「検察を支配する悪魔」~暴走し始めた検察 「死刑100年と裁判員制度」~拡大する検察権力

2010-01-25 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

検察を支配する「悪魔」
政治家によって潰された事件は一握り
 特捜の現場で捜査にあたっている検事に直接、指示をしてくるのは特捜部長です。じゃあ、特捜部長に誰が指示しているのかと言えば、現場は接することがないさらに上だとしか言いようがない。検事総長、次長検事、検事長といったクラスでしょう。
 こういった首脳まで出世するエリートは、法務省勤務が長い「赤レンガ派」と呼ばれる人たちが主流です。
 彼らは法務省で、法案づくりを担当していて、日常的に政権与党の政治家と接触している。僕ら「現場捜査派」が、毎日、被疑者と顔を合わせているように・・・。
 こうして毎日のように会って話をしていると気心も知れるし、考え方も似てくる。そして、どうしても時の権力寄りの見方になってくる。
 だから、彼らが検事総長、次長検事になって、「国策としてこれはどう扱うべきか」となったときに判断すると、結果的に時の権力と同じ視点になりやすい。
 外から見ると、政治家の圧力によって潰れたように見える事件でも、検察首脳部が下した決断がたまたま権力の中枢の考え方と合致していたに過ぎないケースがほとんどだと思いますよ。つまり多くの場合、検察内部の判断であって、政治家によって潰された事件はあったにせよ、ほんの一握り。マスコミの思っているほど多くはありませんよ。
p44~ 暴走をし始めた検察 
 僕はそこが一番の問題じゃないかと思う。検察内部の独善で国策捜査のあり方が決まっていきかねないところが----。
 政治家が検察をコントロールする手段としては、指揮権がある。法務大臣を通じて検察庁のトップ、検事総長のみを指揮できる。しかし、現実には指揮権なんてあってなきがごとしで、発動できるものじゃない。下手にそんなものを振り回すと世間から袋叩きに遭う。
 現に、1954年に吉田内閣で、犬養健(たける)法務大臣が、造船疑獄に際して時の自由党幹事長佐藤栄作の逮捕をしないよう指揮して以降、発動されたことは一度もありませんからね。
 言い換えれば、事実上、検察を誰もコントロールできない。最近とみに検察ファッショだという非難が高まっていますね。これは、国策捜査と称して、検察が自分たちの独善を通したのでは、と思える冤罪事件が増えてきたからですよ。
 僕はいまやすっかり時の人となった佐藤優にインタビューしたことがある。外交官だった佐藤は、2002年5月、検察に背任で逮捕された。彼は、取り調べのはじめの段階で、担当の西村尚芳検事から、「君は勝てっこない。なぜならばこれは『国策捜査』なのだから」と宣告されたそうです。
 彼らの言う国策とは鈴木宗男の政治生命を潰すことだった。疑惑のデパート、鈴木を悪の権化に仕立て上げて。
「鈴木は外務省の表と裏をあまりにも知りすぎた男なので狙われたのだ」と佐藤はきっぱり言っていましたよ。その道連れにされたのが自分だと。
 外務省きっての論客だった佐藤は、連日、西村検事に論戦をしかけた。そのときに西村が何度も言ったのが、「時代のけじめをつけるため」という言葉だった。
 僕は、この言葉が、今の検察の驕りを象徴しているように感じる。今の検察は、「俺たちが時代をつくるんだ」と言い放つほど思いあがっている。
 選挙で国民の信を受けた政治家でもない検察が、与えられた強大な権力を背景に時代をリードしようとする---この検察の暴走を誰も止められないのが恐ろしいと思います。

関連; 『年報・死刑廃止2009』 「死刑100年と裁判員制度」命より大切なものがあるという倫理観にとって代わられた 
■拡大する検察権力
岩井 安田さん、今の件についてはどうですか。
安田 お聞きして、なるほどなとすごく納得していたんですけど、戦後の歴史を見ると、ロッキード事件、そしてこれに続く金丸事件で、政府あるいは国会が検察に全く刃向かうことができなくなってしまった。その結果、日本の国家権力で一番強いのが検察になってしまったと思います。そして、その内実は、徹底した保守主義なんですね。
 僕なんかは、検察官に将来なっていく人たちと司法研修所で一緒だったわけですけど、そういう人たちの多くは政治的なんですね。検察官という職業に対して、政治的な意味づけをしている。腐敗した政治や行きすぎた経済を正さなければならない。それができるのは自分たちだけだという感覚を持っている人がわりあい多くて、もっと言ってしまえば、実に小児的であったんです。
 たとえば、ある特捜部長は、就任の際、検察は額に汗をかく人たちのために働かなければならないという趣旨の発言をするんですね。青年将校なのか、風紀委員なのか、実に幼いんです。
こういう青年将校的な発想しか持ち合わせない寄せ集めが、今の検察の実態ではないかと思うんです。
 しかもそれがすごく大きな権力を持っているものですから、これは警察と一体となって行っているのですが、対処療法的に次々と治安立法を作り上げていく、たとえばオウム以降、破防法がだめだったら即、団体規制法を作る。あるいはサリン防止法を作る。あるいはその後に少年法を変えていく、内閣に犯罪防止閣僚会議というようなものを作って、刑罰を1、5倍に重刑化して、刑法全体の底上げをやるわけですね。
 彼らは、社会の実態をほとんど知らない、犯罪の原因も知らない、あるいは相対的な価値観や複眼的な視点もない、というのが正しいんでしょうけど、どんどん風紀委員的に対応するんですね。
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検察を支配する「悪魔」田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)講談社 2007年12月5日第1刷発行[1]
◇ 検察を支配する「悪魔」田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)講談社 2007年12月5日第1刷発行[2]
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◇ 『年報・死刑廃止2009』 「死刑100年と裁判員制度」命より大切なものがあるという倫理観にとって代わられた 

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