特にひどいといえます。
 「社畜」という言葉があります。一般的には、社員が社畜と思われていますが、それは正しくありません。最大の社畜は社長なのです。外の声がまったく入ってこない環境におかれるのが社畜です。会社は社会によって育まれているものです。にもかかわらず、社会の声が全く入ってこないのは、とても危機的な状況と言えます。
 私が実際に体験した面白い話があります。約30年前の経済記者時代、住友の飛車角と言われた日向方斉氏(関経連会長)の批判記事を書いたことがあります。すごい反発があり、住友金属の大阪本社から取締役が抗議文を持って私を訪ねてきました。脅しですね。私が驚いたのは、脅しの方でなく、わざわざ新幹線で来たという、その感覚です。私は、当時、在京の新日鉄を始めとする日本を代表する企業トップの批判記事は毎日のように書いていました。しかし、それまで、取締役広報室長から抗議文とか脅されたことは一切なかったからです。あとで聞いた話ですが、大阪では大新聞社は財界の一角を占め、いわばお仲間なので、誰も日向方斉氏(関経連会長)を批判したことはなかったそうです。それで、私の記事に過剰反応したことがわかりました。
 この30年前の大阪現象は、今では、東京や九州など日本全国に蔓延してきています。そればかりか、さらに悪化しています。少し前になりますが、日銀の福井俊彦総裁の不手際事件は記憶にあるでしょう。その時、お仲間が批判されたと思い、接待漬けされていた大新聞の経済記者は、根拠のない擁護の記事を載せていました。とても残念なことです。
 第一(国家権力)や第二(経済界)の権力が強ければ強いほど、第三の権力として、メディアが力を持って牽制することは、必要だと思います。しかし、メディアの使命である"批判"を忘れてしまったら、権力だけが残り、"歌を忘れたカナリア"以下になります。常に、何のために権力を与えられているかを肝に銘じる必要があります。
▼2012年3月 8日 10:56 ⑤
 ――原発報道には、"科学的"という曖昧なバリアがありました。
佐高 当初から、いわゆる賛成派の総本山、原子力ムラの外には、原子力発電に対して批判派の学者はいました。たとえば、原子力資料情報室の高木仁三郎氏とか、今回の騒動で一躍有名になった京都大学の小出裕章氏、地震学者の石橋克彦氏などの名前があげられます。メディアは、"公正・中立"を謳うのであれば、最初から彼らの意見も取り上げ、国民に知らせるべきだったのです。
 今回のメディア報道は、お粗末極まりないと言えます。たとえば、NHKで「メルトダウンは絶対にしていない」と言い続けていた関本直人東大教授は、メルトダウンがわかった途端、なぜか、一切画面に出て来なくなりました。ところが、このなぜをどこのメディアも追及していません。
 ここで、大事なのは、"科学的"という出口のない、いわゆる専門性の罠にはまってしまわないことです。この罠にはまると、何十年かかっても出口が見つかりません。メディアはあくまでも"騒動師"ということに徹すればよいのです。上品に首をかしげている時間があったら、「あなたはなぜ、メルトダウンしていないと言い続けたのか」と素人の質問を投げかければよいのです。さらに「根拠はなかったのですか。お金をもらったからですか」と続けることで、すべてが始まるのです。
 あるいは、優秀な研究者である小出裕章氏は、なぜまだ助教のままなのかを追及すれば良いのです。それで十分です。専門云々ではなく生き方で判断すれば良いのです。
 芸能記者は、国民の直接的な利益とは離れますが、芸能人を自宅や事務所などに夜駆け、朝駆けしているではありませんか。専門家の閉鎖性に、メディアは足をすくわれてはいけません。素人の疑問が大事なのです。今回の教訓として、真理は批判派にあることも多いことを国民は認識しました。メディア、とくに、大新聞やTV局の報道記者には猛省を迫りたいのです。
▼2012年3月9日10:46 ⑥
――メディア後進国になってしまった日本は今後どうすべきでしょうか。
佐高 私は、そのような形から入ること、ビジョンとか、提言は嫌いです。難しいことを考える必要はありません。メディアはメディアの基本に帰れば良いことです。それを私は、少数派や批判派の意見を代弁することであると考えています。
 製鉄会社は鉄という製品を売ります。同じように、メディアの売り物は"批判"です。今は批判がないので、売るものがありません。批判という製品のつくり方さえ忘れている可能性があります。いわば、開店休業状態です。
 今の記者は、入社時点で銀行に入るのと同じ感覚で、安定を求めて大新聞社に入社すると聞きます。メディアに身を置く人間として、しっくりこないものがあります。
 欧米では、訴訟を覚悟で政府中枢や大会社を批判することが多くあります。その為に新聞社で積立金をしているところさえあるという話を聞いたことがあります。"批判"という製品を、堂々と売っているのです。
 原発問題と離れても、「日本株式会社」の後進性に関するメディア報道のお粗末さは、国際社会で大きく信用を失いつつあります。最近では、オリンパスや大王製紙事件が該当します。オリンパスは三井住友銀行の画策で上場廃止にならず(できず)、新しいトップに同銀行の元幹部が座ることになりました。国際社会には驚きを与えています。
 さらに、「値上げは権利!」(東電)発言とか、日立や東芝などの原発メーカーがベトナムなどに原発を輸出するという"批判"なき報道も国際社会の感覚を無視した行為と思われています。とても、残念なことです。

 佐高氏のインタビューは、実にエキサイティングなものであった。同時に、同じメディアに身を置く人間として、考えさせられる部分が多くあった。昨年の3.11東日本大震災、福島原発事故からすでに1年が過ぎた。しかし、最近の新聞には、毎日のように、"福島原発"、"福島避難民"、"放射能"という文字が躍っている。
 佐高氏の著書「原発文化人50人斬り」のなかで、アントニオ猪木氏が、青森県知事選挙の際、突如、原発凍結派からもらっていた講演料150万円を返して、推進派の応援を講演料1億円で引き受けたことが書かれている。(佐藤久美子著「議員秘書 捨身の告白」講談社)この話に、強い違和感を覚えるのは、私だけであろうか。
 我々は、メディアにたずさわる人間の使命として、今後も、東電問題、九電問題、原発再稼働などを厳しく、"批判"を含めて、見守っていきたいと思う。  *強調(太字・着色)は来栖 

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