漱石の『門』と狙撃事件 2022.07.14

2022-07-14 | 本/演劇…など

 中日新聞 2022.07.14 Thu. 夕刊

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漱石の『門』と狙撃事件

「己(おれ)見た様な腰弁は、殺されちゃ厭だが、伊藤さん見た様な人は、蛤爾賓(ハルピン)へ行って殺される方が可(い)いんだよ」「何故って伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ」
 夏目漱石の『門』で、宗助が語る言葉である。安倍晋三元首相が狙撃された時、即座にこの一節が思い出された。
 伊藤博文をはじめ明治の元勲たちは、いつ自分が暗殺されてもいいと覚悟をしていた。幕末には自分たちも暗殺に関わり、同志たちの暗殺を眼前にしてきたからである。安倍氏はどうだったのか。法治国家日本で自分が凶悪に倒れるとは、まさか予想もしていなかったはずだ。
 今回の事件は政治的テロではない。これまでの調べによると、個人的怨恨による、単なる殺人事件であるようだ。容疑者はある宗教団体のトップの殺害を準備して果たせず、代わりに矛先を元首相に向けたという。思想的背景や社会的思いつめは皆無なのであろう。かつての寸又峡ライフル事件の金嬉老のように、厖大な法廷陳述を残し、犯罪を思想的営為に仕立て上げることなどはできない。
 可哀想に、これでは故人は「歴史的に偉い人」になれないではないか。政治的理念に殉ずることができないではないか。追悼  (羅漢)

   2022.07.14

 

 


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