なぜ殺人鬼は生まれたか 「人間らしさ」を奪う障害者施設の現実 『iRONNA編集部』2016.07.27

2016-07-28 | 相模原事件 優生思想

なぜ殺人鬼は生まれたか 「人間らしさ」を奪う障害者施設の現実
2016-07-27 22:48:00 『iRONNA編集部』
 藤田孝典(NPOほっとプラス代表理事、聖学院大学人間福祉学部客員准教授)
 私が代表理事を務めるNPOでは障害のある方や生活困窮者の支援活動を行っているのですが、「障害者なんていなくなればいい」とか「ホームレスなんて死んでしまえばいい」といった声は、一般の市民からよく聞かされる言葉です。言ってくるのは、いたってやさしそうに見える、普通の人たち。障害者や生活困窮者を支援する必要はないし、お金のムダだという声は、14年前の活動当初からずっと言われ続けてきました。
 障害者施設で19人を手にかけた元職員の男の行動は決して許されるものではありませんが、起こるべくして起こったという見方もできます。「障害者なんていなくなればいい」と思える環境があったからこそ起きた悲劇で、差別や偏見がまったくない社会だったら彼のような人間は生まれなかったのではないでしょうか。
 障害者、高齢者、ニート、引きこもり、ホームレス…。こうした人たちをひっくるめて、「役に立たない」「足手まとい」だと思う感情は、誰でもうっすらとは持っているものではないでしょうか。障害者については、危険な人たちなんじゃないかという声を良く聞きますが、そういった反応は特殊なものではないということを忘れてはならない。
 あってはならないことが、なぜ起きたのか。容疑者自身の問題とともに、彼が置かれていた環境についても考えなければいけないでしょう。事件のあった施設では、夜勤の場合、1人で20人ほどの入所者を担当していたという情報もあります。複数の障害がある重複障害者だと徘徊も激しいし、暴言や暴力もあるでしょうから、相当な負担がかかります。
 少ない職員でなるべく多くの障害者をみようというやり方自体が問題。本来であれば、重度の障害者1人に対し、常に2人~3人つく必要があるでしょう。容疑者が衆議院議長に宛てた手紙の中に「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております」という記述がありますが、事件のあった施設は重複障害者を含めた約160人もの障害者を収容していました。施設に一括収容というのは国際的にみるとかなり時代遅れであり、それ自体が人権侵害だという指摘もある。収容者は果たして「人間らしい」生活が送れていたのか。容疑者の「動物として生活を過ごす」という表現についても、言い過ぎではない可能性もあります。
 一生懸命やっている職員もつらい、家族も苦しいのだったら死んだ方がいい―。彼の正義感は歪んでいるし、肯定できないが、理解できる部分もある。障害者施設に勤めたり、介護の経験がある人ならば「こんな人いなくなればいいのに」と思ってしまうようなことは一度はあるのではないでしょうか。
 また、手紙の中には「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気を欠いた瞳」という記述がありますが、実際、その通りだと思いますよ。職員たちは疲れきっているし、十分な休みがとれなかったり、どれだけ頑張ってもやりがいが見出せないこともある。重度の障害者となると、感謝の意思とか、気持ちがつながりあうまでに時間がかかります。5年、10年関わって、初めて心を開く人もいる。しかし、障害者施設の職員の給与は宿直を入れても20万円前後が一般的。サラリーマンの平均年収より100万円前後も低い。スキルも不十分で、支援体制も整っていない中で働き続けるというのは厳しく、離職率が高い現実があります。
 ただでさえ給料が低い上に残業代も支払われないケースもありますし、最低賃金ぎりぎりで務めている人も多い。命を預かる仕事ですから、本来は処遇を上げて、処遇に見合う人を募集して集めないといけないのですが、人手がとても足りない。だれでもいいから来てほしい、という状況で、いまや失業者が集まってくるような産業になってしまっている。
 労働の内容に比べ、対価があまりにも安すぎるのです。障害者施設の職員だけでなく、介護士や保育士もそうですが、これまで家族に委ね、押し付けてきた分野が、少しずつ社会化しているわけですが、その労働環境があまりにも劣悪で、半分ボランティアのような状況で働かせられている。容疑者が社会福祉というものに対しての欺瞞性を感じていたことは確かです。
 悲劇を二度と起こさないためにはどうすればいいのか。課題は山のようにありますが、彼が特殊な人間でないということ。まず誰もが内面に差別なり偏見というものをもっているんだということを受け止めなければならない。ゆとりがない社会であればあるほど、そういう感情は出てきて、弱い人たちに対する攻撃性が出てきてしまう。
 差別感情をもつ人はますます増えているように感じます。この背景には、中間層の衰退があって、自分たちの生活だけで精一杯という人が増えてくると、弱い人たちに対するまなざしが厳しくなる。偏見や差別をもたないようにという教科書的な説教じみたことを言うつもりはなくて、自分たちがゆとりをもって暮らせる。できれば障害のある人について思いを馳せられるように日常生活の中にゆとりを持てるようにしたい。
 こういう問題があると、必ず障害者の制度を変えろとか支援しろとなるのですが、下から底上げするというよりも中間層から上に上げる政策を優先すべきです。中間層から上げると下も引っ張られますから。社会を構成している圧倒的多数の人たちを上に引き上げないと、結局、障害者も救われないのだと思います。(聞き手、iRONNA編集部 川畑希望)
*ふじた・たかのり
 1982年生まれ。NPO法人ほっとプラス代表理事、聖学院大学客員准教授(公的扶助論、相談援助技術論など)、反貧困ネットワーク埼玉代表、ブラック企業対策プロジェクト共同代表、厚生労働省社会保障審 議会特別部会委員(2013年度)、社会福祉士。著書に、『ひとりも殺させない』(堀之内出版)、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新聞出版)などがある。最新刊は『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』 (講談社現代新書)

 ◎上記事は[iRONNA]からの転載・引用です


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